インタビュー
日本では3月より観光客以外の外国人の受け入れを再開したばかりだが、世界では既に観光客を受入れる動きが加速している。保険や各種証明書など入国には様々な条件があるため、一般の旅行客の自由な行き来はまだ先となる見込みだが、最も早くに戻ると言われているのが富裕層トラベルだ。
こうした富裕層マーケットに関連して、日本に初めて「ハイエンドトラベル」という概念を紹介したのが、日本政府が取り組む富裕層誘致戦略立案へも参画する、ハイエンド・ブランディング・プロデューサーの山田理絵氏だ。
コロナ後の観光の牽引役と目される「ハイエンドトラベラー」とこれまで数多くかかわり彼らの価値観に直に触れてきた山田氏に、ハイエンドトラベラーの真髄、彼らを受け入れる意義と、受入のために観光事業者にできる具体的な一歩を伺った。
「ハイエンドトラベラー」は莫大な資産、豊かな教養をもつ感度の高い旅行者
─「ハイエンドトラベル」とは、どんな方々が行う、どのような旅を指すのでしょうか。
「ハイエンドトラベル」を日本語にすると「最高級の旅」となりますが、ここでの最高級とは単にお金が非常に高いということを意味するわけではありません。自分の内面に刺激を与え、目覚めさせてくれる体験ができる旅。そこに惜しみなく時間とお金をかける旅が、私の思う「ハイエンドトラベル」です。このような旅をする「ハイエンドトラベラー」の多くは、王室、貴族、政財界のトップ、セレブリティ、アスリート、起業家など、国際社会や世界経済に何らかの影響を与えている方々です。プライベートジェットや、スーパーヨット(全長24メートル以上の大型ヨット)で世界を旅する方もいますし、彼らの多くが莫大な資産を有していることには間違いありません。具体的な数値や定義づけを求められることがありますが、資産総額いくらといった数値だけで捉えようとすると彼らの本質を取り違えてしまいます。資産を有し、アート、ファッション、建築、食、デザイン、イノベーション、ウェルネスなど多分野にわたり造詣が深く、知識をさらに深めようと感度を高く持ち、人格的にも優れた方々(中には例外もいらっしゃいますが)を「ハイエンドトラベラー」と捉えています。
▲ハイエンド層の方は、幅広い教養を持ち、多様な分野への造詣が深い
─ ハイエンドトラベラーの方々の特徴に、共通点はあるのでしょうか。
欧米の方々が多く、ロシア、中国、東南アジア、イスラムなどの富裕層の方々もいますが、非欧米圏の方々の多くに共通するのが、欧米での教育を受けていることです。幼少期、または、中高生からスイスやイギリス、アメリカなどのボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)などに通い、そこでの教育を通じて、成熟したライフスタイルを体得しています。
私自身、高校時代をオーストリアのウィーンで過ごしましたが、アートのクラスでは毎週のように美術館を訪れたり、音楽の授業ではウィーンフィルのコンサート、演劇ではオペラを観に行ったりと、学校のカリキュラムの中に、「本物」に触れる体験が組み込まれていました。「こんな展覧会に行ったよ」といった話題が、家族の団欒の中で自然と生まれ、大人になったビジネスの場では、「最近訪れた美術展で…」といった会話が、何のてらいもなく出てくるのも教育に裏打ちされているように思います。
内面に刺激を与える体験こそが「ハイエンド」
─ ハイエンドトラベラーの方が望む「自分の内面に刺激を与え、目覚めさせてくれる体験」とはどのような体験なのか、もう少し具体的に教えてください。
「そこでしかできない唯一無二の体験」「その土地に根差した本質に触れる体験」と言いかえてもいいかもしれません。自身にインスピレーションを与えるような特別な体験ですから、多くが高価にはなります。しかし単に、高額な支出を伴う体験がハイエンドトラベルなわけではありません。日本を訪れる旅行者に人気の「食」体験をとっても、高級な三つ星レストランで出される食事こそがハイエンドだと思われがちです。しかし、ハイエンド層は毎晩好んで三つ星レストランに行くわけではありません。実はそうした有名店にはむしろ飽きつつあり、ローカルなおいしいお店に行きたいと思う人もいます。イスラエルから日本に訪れた友人は、鎌倉で通りすがりのうどん店を気に入り、滞在中に何度も通っていました。有名でも特別な店でもありません。ただ、その友人にとっては木造建築の佇まいがいかにも日本的で、店内で年配のご主人がひとりでお店を切り盛りする姿が実に颯爽としてカッコよかった。その本質性が保たれた体験にインスピレーションを刺激され、ハイエンドな体験としての価値を見出したのだと思います。
