サステナブルツーリズムの先へ、カナダに学ぶ「再生型観光」の実践とヒント
2025.06.23
近年、日本でも観光地や自治体、企業などでのサステナブルツーリズムへの取り組みが広がっている。GSTC認証への挑戦や、グリーンデスティネーションTOP100Storiesへの応募など、本格的な国際基準を目指す動きがみられるようになっている。
これらは、地域の自己分析やブランディングの見直しにも非常に有益であり、とりわけ、ヨーロッパをはじめとするサステナブル先進国からの誘客において、大きなアドバンテージになる。
しかし一方で、サステナブルツーリズムが地域に本当の意味で理解され、持続的に地域に貢献しているのか、という疑問に直面しているのも事実だ。特に国際認証の取得には、多くの時間と経済的負担を伴い、地域住民の理解と協力なしでの継続は簡単なことではない。
こうした課題を踏まえ、今回は世界のサステナブルツーリズムの動向とその先にある可能性を探るべく、注目すべき事例としてカナダの「再生型観光(Regenerative Tourism)」の取り組みを紹介。サステナブルツーリズムの次の一手のヒントを探る。
▲カナダ バンフのショッピングストリート©DanEvans
カナダ観光局が示す「再生型観光」への転換
カナダは豊かな自然とクリーンなイメージ、そしてサステナブルな観光への長年の取り組みで知られている国だ。一般の観光のみならず、教育旅行の目的地としても人気があり、その観光政策は多くの示唆を与えてくれる。
カナダ観光局(Destination Canada)は近年、これからの観光について「再生(Regeneration)」という新たな視点から定義したうえでの政策を進めている。これは、単に観光地や自然資源を「維持(Sustain)」するだけでなく、訪れることで地域や文化、人々が、文化がより良い状態へと再生していくことを目指した観光のあり方である。
同局が2022年に発表した戦略プレゼンテーション「A Regenerative Approach to Tourism in Canada(カナダにおける再生型観光へのアプローチ)」では、観光を“成長の手段”から“社会変革のツール”へと再定義する明確なビジョンが打ち出された。
ここでは、短期的な経済効果ではなく、地域のウェルビーイング、環境再生、先住民との共創、観光客の意識変容といった複眼的な価値基準が掲げられている。
▲カナダ観光局が考える持続可能な観光と再生型観光の定義(出典:カナダ観光局 A Regenerative Approach to Tourism in Canada)
カナダ観光局が掲げる5つの価値基準
カナダ観光局は、以下の5つの理想的な価値基準に基づき観光戦略を展開している。そこには、観光を「良いもの」として捉えそれを発信し続けるという姿勢が貫かれている。
1. “Build Forward Better”―ただ戻るのではなく、より良く前へ進む
観光の未来は、かつての“にぎわい”を取り戻すことではなく、私たちの関係性を見つめ直し、地域とともに再生することにある。
●コロナ後の観光再開を単なる「回復(Recovery)」ではなく「再構築(Regeneration)」の機会と捉える。
●「より多く」ではなく「より深く・より良く」という価値への転換。
2. “Tourism as a Force for Good”—観光は地域の再生エンジンになれる
カナダではいま、“観光は良き力になり得る”という信念のもと、再生を促す観光モデルが各地で立ち上がっている。
● 環境、経済、文化、コミュニティの回復に資する存在の観光を再定義。
●「訪れる」だけでなく「関わる・育てる・癒す」観光へ。
3. Success is measured differently—成功の定義を変える
かつて“観光成功の証”だった消費額や宿泊数は、いまやカナダの新しい観光戦略では主役ではない。代わりに問われるのは、そこに住む人たちが幸せか、自然は再生しているかということだ。
● 経済指標(宿泊数・消費額)ではなく、「地域の幸福」「環境の回復」「文化の継承」など多元的指標で観光の価値を評価。
● 地元コミュニティの“well-being”が中心に。
4. Community-led, Place-based Tourism—地域と土地を主語にした観光
観光はもはや“一極集中で売る”時代から、“地域ごとのストーリーを共に紡ぐ”時代へと進化している。
●「地域主導」「その土地に根ざす」ことを重視。
● トップダウンではなく、地域が自ら価値を定義・発信。
5. Long-term resilience over short-term gains—短期利益より、持続的なレジリエンス
観光による“一時の潤い”よりも、何世代にもわたる地域の持続力こそ、いま必要なゴールである。
● 利益の最大化よりも、地域や自然が「持ちこたえ続けられる力」を重視。
