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第8回 震災から1年。いまだからこそ、 インバウンドのビジネスモデルを理解しよう

2012.04.18

東日本大震災から1年がたち、訪日中国旅行市場もようやく回復の兆しを見せ始めているようです。3月中旬のある夕刻、ぼくが定点観察している新宿5丁目明治通り沿いにある中国インバウンドバス路駐スポットで久しぶりに大型バスを発見しました。ローソンの前にバスを停め、ツアー客が食事から戻ってくるのを出迎えていた運転手さんに声をかけてみました。

[caption id="" align="alignleft" width="228"] 新宿5丁目明治通り沿いにある中国インバウンドバス路駐スポットにて[/caption]

「どこから来たお客さんですか?」
「天津から」
「桜の時期はどうですか?」
「今年は戻って来そうだよ」

また数日前、北京の旅行会社の知り合いに電話で話を聞いたところ、春節後、MICE(企業視察や交流を兼ねたビジネス訪日旅行)の大口案件が次々と決まり、忙しい毎日だと話してくれました。おととし秋の尖閣諸島沖漁船衝突事件以降、「いい話はひとつもなかった」と渋い顔を見せていた北京の旅行業者も、久しぶりに明るい声を聞かせてくれたのです。

とはいえ、この春中国客が日本全国津々浦々に姿を見せることになるかというと、そういうものではありません。残念ながら、彼らが訪れる場所とそうでない場所については、残酷なほど明暗を分けることになるでしょう。中国客の来訪を待ち望むすべての観光地やホテル、小売店、飲食店、アミューズメント施設が公平に潤うことはまずあり得ないのです。

なぜなのか。日本人の眼から見ると、その違いがどこにあるのかわかりにくいかもしれません。でも、彼らが訪れる場所には必ず選ばれる理由があります。今回は、それを理解するための前提として、あらためてインバウンドのビジネスモデルをおさらいしたいと思います。

 

ランドオペレーターなくしてインバウンドビジネスは成り立たない

今回ぼくがビジネスモデルの話に立ち返る必要を感じたのは、3月7日に行なわれたやまとごころ主催の第25回インバウンド勉強会「観光の力が問われている復興の道のりと可能性」に出席したことにあります。そこでは震災後1年という時節柄をふまえ、被災地観光の可能性がテーマとなっていましたが、パネルディスカッションに登壇されたNPO法人アジアインバウンド観光振興会(AISO)の石井一夫さん(株式会社ジェイテック取締役営業部長)と河村弘之さん(株式会社トライアングル代表取締役)のおふたりの発言に触発されたからでした。

司会者から東北の被災地観光の可能性についてインバウンドの視点でのコメントを求められたとき、石井さんはこう発言されています。

「国によって温度差があります。台湾はひと通り東京から大阪のゴールデンルートは終わり、その後に北海道のブームが来て、九州、最後に東北という流れがあります。それに比べて中国はゴールデンルートが7割と、東北へ目を向けている人がまだ少ない状態です。また、放射能の心配から、東北に行く際に福島を通って大丈夫かという声があります。被災地でもコースを造成することは出来るかもしれませんが、売れる国とそうでない国に分かれると思います。日本全体に外国からのお客様が来ていただいてないという現状を考えると、まずは日本全体が良くなってから東北という順番があるのかなと思います」(やまとごころHPより抜粋)。

ここで石井さんが述べておられるのは、対象国・地域によって訪日旅行マーケットの成熟度がまったく異なっているという認識です。被災地としての東北地方への誘客は、台湾のような成熟したマーケットの旅行者であれば可能性はあるものの、中国のような後発マーケットでは難しいだろうということをリアリズムで語っておられます。

一方、河村さんからは昨年9月、香港から約100名の宗教関係者の四国お遍路めぐりを手配されたという興味深い報告がありました。「東北大震災の被災者を供養するための7泊8日の巡礼ツアー」だそうです。こうしたユニークなツアーが催行できたのも、香港が台湾同様、成熟したマーケットであることの証でしょう。そして、何より河村さんが海外客を相手に日本の旅行手配を長く手がけてこられた豊富な経験をお持ちだからです。

