インバウンドコラム
中東・アラブ地域初となるFIFAワールドカップ™が、2022年11月20日から12月18日までカタールで開催される。また、記憶に新しいところでは、2021年にはアラブ首長国連邦(UAE)でドバイ国際博覧会(2021年10月~2022年3月末)が開催されており、近年中東では様々な国際イベントを契機に、観光やインバウンド誘致にも積極的に取り組んでいる。今回は、カタール、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の3カ国に焦点を当てて、具体的にどのような取り組みをしているのかを紹介する。
▲カタールの首都ドーハ(提供:株式会社ジェイ・リンクス)
カタールの観光戦略
中東初開催、FIFAワールドカップを契機としたカタールのインバウンド戦略
カタール政府観光局によると、カタールの2019年のインバウンド旅行者数は約213万人だったが、同局が2014年に発表した「Qatar National Tourism Sector Strategy 2030」では2030年までにその数を600万人とし、GDPに占める観光産業の割合を発表当時の2.6%から5.1%まで引き上げることを目標としている。沿岸・砂漠、文化、ビジネスイベント、スポーツ、都会的で家族で楽しめるエンターテイメント、クルーズの6つの分野でカタールの魅力を訴求しようとしている。2021年には過去最大のグローバルマーケティングキャンペーン「Experience a World Beyond」に着手し、公式ウェブサイトとモバイルアプリを刷新した。また、首都ドーハのハマド国際空港は乗り継ぎ客が多いことから、デビッド・ベッカムを起用したストップオーバー(目的地までの経由地での短期滞在)キャンペーンを開始している。
FIFAワールドカップカタール2022(以下、ワールドカップ)は近年で最も重要な国際イベントとなっている。開催に先駆け、カタール観光局はカタール航空、Supreme Committee for Delivery & Legacy(ホスト国としてワールドカップの運営を担う目的で2011年に設立された組織)、国内のDMCと共に、アラビアン・トラベル・マーケット(アラブ首長国連邦)、ワールド・トラベル・マーケット(イギリス)、ITB(ドイツ・中国)など世界の旅行博に出展し、ワールドカップを中心としたプロモーションを行ってきた。
▲ワールドカップ一色となったカタールの街並み(提供:株式会社ジェイ・リンクス)
同時に、国内外でテレビをメインとしたATL広告を展開し、ワールドカップだけでなくカタールの観光資源の認知度向上を図っている。カタール政府観光局は、ワールドカップで世界のメディアが注目するこの機会を最大限利用し、ワールドカップに参加できない人々にもカタールについて知ってもらうことで、今後の訪問に繋げたいという意図を持っている。
▲ツーリズムEXPO会期中、サッカーで来場者に訴求したカタール航空のブース(提供:株式会社ジェイ・リンクス)
ワールドカップ期間中のカタール入国およびスタジアム入場にはハヤカード(Hayya Card)というファンIDが必要となる。申し込みには観戦チケットナンバーが必要になるが、特に費用はかからず、これがあれば国内の公共交通機関が無料で利用できる。「Hayya with Me」というプログラムでは、ハヤカード所持者1人につき3人までが観光チケットを持たずともゲストとして一緒に入国できる。(12歳以上は500カタールリヤル(約2万円)の費用が必要)期間中は毎日4万人が無料で参加できるFIFAファンフェスティバルをはじめ、世界的に有名なアーティストによるコンサート、「Welcome to Qatar」ショー、サッカー関連アクティビティなど様々なイベントが予定されている。
国土の狭さによる宿泊施設不足という課題にどう向き合うか?
