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日本の社寺は世界の富裕層を魅了できるか、高付加価値な体験づくりの3つの課題と対策

2023.03.29

2023年に入り、本格的にインバウンド(訪日外国人観光客)が日本に戻ってきている。コロナ禍前、すなわち2019年頃の活況ぶりが見られるのも、時間の問題といえそうだ。そんな今だからこそ考えたいのが、当時より課題に挙げられていたインバウンドの地方誘客である。そのなかで主たるターゲットとなるのは、人数に頼らずとも経済的な恩恵が得られることから、持続可能な観光まちづくりに貢献する富裕層(高付加価値旅行者)だ。


▲仁和寺境内にある一棟貸しの宿坊「松林庵」の外観、ここに滞在し仁和寺を味わい尽くす100万円のプランがある

この富裕層を中心としたインバウンドの地方誘客を実現するためには、「わざわざ行きたくなる理由」が不可欠であることに異論を挟む余地はない。この「わざわざ行きたくなる理由」、言い換えれば来訪動機の1つとして注目されているのが地方に点在する「社寺(神社や寺院)」である。

富裕層を中心としたインバウンドが魅力に感じる要素(ウェルネス、リトリート、マインドフルネス)や、日本の独自文化(精進料理に代表される食文化、坐禅や読経などの仏教体験、歴史的建造物や伝統工芸、仏具などのものづくり文化)をもつ社寺であるが、富裕層に向けた観光コンテンツの造成という意味では成功例が多くない。

そこで観光庁は2022年度、「寺泊等の社寺における宿泊・滞在型コンテンツの高質化推進事業」を実施。社寺における富裕層向けの観光コンテンツ整備のノウハウを各種調査により整理し、社寺における富裕層観光の可能性や取り組むためのヒントを広く知ってもらうためにナレッジ集を作成した。

本稿では、同調査のなかで見えてきた課題とその対策について、事例をまじえながら紹介したい。

 

富裕層を社寺に呼び込むにあたって直面する3つの課題

最初に、富裕層のインバウンドを呼び込む際に、地域が直面しうる課題について見ていく。観光庁が令和2年度に始めた『上質なインバウンド観光サービス創出に向けた観光戦略検討委員会』の報告書には、「上質な宿泊施設の開発促進」「富裕旅行者の関心に沿う観光コンテンツの造成」「シームレスで快適な移動」「サービスの多様性、柔軟性の不足」「人材育成と富裕旅行産業エコシステムの形成」「積極的な富裕旅行誘致:我が国の強みである文化を核としたブランディングと情報発信の強化」が取り組むべき課題としてあげられている。

とりわけ社寺においては、「宿泊施設=ヤド」「観光コンテンツ=ウリ」「人材不足=ヒト」の3つが最も大きなハードルになる。すなわち、
「富裕層が泊まりたくなる上質な宿泊施設がない」
「富裕層を惹きつける上質な観光(体験)コンテンツになっていない」
「富裕層を受け入れるためのホスピタリティ人材が不足している」
といった具合だ。

 

上質な宿、最低限の設備投資に場所の意味付けで価値を伝える

富裕層が泊まりたくなる上質な宿泊施設がないという課題に関する対策としては、2つの方向性が考えられる。

まずは、既存の宿坊を活用していくというもの。宿坊とは参拝者や僧侶などのための宿泊施設。その役割から、寝食するための最低限の施設のみを用意していることが多い。富裕層に泊まってもらうには快適性が欠かせないが、だからといって5つ星ホテルのような豪華さやフルサービスが必要なのかというと、そうとも言い切れない。同事業に関わった富裕層観光に詳しい有識者の1人は、「富裕層も文化体験を求める場合は、5つ星ホテルの設備は求めていないことが多い。あえて旅行ではテントに泊まるといったことを要望する人も一定数いる」と答えている。

したがって、快適性に関する最低限の設備投資のみを行ったうえで、宿坊という場所が持つ意味や歴史的位置づけ、存在意義を上手く伝えることで期待値を合わせられるといいだろう(だからといって、マス観光で訪れた宿泊者と同等の扱いをしていいわけではない)。