おふたりはインバウンド専業のランドオペレーターです。いまさらですが、ランドオペレーター(ツアーオペレーター)というのは、海外旅行(アウトバウンド)で観光案内やホテル、レストラン、現地の交通手段などの手配を専門に行う現地会社のことです。それがインバウンドでは、外国人の訪日旅行のための日本側の手配会社になります。もしこうした手配会社がなければ、今日の消費者が望むような旅行商品を誰もが等しく享受することはできません。いくつかの選別された旅行素材をまとめて仕入れることで安価な商品を造成するのが、旅行業の最も基本的なビジネスモデルです。

世界は広く、マーケットも多様ですから、それぞれのランドオペレーターは国・地域別に専門が分かれている場合が一般的です。石井さんは中国本土市場、河村さんは東南アジア市場が専門です。当然、おふたりは専門とされるマーケットの事情に精通しておられますし、現地の旅行会社と強いパイプを持っています。情報とパイプがインバウンドビジネスにとっての肝であることは言うまでもありません。

インバウンドのビジネスモデルにおいて、ランドオペレーターは要の役割を果たしています。ランドオペレーターなくして本来、健全なインバウンドビジネスは成り立たないのです。ところが、これまで書いてきたように、とりわけ中国からの訪日旅行市場において、要となるはずのランド業務の大半が日系業者ではなく、日本手配経験の乏しい新興の在日中国系業者の手に渡ってしまったことで、中国人の日本ツアーがメイド・イン・チャイナ化してしまったのです。

 

日本のランドオペレーターともっと手を組もう

今回のやまとごころ勉強会で、ふたりのランドオペレーターの話を聞きながら、どれだけのインバウンド関係者がこうした実情を理解しているのだろうか、と疑問に思いました。

インバウンドに関連する業界は、宿泊施設や運輸交通といった観光産業だけではありません。小売や流通、金融、情報通信といったサービス産業に加え、製造業や不動産業、国・地方自治体まで広範囲にわたっています。もともと観光産業とは無縁だった異業種の方々からすれば、インバウンドのビジネスモデルにおけるランドオペレーターの役割をあまりご存知なかったとしても無理はないかもしれません。しかし、日本国内と誘致相手国・地域事情に精通した日系ランドオペレーターがキープレイヤーとして活躍できないようでは、日本のインバウンドビジネスはうまく機能するはずがないのです。

さまざまな異業種が参入し、海外のあらゆる地域の情報が入り乱れていることで、日本のアジアインバウンド市場は情報だけが先走りし、内実が追いついていないように見えます。各プレイヤーの方々も自分の果たすべき役割や本来取り組むべき課題が見えていないのではないかと感じます。

[caption id="" align="alignright" width="240"] 2011年秋のトラベルマートの会場にて。世界各国の旅行会社と日本のサプライヤーによる商談が行なわれた[/caption]

これまで多くのインバウンド関係者が個別に海外の旅行博覧会にブースを出展したり、自治体の首長と一緒に現地の旅行会社を表敬訪問したりしてきましたが、いったいどれほどの誘客効果があったでしょうか。海の向こうに出かける前に、まずは現地のマーケットと直接つながって日々外客を迎え入れているランドオペレーターに相談すべきだったのではないでしょうか。

実はランドオペレーターの側もそれを望んでいます。前述のおふたりもパネルディスカッションの中で、会場に集まった関係者に向けて「もっと皆さんの話を聞かせてほしい」と問いかけていました。

石井さんはこう語っています。
「外国人の目線で日本に求めているものは何かを理解し、旅行の食べる・寝る・遊ぶという要素を満足できるものにする必要があります。東北では和、温泉、祭りといった特色や良さをどうやって旅行商品に組み込んでいくのかが課題です。海外の現地旅行社が知りたいのは料金と特色とルートなので、皆さまには我々のような企画提案できる人間に情報を提供していただいて、協力しながらやっていければと思います」(やまとごころHPより抜粋)

ランドオペレーターは国内各地の旅行素材を海外マーケットの嗜好に即して商品となりうるかどうか日々吟味検討しています。アジアインバウンドの歴史は約30年といわれるように、彼らの海外マーケットに対する理解は深いものがあります。いまからでも遅くはありません。インバウンド関係者の皆さんは、日本のランドオペレーターともっと手を組むべきだと思います。

 

呼び込みたいのは誰ですか?

