インバウンドコラム
神戸にある塩屋という小さな町をご存じでしょうか。神戸の中心地である三宮駅から電車で約20分。海と山に囲まれた場所にあり、狭い路地には昔ながらの商店が立ち並び、明治時代の洋館が今でも残る、レトロで趣のある町です。
塩屋の魅力を外国人旅行者に伝え、地元の子どもたちがこの町を誇れるようにしたい。そんな思いで、訪日外国人向けのツアーを開催するのが、元ツアーコンダクターのすみれさん。彼女が案内する町歩きツアーは、観光地とは一味違う、地元の暮らしの風景と人のぬくもりに触れられるものになっています。
今回は、実際にこの塩屋ツアーに参加し、ツアーの魅力や彼女の想いを探ってきました。
「子どもが誇れる町に」元ツアコンの女性が始めた塩屋の町歩きツアー
現在住んでいる塩屋町でツアーを手掛けるすみれさんは、かつては旅行会社のツアーコンダクターとして、日本人旅行者を海外へ案内していました。そうして世界各地を飛び回る中で、有名観光地だけを急ぎ足でまわるツアーに疑問を感じていたそうです。
「大都市もいいけれど、もっとローカルな場所や生活を見て、海外の文化や習慣に触れることができれば楽しいのにな」と思っていたとのこと。
その後、結婚と出産を機に一度ツアーの仕事を離れた彼女が再びこの世界に戻ったのは2018年。お子さんが小学校に入学するタイミングで、外国人向けの町歩きツアーをスタートさせました。
▲塩屋の町のツアーガイドをするすみれさん
きっかけは、子どもたちから聞いた「塩屋はいい町やけど、チェーン店もないし、快速電車も止まらんし不便や」という言葉でした。
確かに塩屋は不便な点もあるかもしれませんが、本当に魅力ある町。子どもたちが胸を張って誇れる町だと言えるようにしたいと考え「そのためには、町の外からお客様に来てもらって、素晴らしい街と言ってもらうのが一番」と考えたのが始まりです。
現在は週4日ほど、塩屋の町歩きツアーを中心に、三ノ宮で神戸ビーフランチと北野異人館街を巡るツアーや、リクエストに応じたカスタマイズツアーなども手がけています。
訪日7回目のリピーターに響くツアーの魅力
すみれさんのツアーには、日本を何度も訪れているリピーターの参加が多いそうです。コロナ前は、欧米豪など、幅広い国からの参加がありましたが、現在は、アメリカからのお客様が大半を占めているそうです。
今回私が参加した日は、アメリカから来た3人のグループが参加していました。彼らは日系2世と3世のご夫婦とその友人で、総勢16名で親戚を訪ねて日本に来ており、そのうちの3人がこのツアーを選びました。他のみんなは大阪・関西万博へ行きましたが、ご夫婦はすでに訪日7回目のリピーター。混雑していない、ローカルな場所を訪ねたいと考えていたところ、すみれさんのツアーを見つけて、参加を決めたそうです。
▲今回の参加者は、訪日7回目というアメリカから来たご夫婦と友人の3人
ツアーの募集は、Airbnb ExperiencesやViator、そしてすみれさん自身のWebサイトで行われています。料金はアメリカの方が多いため、ドル為替レートに応じて調整。私が参加した日は、1万2500円でランチと食べ歩きの食事代が含まれていました。経費とOTAの手数料を差し引いた上で、1人あたり約6,000円が収益となるよう設定しているとのことです。
手書き名札が縮める参加者とガイドの距離
ツアーは午前10時、JR塩屋駅に集合してスタートします。すみれさんがまず行うのは、参加者全員に名札を渡すこと。名札にはアルファベットとカタカナの両方で名前が書かれており、日本語で自分の名前が書かれていることに、お客様たちはとても喜んでいました。
というのも、欧米ではガイドに対してもファーストネームで呼び合うのが一般的です。「お姉さん」や「お兄さん」といった日本特有の呼び方は馴染みがありません。しかし、多国籍の参加者全員の名前を正確に覚えるのは至難の業。そこで、すみれさんは“名札”という形で自然に名前を呼び合える仕組みを取り入れていたのです。
ポイントは、この名札がすみれさんの手書きで作られていること。実際、PCで印刷した文字よりも、手書きの文字の方が視認性も高く、ぱっと見で読み取りやすい。さらに、紛失に備えて名前を書いた小さなメモもすみれさんが持ち歩いており、細やかな配慮が感じられました。
▲すみれさん自作の名札
“この後の予定は?” 旅の安心を支えるガイドの気配り