お金をかけずとも、〝ちょっとしたこと〟で宿坊に泊まる体験の質を高めることは可能だ。たとえばラミネートで簡易的に作られた注意書きを刷新する、脱いだ靴を入れるためのビニール袋をオリジナルの布袋に変える、精進料理に関する丁寧な説明をする、高品質な寝具を整える、寒さ・暑さ対策を取るといったことである。


▲福井県の永平寺が所有する宿泊施設「柏樹関」の客室と、夕食で提供している精進料理前菜。旅館のような快適な設備サービスで宿坊体験できる

もちろんその宿坊に泊まった人だけにしかできない体験コンテンツを組み合わせることも大切だ。立ち入り禁止エリアを含めた社寺の敷地内を、他の観光客がまったくいない夜に堪能する、早朝の本格的なお勤めを体験するといったものが基本であるが、それぞれの社寺の特徴を活かし、よりオリジナリティのある踏み込んだものが用意できるといいだろう。

もう1つの方向性としては、宿坊ではなく新たな宿泊施設をつくるというもの。この場合も5つ星ホテルのような豪華さや規模を持つ必要はないが、その地域らしさを表現したような施設でなくてはならない。既存の宿坊を活用するより意味性も求められてくる。

一般社団法人富山県西部観光社/水と匠が開発・運営する「楽土庵」は好事例だ。楽土庵は、同エリアの独特な集落形態である「散居村」にあるアズマダチと呼ばれる地域の伝統的な古民家を活用し、スモールラグジュアリーな宿泊施設に生まれ変わらせたもの。多様な気候と文化をもつ日本には、こうした地域特有の伝統的家屋が点在している。すでに宿泊施設に転用している事例は少なくないが、社寺周辺や境内には未活用の建物が数え切れないほどある。


▲楽土庵は水と匠によって運営される宿泊施設で、地域特有の散居村に位置する

参考:富山県の地域連携DMOはいかにして、異なる宗派の3寺院と共に体験ツアーを開発したのか?

 

上質な体験コンテンツの造成、「特別感の演出」がカギに

社寺の体験といえば、坐禅体験や瞑想体験、精進料理などが思いつく。実際、これらを体験コンテンツとして提供する社寺は増えてきている。しかし富裕層向けに上質なものになっているとは言い難いところが少なくない。

上質な体験コンテンツにするには、「ここだけ」「自分だけ」「コネがなければできない」といった要素が不可欠である。

たとえば坐禅体験を提供する場合、他の観光客も参加しているなかで行うのではなく、特別なスペースを使って個別対応にて提供できるといい。通常の参拝客では入れないところに案内し、僧侶自ら講話するといったことも考えられる。こうした場合、単に特別な場所であるとだけ伝えるのではなく、なぜ特別な場所なのか、どういった意味があるのかをわかりやすく説明する必要がある。

マス観光客を相手にしている場合などは、時間の制約上、表面的で画一的な説明にとどまることもあるかもしれない。しかし、それでは上質な体験にはならない。そのときの相手の興味関心に合わせて話す内容を調整しながら、いかに本物を伝えていくかが重要である。

そうした意味では、体験中に説明するのではなく、事前レクチャーを行うのも1つの手だ。僧侶による説明を受ける前に、ガイドによるレクチャーを挟むことで、理解はより深まる。場合によっては観光客側から、真髄や核心部に迫るような質問も出てきて、深い議論になることもあろう。そうしたインタラクティブなコミュニケーションは、満足度を高めることにもつながっていく。


▲富山県の瑞龍寺は、閉門後の幻想的な境内を巡るナイトツアーなど、水と匠によって体験コンテンツの磨き上げ等に取り組んでいる

伝統芸能の鑑賞という体験を提供することもある。この場合、単なる鑑賞者として聞くだけ、見るだけでは十分ではない。演者たちとの交流(インタラクティブなコミュニケーション)の時間を取ったり、体験してもらったりすると高質化につながる。