「時間」というプライオリティには金を惜しまない
─「自身が価値を認める本物の体験」以外で、ハイエンドトラベルを理解する上での重要な価値観はありますか。
「時間」に惜しみなくお金を出すという価値観です。世界経済に影響を与えるような人たちなので、とても多忙です。例えば、1泊数百万円もするホテルのスウィートルームに泊まったとき、地方への小旅行の間、部屋をキープしたくて数泊分の宿泊費をポンと支払う人もいます。荷物をすべてパッキングし、再びほどく時間、荷物を移動させる時間を天秤にかけたら、その貴重な時間に対してお金を払うに値するだけのプライオリティがあるという思考回路です。その価値観を理解しないままに「目標値はインバウンド総額いくら」という視点から話を始めて、「1人あたりいくら使ってもらいたい」といったように落とし込んでいる限りは、ハイエンドトラベラーの求めるものにはなかなかリーチできないと思います。
伝統からサブカルまで、幅広い年齢層に刺さる多様なコンテンツを持つ日本
─ 日本を訪れるハイエンドトラベラーの方たちにとって、日本はどのような国と映っていますか。
彼らは美しいものに対して特に理解がある感度の高い方々で、私は「ハイセンストラベラー」と呼んでいます。美しい景色、神社仏閣などの伝統的な建造物、精神文化から、イノベーティングなストリートカルチャーや、マンガ、アニメといったサブカルチャーなど、大人から子供まで幅広い年齢層に訴求するコンテンツが充実しています。「食」が魅力的な点も言うまでもありません。拙著『グローバルエリートが目指すハイエンドトラベル 発想と創造を生む新しい旅の形』でも触れましたが、You never eat bad in Japan(日本でまずい食事に出あうことはない)と言われるほど食のレベルは高く、バリエーションが豊富です。
中には、投資先や取引先である日本を自分の目で見てみたいという理由で日本を訪れる方もいます。今の時代、データやアドバイザーの知見から情報を入手することはいくらでもできますが、街を歩く人々の様子から幸福度や国の勢いを肌で感じ、ビジネスの判断材料にしたいのです。そのときにどのように日本を見てもらいたいか。国民一人ひとりが意識しておく必要もあります。
日本がハイエンドトラベラーを狙うべき4つの意義
─ 現在、観光庁の「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり検討委員会」や文化庁「文化審議会文化経済部会」など、複数の国の会議に委員として参画されている立場から見て、国がハイエンドトラベルを推し進めようとしている勢いは感じられますか。
はい、コロナ禍にありながらも、動き的にはむしろ加速していると感じます。ハイエンドトラベラーを狙う意義は大きく4つあります。1つ目は、経済的効果。2つ目は、世界のトップ層が日本のファンになることで国際社会でのプレゼンスが上がり、それが防衛上の抑止力にも繋がること。3つ目は、全国に点在する有形、無形の文化資源を磨き上げることで、体験の質が充実し、高付加価値化が見込める点。4つ目は地方創生です。ハイエンド層が旅の移動に使うスーパーヨットを接岸できるマリー
▲ハイエンド・ライフスタイルのトッププレイヤーが集まる「ハイエンド・サミット」を年に1度主催する山田氏、日本が世界の文化リーダーとして牽引することを目指す
─ 日本がハイエンドトラベルを推進するにあたっての現状の課題は何でしょうか。
大きく2点が挙げられます。1つ目は、ターゲットとなるハイエンドトラベラーと、彼らの求めるハイエンドトラベルについて、まったくと言っていいほど理解がなされていない点です。