名札を渡して自己紹介を済ませたあとは、塩屋駅前に設置されたマップを使って当日の行程を説明します。まずは港で海苔の船や加工場を見学し、続いてダウンタウンへ移動してフードホッピングツアーへ。その後、寿司ランチを楽しみ、最後に旧グッゲンハイム邸を訪れて13時ごろ終了という約3時間のツアーとのこと。
▲自身の家族やツアーコンダクター時代の写真も見せながら自己紹介
この段階で、すみれさんはお客様にその後の予定も丁寧に確認します。「13時に終わる予定ですが、この後の予定は?新幹線に乗る予定はありますか?」と尋ねると、お客様からは、「ディナーに神戸牛を食べて、大阪の宿に戻る予定。神戸牛のおすすめレストランがあれば知りたい」との答えがありました。
ツアーは予定通り進行することが理想ですが、この日は雨が降っていたこともあり、時間が押してしまう可能性もあります。当たり前のことですが、終了後の予定を確認しておくことは大事です。
町全体が「おもてなしの舞台」日常に溶け込む特別な体験
ツアー当日の天気予報は雨。すみれさんは、お客様が到着するギリギリまで雨雲レーダーをチェックしていました。雨が強いならば、港の見学は後に回そうと考えていましたが、幸いにも雨は止みそうだったので、予定通り港から案内を開始。
塩屋の町は海苔の養殖が盛んな地域。港へ行くと海苔の船や加工場が立ち並んでいました。
▲海苔船や港の説明
すみれさんは、この場所について一通り説明をしたあと、自身が知り合いの生産者の方から仕入れたという地元産の海苔を試食用に持参しており、ツアー参加者に振る舞いました。
「もし気に入ったら特別価格で購入できますよ」という案内に、全員が即答で「買いたい」と手を挙げていました。ガイドと地元生産者との信頼関係があってこそできる、特別な体験です。
▲海苔船の前で、すみれさんが持参してくれた海苔をみんなで試食
その後、すみれさんはこのあと行く山側の町について説明。江戸時代の鎖国の話から、なぜ洋館がこの町に建てられたのかなど町の歴史を、昔の写真やイラストを見せながら紹介。雨はパラパラと降っていましたが、お客様は「港はノーツーリストで最高」と笑顔で楽しんでいました。
まるで友人を案内するような親しみ溢れる町歩きツアー
港で約30分過ごした後、山側の町へ。ここからは、まるで地元の友人が自分の暮らす町を案内してくれるかのような、あたたかな雰囲気。すみれさんは、狭い路地や地元のお店を案内しながら、町の日常を紹介してくれます。
最初に立ち寄ったのは、古着チャリティーショップ。参加者の1人がお洋服のリメイクが好きで、日本に来たら着物や生地を買うと話していたので、楽しそうにみていました。
▲町の古着チャリティーショップを楽しむ参加者たち
その後、床屋さんへ。「床屋さんで一体なにをするんだろう」と疑問に思っていたのですが、お店に入るとオーナーの北川さんは
「おぉー今日はどこからや。そこらへんの椅子にまぁ座ってや」
と慣れた様子で案内してくれます。北川さんも床屋のお客さんも突然入ってきた来訪者との会話を面白がっている様子でした。ここまでローカルに溶け込んでいるツアーはなかなかありません。
▲少し照れながらも、床屋の店主との会話を楽しむ参加者たち
この日も、あるツアーの参加者が、シャンプー後のマッサージに興味津々。ツアーの後にトライしたいと話していたのですが、今回は満員で叶わず残念そうな様子でした。実際に、ツアー中に髪を切ったお客様もいるそうです。
「おいしい」を共に味わう、心を近づける食事の時間
その後、地元の商店をめぐりながら、ビスケット菓子「エースコイン」やせんべい、コロッケ、そして魚屋さんで旬の鱧の湯引きを購入し、フリースペースでみんなでいただきました。3時間のツアーの折り返しの1時間半ほど経ったころだったので、ちょっと座って休憩ができたのがよかったです。
アメリカからの参加者は見たこともない鱧の湯引きに少し苦手そう。でも、初めての食べ物にチャレンジできるのは嬉しいと話していました。
ガイドのすみれさんも一緒に、鱧やコロッケを食べます。「いつも食べている」「既に食べてきた」などの理由で食事を共にしないガイドさんもいますが、一緒に食べておいしいを分かち合う体験は大事だなと、すみれさんや参加者の楽しそうな様子をみて、改めて思いました。
▲コロッケを見せて、ガイドも一緒に写真に収まる
「おまかせ」に心躍らせる、寿司から始まるローカル体験
