インバウンドコラム
これまで観光におけるデジタル化促進や研究に取り組んできた筆者は、2022年11月、スペイン第3の都市バレンシアで開催された「スマートデスティネーション世界会議」(World Conference on Smart Destinations )に参加した。2017年に国連世界観光機関(UNWTO)とスペイン政府等の主催により始まり、2022年で3回目を迎える同会議は、「スマートデスティネーション」をテーマに、世界の主要な観光専門家(政府関係者、観光実務家、学術研究者など)が集まり、観光地マネジメントに関わる様々な議論がされる国際会議である。本レポートでは会議のトピックから、バレンシアをはじめとしたスペイン各都市のデジタル戦略や取り組みを紹介するとともに、各地での取り組み促進に向けたスペイン政府のサポート体制も解説する。
1.スマートデスティネーションとは?
観光地のデジタル化は「観光客」と「地域住民」双方を対象
まず「スマートデスティネーション」とは何かを見てみよう。文字通りの意味は「スマート化された観光地」であるが、学術的には、たとえば次のように定義されている。「訪問客や地域住民に対して、最新の情報技術の活用や情報の交換・共有によって、豊富な経験を提供できる観光地」(Gretzel, U., Werthner, H., Koo, C., & Lamsfus, C. (2015).)また、2015年にスマートツーリズムデスティネーションプロジェクトを国家戦略としたスペイン政府は「すべての人がアクセスできる革新的な空間であり、地域の持続的な発展を保証し、訪問客と周辺環境との相互作用と統合を促進し、観光地における体験の質と住民の生活の質を高めるような、最先端技術のインフラを基盤としている」と定義した。
これらから、スマートデスティネーションが、情報技術を手段として活用することはもちろんのこと、観光客だけでなく観光地の住民の生活までを含んで定義されていることがわかる。
テクノロジーの活用で、効率的かつ競争力のある観光地を目指す
また、第1回UNWTOスマートデスティネーション世界会議のウェブサイトを見ると、スマートデスティネーションが目指すところがよく理解できる。要約すると以下の通りである。
デジタル時代において、旅行客は、個々人に合わせたサービスや、常時オンラインとつながることを求め、“本物”志向が強くなっている。DMOは旅マエ、旅ナカ、旅アトといったカスタマージャーニーに沿って、そのような旅行客の新しいニーズを満たすべく進化することが求められる。そのためにビッグデータ、ビジネスインテリジェンスなど、分析のための新しいシステムを活用し、より効率的で競争力のある革新的な観光地を目指すことが必要である。したがって、観光地は、過去のやり方を全面的に刷新し、その究極のゴールは長期にわたる観光地が経済的、社会文化的、環境的に持続可能であることを確認することである。
以上から、スマートデスティネーションは、単なる情報技術の活用だけでなく、新しい観光地の価値提供を実現することや、観光地マネジメントを志向した取り組みであることがよく理解できる。スマートデスティネーションの取り組みを通じて観光地をスマート
2.2017年よりスタート、スマートデスティネーション世界会議
10年以上の継続でスマートデスティネーション先進国の1つとなったスペイン
スマートデスティネーション世界会議2022は、11月21日から23日までの3日間、バレンシア州の首都であるバレンシアで開催された。2017年にムルシア州都ムルシア、2018年はアストゥリアス州都オビエドと、過去2回の開催地はいずれもスペインであった。
スペインは、世界第2位の国際観光客到着数8400万人(2019年)を受け入れる観光大国で、コロナ禍からの回復状況も早い。UNWTOによると、2022年1月~9月までの到着者数の合計数値は2019年比で84%まで回復しており、到着者数主要10カ国の中でも、トルコ、フランスに次ぐ3位となっている。
そして、前述したように、スペインはスマートデスティネーションを観光政策の一つとして積極的に推進して10年以上が経ち、中国、韓国などと並んで、スマートデスティネーションの最も進んだ国の一つと言われている。そのような背景もありスペインが世界会議の主催者を続けている。
▲会議場の様子
会議は、初日に学術セッションが併設され、2、3日目は政府、企業レベルのスピーチが行われた。事務局からの公式発表はまだ出ていないが、報道によれば、会議参加登録は1200人以上、80カ国からの参加があった。スペインを中心に欧州各国、そしてキューバやコロンビア、ブラジルなど中南米からの参加があり、英語、スペイン語の同時通訳で運営され、アジアからの参加は中国、韓国、タイ、そして日本などがみられた。
3.2022年欧州スマートツーリズム首都選出、バレンシアの取り組み
「持続可能性」「アクセシビリティ」の側面で高評価を得たバレンシア
会議開催地のバレンシア市は地中海に面した港湾都市で、人口約80万人、スペイン第3の規模の都市であり、旧市街地には中世の建築も多く、年間220万人の観光客を迎え入れている。パエリア発祥の地としても知られている。
▲サイエンスシティとしても知られるバレンシア市
