インバウンドコラム
観光地経営において、「宿泊税」は単なる財源を超え、地域の未来をかたちづくる中長期的な戦略ツールとなり得る。カナダ・ブリティッシュコロンビア州のリゾート自治体ウィスラーでは、州制度の宿泊税(MRDT)を活用し、5カ年計画を軸に観光振興を推進するだけでなく、住宅施策など「暮らし」にまで投資の対象を広げている。今回は、ウィスラーがどのように観光と暮らしの好循環をつくり出しているのか、その制度設計と運用の実践例をひも解く。
▲ウィスラーのスキー場風景(筆者撮影)
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観光財源の課題にどう向き合うか、カナダのリゾート地ウィスラーの宿泊税制度
カナダ・ブリティッシュコロンビア州(BC州)の沿岸山脈に位置するウィスラーは、人口約1万4千人のリゾート自治体である。北米最大級のスキーリゾート「ウィスラー・ブラッコム」を擁する国際的な山岳リゾート地として知られている。
ウィスラーを管轄するのは、Resort Municipality of Whistler(RMOW)と呼ばれるリゾート自治体である。リゾート自治体は、1975年に制定された「ウィスラーリゾート法」に基づき設立された特別な組織だ。ウィスラーは、約1万4千人の常住人口に対し、ピーク時にはその数倍の観光客が滞在するようなリゾート型のコミュニティであり、固定資産税を基本とした一般財源だけで行政サービスや観光インフラを賄うことが難しい。そのため、ウィスラーは、州と連携しながら観光振興に向けた財源措置や制度、枠組みが整えられてきた。その一つが、州制度として導入されている「MRDT(Municipal and Regional District Tax:市民および地方行政区税)」と呼ばれる宿泊税である。
ブリティッシュコロンビア州では、宿泊税に相当する制度として「MRDT」を1987年より導入している。州の売上税法に基づき、制度の枠組みは州が設けるが、各自治体が導入の有無や税率(最⼤3%)を判断する。宿泊料金に上乗せして課税され、徴収・納付自体は州が担うが、税収は自治体や観光組織に「観光目的の財源」として還元される。
つまりMRDTは「州制度としての宿泊税」だが、その導入判断や使い道の計画主体は自治体にあるという、いわば二層構造の制度となっている。ウィスラーはこのMRDTを早くから導入してきた自治体のひとつ。また、「リゾート自治体イニシアチブ(RMI)」と呼ばれる、リゾート的な特徴を有する自治体への州の補助金も併用しながら、観光インフラやまちづくりに投資してきた。リゾート自治体イニシアチブの対象となるにはMRDTの導入が前提条件であり、ウィスラーはまさに「宿泊税を軸にしたリゾート自治体」として位置付けられている。
宿泊税導入に必須の5カ年計画 ウィスラーが示す財源活用の三つの柱
ブリティッシュコロンビア州の宿泊税(MRDT)は、単に税率を決めるだけでは導入できない。リゾート自治体は、どのような目的で、どのような事業に使うのかをまとめた5カ年の戦略計画を作成し、州政府や州の観光公社であるDestination BCに申請し、承認を得る必要がある。
ウィスラーでも、現在では2023〜2027年の5カ年計画が策定され、自治体や観光局のサイト上で公開されている。
この計画では、MRDTの使い道を以下の三つの柱に整理しているのが特徴である。
Our Guests(ゲスト)
・通年での需要創出に向けて、ショルダーシーズン(旅行の繁忙期と閑散期の中間の時期)や閑散期を重点としたマーケティングを展開すること
・データとデジタル技術を活用し、ターゲットに合わせたカスタマイズ型のプロモーションを行うこと
・山岳リゾートとしての自然環境や、先住民コミュニティの文化・遺産を組み合わせたブランドづくりを進めること
Our People(人・コミュニティ)
・リゾートを支える人材の採用・定着・育成の強化
・安定した価格で住める従業員向け住宅へのアクセス拡大
・観光に従事する人と地域社会全体のウェルビーイング向上
The Place(場所・リゾートそのもの)
・スキー場やトレイル、公共空間など、コアとなるリゾート商品への再投資や更新