● 気候変動、パンデミック、人口減少といった課題への対応力としての観光。
世界的リゾート、カナダ・バンフに見る実践例
こうした理念を体現している代表的な事例が、カナダのバンフだ。温泉地から始まり、現在はバンフ国立公園内に位置するこの街は、年間400万人以上が訪れる世界的リゾートであり、観光開発と自然保護の両立を通じて、地域住民、観光客双方が楽しめる地域づくりを模索してきた100年以上の歴史を持つ。
そのバンフでの取り組みは多岐にわたるが、その一部を紹介する。
バンフの徹底した地域保全
● 人口は8000人を上限とし、居住や商業活動など街としての利用面積を4平方キロメートル以内に制限。
● 居住できるのはバンフで働く人や学生、定年退職者に限られ、別荘や外部資本による買い占めを防止。
● 地元住民が安心して暮らせる環境づくりを規制で支える。
このように、地域の持続可能性を高めるために、明確な人口や面積の上限を設けていることは注目に値する。
筆者が昨年訪れた日本のあるリゾート地では、地元の観光業従事者から「急速に発展しすぎて、この先どうなるのか不安を感じている」という声が聞かれた。適切な規制によって地域の規模を一定に保つことができれば、将来への過度な懸念を抱くことなく、本来注力すべき取り組みに安心して向き合える環境が整うのではないだろうか。
自然保護から生態系の保護へ
● 動物保護から始まり、景観保護、そして現在は生態系保全に注力。
● 高速道路の設置により分断された生態系保護のためのアニマルオーバーパスやアンダーパスの設置、山火事の自然発生容認、固有種のカタツムリの保護など多面的な取り組み。
バンフにおけるこうした取り組みは、決して一朝一夕に実現されたものではない。特筆すべきは、これらの施策が100年以上にわたる継続的な試行錯誤の積み重ねによって成り立っている点にある。日本でも長期的に自然保護が行われてきた地域はあるが、ここまで多様な施策が体系的に試みられてきた例は多くない。長年の取り組みの中で蓄積された知見と柔軟な姿勢が、現在の高度な自然保護体制を支えているのだ。
▲バンフ国立公園にあるトゥー・ジャック湖©William Patio
時間をかけた対話と合意形成
● 長期的視点で対話と合意形成を重ね、「バンフ・ボウバレー調査」により観光と自然保護のバランスを模索。
● 最終的には自治権を持つ街としての機能も獲得し、地域の自立的運営を実現。
当初は、国立公園を管轄するパークス・カナダがバンフの様々な問題に対処していたが、自治化により、パークス・カナダは本来の役割である自然保護に専念できるようになった。これはまさに、価値基準で示された「地域と土地を主語にした観光」の実践例であり、トップダウンではなく地域主体で価値を定義・発信する体制が整ったことを意味している。
ここまでの話を象徴するように、「カナダでは大事なことは時間をかけて考え、話し合う」というカナダ観光局 日本局長・半藤将代氏の言葉は、短期成果を急ぎがちな日本に対して大きな示唆を与えてくれる。
日本にとってのヒントは?
もちろん、カナダの仕組みや思想を日本にそのまま当てはめることは簡単ではない。しかし、無理だと切り捨てるのではなく、5つの価値基準やバンフの取り組みからヒントを得て、地域の実情に即した形で応用していくことが求められている。
今回紹介したバンフの事例は、半藤氏の著書『観光の力』(日経ナショナルジオグラフィック社)にも詳しく紹介されている。観光の力が社会に何をもたらせるのかを問い直すこの一冊は、国内外・訪日を問わず観光に関わるすべての人にとって必読の書と言えるだろう。
株式会社Foresight Marketing CEO/元フィンランド政府観光局日本局長
能登 重好
大手旅行代理店勤務を経て、1993年フィンランド政府観光局にマーケティングマネージャーとして入局、1996年より同日本局長。20年以上にわたりフィンランドのプロモーションに関わった。2010年に株式会社Foresight Marketingを設立し、現在はバルト三国の政府観光局の日本代表。EUプロジェクトのマプロモーションの戦略立案、マーケティングにも関わり、近年は日本のDMO, ヨーロッパ以外の国のプロジェクトにも業務範囲を拡大。一般社団法人サステナビリティ・コーディネーター協会理事も務める。
<編集部コメント>
未来から逆算する観光政策への転換を
分かりやすいトレンドに乗ったり、目前の課題への対応に追われがちな日本の観光政策ですが、いま一度立ち止まり、「50年後、100年後にどんな地域でありたいのか」という長期的な視点に立つことが求められているのではないでしょうか。多様な声に耳を傾けながら、時間をかけて対話を重ね、地域の中で共有できる軸を育てていく。その積み重ねが、観光を地域に根づかせる力になっていくように思います。「大事なことは時間をかけて考え、話し合うのがカナダ」。半藤将代氏の言葉は、そんな姿勢の大切さを静かに教えてくれているようです。