インバウンドコラム
人口減少や少子高齢化による公共交通機関の利用者減少、人手不足による、鉄道や路線バスの廃止・減便など、特に地方部の公共交通を取り巻く状況は悪化しています。地域住民のインフラである公共交通を維持するにも、成長市場であるインバウンド旅行者を取り込むことが欠かせません。しかしながら、二次交通に関する専門家として、筆者が講演などで地域へ足を運ぶなかで、観光・インバウンド業界の関係者は、移動や二次交通に関する基本的な知識が不足しているのを痛感しています。
これらの課題に対応するため、既存の公共交通の構造や問題点、新たな交通、移動手段やサービスなどについて網羅した『「二次交通」の教科書』を執筆しました。ここではその書籍の内容のエッセンスを一部紹介します。
※本稿は、楠田悦子『「二次交通」の教科書 地域の稼ぐ力を高める』(やまとごころBOOKS)の一部を再編集したものです。
地域経済を支える移動、インバウンドが二次交通にもたらす効果
日本の観光業界や交通業界は、少子高齢化・人口減少の問題に立ち向かうため、何かしらの対策を講じる必要があります。その対策を突き詰めて考えてみると、「売上の維持・拡大」と「経費を削減する」の2つに大別できます。
そして売上拡大にも経費削減にも貢献する可能性を持つものが、政府も受け入れを推進している訪日外国人観光客(インバウンド)の獲得です。
基本的に大多数の外国人観光客は、空港で日本に入国します。そんな彼らが空港や新幹線駅といった交通拠点(ターミナル)から目的地に足を運ぶ際には、必ず鉄道やバス、タクシー、レンタカー、自転車、電動モビリティなどの交通手段を使うことになります。目的地に到着後も、彼らはそれらの交通手段を使って地域のなかを回遊します。
▲地方空港では、主要ターミナル駅を結ぶバスが運行される
一般に「二次交通」と呼ばれるこれらの交通手段は、整備が不十分だと、地域に来てもらえるチャンスが小さくなってしまいます。仮に地域まで来てもらえたとしても、地域内での消費行動を促進できません。逆にいえば、地域の二次交通が整っていれば、交通業界のみならず、観光業界にも大きな恩恵(売上の拡大)がもたらされます。
「経費を削減する」という対策においても、インバウンドは貢献します。地域住民の利便性の維持を考えるならば、路線の縮小や廃止ではなく、技術革新による経費の削減が理想です。当然、技術革新には投資が不可欠ですので、成長の余地があるインバウンドの存在が効いてきます。
いずれにしてもインバウンドは、日本の観光業界や交通業界を維持・成長させるための大きな市場として捉え、二次交通の整備も含めた観光や地域経済の成長にうまく活用していくといいのではないでしょうか。
観光資源は豊富なのに、交通手段の悪さによって生じる機会損失
これからの日本の観光戦略における課題は、インバウンドをいかにゴールデンルート以外の地域に呼び込むかでしょう。地方空港から中心市街地や観光地へのアクセスが弱い地域もたくさんあります。
たとえば、約14キロの間に大小さまざまな滝が何本も見られることで有名な秋田県の十和田奥入瀬は、青森空港や北海道新幹線駅「七戸十和田駅」からJRバスの路線があります。しかし、同路線は使い勝手が悪いようで、アクセシビリティの低さが課題となっています。同じような地方空港はいくつもあるようです。
▲繁忙期にはマイカーの駐車も増え、大混雑する奥入瀬渓谷
東北地方には自然系の観光資源が豊富にあります。しかし、インバウンドで賑わう九州地方と比較すると、空港や主要鉄道駅といった交通拠点から、30〜60分、60分以上の時間がかかる観光地や温泉地が多く、二次交通の充実が課題となっています。
東北地方にも高速道路網は整備されています。しかし、二次交通の柱となるバスの運行本数が少ないことや、鉄道駅から観光地までタクシー以外に交通手段がない場合もあります。そのため二次交通の手段としては、レンタカーを選択する観光客が多いようです。
東北地方で進む交通の利便性を高める取り組み
こうした課題を解決するため、空港や新幹線駅から観光地までのアクセスや循環を良くしようとさまざまな取り組みが行われています。
具体的には、空港と観光地を直接結ぶエアポートライナーやリムジンバスの整備、高速バス路線の観光地への延伸・経由やバスターミナルの整備、ホテルバスやレンタカー利用の促進が行われてきました。
秋田空港と観光地を直接結ぶ事前予約制の乗合タクシーで、地元の観光協会、交通事業者、空港関係者、観光業者などが協力して運行する「あきたエアポートライナー」、いわて花巻空港を発着地とする6路線(観光地含む)の事前予約制の乗合タクシーで、花巻市内の7社の交通事業者が共同で運行している「いわて花巻空港エアポートライナー」などです。