・「本物志向」の体験価値を高めるため、イベントや文化プログラムの企画
・平日や閑散期の需要を喚起するようなイベントの計画
・環境保全や混雑マネジメントなど、サステナブルな観光地経営の実践
こうした5カ年計画は、単に施策を並べて終わるものではない。MRDTを財源とするプロジェクトの予算規模や成果指標を整理し、毎年度の実績と次年度計画を更新することで、PDCAサイクルを回すことが州と自治体の間で取り決められている。
▲ウィスラーのMRDT(宿泊税)5カ年計画(出典:ウィスラー自治体公式サイト内)
観光地に暮らす”人”を支える 宿泊税を活用した住宅施策の展開
そもそも ブリティッシュコロンビア州では、観光マーケティングやイベントなど「観光需要の喚起」を主目的とした財源としてMRDT(宿泊税)が設計されてきた。
しかし近年、山岳リゾートでは観光の成功がもたらした「影の部分」、たとえば住宅価格の高騰や従業員の住まい不足などが大きな課題になっている。これを受けてカナダ(ブリティッシュコロンビア州)では、2018年以降、Airbnb等のオンライン宿泊仲介業者を通じて徴収されるMRDTや、一部の自治体が徴収するMRDTの税率の一部について、条件付きで「アフォーダブル住宅」の整備に使うことが認められるようになった。
「アフォーダブル住宅」とは、地域内で働く人およびその家族に限って入居・購入が認められる住宅であり、別荘や投資目的での購入は禁止されている。さらに、転売時には上限価格が設定されるなど、投機的な価格上昇を防ぐ仕組みも導入されている。観光地における住宅の供給が外部資本によって不安定化するのを防ぎ、地域の労働者や住民が安定的に生活できる環境を確保するための制度的措置といえる。
ウィスラーでも、この制度変更を受けて住宅施策への活用が本格化しており、2023年にはMRDTを財源に、約297万カナダドルをアフォーダブル住宅の整備に投じている。
このようにウィスラーでは、MRDTの戦略計画「Our People」で掲げた「安定価格の労働者向け住宅へのアクセス拡大」という目標を、実際の住宅政策と結びつける形で具現化している。宿泊税を「観光客向けのサービス」に限定せず、「観光を支える人が暮らせる環境づくり」にまで範囲を広げている点が、近年の大きな変化である。
ウィスラーに学ぶ「住み続けられるリゾート」実現のための宿泊税活用法
ウィスラーの事例から見えてくるポイントは、大きく2つある。
ひとつ目は、宿泊税の使い道を、その都度の単年度予算で考えるのではなく、MRDTの5カ年計画という中期的な戦略に基づいて整理していることだ。州制度としての宿泊税であっても、自治体が自ら計画を策定し、「Our Guests」「Our People」「The Place」といった柱ごとに目的や事業を分かりやすくまとめることで、観光プロモーションやインフラ整備への投資を、地域の将来像と結びつけて考えている。
ふたつ目は、中期計画のなかに、近年は住宅施策が明確に組み込まれた点である。ウィスラーは、「観光によって生まれた税収で、観光を支える人の暮らしを支える」という循環を意識し、MRDTの使途に住宅施策が認められたブリティッシュコロンビア州の方針転換を受けて、「Our People」を独立した柱として位置づけた。従業員向け住宅地の用地取得にMRDTの財源を充てるなど、住宅政策と人材政策を観光戦略の中心に置いている。
ウィスラー住宅公社は、「ウィスラーの労働者の少なくとも75%を地域内に住まわせる」という目標を掲げており、公表されているデータでは、80%前後という水準を維持している。観光を支える人がどれだけ地域内に住み続けられているかを、具体的な数値目標として設定している点に、ウィスラーの姿勢がよく表れている。
ウィスラーでは宿泊税を単なる「観光客向けサービスの財源」としてではなく「観光を支える人材が地域に暮らし続けられるようにするための中期投資」として捉えている。MRDT5カ年計画の中に住宅施策を組み込んでいる点に、観光地としての成功がもたらす歪みを調整し、“住み続けられるリゾート”を実現しようとするウィスラーの姿勢が表れているといえるだろう。


