インバウンドコラム
本コラムでは、持続可能な観光地域づくりの旗振り役を担う「サステナビリティ・コーディネーター」の必要性や意義、その実務や求められる能力などについてお伝えしています。実際に地域で活躍するサステナビリティ・コーディネーターの活動事例を知ることで、イメージをより具体的なものにできるでしょう。
今回紹介するのは、北海道東部に位置し、雄大な自然を活かして観光と農業を主軸産業とする人口約6600人の弟子屈町です。地域おこし協力隊を含む、外からの移住者に対して寛容な土地柄もあり、2023年には転入者数が、転出者を上回りました。
同町でカヌーツアーのガイド会社を長年運営してきた木名瀬佐奈枝氏も移住者で、町民としてまちづくりに参加したのをきっかけに、2021年からサステナビリティ・コーディネーターを務めています。民間の観光事業者として、一人の町民として、様々な立ち位置で持続可能な地域づくりに携わってきた経験を基に、どのようにして今の業務に活かしているのか、話を伺いました。
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香川県丸亀市のサステナビリティ・コーディネーターはいかにして「世界の持続可能な観光地トップ100」入賞を成し遂げたのか?
自然を活かし、環境に配慮したエコなカヌーツアーで起業
久保:木名瀬さんが移住されたのは1996年、カヌーツアー会社の立ち上げがきっかけということでしたが、どのようなツアーを企画されていたのでしょう。
木名瀬:カヌーイストの聖地と言われる釧路川を下りながら、途中で河原に上陸して食事やキャンプを楽しむなど、弟子屈町ならではの自然を活かしつつ環境に配慮したツアーを企画・運営していました。当時はまだ珍しい旅のスタイルだったと思います。
▲現場のオペレーターとしてお客様を案内するほか、バックグラウンド業務全般も担当
久保:まさにエコツーリズムの先駆けですね。1990年代初頭のバブルの崩壊によって、それまでのマスツーリズムに代わる新たな観光の考え方が着目されはじめたタイミングだったかと。
木名瀬:弟子屈町も以前はマスツーリズム向けの観光地として人気でしたが、バブルの崩壊や旅行スタイルの変化と共に観光客数が激減しました。町としても観光業の再建を図る術を模索していた時期だったようです。
久保:観光業の衰退が地域経済に与える影響は大きかったでしょう。これからどのように観光に向き合いどのように旅行者を呼び戻すかが、喫緊の課題となったのですね。
町民として、弟子屈町の持続可能なまちづくりへ主体的に携わるように
久保:町としての課題を、木名瀬さんが自分ごととして捉えるようになったきっかけはあるのでしょうか。
木名瀬:2007年に、講師を招いてこれからのまちづくりを考える勉強会が開催されることになり、参加してみることにしたんです。地域住民や事業者、役場の人たちみんなで「自分たちがどんな町をつくりたいか」「弟子屈町の宝とはなにか」などをテーマに話し合うというものでした。
▲国内最大級のカルデラ湖である屈斜路湖
久保:まちづくりの原点に立ち返って、地域の声を拾う場が設けられたのですね。
木名瀬:フラットな場で、自分が町に対して思うことを聞いていただけることが、とても新鮮で嬉しかったです。議論を深めていくにつれ、優れた観光地とは「住んでいる人がいいなと感じられる町」だろうということになり、地域住民が主体となって観光を基軸とした持続可能なまちづくりを進める協議会がつくられました。
久保:それが2008年に設立した「てしかがえこまち推進協議会」ですね。地域住民をはじめ、観光事業者や役場、観光協会、商工会、農協など町内のあらゆる組織を包括する協議会ですが、こうした横断的な体制は今でこそDMOなどに見られるものの、当時は非常に新しかったと思います。
木名瀬:様々な職種や立場の人が、自分のまちづくりに対するアイデアを生かせる場、実行できる組織を目指しました。私も町民の一人として関わることで、持続可能な地域づくりへの思いが高まっていったように思います。
▲てしかがえこまち推進協議会で開催する勉強会の様子。「えこまち」の「えこ」には、エコロジー(環境保全)とエコノミー(経済)の2つの意味が込められている
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持続可能な観光に20年近く取り組んできた北海道弟子屈町が目指す「エコ」なまちづくりとは?
久保:協議会でプレイヤーとして活動しながら、2012年からは弟子屈町の総合計画において町民評価委員も務められていますね。
木名瀬:町民評価委員会は毎年度、総合計画の実施状況を点検・評価し、意見や提言をまとめて町長に提出しています。私は役場から声をかけていただき委員会のメンバーとなりましたが、観光だけでなく、すべての施策に対してフィードバックをすることで、地域全体の基本方針や政策への理解を深めることができました。
国際基準の理解を深め、サステナビリティ・コーディネーターに着任
久保:弟子屈町は、環境省が2016年にスタートした「国立公園満喫プロジェクト」を契機にインバウンド向けのサステナブル・ツーリズムに着手。2021年には国際基準を取り入れた持続可能な観光地域づくりに取り組むことになり、木名瀬さんが弟子屈町との契約によりサステナビリティ・コーディネーターに就任しました。ご自身としても、国際基準の持続可能な観光について関心が高かったのですか?