フリースペースでの休憩を終えた後はランチです。訪れたのは、すみれさんおすすめの地元のすし屋さんです。大将おまかせの寿司9貫に赤出汁がついたランチセット。「いろいろ食べた直後やけど、みんなお腹は大丈夫かな」と思っていましたが、ちょうど良い量でした。
ここでの「おまかせ」という注文スタイルにお客様たちも喜んでいました。「アメリカでの”おまかせ”は高いし、好きなネタばっかり頼んでしまう普段と違って、日本でしか食べられない珍しい寿司が食べられるかも」と、ワクワクした様子。マグロや鯛など定番のお寿司の他に、地元で水揚げされたタコやイワシなど、初めてのネタも楽しんでいました。
▲おまかせ9貫、提供を待つ間も寿司ネタで盛り上がり
漢字で伝える「愛」の心、ローカルで温かい旅の締めくくり
食後は、すみれさん一押しの美味しいコーヒーが飲めるお店へ。コーヒーが美味しいことはもちろん、素敵なおもてなしにびっくり。お店のお母さんが、色紙に「愛」という漢字を書いてプレゼントしてくれました。その達筆ぶりに感動し、記念にお母さんと一緒に写真を撮るなど、旅の締めくくりにふさわしいローカル体験となりました。
▲地元のお母さんが営むコーヒー店でほっと一息
このように、塩屋の町歩きツアーでは、前半は海からスタートして町を歩きまわり、後半はお店を巡りながら休憩を挟むという構成。移動と休憩のバランスがよく、体力的にも無理ないスケジュールになっていました。
最後に、旧グッゲンハイム邸の外観を見学し、集合時に受け取った名札に日本語で「ありがとう」と書いてプレゼント。
最初から最後まで、参加者の名前が記された名札が仕掛けになっていました。参加者からは「まだ旅の途中だけど、間違いなくここが今回の日本旅行のハイライトになるよ」という言葉が、全てを語っていました。
▲参加者全員での記念撮影
訪日リピーターが大満足のローカルツアーにするための3つのコツ
すみれさんの塩屋ツアーの魅力は、何よりも3時間という短い時間で、多くの地元の人々と触れ合えることです。
ガイドのひと言が、町で会う人すべてをホストに
町を歩いている最中、すみれさんは出会う人に対して、聞かれる前から「今日は、シカゴからきてくれてん」と、参加者を紹介。塩屋の町には、外国人観光客がほとんど訪れていませんが、「今日も遠いところからようこそ」という歓迎の雰囲気が町の人々から感じられました。
▲どこに行っても、ツアー参加者を歓迎してくれる温かい町
ツアー中に覚えた「関西弁」が飛び出す一コマも
ツアー中、会話の基本は英語ですが、すみれさんと地元の方々のやり取りは当然ながら日本語です。お店を回り、そのやり取りを聞くうちに、参加者の口からも「ありがとう」「次いこー」といった日本語が飛び出す場面もありました。
訪日リピーターにとっては、こうしたローカルなツアーに期待することの1つに、地元の方々との触れ合いや会話があります。ガイド自身が地元の方たちとの会話を自然に見せながら、日本での会話のフォローを英語で挟むことで、日本語が話せない参加者も、地元の方たちと話したような体験を味わえます。
▲地元の方との何気ない交流がローカルツアーの醍醐味
また、地元の方にとっても、外国人の方が日本語を覚えて話している姿を見るのは、嬉しいもの。なお、参加者の1人が話した「次、いこー」は関西弁のイントネーションでした。ガイドのすみれさんと地元の方との会話の中から、参加者が覚えたものと考えると、心温まる1シーンでした。
「ツケ払い」が通用する地域との信頼関係
食べ歩きや買い物の際、驚いたことに、全てのお店がツケ払いでした。すみれさんは代金をその場で払わず「あとで払いにくるね〜」と声をかけるだけで済ませます。これは、町の人たちと信頼関係が築かれているからこそ可能な運営方法です。
ツアー中にレシートをもらったり金額のやり取りをしたりする必要がないため、参加者にその様子を見せたり、待たせることもなく、ツアーに集中できるのも大きな魅力です。
すみれさんは週4回のツアーを昼間に行い、朝晩は母親として家庭と両立。旅行業界での経験を活かしながら、地元を案内するガイドとして地域のお店を訪れながら、地元経済にも貢献しています。
「子どもたちが誇れる町にしたい」という思いを原点に始まったこのツアーは、単なる観光ガイドにとどまらず、“地域・観光・暮らし”を結びつける1つの実践例となっています。全国の小さな町がマネできる、持続可能な観光のヒントが詰まったモデルケースだと感じました。
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