ワールドカップでは120万人の旅行者が見込まれているが、国土の狭いカタールでは宿泊施設の数がネックとなっている。(カタールの面積は、秋田県と同じぐらい。AFP通信によれば2022年3月時点でわずか3万室)ホテル以外の宿泊先としてサービスアパートメントやクルーズ船、ファンビレッジという簡易宿泊施設も用意されているが、観戦者の多くはアラブ首長国連邦やサウジアラビアなど近隣諸国に宿泊することになる。
カタールでは新しいテーマパークやショッピングモールもオープンしているが、宿泊できないが故の滞在時間の短さは旅行者の行動範囲や消費額にも影響するだろう。2023年にはカタールでのAFCアジアカップの開催も決定しているが、幾分か改善されていることを願うばかりである。
サウジアラビアの観光戦略
2030年までに国内外で1億人の旅行者誘致を目指すサウジアラビア
これまでサウジアラビアへの入国はビザが必要で、商用ビザや巡礼ビザなど目的が限定されていたが、2019年より観光ビザが発給されるようになった。2020年2月にはサウジアラビア政府観光局が設立され、世界の観光産業の中心にサウジアラビアを位置づけるべく、世界から旅行業界のエキスパートが集められている。
脱石油依存と包括的経済発展のための成長戦略「サウジビジョン2030」においても、観光はその実現に寄与する重要事項の一つとなっている。世界銀行によるとサウジアラビアの2019年のインバウンド旅行者数は約2030万人だが、2030年には国内外合算で1億人の旅行者を獲得し、GDPに占める観光産業の割合を3%から10%まで引き上げることを目指している。
(提供:サウジアラビア政府観光局)
サウジアラビアはF1サウジアラビアグランプリ、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われるダカール・ラリー、ボクシングの世界戦、総合格闘技UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)など世界的スポーツイベントの招致にも力を入れており、eスポーツやゲームの国際大会の開催も増加している。
サウジアラビア政府は、北西部で開発・建設中の未来型巨大都市計画「NEOM」を推進しており、2026年に完成予定のスキーリゾートトロエナでは、2029年のアジア冬季競技大会が開催されることが決定し、2030年までに計4万5000室の宿泊施設の提供が予定されている。
▲サウジアラビア首都リヤドの夜(提供:サウジアラビア政府観光局)
ワールドカップの日帰り観戦需要に応える施策を展開するサウジアラビア
サウジアラビア政府観光局は2022年、UAEの都市ドバイを拠点とするエミレーツ航空と戦略的パートナーシップ協定を締結し、共同で観光プロモーションを行っていくことが発表された。これにより、首都リヤドやジェッダ以外に、NEOMや娯楽都市キディア、アル・ウラーの遺跡なども新たな旅行先として認知され、アクセスしやすくなると共に旅行者数も増加していくと思われる。
▲アル・ウラーの遺跡(提供:サウジアラビア政府観光局)
ワールドカップ期間中はFIFA公式スポンサーでありオフィシャルエアラインのカタール航空と提携しているサウディア(サウジアラビアの国営航空会社)が、サウジアラビアに宿泊しつつ日帰りでカタールに観戦に向かうチケット所持者のため、シャトル便(マッチデー・シャトル)を毎日40便、サウジアラビア代表の試合日は60便運航する。これを利用した誘客のため、サウジアラビアはチケット所持者へ申請料無料で60日間有効の数次ビザの発給を行い、観戦のついでのサウジアラビア観光を勧めている。旅行会社によるサッカーファンのためのスペシャルツアーの募集も行われている。
また、サウジアラビアの音楽エンターテインメント会社MDLBeastはドーハで「ARAVIA」という音楽フェスティバルを開催し、28日間のワールドカップ期間中毎日試合終了後に中東および世界で有名なアーティストやDJがライブを行う予定となっている。同社は自国でも200人以上のアーティストが参加する「SOUNDSTORM」を開催する。その他、スポーツとエンターテインメントの祭典リヤドシーズンや、サウジアラビア初の国際映画祭レッドシーフィルムフェスティバルなど、様々なイベントが同期間中に開催される。
アラブ首長国連邦(UAE)の観光戦略
万博を最大の機会と捉え大々的に観光客向けプロモーションを行ったドバイ
UAEのドバイで2021年10月から2022年3月まで開催されたドバイ国際博覧会(以下、ドバイ万博)はコロナ禍の開催であったにも関わらず、178カ国から2410万人が来場するイベントとなった。ドバイ経済観光庁によると、会期中に740万人が国外よりドバイを訪れ、2021年12月には世界銀行がドバイ経済のパンデミック以前のレベルへの回復を発表した。これにはドバイ万博が大きく寄与したと考えられている。
