オーストリアの都市型山岳リゾート・インスブルックに学ぶ、宿泊税の還元モデル
2025.12.16
旅行者から徴収した宿泊税を、どのように還元するか。これは、宿泊税を導入するすべての地域に共通する課題だ。
オーストリア・チロル州の州都インスブルックでは、宿泊税を財源として、滞在日数の延長や広域周遊を狙った宿泊者に無料で配布されるゲストカード「Welcome Card」を展開している。アルプスの首都とも呼ばれる都市型山岳リゾートインスブルックは、どのように宿泊税を「見えるかたち」で旅行者に還元し、地域の観光にプラスの効果を生み出しているのか。その制度設計と運用の実践を見ていく。
▲スキージャンプ台から見たインスブルックの街並み(筆者撮影)
150万人が訪れる、都市と山岳の魅力が融合するリゾート地・インスブルック
オーストリア西部・チロル州の州都インスブルックは、「アルプスの首都」を名乗る都市型山岳リゾートである。市街地だけで約13万人、周辺自治体を含む広域圏(インスブルック地域)では30万人超が暮らす。観光局であるInnsbruck Tourismusは、インスブルック市に加え、周辺のイン渓谷やミーミング高原、クータイ、ゼルライン谷など40以上の自治体をカバーしている。
インスブルック地域の年間宿泊者数は約150万人にのぼるとされる。来訪客は、冬は周辺スキーエリアを目当てとしたスキー・スノーボード客、夏はノルトケッテと呼ばれる山やイン川沿いでのハイキングを楽しむアウトドア客が中心だ。
旧市街の「黄金の小屋根」やカラフルな家並みのイン川河畔、2度の冬季五輪を支えたジャンプ台など、多様な観光資源がコンパクトに集まり、都市とアルプスの自然が一体となった滞在空間を形づくっている。
観光を支える財源「宿泊税」と「事業者拠出金」
チロル州では「チロル観光法」に基づき、州域全体をカバーする地域観光協会(ドイツ語で Tourismusverband、略称 TVB)が公益法人として設置されている。Innsbruck Tourismusもその一つであり、州法で定められた二つの財源を主な収入としている。
一つ目が、宿泊客から徴収される宿泊税である。税率は、州政府が定める州全体での最低税額と上限額の範囲内で、各地域観光協会(TVB)が地域の実情にあわせて決める仕組みだ。2024年の制度改正では、税額の最低ラインを1人1泊2.60ユーロ、上限を5ユーロとする方針が示された。
インスブルック地域では、この枠組みのもとでの税額引き上げを決定しており、2025年5月に2ユーロから3ユーロへ、2026年5月には4ユーロへと段階的に引き上げる計画である。
二つ目の財源が、「義務的拠出金」と呼ばれる事業者負担の拠出金だ。観光から直接・間接に利益を得る企業が売上規模などに応じて負担するもので、宿泊税と並び、地域観光組織の安定的な運営を支える予算的基盤となっている。
宿泊者に無料提供される「Welcome Card」の仕組みとは
こうした観光財源を活用した取り組みのひとつが、宿泊者向けのゲストカード「Welcome Card」である。インスブルック地域の提携宿泊施設に2泊以上滞在するゲストに無料で配布される。カードを提示することで、公共交通機関の無料利用や観光施設の割引など、地域内の観光に関する特典を受けられる。
カードはチェックイン時に宿泊施設がゲスト登録を行うことで発行される。紙カードに加えて、専用アプリを通じた電子チケットとしても利用できる。
▲チェックイン時にもらえるWelcome Card、裏面のコードを各施設でスキャンすることで特典を受けられる(筆者撮影)
滞在日数に応じた特典で”もう1泊”を促す観光戦略
特典内容は、滞在日数に応じて段階的に設計されている。2泊以上の宿泊者は、インスブルック市内と周辺地域を走るバス・トラム・一部のローカル列車が無料で利用できる。また、ガイド付きハイキングや E バイクツアー、屋内プールや湖水浴場、観光施設なども割引価格で楽しめる。
