観光産業の現状と未来を考えるヒントに『堤康次郎 西武グループと20世紀日本の開発事業』
2024.07.17
著者:老川 慶喜 / 出版社:中央公論新社
日ごろ歩き回って見慣れている場所でも、新しい建物や店舗に出くわすと、その前に何があったかを思い出せないことがよくある。それと同じく、インバウンドや外資であふれる観光地が、以前はどんな様子であったか、そもそもどういった経緯で開発されたかについて、振り返られることは多くない。
「土地」で築いた西武王国
本書は、箱根や軽井沢、さらにニセコや苗場などを開発してきた西武グループを創設した実業家で、戦後に衆議院議長も務めた堤康次郎(1889-1964)の生涯を、「土地」に着目して描いたものである。
私鉄ビジネスは、阪急電鉄の創始者・小林一三(1873-1957)が代表的なロールモデルとされている。小林は、大都市の中心部(大阪・梅田)を鉄道網の起点としてターミナル駅と百貨店を併設、終点に劇場や遊園地などの行楽地をつくって、その間の沿線に住宅地を広げるというビジネスモデルを生み出した。つまり、沿線住民を鉄道事業者が自らの手で増やし、通勤・通学者、消費者、行楽客を囲い込むというものである。西武も阪急モデルを踏襲しているようにみえるが、著者は、「康次郎の事業の中心は『土地』」と言い切り、鉄道を起点とした小林とは「対照的」とする。
本書は、近江商人発祥の地(滋賀県)から20世紀初頭に堤が出立したところから伝記を始め、早稲田で学び、株式から土地へと投資先を替える様子を冒頭で示す(1章)。軽井沢や箱根といったリゾート地を開発し(2・4章)、関東大震災後の東京(主に西側)で宅地開発を本格化(3章)させる堤が、傘下におさめた武蔵野鉄道を広げて現在の西武鉄道を作り上げるのは、関東で土地開発を進めた後であった(5・6章)。後に無印良品やファミリーマートの母体となる西武百貨店を池袋のターミナルデパートとして整備するのは晩年である(7章)。
堤の死後、西武王国の本丸である国土計画興行(箱根土地開発/コクド)は、三男の義明に継承される。義明は、祖業の総帥として西武鉄道のほかにプリンスホテル、スキー場、ゴルフ場などを全国に展開し、バブル期には「世界一の富豪」としてもてはやされた。スポーツ振興にも熱心で、オリンピック委員会や自民党とのパイプを活かして、長野五輪(1998)では最も恩恵を受けた企業経営者といわれるほどの栄華を誇ったが、2005年に証券取引法違反で逮捕・有罪となって経営権をみずほ銀行出身者に譲り渡している。堤家が退場した西武鉄道グループは資産売却と施設閉鎖を推し進めており、数多くの観光客は、かつてはそこが堤王国の版図だったことを知らずに施設に足を運んでいる。例えば「ニセコビレッジ」も40年以上前に同グループが開発した複合施設である(現在はマレーシア系)。
堤康次郎の革新を受け継いだ次男・清二の挑戦
土地・観光・鉄道を取り上げた本書で興味深いと思われるのが、「康次郎の事業の正当な後継者は(三男の)義明である」という通説に異議を唱えていることである。著者は、「発足したばかりで海のものとも山のものともつかない西武百貨店」を継承した次男の清二が、新中間層のために別荘地や住宅地を切り開くといった康次郎の「革新」的な理念を継承したことに注目する。そして、パルコや西友などを通じて流通業界を改革した清二が、別荘地(八ヶ岳)や住宅地(所沢や京都)の開発など「不動産事業にも並々ならぬ情熱を燃やしていた」ことを指摘している。清二が築いたセゾングループは、1988年にインターコンチネンタルホテルグループを傘下に収めるほど拡大を続けたが、皮肉にもバブル後に不動産事業が破綻して解体を余儀なくされた。しかしながら、長期滞在のリゾートを日本に根付かせるためにクラブメッドと提携(1984)したり、巨大な宴会場と数多くの客室を擁するビジネスモデルを否定して、80室以下の「スモールラグジュアリーホテル」を開業(ホテル西洋銀座・1987)したりと、ビジネスを通じて社会を変革しようとした清二が、観光の世界に残した夢には現在も顧みられるべきものが多い。
20世紀において土地事業の「勝者」であった西武コンツェルンは、観光を取り巻く21世紀の激流の中で、ともすれば「敗者」として忘れ去られつつある。しかし、その歩みは観光の歴史的文脈(=現在)を考えるうえで示唆に富んでおり、新書として大分だが、本書は恰好の事例を提供してくれる。『セゾン 堤清二が見た未来』(日経ビジネス人文庫)と一緒に読んではどうだろうか。
文:辛島理人・神戸大学准教授