木名瀬:2018年に、北海道運輸局が釧路市阿寒町で実施したGSTC(世界持続可能観光協議会:Global Sustainable Tourism Council)のトレーニングプログラムに、役場の方や「てしかがえこまち推進協議会」のメンバーと一緒に参加したことがきっかけで興味を持ちました。
久保:協議会の中でも度々「持続可能」をテーマに掲げられていましたし、機運も高まっていたのでしょうね。
▲弟子屈町でも開催したGSTC研修会の様子
木名瀬:それまで「観光地域づくり」や「エコツーリズム」という言葉で形成されていた概念が、GSTCでは具体的な手法論として提示されていて、「なるほど、私たちが今までやってきたのはこういうことだったんだ」と初めて分かった気がしたんです。3日間のトレーニングの後、サステナブル・ツーリズムの知識や理解度を評価するSTTP試験を受けて合格し、証明書「GSTC Professional Certificate in Sustainable Tourism」を取得しました。
久保:この試験ではGSTC基準を自らの地域や立場に適用した上で、具体性を持った回答ができるかがなども問われます。国際基準の持続可能な観光についても精通していた木名瀬さんは、サステナビリティ・コーディネーターとしてまさに適任者だったと思います。
現状評価から施策提案、アクションまで幅広い領域で活動
久保:現在はフリーランスのデザイナー、ライター、ランドオペレーターとして主に観光分野での事業に従事しながら、委託契約という形でサステナビリティ・コーディネーターを務められていますが、具体的にはどのような業務を担ってきたのでしょうか。
木名瀬:まず地域の現状を把握するためのアセスメントを手がけ、サステナビリティ調査結果をレポートとしてまとめました。マネジメント、社会経済、文化、環境の4つの大項目をさらに細分化し、項目ごとに持続可能性の達成度を判定したものです。弟子屈町が今どういう状態であるかを客観的に見ることで、できていることと足りていないことが分かり、全体像が明らかになったと思います。
久保:調査結果から具体的にどのような強みや課題が見えてきたのでしょうか。
木名瀬:弟子屈町ではエコツーリズムを推進してきたこともあり、自然の保全などについては達成度が高いのですが、適切な情報発信など特に社会経済のサステナビリティでは改善するべきことが多いと分かりました。
日本版持続可能な観光ガイドラインJSTS-Dに基づく弟子屈町のサステナビリティ調査結果2023
▲サステナビリティレポートは毎年作成し、前年度の評価と比較して改善の進捗状況を把握する
久保:サステナビリティレポートでは、各項目についての達成度を5段階で判定するだけでなく、判明した課題に対する施策提案までを落とし込んでいますね。
木名瀬:必要となる調査や数値・結果の公表、周知など、項目ごとにアクションをまとめ、判定評価を上げるためにできる具体的な取り組みを「ネクストステップ」として提案しました。
久保:民間企業がサステナビリティレポートを公表するケースは最近よく見かけますが、自治体やDMOにおいて弟子屈町のように一般に公開することは珍しいと言えるでしょう。
木名瀬:また制作物など私自身が担えるアクションについては、「一緒に町の評価を上げてきましょう」とDMO(摩周湖観光協会)に提案し、その協力のもと実行することができました。たとえば、弟子屈町の観光ポータルサイト「弟子屈なび」で持続可能な観光地域づくりの取り組みを紹介させてもらったり、町内の無料給水ポイントをまとめたマップのポスターを発行してもらって町内の施設に掲示したり。▲使い捨てのプラスチックボトル削減を図るため、町内の給水ポイントをまとめてマイボトルの持参を呼びかけた
久保:自ら率先して動きつつ、独りよがりにならないよう地域との連携を図って町の成果に繋げていったのですね。2023年には国際認証団体グリーン・デスティネーションズが主催するコンペティション「Top 100 Stories 2023」にも見事選ばれましたが、それも木名瀬さんが一つ一つ課題をクリアにし、ポイントを積み重ねてきたことが反映された結果ではないでしょうか。
木名瀬:私だけの力ではなく、周囲の理解者や協力者の存在が大きいと思います。役場の方々とも二人三脚で、みんなで一丸になってやっていこうという土壌があるからこそできた取り組みは多いですね。
▲地域の人と対話することで暮らしを体感できるようなサステナブルツアーの開発も進める
サステナビリティ・コーディネーターとしての観点を観光振興計画にも反映
久保:政策立案という点では、2022年に施行された「弟子屈町観光振興計画」にも携わられていますね。
木名瀬:持続可能な観光地域づくりにおいて様々な取り組みを進めていく中で気づいたのが、「観光振興計画」のような、観光に関する町としての方針や基本計画を定めたものがないということでした。家で例えるなら、窓や階段などはできていて見た目はいい感じなのに、実は柱や基礎がないまま家づくりを進めてきた、みたいな。このままで事業を進めるのは非常に危ないだろうと、基軸となる計画を作る運びとなったんです。
久保:木名瀬さんはその中でどのような役割を担われたのですか?