2022年、バレンシアは、欧州連合(EU)による「欧州スマートツーリズム首都」に選ばれた。バレンシア市が2022年の世界会議開催地となったのはその取り組みが背景となっているが、注目したいのは、選出にあたって特に評価された分野が、「持続可能性」と「アクセシビリティ」であったことである。
バレンシア市は、気候変動に対応するために2030年までにカーボンニュートラルな観光地になる、という目標を掲げている(注)。そのため、持続可能な開発目標SDGsに準拠した151の指標を設定しシステムにより測定するしくみを構築した。また、観光活動によるカーボンフットプリント及びウォーターフットプリントを算出、認証する世界で初めの都市となった。水質管理、廃棄物、交通、クルーズ客、宿泊施設など10の分野において、炭素排出量や水消費を測定しており、その複雑で多岐にわたる作業を効率的に実現するため情報技術が活用されている。
一方、「アクセシビリティ」は日本ではあまり聞きなれない単語かもしれない。例えば、観光案内所では、点字翻訳やピクトグラム、1年中24時間利用可能な観光案内、ユーザーの端末に視覚的な通知を送るAIシステム「Visualfy system」などがある。これらはバリアフリーや多言語化など、どんな人でもスムーズに観光インフラやサービスを利用できるように配慮された取り組みのことであるが、まさしくアジェンダ2030においてSDGsを達成するための理念である「誰一人取り残さない(leave no one behind)」に通じる。
デジタル化が、観光産業に貢献するという共通の認識が欠かせない
ビジット・バレンシアのマネージングディレクターであるアントニオ・ベルナベ氏の発表によれば、市が観光戦略を再考した際には、基本的な2つの課題を認識したという。1つ目は「ガバナンスモデル全体を更新して、参加型にすること」、2つ目は「より革新的、より持続可能、よりアクセスしやすく、より包括的に、そしてよりデジタルを活用することにより、最終的により競争力のある観光を生み出すこと」である。
このように、バレンシアのスマートデスティネーションは、多くの関係者が関わる持続可能な観光やアクセシビリティの取り組みを、デジタル化を手段とすることによって進めている。そのためには、市民にも「観光産業が地域の発展に貢献している」という共通認識を持ってもらうことが必要だろう。
▲人々でにぎわうバレンシアの街なか
4.スペイン国家主導「スマートデスティネーション」プロジェクト
スペイン観光DXのカギを握る「スマートデスティネーション・ネットワーク」
スペインのスマートデスティネーションの取り組みは、「国家観光計画2012-15 PNIT」によりスタートした。計画では、スマートシティの取り組みに沿ってスマートデスティネーションを推進することが定められ、イノベーションと観光テクノロジーのマネジメントのための政府所属の組織である「SEGITTUR」(セギツール)がその推進役を担うこととされた。
セギツールは、観光分野におけるイノベーションのための研究・開発を担い、公民のパートナーシップを促す、観光DX推進の中心組織である。スマートデスティネーションの基準を設定する手法を検討する役割を担うほか、スペインの公式観光サイトの運営や観光データの分析など、観光のデジタル化に関するプロジェクトを推進している。
▲セギツールがデータ分析などをするスペインの公式観光サイト(出典:https://www.spain.info/en/)
スマートデスティネーションプロジェクトは、単なるデジタル技術の活用推進にとどまらず、新しい観光地マネジメントの実践そのものである。なぜなら、スマートデスティネーションとして認定されるには、テクノロジー(技術)の他に、ガバナンス(管理体制)やイノベーション(革新)、サステナビリティ(持続可能性)、アクセシビリティ(アクセスしやすさ)といった5つの分野から統合的に診断を行うことが必要とされるからである。
また、スマートデスティネーションとして認定された観光地と、認定を目指す観光地や関連組織等をメンバーとした「スマートデスティネーション・ネットワーク」(Red DTI:Redはスペイン語でネットワークの意味)も2019年にスタートした。ネットワークへの加盟料自体は無料であるが、認定を目指す都市は、短期間に転換戦略を策定することをコミットし、診断や申請作業などに費用を支払う。現在、スペインの都市437を含む618のメンバー(2022年12月11日現在)が加盟している。バレンシアもそのメンバーであるが、ビジット・バレンシアは、ネットワークにおけるサポートが、スマートデスティネーションを進めるうえでとても役に立ったという。観光地だけにスマートデスティネーションの取り組みを任せるのではなく、このしくみにより、会合やメンバー同士の交流を通じてノウハウを共有・交換できることが、スペイン全体のスマート化を効果的に促している。今回の会議でも、ネットワークメンバーによるミーティングが開催されていた。
スマートデスティネーション・ネットワークを活用、2都市の事例
ここで、会議2日目に紹介されたマラガとポンフェラーダの事例を紹介しよう。人口規模の異なるこの2つの都市は、共に「スマートデスティネーション・ネットワーク」のメンバーである。