2つ目には、こうした理解の欠如が原因で、情報発信力が中途半端、という課題があります。国の外郭団体も外国人向けにWebサイトを用意するなど、様々な方法で情報発信をしていますが、情報が取捨選択されていません。あれもこれもと詰め込んだ和洋折衷、まるで分厚い百科事典1冊をポンと渡されて、「ここから好きなものを選んでね」と言われているようなものです。セレクトされていない情報発信も結局のところ、1点目の「ハイエンドトラベルの目線を理解していない」に起因するように思います。
旅が日常生活の一部である欧米と、そうでない日本の隔たり
─ ハイエンドトラベルについての理解がなかなか進まない原因はどこにあると感じていますか。
日本と欧米で「旅」に対する考え方が根本的に違っていることだと思います。欧米で「旅」がこれほど成熟しているのは、それが日常生活の一部になっていて、職業や地位にかかわらず、1年に数週間から1カ月、別荘で過ごしたり、旅行に出かけたりします。職場でも学校でも、夏休みが近づくと「今年の夏はどこに行くの?」という会話が、「明日どこ行くの?」と同じレベルで交わされます。休むことは悪いことでもなく、むしろ旅をしていないことは好奇心がなく、豊かな人生を送っていない恥ずかしい事とすら考えられることもあります。旅することで視野が広がりますし、その話を共有することで周りの人々の人生も豊かにします。
一方、日本はその逆です。職場で旅行したと口にすることが憚られるような社会は理想とは程遠い状態です。学生時代という最も多感な時期に、部活動や受験勉強で忙しく視野が狭まってしまっている。旅行どころではないという日本の教育制度も1つの問題といえるでしょう。
旅をすることが人生に組み込まれていない人たちが、将来旅に関わる仕事をしたり、旅する人を受け入れたりすることにハードルを感じるのも無理はありません。
ハイエンド層を目標に掲げることは観光事業全体の底上げに
─ 先ほど、日本がハイエンドトラベルを推進する理由として、地方創生を挙げていただきました。しかし、特に地域の観光事業者の中からはハイエンドなんて雲の上の話で自分たちとは関係ないという声もあがりそうですが……。
そうした反応はよく起こりますが、そこが大きな落とし穴で、どんな事業者の方にも関係があります。例えば、沖縄の島にスーパーヨットが来たとき、たとえ乗客は2人であったとしても、乗組員は30~40名にのぼります。週単位で滞在するとなれば、その期間中の全員分の食の消費量も相当なもので、例えば島中のお肉をかき集めるといったことにもなります。そのとき肉をどこで調達するかと言えば、ふだんハイエンドな商売を行っている店でなく、地元のお肉屋さんでしょう。
▲年に1度開催するサミットでは、ハイエンド層にまつわる情報提供や交換を行っている
また、価値を認めた商品と出会うとまとめて大量購入することも、ハイエンド層には珍しくありません。ある地方の店先でたまたま見つけた自転車を息子が気に入り、30台購入することになったというのは実際に聞いた話です。地方の小さな、ハイエンド向けでない販売店には、同じ自転車が30台も在庫がなく、日本中からかき集めたそうです。「この包丁を気に入ったから100本まとめてほしい」といったこともありました。各地にある別荘にお気に入りを置いておきたい、友人に配りたい、というような理由で購入するのだと思います。
ハイエンドトラベラーは、一般の旅行者に比べれば数自体は多くはありません。ただ、本質性が保たれている商品や店、地域が彼らにヒットし、影響力のあるハイエンド層が価値を発信すれば、彼らに憧れる層も注目し、消費が活発になる可能性は十分考えられます。ハイエンド層を直接ターゲットに掲げるというより、ハイエンド層の価値観や視点を理解し、精度を高めて本質を追求した商品を生み出せば、自ずと自分たちの価値を高めることにもつながります。
─ ハイエンド層は目指すべき北極星のような存在というわけですね。そこに向かって一歩一歩進めば、ハイエンドトラベラーでない一般の旅行者に刺さることもあるだろうし、それが高付加価値化につながるのだろうと思います。
ハイエンドトラベルの真髄を理解することが、目標に近づく確実な一歩に
─ 最後に、今のお話しを受けて、ホスピタリティ産業の従事者や観光事業者がハイエンドトラベラーという目標に近づくための行動を起こす際、具体的に何からスタートすればよいでしょうか。
