“人が続く組織”はこうして生まれた、倶知安観光協会が挑むDMOの人材改革
2025.10.22
「人が来ない、育たない、続かない」全国のDMOが抱える人材課題は、いまや業界共通の悩みとなっている。北海道の(一社)倶知安観光協会はこの難題に真正面から取り組み、給与体系や人事評価、福利厚生などを刷新。“観光協会としては異例の人材制度”を整えた結果、人材が集まり、育ち、定着する循環が生まれつつある。
本記事では、倶知安観光協会がどのようにして“選ばれる職場”へと変貌したのか、その背景にある考え方と具体的な仕組みを追いながら、全国のDMO・観光協会に応用できるヒントを探る。
“DMO人材戦略”の出発点、財源と体制の確立
「日本のDMOに必要なものは、安定的な財源、人材待遇の改善、そして権限の拡大。この3つです」(一社)倶知安観光協会(以下、倶知安観光協会と表記)で事務局長を務める鈴木紀彦氏はそう語る。
優秀な人材を獲得するには、財源と組織基盤の整備が欠かせない。その言葉を裏づけるように、倶知安町では観光財源の確保とDMOとしての体制整備を着実に進めてきた。
北海道倶知安町は人口約1万5000人。世界的に名を馳せた「ニセコひらふ」のパウダースノーを目指して、2024年には延べ88万4000人が宿泊した。観光需要の高まりを追い風に、町は2019年11月に定率2%の宿泊税を導入。また、観光財源の拡充を背景に、2020年10月には倶知安観光協会は地域DMOとして登録。その後、2025年10月には先駆的DMOに選出された。町の観光商工課や地域連携DMO「ニセコプロモーションボード」(10月1日より地域DMOに変更)と同じ建物に事務所を構え、三者が日常的に顔を合わせ、連携できる体制を整えている。
▲ニセコ地区のシンボルである羊蹄山(提供:俱知安観光協会)
その舵を取るのが、2021年に倶知安観光協会に着任した鈴木紀彦氏だ。JTBで約30年にわたり新規事業や地域コンテンツ造成を手がけ、行政出向も経験。さらにハワイではMICEやホノルル国際空港でのVIP対応を担い、ハワイ最大級のイベント「ホノルルフェスティバル」の財団運営でも手腕を発揮した経験を持つ。観光と行政、国内と海外の双方を知るキャリアが評価され、2021年より倶知安町でDMO改革に挑んでいる。
協会の公式サイトでは「倶知安町観光地マスタープラン」を公開している。現状分析や住民QOL向上策を課題ごとに整理し、長期的なロードマップを明示するなど、観光事業者だけでなく住民からの信頼獲得にも力を入れている。
▲倶知安観光協会HPでも掲載している倶知安町観光地マスタープラン
「やりがい」だけでは続かない、給与制度改革の舞台裏
スノーシーズンのインバウンド需要に支えられ、宿泊税による財源拡充も進んだ倶知安観光協会。一見すると順調に発展しているように見えたが、実態は人材が入ってきてもすぐに辞めてしまい、長く続かないことが積年の課題だった。
優秀な人材が定着するには「やりがい」だけでは不十分である。鈴木氏は着任直後から「退職者に能力や意欲を求める前に、私たちは続けていける待遇を提示できていたのか」と自問し、着任2年で給与体系の改革に着手した。
そして、一年の調整期間を経て2024年度から導入したのは、民間企業の給与体系を参考にした評価制度だ。
全職員を4つの職群に分け、評価に応じて変わる昇給幅を設計。業績評価と行動評価の2つの評価軸を取り入れ、新人ほど「行動評価」を重視し、上位職になるにつれて「業績評価」の比重を高める。
例えば新人は「ルーティーンを守る」「スケジュールを計画する」といった基本的な行動面が評価全体の8割を占めるが、5年目になると行動と業績が半々に。事務局長の鈴木氏自身は「業績評価が8割近くを占める」と語るように、職責に応じた基準が明確に設けられている。最終的な給与は本人評価・他者評価を組み合わせたマトリクスで決定される。
「要は給与の査定を上司の“さじ加減”に委ねないこと。『頑張っているから』という曖昧な基準ではなく、本人にも理事にも説明できる仕組みに変えたのです」と鈴木氏は語る。
▲スタッフミーティングは、毎回外部からゲスト講師を招いて行う(提供:俱知安観光協会)
制度導入後、全職員の給与は平均で6%のベースアップ。さらに宿泊税の財源を活用し、町の理解を得て賞与の一部を予算化することに成功した。生活給と賞与の二本柱が整ったことで、安定して働ける基盤が生まれた。2025年は上司を評価するES(従業員)アンケートも実施予定にしている。
行政からの補助金に頼る組織の多くが自治体職員の給与水準に左右される。しかし財源があれば自治体に改定案を持ち込むこともできる。「倶知安町のように短期間で一気に大きな改革するのは難しくても、まずは“行動評価の明文化”から始めることもできる」と呼びかける。
“辞めない組織”を支える、暮らしの手当
給与制度の改革だけでは十分ではない。倶知安町には、“生活コストの高さ”というもう一つの壁があった。世界的リゾート地として外資系ホテルやコンドミニアムの開発が進み、地価や家賃は急上昇。東京から転職してきた職員が「東京並み」と驚くほどの家賃水準が、働き続けるハードルになっていた。