高速バスの活用としては、庄内交通が運行する都市間高速バス(仙台〜庄内線)の1便を鶴岡市経由から湯野浜温泉に経由するように変更した事例、新花巻駅と花巻温泉間の複数ホテルを経由する無料シャトルバスを運行させた「花巻温泉無料シャトルバス」の事例などがあります。
共通フリー乗車券の事例としては、オーストリアの首都ウィーンで使われているウィーンカードに倣った全国初の共通フリー乗車券で、会津地域で広域的な周遊観光に活用されている「会津ぐるっとカード」、仙台を中心に日本三景の松島や山形県の山寺を含む広域エリアをカバーする「仙台まるごとパス」、東北新幹線の駅がある八戸を1日自由に周遊できる「八戸えんじょいカード(2019年3月終了)」などがあります。
▲仙台市観光シティループバス「るーぷる仙台」
そして観光循環バスの事例としては、複数ホテルが連携して、バス停留所を整備し、松島の観光地内を回遊できるようにした「松島循環100円バス」、仙台駅前を拠点に仙台中心の観光スポットを約1時間で循環するバス1日乗車券、600円で自由に乗降りができる「るーぷる仙台」、会津若松市のまちなかにある観光地を循環するバスで1日フリー乗車券500円で乗り降り自由の「ハイカラさん(会津若松市まちなか周遊パス)」などがあります。
グーグル・マップとの連携で、旅行者のバス利用増に繋げた馬籠宿
中山道沿いの江戸から43番目の宿場町・馬籠宿がある岐阜県中津川市は名古屋から約1時間半、人口は約7万8000人の自治体です。民間路線バスは北恵那バス、東鉄バス、濃飛バス、市のコミュニティバスを9地区で運行しています。
中津川市は、バス業界で注目を集めました。定住促進部定住促進課で公共交通担当の職員がバスの情報をグーグル・マップに掲載したことにより、欧米の観光客を中心にバスの乗車人数を増やすことに成功したからです。
▲訪日客が増える中、路線の掲載でバスの利用増に繋げた馬籠宿
内閣府の調査によると、路線バスの経路を調べる手段として、インバウンドはインターネットの経路検索サービスを活用しています。なかでも、中国などでは使えませんが、世界的にグーグル・マップが愛用されています。しかし、日本のバスは経路検索に掲載されていない路線がたくさんあります。
地方都市のバス路線は、民間のバス会社が運行する路線と行政が運行しているコミュニティバスがあります。民間のバス会社は利益が出づらいコミュニティバスの運行をしません。しかし、住民の足を確保する必要があるため、行政が運行しているのです。
自社ホームページで乗換検索を提示している民間バス会社もあります。他方で乗換検索サイトや経路検索に掲載されていない場合もあります。
特にコミュニティバスは高齢者の買い物や通院、公共施設への訪問での足の確保を主な目的としているため、乗換検索に掲載されていないない場合がたくさんあります。
そのため、観光客からしてみると、どんな民間バス会社やコミュニティバスがあるのかわかりづらいといえます。インターネットを検索し、バス会社や行政のホームページを見つけたとしても、時刻表や路線などの案内にまでたどり着くのは、日本語が読めたとしても至難の業です。
▲中津川駅から馬籠宿までの行き方が、検索表示されるようになった
民間バス会社は「情報を出している」と思い込んでいる場合もあれば、バスの運行で精一杯で、情報提供のための新たな手立てや企画を考える人的な余裕がない場合もあります。
中津川市も同じような状況でした。最寄駅から観光地までのバスの経路がグーグル・マップに掲載されていなかったのです。
「バスが走っているのに、経路検索で表示されないのは、走っていないことと同じ」と感じた中津川市の担当者は、現状の公共交通網を維持するために、「中津川市公共交通網形成計画」をつくり、20の事業を検討しました。そのなかの1つが経路検索の充実でした。
デジタルデータを活用して、バス事業者の生産性アップに
市の政策はグーグル・マップへの掲載にとどまりません。そこで生まれるデータを使って、調査・分析の基礎として活用し、バス事業者の生産性の向上に繋げ始めたのです。
この情報整備と活用に要した経費は、市職員の人件費のみ。掲載やデータ活用の方法は、インターネット上に情報が充実しているので、実施しようとする意欲さえあれば、可能なのです。
この経路検索から生産性向上への一連の流れは、他業界ではあたりまえですが、公共交通の分野ではまだまだできていません。企画実行力のある人材がいる一部の企業や市町において実施できているにとどまっています。
中津川市では、この一連の取り組みを通して、「生活路線が観光路線にもなり得る。観光客への対応だけではなく、住民の利便性向上にもつながる」と確信したそうです。