それをふまえたうえで、あらためて考え直さなければならないことがあります。自分たちが呼び込みたいのはどの国・地域の市場なのか。あるいは呼び込むのにふさわしい市場はどこかをはっきりさせることです。観光産業以外の業種から新規参入してきたインバウンド関係者の大半が絞り込みでつまずいているようにぼくは思います。

[caption id="" align="alignleft" width="189"] 世界にはたくさんの国があるが、市場の絞り込みが必要だ[/caption]

しかし、一部の観光地やホテル、小売店、飲食店、アミューズメント施設の中にはすでに集客に成功している事例が見られるのも確かです。彼らに共通しているのは、自分の呼び込みたい市場が明確になっていることです。

たとえば、日光江戸村や新横浜ラーメン博物館のようにタイ人観光客の集客で知られるアミューズメント施設は、タイ市場に特化したさまざまな取り組みを続けていることで知られています。なぜタイ市場だったのかという検討も、さまざまな海外マーケットとの比較検討から導き出されています。こうした市場の絞り込み作業が実はいちばん重要なのです。当然、河村さんのような東南アジア専門のランドオペレーターとの協力連携も不可欠だったでしょう。

旅行とはいってみれば、線を描いて時間軸に沿って移動していく営みですから、石井さんのいうように「料金と特色とルート」をめぐって導線を結ぶ素材選びが必要であり、それを仕切り、アレンジしているのがランドオペレーターです。ですから、旅行素材の提供者(サプライヤー)が、もし自分の対象とするにふさわしい海外マーケットがどこなのかよくわからないのだとしたら、それぞれの国・地域を専門とする日本国内のランドオペレーターに個別に相談し、検討してもらうといいいでしょう。自前で海外に出向き、やみくもに現地の旅行会社を訪問するというコストのかかるわりには成果の見えにくいやり方に比べると、そのほうがずっと現実的で確実だと思います。

こうしたマッチングのための受け皿として期待しているのが、石井さんや河村さんらランドオペレーターを中心に結成されたNPO法人アジアインバウンド観光振興会(AISO http://npoaiso.net/)です。彼らはアジア市場のインバウンドビジネスの豊富な経験と知見が集約された日本でもほとんど唯一の実践的な組織といえるでしょう。現在では、多くのサプライヤーも会員となっており、日本のインバウンドビジネスにおけるさまざまな課題のソリューションのために活動されています。

最後に提案があります。これからインバウンド市場に参入しようと考えておられる皆さんや自治体の方たちのために、AISOはインバウンド相談部門を設け、それをやまとごころが窓口となって国・地域別のマーケットごとに振り分け、マッチングさせるというしくみをつくってはいかがでしょうか。

ここでいうマーケットとは、日本政府観光局がインバウンドの重点市場と考えるアジア市場を中心に台湾、香港、タイ・マレーシア・シンガポール、その他の東南アジア、韓国、中国本土、極東ロシアなどを指します。中国本土に関しては、北京、上海、広東、東北三省、その他内陸地方(重慶)など、いくつかの地域別に分けるべきでしょう。中国は地域によってマーケットの成熟度が大きく異なるため、マーケット的にひとつの国だと考えると、うまくいかないと思います。インバウンドに参入するなら、まずはこれらのうちどこの市場が自分にふさわしいかを検討することから始めてほしいのです。

ぼくがこの連載で中国市場を中心に据えて書いているのは、人口規模は大きく、見かけの経済成長率は高いものの、最も後発で成熟度が遅れ、地域格差が大きく、しかも国家資本主義を採用し、政治が執拗にビジネスに介入してくるというきわめて難易度の高い特殊なマーケットであるからです。ですから、ビギナーである新規参入業者がいきなり難しいところから始めるというのは無謀といえるかもしれません。これまで少々辛口で中国インバウンドの実情を明らかにしてきたのは、そこに気づいていただきたいからです。もし検討の結果、自分にふさわしい市場でないとの結論が出れば、中国を選ぶ必要はないのです。