そこで鈴木氏は2023年度から家賃の半額を補助する住宅手当を新設した。さらに北海道ならではの負担である冬季の暖房費に対応し、12月から3月までの4カ月間は月額1万2000円の手当を全職員に支給する制度を導入した。
これに加えて役職手当や語学手当の新設、出張日当の見直しなど、待遇改善を多方向に拡充。またフレックスタイム制を導入し、子育て世代にも対応する。ここで鈴木氏は「大事なのは待遇改善のビフォー・アフターを比較し、実際の行動を振り返ること。また各自に“1分当たりの給料”を提示することで、行動と報酬、組織の評価のつながりを意識してもらう。働く側も待遇に見合った責任を伴っていると自覚してもらう必要があります」と強調する。
改革前、事務局の職員はわずか2人。書類仕事や企画立案を鈴木氏が実質“ワンオペ”で回すのが日常だった。それが今では事務局の正職員5人、出向者1人、観光案内所4人にまで増員。現在は、20人の理事の中から配置された7人の兼務執行理事を中心に「二次交通」「着地型連携」「サスティナブル」「サマーコンテンツ」「MICE」「広報PR」「エデュケーション」の7部会を設け、職員が2名1組で複数部会を兼務する形で運営している。
▲写真一番右が、今回話を伺った鈴木氏、メンバー間の風通しもとても良い(提供:俱知安観光協会)
少数精鋭ゆえ業務は多岐にわたるが、週ごとの行動計画を必ず共有し、時間管理の徹底で組織を回している。「前週の金曜までに翌週のスケジュールと行動計画が入力されていなければ、月曜に私がチェックします」と鈴木氏。
観光コンサルから転職した職員は「給与が下がる覚悟で来たが、住宅手当があって本当に助かった。仕事は多いが自分のアイデアを実現でき、休日も確保できる。ノーストレスで働けています」と、職場環境の充実ぶりを証言する。
異業種人材が活躍できる、“人が育つ仕組み”が地域を動かす
給与制度や待遇の基盤が整ったことで、次に問われたのは「どんな人を採用し、どう育てるか」だった。
「日本のDMOはまだ歴史が浅く、DMOの転職市場は成熟していません。ですから私たちは“異業種からの人材を育てる”前提で採用に臨みました」。現在の倶知安観光協会には、全国展開するコーヒーチェーン店や販売店の元スタッフ、メーカーの製造管理者など、多様なバックグラウンドを持つ職員が活躍している。「彼らの共通点は素直で、伸びしろがあること。一度自分のキャリアをリセットできるくらいの柔軟性を持つ人が一番伸びる」と鈴木氏は分析する。
面接では答えの内容よりも受け答えからにじむ人柄を重視した。たとえ将来、職員が組織を離れたとしても、ここで積んだ経験や実績が次のキャリアで価値になるなら「それ自体が倶知安観光協会のブランド力になる」と前を向く。
▲主体性をもって業務に取り組む(提供:俱知安観光協会)
一方でDMOにとって最も懸念されるのは「特定のキーパーソンが抜けた瞬間に組織活動が停滞してしまうことだ」と指摘する。個人の力に依存せず、課題解決のパターンを組織に蓄積するための“権限の拡大”に知恵を絞っている。
その成果として象徴的な出来事が2024年にあった。海外客増加に伴い、スキー場「ニセコ東急グラン・ヒラフ」と町市街地を結ぶ道路の渋滞が深刻化。大規模インフラに関わる課題だけに解決は遅れていた。そこで鈴木氏は渋滞の様子をドローンで撮影し、あえて混雑する時間帯に警察や消防など関係者を集め、映像を共有した。目の前で渋滞の現実を突きつけられた関係者は問題を“自分事”として認識し、異例の速さで対策が進んだ。現在、交差点には左折レーンが新設され、青信号の時間も40秒から60秒に延長されている。
▲DMOの働きかけを契機に交差点の道路が拡張され、渋滞緩和につながった(提供:俱知安観光協会)
宿泊税導入は人材改革のチャンス、行動と挑戦が導くDMOの進化
交通インフラの改善だけではない。協会はデジタルサービス「Kutchan ID+」を導入し、住民が町内店舗で割引を受けられる仕組みを構築した。さらにDMO研究の第一人者・原忠之氏の著書を全理事を含む組織内の“教科書”とし共通言語を浸透させるなど、観光の枠を超えたまちづくりのプレイヤーになっている。

「協会が直接的な『権限』を持っているわけではありません。しかし、課題解決に向けたアイデアや実践手法を提案することで、間接的に権限が広がっていく。その延長で町が良くなれば、DMOの存在価値は確実に高まります」
観光業界の関係者からは「DMOがそこまでするのか」と驚く声も聞こえてくるが、「今の日本のDMOはそこまでやらなければ」という鈴木氏の姿勢に、職員たちも意欲的な働きで応えている。
こうしたDMOの持続可能な組織運営をもたらす人材待遇改善は、「宿泊税導入による財源確保のときこそが、絶好のチャンス」と、鈴木氏は説く。「先行事例を見ているだけなら失敗をする心配はないが、実は、チャレンジしないこと、つまり“失敗すらできないこと”が最大の失敗。地域にとって大きな機会損失になるのです」と看破する。
倶知安観光協会は「財源確保」「待遇改善」に加え、町の課題解決に向けて主体的に取り組むことで “選ばれる職場”の土台を築いた。地域の未来は、小さな行動の積み重ねから変わっていく。倶知安の事例を特別視せず、自らの地域にあてはめて考えてみる。その姿勢こそが、変化への第一歩になる。
取材・文/佐藤優子

