インバウンドコラム
サステナブル・ツーリズムへの取組が世界的にスタンダードとなるなか、東京都と東京観光財団は、都内の地域や観光関連事業者を対象に、国際基準を正しく理解し、現場での実践へとつなげるための基礎講座を実施している。全4回にわたるこの講座の締めくくりとなる最終回のテーマは、持続可能な観光を支える「担い手」の役割だ。
サステナブル・ツーリズムを単なる理念やスローガンにとどめず、日々の観光の現場で実際に落とし込み、旅行者の行動変容につなげるためには、旅行者に地域の価値をどう伝え、双方が心地よい関係を構築することが必要となる。その鍵を握るのが、“担い手”として現場に立つガイドや地域の若者、観光関連事業者といった人々の存在だ。
本記事では、インバウンドガイドの育成や地域プロデュースを行う株式会社羅針盤と、旅先でのマナーを「旅先への思いやりある振る舞い」として提唱する一般社団法人ツーリストシップの2つの事例を取り上げる。いずれも、観光の最前線で旅行者との対話を重ねながら、サステナブルという言葉を“分かりやすい言葉や行動”に置き換え、旅行者と地域をつなぐ工夫を続けている。それぞれのアプローチから見えてくる、旅行者の行動変容を促す秘訣を探る。
▲左:株式会社羅針盤 平沢真実子氏、右:一般社団法人ツーリストシップ 春田菜々美氏
ガイドは地域と文化の「橋渡し役」 ゲストの知的好奇心を満たす対話と調整の技術
現在のインバウンド市場、サステナブル・トラベルへの認識が確実に変化している。単なる贅沢な観光消費ではなく、観光化されていない「本物の体験」や、地域住民との誠実な交流を強く求める傾向が顕著だ。しかし、旅行者側が「何がその地域にとって持続可能なのか」を正確に把握しているケースは実は少ない。そこで、地域の価値や守るべきルールを正しく翻訳し、旅行者の行動を導く「人」の存在が、観光の質を左右する鍵となっている。
こうした背景を踏まえ、「旅行者と地域の対話が生む持続可能な観光サービス」というテーマで登壇したのが、株式会社羅針盤の平沢真実子氏だ。同社は主に訪日外国人向けのオプショナルツアーやガイド育成を手がけているが、平沢氏は、観光を成立させる上で欠かせないのは、ハード面よりもむしろ現場でゲストと向き合う「人」であると断言する。
その代表的な存在が、旅行者と直接対話を重ねるガイドだ。同社が提唱するのは、ガイドを単なる「案内人」や「通訳」に留めない、より高度な役割だ。
なかでも平沢氏が強調するのは、ガイドは地域と旅行者、あるいは異なる文化と文化の間に立ち、双方の期待や価値観を調整する「橋渡し役(インタープリター)」であるという点だ。地域には、その土地ならではの歴史に基づくルールや、守るべき静かな暮らしがある。一方で、旅行者には強い知的好奇心と、異文化に触れたいという期待がある。この両者が衝突することなく、むしろ相乗効果を生むための「調整」と「コミュニケーション」こそが、現場におけるサステナブル・ツーリズムの正体といえる。
▲株式会社羅針盤のツアーの様子
実際の現場では、無意識の思い込みや配慮不足が深刻なトラブルを招くこともある。講演では、トランスジェンダーの旅行者に対し、公共の場で安易にトイレ利用の際の性別を問いかけたり、通称とは異なるパスポート記載の本名(リーガルネーム)で呼び続けたりしたことが、深刻なクレームへと発展した事例が紹介された。これらは決して悪意から生まれたものではなく、現場スタッフの知識不足や想像力の欠如に起因するものだ。
そこで、平沢氏はガイドが意識すべき具体的な行動指針として、三つの視点を挙げた。第一に、地域の歴史や文化を「正しく、かつ魅力的に」伝えることだ。神社仏閣などでの禁止事項を一方的に押し付けるのではなく、「なぜこの場所では静かにすべきなのか」「なぜこの建物に触れてはいけないのか」という背景を丁寧に説明する。その理由を理解した旅行者は、自分たちの行動が地域の価値を守ることに繋がっていると実感し、高い知的満足感を得ることができる。
第二に、地域住民の生活との調和だ。近年、有名観光地だけでなく、日本人の日常が垣間見える生活圏へと旅行者の関心は広がっている。そうした場所を案内する際には、住民のプライバシーや静穏な環境を損なわないよう、混雑状況に合わせた時間帯や時期をずらすという工夫も必要になる。
