インバウンドコラム
宿泊税は、単なる財源確保の手段ではなく、地域の未来をかたちづくる戦略的なツールとなり得る。では、それを真に価値ある投資へと変えるためには、どのような制度設計と運用が必要なのか。ここでは、オーストリア・アルプスの高級リゾート地「レッヒ」を取り上げる。宿泊税を核とした先進的な取り組みにより、「量より質」という地域哲学を貫きながら、持続可能な観光と地域価値の創出を実現している実例を紹介する。
▲夏季のレッヒ村風景(筆者撮影)
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量より質を体現する、オーストリア・レッヒの宿泊税制度
レッヒ(Lech am Arlberg)はオーストリアのフォアアールベルグ州北西部に位置する人口約1,500人の小さな村で、アルプスを代表する高級スキーリゾートとして知られている。欧州王室や国際的セレブリティも訪れるこの地では、高いブランド価値を維持するため、長年にわたり宿泊施設の総ベッド数を厳格に制限し、「量より質」を徹底する地域哲学を貫いてきた。さらに、早くからサステナビリティ(持続可能性)を重視しており、村内にあるバイオマス発電所は、地域のほぼすべての家庭や事業所に暖房を供給するなど、環境との共生を先進的に実践している。
レッヒでは四半世紀以上前から宿泊税が導入されており、地域にとって重要な財源として早くから定着していた。税額は定期的に改定されており、2000年代には1泊あたり約2ユーロだったものが、2025年には4.6ユーロまで引き上げられている。
欧州の連邦制国家では、宿泊税制度を州が大枠として定め、個々の基礎自治体が細部を規定することが多い。レッヒもその典型であり、フォアアールベルク州が制度的枠組みを用意し、そのうえで村が具体的な税率や運用ルールを定めている。その中で、現行のレッヒの宿泊税規則では、宿泊税の税額は生活費指数(消費者物価の変化を示す指標)に連動するとしており、物価に応じて税額が自動的に改定される仕組みを備えている。これにより、インフレなどで物価が上がっても、それに見合う税収を自動的に確保できる。つまり、経済状況に左右されず、計画した事業を安定的に実施できるのだ。
宿泊税収を地域への投資に変える、DMOによる一元管理の運用
徴収された宿泊税は、この地域のDMOであるレッヒ観光局(Lech Zürs Tourismus GmbH)の重要な予算となる。観光局は地域の法に基づいて設立された公的な性格を持つ組織であり、だからこそ、公金である宿泊税がその活動予算として充当される仕組みとなっている。
そして、観光局の収入を支えるもう一つの大きな柱として、地域の事業者から徴収する「観光事業者税」がある。宿泊税と観光事業者税による税収が観光局予算全体の約7割を占め、残りの事業活動収入などを合わせて、年間総予算は約600万ユーロ(約9億円)にのぼる。

こうして確保された財源は観光局の予算として一括管理され、インフラ整備や交通施策、文化イベント支援などへの配分はDMOが主導して決定している。
宿泊税を地域価値に変える、レッヒの活用戦略と事例
レッヒの様々な施策は、宿泊税に加え、観光事業者税やその他の収入も含めた観光局の総合的な予算によって支えられている。その中でも宿泊税は、年間総予算の大きな柱として、地域全体の取り組みの基盤を形成している。
では、こうして確保された財源は、具体的にどのように活用されているのだろうか。その使い道は、多岐にわたるが、ここでは、レッヒの方向性を象徴する二つの事例を紹介したい。
1.無料循環の電気バスで、移動の質と環境配慮を両立
レッヒでは宿泊税等の予算を用いて、村内のローカルバスを無料で運行している。観光客は宿泊すればスキー場やハイキングコース、村内の主要エリアを自由に移動できる。この仕組みは、観光客にとって追加負担のない快適な移動手段を提供すると同時に、地域全体の回遊性を高める役割を果たしている。
だが、この施策の意義は単なる利便性にとどまらない。レッヒでは1990年代からすでに環境負荷の低減を重視し、自家用車の利用を抑制する方針を掲げていた。観光客がマイカーで訪れる場合でも、村内では公共交通の利用を前提とし、観光と環境の両立を追求してきた。さらに、2018/19シーズンからはBMWと州の電力会社との協働により電気バスを導入し、排出削減や静穏性の向上といった効果も実現している。環境配慮の先駆的な歴史を持つこのバス運行は、宿泊税を含む観光局予算によって持続的に支えられており、レッヒの「量より質」という理念を具現化する象徴的な取り組みである。
▲レッヒ内を走る循環バス(筆者撮影)
2.従業員も地域の一員に、人材定着を促す「Team card」
もう一つの特徴的な取り組みが、村内で働く従業員を対象とした「Team card」である。これは観光局が宿泊税等を財源に発行する特典カードであり、レッヒで働く人であれば誰でも受け取ることができる。交通機関やレストラン、ショップ、スパやウェルネス施設、各種アクティビティなど、地域内の幅広いサービスを割引または無料で利用できる仕組みとなっており、例えば、ロープウェイの乗車やスキー用具のレンタルの優待、飲食店や小売店での割引、スパ施設の無料入場や特別料金での利用など、多彩な特典が提供されている。
山岳リゾートにおける人材不足は世界共通の課題であり、近隣のリゾート同士が人材を奪い合う状況もしばしば見られる。多くのリゾートではスキー場やホテルなど、事業者ごとに従業員向けの特典を設けているが、レッヒの特徴はDMOが地域全体の従業員に共通の仕組みを整えている点にある。こうした特典は、従業員が生活の中で地域の魅力に触れる機会を増やし、働く場所そのものへの愛着を育む。
従業員満足度の向上が、質の高いサービスや生産性の向上につながり、観光客の体験価値も高める。さらに「レッヒは従業員を大切にする地域」という評判は、新たな人材を惹きつける力にもなる。このようにTeam cardは、単なる福利厚生に留まらず、従業員の満足を観光客の体験価値へとつなげる好循環を生む、極めて戦略的な投資なのである。

▲Team cardの公式ページ(出典:レッヒ観光局公式サイト内)
宿泊税を未来への投資に変える「地域哲学」
レッヒにおける宿泊税等の活用は、単に財源を確保し事業を積み上げるものではない。その根底には、冒頭で触れたベッド数の制限やバイオマス発電に見られるような、「量より質」を徹底し、自然との共生を目指すという、地域が共有する揺るぎない哲学が存在する。
DMOが掲げる観光ビジョンの基本理念には、「ゲスト、住民、従業員、パートナーすべてに特別で贅沢な瞬間を提供する」との記載がある。これを実現する基本戦略として、「自然との調和」や「レッヒで働く人の獲得と定着」が位置付けられており、先に述べた取り組みが展開されている。
宿泊税の導入や使途の議論において、我々がまず問うべきは「何に使うか」以上に、「どのような地域でありたいか」という根本的な問いだろう。レッヒの事例は、明確な哲学や基本理念と、それを実現するための基本戦略があってこそ、税は未来への価値ある投資に変わるという本質を示している。
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