木名瀬:主に施策の体系的な整理、そして計画書のライティングとデザインです。項目については町民ワークショップを開いてヒアリングしたり、専門家の知見を取り入れたりしながらみんなで協議をして練り上げ、それらをまとめて形にするところを担当しました。
久保:観光振興計画の中にも、豊かな自然や人々の暮らしを守り続ける「弟子屈町らしい持続可能な観光」が掲げられており、マネジメント、社会経済、文化、環境の持続可能性など国際基準に準拠した指標がしっかりと取り入れられていますね。
木名瀬:役場側にもGSTCトレーニングを受けた方がいたこともあり、GSTCの観点を取り入れるのは自然の流れでした。また、観光は地域住民が幸せになるための手段の1つであってほしいという思いから、すべてのアクションプランに「今日からできる町民アクション」を落とし込んだのが私なりのこだわりです。観光事業者のためだけではなく、地域住民にとっても「自分ごと」と感じてもらえるものにしたかったので。
久保:GSTCでの学びはもちろん、これまでの経験や活動があったからこその構成ですね。恒常的なものである自治体の観光振興計画に、サステナビリティ・コーディネーターとしての国際基準の観点を取り入れたことは、持続可能な観光地域づくりにおいても多大なる貢献だと思います。
官民連携によって生まれたサステナビリティ・コーディネーターのロールモデル
久保:私が知りうる限り、木名瀬さんは、望ましいサステナビリティ・コーディネーターのあり方を体現されている、国内では他にあまり例がない貴重なロールモデルです。サステナビリティ評価から政策立案・計画策定、そしてアクションプランの遂行まで一貫して実務を担い、またグリーン・デスティネーションズによる国際的な評価の獲得にも貢献しています。さらに重要な点は、独立した立場で、異動がない、つまり、プロフェッショナルな人材と言えるでしょう。
木名瀬さんが今、サステナビリティ・コーディネーターという職務の中で、大切にしている心構えなどなどはありますか?
木名瀬:私は以前から、座右の銘として「Think globally, Act locally(地球規模で考え、足元から行動しよう)」という考え方を大事にしてきました。しかし今、サステナビリティ・コーディネーターとして思うのはその逆で、「Think locally, Act globally(地域の経験を活かし、世界を変える)」だと感じています。いずれにせよ、自分の地域がよくあってほしいということには変わりませんが、この考えを継続していくことが使命であり、原動力だと思います。
▲一般社団法人サステナビリティ・コーディネーター協会(Japan Sustainability Coordinator Association:略称JaSCA)の業務執行理事も務める木名瀬佐奈枝氏
とはいえ、まだ弟子屈町民の間で十分に理解が浸透しているとは言えず、政策レベルでの改善に至っていない点も多々あります。誇れる町を目指すには、みんながさらに同じ方向を向く必要性があると思っています。
久保:将来的にサステナビリティの考え方が広く浸透し、特別な専門家がいなくても取り組みができるようになれば望ましいですね。しかし現在の過渡期では、その考えを広める役割の人が必要です。その伝道者となることも、サステナビリティ・コーディネーターのミッションの1つとして挙げられるでしょう。
弟子屈町は、木名瀬さんのように求めるピースにぴたっとはまる人材が見つかったことで取り組みを加速することができました。地域の中で発掘できたことは非常に素晴らしいことだと思います。
木名瀬:町のことが好きで、町のために動きたいと思っている人はどの地域にもいるのではないでしょうか。そういう人たちの声を聞く場作りをして耳を傾けることが、最初の一歩なのかなとは思います。
▲認定ガイドによる限定ツアー、アトサヌプリトレッキングツアー
久保:地域の人に限らずとも、広く関係人口を生み出せるような回路や外部人材を活用する制度を作ることで、何かきっかけが生まれるかもしれませんね。
弟子屈町で木名瀬さんのようなサステナビリティ・コーディネーターが活躍されている背景には、役場や関係者において、国際基準を取り入れた持続可能な観光への前向きな理解があったことが大きいと思います。持続可能な観光のような新しい考え方を取り入れようとすると、反発や摩擦が生じがちですが、弟子屈町は他の地域と比べて理解者や協力者が多かった印象があります。「てしかがえこまち推進協議会」による長年の活動によって素地が作り上げられていったことが要因だったのではないでしょうか。
「てしかがえこまち推進協議会」は、役場側にとっては木名瀬さんのような人材発掘の機能となり、また木名瀬さんにとっては観光を通じて町政へ参加する機会となりました。このような官民連携の組織体のあり方は、他の地域にも大きなヒントとなる事例だと思います。