第三に、旅行者自身が地域に貢献できるような働きかけだ。平沢氏は「すべてをゲストの要望通りに叶えることだけがゲスト目線ではない」と語る。提供者側の事情や地域の限界を隠さず伝え、お互いの利益が重なる点を探る。こうした対話を通じて、旅行者は単なる「消費者」から、地域の持続的に応援する「ファン」へと意識が変わっていくのである。ゲストや旅行会社から高い評価を得ているガイドに共通するのは、あえて「サステナブル」という言葉を使わずとも、人間力と深い対話によって、自然と持続可能な形での観光を実現している点にあると締めくくった。
マナーを「誇れる文化」へと昇華させる―旅先クイズ会が創り出す旅行者のポジティブな行動変容
続いて登壇した一般社団法人ツーリストシップの春田菜々美氏は、「マナー啓発の新しい形」をテーマに、旅行者の意識を根本から変えるアプローチを紹介した。観光地を訪れると、しばしば「〇〇禁止」といった強い言葉のポイ捨て禁止や撮影禁止の看板を目にする。これらは地域を守るために設置されているが、旅行者の視点に立てば、せっかくの旅の気分に水を差され、時に「監視されている」ような圧迫感を与えてしまうこともある。
一方で、受け入れ側の地域にとって、急増する観光客によるマナー問題は切実な問題だ。この対立構造を解消するためにツーリストシップが提唱するのが、旅行者自身の「心構え」をスポーツマンシップのようにポジティブな概念として捉え直す考え方だ。マナーを守ることを、義務や規制に従うことではなく、その土地を愛し、大切にする「かっこいい振る舞い」として定義する。春田氏はこの「ツーリストシップ」という考え方、価値観を広めることで、観光地と旅行者の間に前向きな関係を築こうとしている。
その実践の柱となっているのが、各地の観光スポットで実施されている「旅先クイズ会」だ。これは、学生や地域のボランティアが旅行者に直接声をかけ、数分間のクイズを楽しみながら、地域のルールや文化への理解を深めてもらう取り組みである。例えば、京都の八坂神社で実施されたクイズでは、「境内で写真撮影は可能か」といった設問が用意されている。正解を伝える際、単に「ここはダメ、あそこは良い」と教えるのではなく、「神様がいらっしゃる神聖な場所なので、心静かに向き合うためにこのエリアは撮影を控えていただいています」と、その理由を丁寧に添える。
2021年から始まったこの活動は、浅草、宮島、京都など全国20カ所以上で展開され、参加者数は延べ3万人に迫る勢いだ。特に、外国人旅行者が多く集まる浅草などでは、参加者の7~8割を訪日客が占めることもある。三カ国語に対応したクイズ形式は、言葉の壁を超えて「地域の想い」を伝える強力なツールとなっている。
実際に、京都の錦市場ではこのクイズ会を継続的に実施した結果、食べ歩きやゴミのポイ捨てが目に見えて減少したというデータも報告されている。特筆すべきは、この取り組みが自治体や観光協会、さらには地元の修学旅行生やシニア層を巻き込んだ地域ぐるみの活動になっている点だ。出題者となる地元の学生たちにとっても、自分たちの地域の価値を再発見し、旅行者と直接交流する経験は、次世代の担い手を育てる「探究学習」の場としても高く評価されている。
さらに、こうした現場での知見を集約し、ツーリストシップは「ツーリストシップ行動集」を開発した。旅行者の行動基準として、社会、経済、文化、自然などの五つの分野で計68項目を整理している。
この行動集は、単なるルールブックではない。地域ごとに抱える課題(オーバーツーリズム、文化財保護、環境保全など)に応じてカスタマイズし、ポスターやパンフレットの素材として自由に活用できる「マナー発信の百科事典」のような役割を果たす。
春田氏は、「私たちが目指すのはマナーを守らせることそのものではなく、旅をより豊かにする文化を共に創ること」と語る。旅行者が「この街のために良いことをした」と誇りを感じ、地域が「この人たちを歓迎して良かった」と感じる。その双方向の幸福感こそが、持続可能な観光の究極の形だといえる。
今回の事例が示す通り、サステナブル・ツーリズムの本質は小難しい理論にあるのではなく、現場における「対話」と「配慮」の積み重ねにある。ガイドによる文化の翻訳やクイズを通じた意識変容は、旅行者を単なる消費客から、地域を共に守る「パートナー」へと変えていく挑戦である。こうした一人ひとりの誠実なコミュニケーションの連鎖こそが、地域をより持続可能で魅力的な観光地へと進化させる原動力となるのである。
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