たとえばインバウンド専門の旅行会社wondertrunk & co.では、島根県で石見神楽の鑑賞ツアーを提供しているが、単に神楽を鑑賞するだけでなく、地元住民からなる神楽団との交流も含むため、満足度が高いのだという。

いずれにしても社寺で育まれた文化や精神性などの本質的な価値を、余すことなく伝えていくことが求められており、そのためには入口から出口まで手を抜かない(〝すき〟を見せない)ことが上質な観光コンテンツには大切である。

 

画一的な対応ではなく、旅行者との会話を通じてパーソナライズした説明を

これまでにも見てきたように、富裕層に向けて高品質な体験を提供していくためには、コミュニケーションが鍵を握っているといえる。案内したり説明したりする人のレベルで大きく体験価値が左右されるからだ。もちろん住職や僧侶がその役を担えることがベストだ。それが可能であれば大きな強みとなるので、〝ウリ〟として前面に押し出していける。

たとえば山形県の出羽三山は、山伏修行体験ができる場所として注目を浴びつつあるが、同エリアには外国語対応ができる山伏がいる。そうした実践者からダイレクトに話を聞きながら修行ができると満足度は高まる。しかし、実際には通訳ガイド等の力を借りることになるケースが少なくない。

▲滋賀県の三井寺のコンテンツ、山伏体験は山伏の装束で長等山修験を体験する

有識者のなかからは「ガイドは旅行者からの質問をベースに話を進行していくべきだ」という意見も出ていた。これは重要な視点である。というのも、基本的に富裕層はパーソナライズ(個別最適化)された旅行である必要があるため、「誰に対しても同じ説明をしているのでは?」と感じられてしまうことは好ましくないからだ。

さらに、「富裕層は事前に日本文化や目的地について下調べをしっかりとする傾向が強い」という意見もある。仮に歴史や文化に詳しいガイドがいたとしても、その場の雰囲気や相手の表情に合わせて自身の言葉で話していかなければ意味がない。理想的なのは、実際に自身で体験したうえで、生きた言葉で伝えられること。付け焼き刃の知識で対応していては、ボロが出る可能性もある。

したがって社寺とガイドは連携し、事前に十分なレクチャーを実施することが望ましい。社寺の魅力や歴史文化のストーリーを整理してガイドに伝えるだけでなく、ガイド側から第三者目線で意見を述べたり、質問したりするのもいい。

その意味では地域の歴史文化をよく知る地元住民が通訳ガイドになっていくと理想的。子供の頃の思い出も交えながらオリジナルのストーリーテリングができれば、これ以上のガイドはいないといえよう。

 

成功事例の「モノマネ」から価値は生まれない「オリジナリティ」で勝負

ナレッジ集のなかでは、実際のモデルツアーも掲載されている。しかし、そこに載っているものを〝モノマネ〟すればいいわけではない。というのも、オリジナリティは社寺によって千差万別であるからだ。「○○でやっていて人気のようだから、うちでも同じことをやってみよう」という発想では個性が生まれず、富裕層を魅了するというところにはたどり着けない。


▲広島県の神勝寺ではワーケーションスペースを提供

また、本文中にも記載したが、富裕層はパーソナライズされた旅行を好む。したがって一組一組、場合によっては一人ひとりで異なる対応が求められるのが、富裕層旅行者であり、彼らに満足してもらうためには、彼らの要望や好みを引き出さなくてはならない。それに合わせて、コンテンツやストーリー、説明の方法などを調整(アジャスト)しながら提供していく必要があるということだ。

いずれにしても、社寺を軸にした富裕層向けの観光コンテンツの造成や高品質化への道は、特に地方エリアにおいては始まったばかりといえる。マーケティング用語的にいえば、ブルー・オーシャンの状態である。地域(エリア)で連携して取り組むことで、これまで観光地としてあまり注目されていなかったところでも、富裕層(インバウンド)を惹きつけることが十分できそうだ。

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