このように、公共交通は走っているものの情報提供が不十分な地域はたくさんあります。
バスにおける運行情報のみならず、スマートフォンの普及やMaaSへの期待の高まりから登場しているさまざまなデジタル乗車券やアプリを含めたことですが、重要なのはそれらをどう観光客の目に触れさせるかです。
団体旅行主体のモデルが観光周遊バスの発展を阻害
2006年に観光立国推進基本法が成立し、ようやく本格的に外国人観光客の誘客が始まりました。それ以前の観光は日本人観光客が中心でした。
会社や地域などで積立て、年に一回、慰安旅行として貸切バスに乗り、定番の観光地をめぐる団体ツアーが流行りました。またクルマが一般家庭に普及してからは、ドアツードアでできるだけ歩かずに、代表的な観光地を巡るマイカー旅行も広まりました。
その頃にできた旅館や食事処は、大型で団体旅行者を受け入れられる客室と駐車場を完備しています。マイカー旅行者のためにも、幹線道路に大きな看板が立てられ、駐車場がたくさんつくられました。
▲マイカーによる渋滞はインバウンド誘致にも響く
さらにできるだけ旅館の館内で過ごしてもらおうと、夕食や朝食を提供し、温泉に浸かってもらい、カラオケやラウンジで2次会を楽しんでもらうテーマパークのような宿泊施設ができました。このような旅館の場合、旅館周辺の散策、2泊3日以上の長期滞在、オリジナルの旅行をしてもらうという発想が弱かったように思います。
そうした温泉街の代表格であった城崎温泉や熱海温泉などでは、クルマの渋滞が起こり、そぞろ歩きが危なくてできないような状況が発生しました。クルマの渋滞は悩みの種ですが、自分の旅館に貸切バスやマイカーが入れないことは死活問題ですので、なかなか解決できない状況が日本全国で発生したのです。そのため地域内をめぐる路線バスや観光周遊バスの整備が進まず、歩いて回るための道路整備も遅れがちです。
交通業界にも、旅のスタイルに応じた変革が求められる時代に
ところが最近では、旅行の計画、仕方、価値観が変わり、多様化してきています。インターネットやスマートフォンの普及なども後押しをして、日本人観光客もインバウンドも、インターネットで航空券や宿泊施設の予約を自分で手配し、定番観光地をめぐる観光にとどまらず、地域住民の日常生活に触れたり、飲食店を訪れたりする個人旅行へとシフトしています。
そのなかで団体ツアーやマイカー時代に栄えた観光地には、施設更新が追いつかず、経営者の高齢化も進み、個人旅行やインバウンドに対応できないところがたくさんあります。
パソナグループの本社が移転し、サンセットを目的におしゃれなカフェや宿泊施設も増えるなど、活気を取り戻している兵庫県の淡路島。本州からアクセスするには、明石海峡大橋を車か高速バスで渡るか明石駅近くのフェリーに乗ることになります。とはいえ、まだまだマイカーのアクセスが主流で、マイカーがない観光客は島のなかでの移動が大変です。
▲明石海峡大橋
地元のバス事業者は、「観光客はマイカーや貸切バスで来て路線バスには乗らない。通勤通学の利用のみで、今後は伸びないのでバス事業はあかん」というレッテルを貼ってしまっています。需要を伸ばすための企画を考える意欲的な人材もいないため、新しいことをしようとする状況にないのだそうです。
日本人観光客を対象とした貸切バスやマイカーを前提とした発想の延長で観光戦略を進めると、クルマの運転ができないインバウンドや個人旅行を楽しむ若い日本人観光客を増やすことが難しくなります。
旅館や飲食店、観光アクティビティ、観光施設などが独自に交通事業を動かすことは難しく、地域の自治体やDMOが企画・調整をしたり、新しい人材を採用したり、外からのアイデアを募集するなどして、変えていく必要があります。
プロフィール:
モビリティ・ジャーナリスト 楠田 悦子
心豊かな暮らしと社会のため、移動手段・サービスの高度化・多様化と環境に関する活動を行う。モビリティビジネス専門誌『LIGARE』創刊編集長を経て独立。国土交通省の交通政策、MaaS関連の委員、スタートアップのナレッジ共有『DIMENSION NOTE』元編集長を歴任。グロービス経営大学院大学英語MBA卒。編著に『「移動貧困社会」からの脱却:免許返納問題で生まれる新たなモビリティ・マーケット』(時事通信社)など。
「地域の稼ぐ力を高める 『二次交通』の教科書」
観光地経営の鍵は“移動”にあり! 地域交通の進化が、観光と暮らしを支える二次交通を徹底解説
著者:楠田 悦子
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