食べるだけでは、街は見えてこない―パリのFood Tourから考える、地域の日常を体験に変える方法―
2026.08.12
パリ滞在中、北マレ地区を歩くFood Tourに参加した。ベーカリー、ショコラトリー、惣菜店、チーズ店、ワインショップを巡りながら、パン、チョコレート、テリーヌ、シャルキュトリー、チーズ、ワインを味わう。参加費は1人150ドル、日本円で約2万4000円だった。
決して安価ではない。それでも、終わってみると高いとは感じなかった。提供されていたのは数種類の試食ではなく、北マレという街を、食を入口に理解していく時間だったからだ。
ツアーの最後に立ち寄ったワインショップで、参加者全員で一枚の写真を撮った。ツアーが始まった時点では、互いに名前も知らなかった7人。それでも約4時間後には、同じテーブルを囲み、お気に入りのチーズやワインについて語り、自然と笑顔で写真に収まっていた。
食を通して街の日常に入る
訪れたのは、有名レストランや華やかな観光施設ではない。地元で支持されるベーカリー、ショコラトリー、惣菜店、チーズ専門店、ワインショップだった。
ベーカリーでは受賞歴のあるクロワッサンやバゲットを買い、近くの広場で味わう。少し歩いて別の店に入り、違う味に出会う。最後はワインショップのテーブルに着席し、チーズや肉加工品、ワインを囲みながら会話をする。
▲北マレの惣菜店で。ガイドの案内をきっかけに、参加者同士の会話も弾んだ
店に入り、話を聞き、味わい、歩き、また別の店へ向かう。立ったままの時間と座って過ごす時間、試食と会話が交互に訪れることで、約4時間のツアーは単調にならなかった。
一軒ずつ見れば、どこにでもありそうな専門店かもしれない。しかし、それらを歩いてつなぐことで、北マレは、人々がパンを買い、ワインを選び、誰かと食卓を囲む場所として立ち上がってくる。
街は、名所だけでは見えてこない。人が何を買い、どこで立ち止まり、誰と食卓を囲むかのなかに、その街らしさがある。
一口の味に、土地の風景と時間を重ねる
ツアーで印象に残ったのは、ガイドによる食の語り方だった。
チーズについても、産地や味を説明するだけではない。牛や羊が何を食べて育つのか。夏には高地の牧草地に放牧され、そこで食べる花や草によって、乳やチーズの風味が変わること。季節が変わり、家畜の食べるものが変われば、同じ土地のチーズでも味わいが変わること。熟成の工程や、修道院に由来する製法まで、食べ物の背景にある土地と時間が語られていった。
大切だったのは、知識の量ではない。一口の味が、店の外にある産地や季節、人の仕事へとつながるように語られていたことだ。食べる前には、ただのチーズだったものが、話を聞いた後には、遠くの山や牧草地、そこで働く人々の姿と結びついてくる。
▲北マレのワインショップで味わったチーズとパン。産地や季節、つくり手の話を聞くことで、一口の味に土地の背景が重なる
日本の地域でも、食材や料理を、産地や製法の説明で終わらせず、土地の風景、季節、人の仕事まで結びつけて語れるか。その差が、食を地域理解へ変える。
ガイドは、体験のリズムと会話を設計する
案内をしてくれたFayeさんは、英国出身で、フランスに17年住んでいる。以前はレストランやカフェのマネージャーをしており、Food Tourのガイドは約4年続けているという。
Fayeさんの特徴は、知識の豊富さ以上に、参加者を受け身にしなかったことだ。チョコレートを前にして、「何の味が入っていると思う?」と問いかける。複数のチーズを味わった後には、「今日の一番はどれだった?」と尋ねる。参加者は自分の好みを言葉にし、ほかの人の感想を聞く。
今回の参加者は、米国から来た二組の家族と私を含む7人だった。年齢も旅行経験も異なる。それでも、映画やNetflixといった共通の話題も交えながら、Fayeさんは自然に会話をつないでいった。
歩く、食べる、聞く、話す。この流れが、参加者の集中と会話を保っていた。店を出て少し歩く時間が味覚を切り替え、次の店への期待をつくる。ガイドは店ごとの知識を伝えるだけでなく、参加者の反応を受け、問いを投げ、体験のリズムを整えていた。
さらに、Fayeさんはツアーの外側にも目を向けていた。参加者には連絡先が共有され、集合場所の確認やレストラン選びなど、パリ滞在中の相談にも応じていた。ある参加者が当日の早朝にWhatsAppで集合場所を確認した際にも、すぐに返信したという。
旅行者がツアー後も自分で街を歩き、店に入り、滞在を楽しむための小さな安心を渡すこと。そこにも、ガイドの価値がある。いいガイドは、自分のツアーを案内するだけではない。旅行者がその街を自分で歩けるようにする。
地域の魅力を体験に変えるには、「つなぎ方」から考える
Food Tourから得た最も大きな示唆は、地域体験は「何を見せるか」だけでは決まらないということだ。
朝にパンを焼く店、季節の食材を扱う市場、土地の食を受け継ぐ料理人、地域の人が長く通う店。こうしたものは、それ自体が土地らしさを伝える力を持っている。
ただし、それらを並べるだけでは、旅行者にとって意味のある体験にはなりにくい。
まず、その土地で普段から営まれている店、人、食のなかから、旅行者に見せたいものを選ぶ。次に、それぞれを単独で紹介するのではなく、歩く順番、味の変化、話のつながりを組み立てる。そして、案内役が一方的に説明するのではなく、旅行者が自分の感想を言葉にし、人や店との距離を縮められる余白をつくる。
参加費150ドルという価格も、単に提供される試食の量だけで決まっているわけではない。店に入る理由、食べ物の背景を理解する視点、参加者同士の会話、そして街を自分の記憶として持ち帰る時間まで含めて、価値がつくられていた。
ツアーの最後に同じテーブルで笑っていた参加者の姿は、食べ物の種類や量だけで引き出されるものではない。街の店、人、味、会話を一つの時間としてつなぎ、旅行者自身がその時間に参加できるようにすること。そこに、地域の営みを旅の価値へ変える鍵がある。
▲ツアーの最後、北マレのワインショップで。食を囲んだ時間が、初対面だった参加者同士の距離を縮めた
※本記事は「観光フィールドノート」の一編です。続きの思考は、月1回配信しているメール版で記しています。 → メルマガのご案内はこちら
著者プロフィール:
株式会社やまとごころ 代表取締役
インバウンド戦略アドバイザー 村山慶輔
神戸市出身。米国ウィスコンシン大学マディソン校卒業後、アクセンチュアを経て、2007年にインバウンド観光情報サイト「やまとごころ.jp」を立ち上げる。以来、観光事業者・自治体・DMO等に向けて、情報発信、人材育成、研修、コンサルティングを通じ、インバウンド戦略の立案・実行を支援。観光庁をはじめ、国や地域の観光政策・事業に関する委員・アドバイザー等を務め、持続可能な観光地域づくりにも取り組む。著書に『観光再生』など計10冊。やまとごころ.jpでは、観光・インバウンドの現場視点を綴る連載「観光フィールドノート」を執筆中。