マラガは、人口約60万人弱、コスタ・デル・ソルと呼ばれる地中海のリゾート地として有名であり、訪れたことのある方もいるだろう。しかしリゾートだけでなく、昨今はテック企業が集積しエコシステムを形成する「マラガバレー」としても知られている。またグーグルが欧州における新しいサイバーセキュリティセンターを設立すると発表したことで話題となった。マラガも2020年に欧州スマートツーリズム首都に選ばれている。発表ではスマートデスティネーションの各都市と取り組みに関わるさまざまな経験を交換できたことが役に立ったと指摘していた。なお、余談にはなるが、マラガはパブロ・ピカソの生誕の地であり、没後50年にあたる2023年には、展覧会をはじめあらゆる種類のエクスペリエンスやアクティビティが予定されているという。
ポンフェラーダは、首都マドリードの北西約390㎞にある人口約7万人弱の都市であり、2020年にスマートデスティネーションネットワークのメンバーとなった。発表では、一般的に中規模の観光地ではデジタル化への多額の投資は難しいため、スマートデスティネーションのモデルを参考にして、最初に現状を診断し、次に戦略を定義したこと、ポンフェラーダはそれほど浸透した観光地としてのブランドがなかったため、ブランド構築から取り組みを始めたこと、また、データは数多くあるが、意思決定に必要なデータが少ない、などの指摘があった。
5.スペインの事例から、日本が学べること
スマートデスティネーション推進に必要な3つのこと
さいごに、3日間にわたる会議参加で得た知見をもとに、日本におけるスマートデスティネーションを推進する視点から感じたことをまとめる。
1.他地域の取り組みからの学びを横展開
まず、地域が取り組みを進めるうえで、他の地域の事例を積極的に参考にしていることが印象的だった。新しい取り組みを始める際には、ややもすると、個別事情を強調し、自分たちは他の成功事例のようにはいかない、と考えがちである。スペインにおいても各地の事情は異なるし、ことばさえ違う場合もあるが、積極的に他都市の事例を参考にしていた。それによって、小さな都市でも多大な投資をせず、また、デジタル技術活用の知識をもった専門人材などのリソース不足を補うことにつながるのではないだろうか。
2.住民も観光客も利用できる仕組みの構築
また、スマートシティとスマートデスティネーションの垣根を取り払い、統合して推進していくことも今後の課題である。つまり、住民に対するデジタル化と、観光客に対するデジタル化は、全く違うアーキテクチャーとして設計するのではなく、基盤としてはデジタル化を一緒に進め、応用において異なるという考え方である。OS(まちづくりのデジタル化)とアプリケーション(住民、観光客によってニーズの異なるデジタル化)のような役割分担かもしれない。
3.スマートデスティネーション推進の組織とネットワークの存在
最後に、スマートデスティネーションを推進する上で、合意形成の場としての組織の設定とコーディネーター役(組織)、そしてノウハウを共有するネットワークの必要性である。バレンシアは、SEGITTURのような政府組織によるサポートや、他の欧州スマートツーリズム首都の事例を参考にすることにより、スマートデスティネーションの政策を効果的に推進できた。スマート化の取り組みは、住民を巻き込むしくみも含め、決して観光に携わる関係者だけで推進するものではない。
▲SEGITTURでは様々なプロジェクトや取り組みが動いている(出典:https://www.segittur.es/en/)
スマートデスティネーションは、地域の持続可能性やアクセシビリティを実現するための手段として非常に有効にすすめられている。そのような動きをみると、観光地マネジメントのあり方が、観光地間の競争を促すことにより観光地の競争優位性を生み出すという発想だけでなく、観光地同士の知識共有・交換による協調により観光地の持続可能な発展を目指し、その結果、観光客や住民にとっての豊かな経験が創出される、という考え方に変化していることを感じる。まさしく、地域間レベルの「包摂性」=インクルージョンである。
なお筆者はDMOや観光に関わる地方行政のデジタルトランスフォーメーション、やデジタルマーケティング、マネジメント(観光地経営)を支援するプロジェクトをスタートした。興味関心のある方はご連絡をいただければ幸いである。
▲会議に参加した小林氏
(注)VisitValenciaのウェブサイトでは、バレンシアがカーボンニュートラルな観光地となる目標を2025年とする記載も見られるが、ここではスマートデスティネーション世界会議での発表を基に記述した。
プロフィール:
國學院大學観光まちづくり学部 教授、博士(観光学)
小林 裕和
株式会社JTBにてグループ経営企画、訪日旅行専門会社設立、グローバル戦略、新規事業開発等を担当、香港、オランダ(M&A、スペイン企業社外取締役等)にて海外勤験。2022年4月より現職。相模女子大学大学院社会起業研究科特任教授兼任。観光庁「DXの推進による観光・地域経済活性化実証事業に係る実証事業」委員等。30年以上前にインターネットに出会い、デジタルで社会をよくする、という熱い想いに共感したひとり。いわゆる「インターネット老人会」初心者。
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