さらに3泊以上になると、「Welcome Card plus」と呼ばれる上位特典が付与され、夏季には周辺の主要ケーブルカー・ゴンドラ4回分の無料乗車券が追加される。アルプス地域の観光において、「山に登って雄大な景色を眺める」「稜線や高原をハイキングする」といった体験は、いわば旅のメインディッシュだ。その入口となるケーブルカー無料利用券を3泊以上の旅行者の特典に限定することで、「もう1泊すればアルプスの核心的な体験を無料で楽しめる」という、明快なインセンティブになっている。
冬季版では、スキーエリアへの無料送迎バスのほか、クロスカントリーコースや冬季アクティビティの割引、さらに3泊以上で特定のゴンドラの無料乗車が付与される。また、インスブルック市街を見下ろすノルトケッテや、冬季五輪の会場にもなったパッチャーコーフェルなど、代表的なスキーエリアの割引も適用される。季節ごとに内容を調整し、「その時期ならではの楽しみ方」をカード1枚でカバーしている。
▲Welcome Cardのパンフレットでは、同カードを用いた体験・アクティビティがいつ、どこでできるかが案内されている(出典:インスブルック観光局のWelcome Cardパンフレット)
滞在延長・広域周遊・脱炭素、Welcome Cardが描く持続可能な滞在像
Welcome Cardの設計思想は、大きく二つに整理できる。
一つは、旧市街に集中しがちな人の流れを、インスブルック周辺の村や高原エリアへと広げ、地域全体での広域周遊を促すことだ。交通とアクティビティをセットで提供することで、「都市+山岳」を一体の滞在体験として提供することをねらっている。こうした仕組みによって、観光客が地元の小さな村や山の集落を訪れ、暮らしぶりや地域の文化に触れる機会が生まれる。「観光地としての魅力」だけでなく、「ここでのライフスタイルそのものを好きになる」ことも目的としている。
もう一つは、マイカー依存からの転換である。2泊以上で地域の公共交通が無料になる仕組みを取り入れることによって、「レンタカーではなく、トラムとバスで移動する」という選択を後押ししている。これは、道路渋滞や駐車場不足の緩和、CO₂排出の削減につながるだけでなく、「車に頼らなくても快適に観光できる街」という印象を与える効果もある。
このように Welcome Card は、滞在日数の延長・エリア間の周遊促進・移動手段のシフト(マイカーから公共交通へ)という三つの行動変容を同時に促すよう設計されている。
さらに、どのアクティビティや施設を特典として組み込むかを通じて、「今、地域として特に売り出したい体験」を前面に出すことができる。とくに「山に登る体験」を3泊以上の特典とすることで、滞在を伸ばしながら、地域が最も大切にしているアルプスの魅力をしっかり味わえる仕組みになっている。
宿泊税を「見えるかたち」で伝える ゲストカードという還元モデル
本稿で紹介した Welcome Card のようなゲストカードは、宿泊税を財源として宿泊者に配布され、公共交通の無料利用や観光施設の割引といった特典を提供する仕組みである。アルプスの山岳リゾートでは、この種のゲストカードが広く普及しており、その主な財源としての役割を宿泊税が担っている。
インスブルックの事例からは、宿泊税を「徴収する」だけでなく、「旅行者に分かるかたちで還元する」仕組みを設けることの重要性が浮き彫りになる。宿泊税は道路や公共施設の整備など、地域インフラの財源として広く使われるケースが多い。しかしこのような用途は、旅行者にとって恩恵を直接実感しにくく、宿泊税の必要性や負担感に対する理解が得られにくいという課題が生じやすい。
しかし、Welcome Cardのように無料パスや施設入場・体験等に対する特典の形で還元すると、「この便利なカードの背景には宿泊税がある」というメッセージを、体験を通じて伝えることができる。
Welcome Cardは、地域の魅力や価値観を「旅の体験」というかたちで伝える設計になっている。滞在日数の延長や脱マイカーといった行動変容も、地域の目指す観光のあり方を体現する手段であり、単なるサービス向上にとどまらない。このような仕組みは、日本の観光地にとっても、宿泊税を戦略的に活用するヒントとなるだろう。