彼らがどんな旅やライフスタイルに価値を見出しているのかという世界観を理解することが大切です。そのためには、まず、自身で旅をし、人生を楽しむ機会をもっていただきたいということです。欧米では日常生活となっている「旅」ですが、何泊も時間やお金をかけることだけを意味するのではありません。数時間、日常から離れて人生を楽しむ時間を持つだけでもリフレッシュし、自分にとって新たな気づきや視点が投じられたらそれも「旅」と言えます。自分が楽しみ、そこから喜びを得ていなければ、旅する人の楽しみを想像することも人に喜びを伝えることもできません。
ただ、旅するだけで彼らの価値観や世界観を理解できるかどうかは難しいところです。その理解の一助になればとの思いから、今年1月から、ハイエンド層の思考やニーズが学べる「HIGH END STUDY」というオンライン講座を配信しています。
▲オンライン講座は月に1回配信、ハイエンドな層のニーズや考え方をトータルに学べる構成だ
アート、建築、ファッション、食などの分野でハイエンド層を相手にビジネスを展開している専門家の方々との対談です。先日公開された対談は、ハイエンドトラベラーへの旅のアレンジで活躍しているトラベルデザイナーの方から、ハイエンドトラベラーのニーズ、コミュニケーションのとり方、日本での受け入れなどの示唆に富むお話しを伺っています。観光に携わる自治体、DMO、事業者の皆様、全国のガイドの方々などに上質な旅行者の感覚をご理解いただきたく配信しています。企業や団体向けパッケージも用意してい
旅行者にNoと言わず、代替案提示の習慣づけを
─ ハイエンドトラベラーの方と対峙したときに実践できることはありますか。
旅行者に対し、Noと言わず、柔軟性をもった対応を行うことを習慣づけることです。具体的には、Noと言う前に、代替案を示す努力をしていただきたい。ハイエンドトラベラーから最も多く寄せられるのが、柔軟性のないサービスに対するクレームです。たとえば、靴を脱いで見学するスタイルをとっている美術館に、ハイエンドトラベラーが訪れたときのこと。アテンドしたトラベルデザイナーの方が靴を脱がずに見学できる方法を相談しても「それは困ります」の一点張り。そもそも欧米の文化では人前で靴を脱ぐことは恥ずかしい行為と考えられています。この場合例えば、「敷物を敷くので一部に限られますが、ここまでなら入ることができます」といった代替案を提示することもできます。気持ちに寄り添い、靴を脱ぐという煩わしさを軽減させる代替案を示す努力をすれば、トラベラーの方が自ら靴を脱ぐという選択をしてくれるかもしれません。日本人は平等意識が強いこともあり、たいていの場合「仕方ない」で済むため気づきませんが、あれはダメ、これはダメの押し付けは非常に失礼なことという自覚が必要です。代替案は完璧である必要はありません。できる限りのことをしようという意識の習慣化は、ハイエンドトラベラーを受け入れるためだけでなく、海外からの旅行者全般の対応時に役立つはずです。
▲「HIGH END STUDY」のVol.3では、トラベルデザイナー朽木氏との対談を行った
─ 貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
プロフィール:
ハイエンド・ブランディング・プロデューサー 山田 理絵
ハイエンド・トラベルという概念を初めて日本に紹介し、国の上質な観光推進の戦略立案に参画。企業や団体に対し、サービスや商品の高付加価値化のコンサルティングや人材育成、講演を行う。鎌倉のUrban Cabin Instituteでは、世界のハイエンドトラベラーに特別体験を提供している。上質なライフスタイルを学ぶための“HIGH END STUDY”を月に一度配信。教育面では次世代教育の向上に尽力するほか、学校教育では学べない豊かな価値観を身につける“NxGキャンプ”を次世代リーダー向けに開催。
文化庁「文化審議会 文化経済部会」委員 観光庁「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり検討委員会」委員 British School Tokyo理事
HP:https://highend.style
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