▲ドバイ万博(提供:株式会社ジェイ・リンクス)
ドバイ万博開催にあたり、UAE政府は早い段階から感染防止策を打ち出し、開催までに人口の8割以上が2回以上のワクチン接種を完了していた。2020年12月にはドバイ経済観光庁が「Dubai is open」というキャッチフレーズを謳い、ドバイを拠点とするエミレーツ航空と共にインバウンド再開のキャンペーンとドバイ万博のプロモーションを行った。UAEの中でもドバイはインバウンド誘客のためデジタル、ATL、BTL広告に多額の予算を費やしている。
ドバイ国際博覧会公社は国内外のプロモーションのため、世界からトップクラスの専門家を集め、ドバイ万博ツアーの造成および販売のため主要なインバウンドツアーオペレーターとパートナーシップを結んだ。また、国外の旅行事業者向けの専門のセールスチームを抱えていた。会期中はアリシア・キーズやクリスティアーノ・ロナウドなど世界的アーティストやスターを招致し、会場で楽しめるイベントを頻繁に開催した。こうしたイベント等の情報はメールマガジン(ドバイ万博の公式ウェブサイトおよびモバイルアプリへの登録時に入力するメールアドレス宛てに届く)でも提供され、それを見て何度も会場に足を運ぶ来場者も多かった。
ドバイ万博ではオフィシャルパートナーも誘客促進に貢献している。UAEの通信事業会社EtisalatはSIMカード購入者に、エミレーツ航空は航空券購入者に、ドバイ万博の入場券を無料で配布した(時期により1日入場券、マルチデーパス(30日間有効)、シーズンパスなど配布された種類は異なる)。また、エミレーツ航空はドバイフレームなど他の観光名所への無料入場券も期間限定で配布するなどした。
ドバイの宿泊施設では、試合観戦者専用の手厚いプランで旅行者に訴求
2022年11月からカタールで開催されるワールドカップ期間中には、UAEの格安航空会社でもマッチデー・シャトルを運航する。フライドバイは、ドバイ=ドーハ間を、エア・アラビアがシャルジャ=ドーハ間で運航する。サウジアラビアと同じく、アラブ首長国連邦もチケット所持者への数次ビザの発給を行い、90日間にわたり何度でも入国することができるようになる。期間中はUAE国内の様々な場所でパブリックビューイングなどの関連イベントが予定されており、ドバイではFIFAファンフェスティバルも開催される。
ホテルでの取り組みの例としては、2022年11月にオープンするドバイのホテルNH Dubai The Palmがドバイとドーハ両方での空港送迎、試合会場やイベント会場への送迎サービスが含まれた宿泊プランを販売している。
また、UAEの首都アブダビでは2021年に5回目のFIFAクラブワールドカップが開催され、合計で13万5000人以上を動員した。2022年11月18日から11月20日まではF1アブダビグランプリが開催され、一部ホテルの料金が通常時の10倍になるなど高騰している。サーキットのあるヤス・アイランドのホテルでは関連イベントの開催が予定されている。
▲世界最大の噴水ショー「ドバイ・ファウンテン」(提供:株式会社ジェイ・リンクス)
まとめ
中東各地域の取り組みから、日本は何を学べるか?
これらの国々は、一度やると決めてからのスピードがとにかく速い。前述のビザ発給要件の大幅な緩和のように、誘客のための大胆な取り組みが急に発表されることもある。昨年までカタールと国交断絶していたサウジアラビアやUAEが、今や同国のイベントでこれだけ関わり合っていることは日本人にとっては理解しづらいかも知れない。また、大規模な予算を投じた施策は参考にし難いかも知れないが、考え方ややり方で彼らに学べることは多々あると思う。
まず、彼らには目標を達成するという強い意志を感じる。ゴールを明確にし、達成するためのチーム作りと手段を考える。そのために人材は国内調達で済ませるのではなく、世界からエキスパートを集めてくる。日本では国内や近隣諸国と比較しての差別化の話を耳にすることが多いが、彼らはいきなり「世界一」「世界初」「世界トップ10入り」など世界を目指す。日本でも、現時点で実現可能か不可能かは一旦置いておいて、一度このように大きく考えてみるのも面白いかも知れない。実際、世界で見ると特殊であったり優れていたりするコンテンツが、日本ではそうだと認識されていないケースもまだまだある。
日本での大型国際イベントといえば、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が2025年4月13日から10月13日まで開催される。想定されている入場者数2800万人の内インバウンド旅行者が占める割合は350万人と約12%に留まるが、前述のサウジアラビアの旅行会社やドバイのホテルの取り組みなど、イベントを利用した特別ツアーやサービスの提供などで誘客および売上アップを図ることは可能だと思う。
▲ワールドカップ仕様になったドバイのスーパー(提供:株式会社ジェイ・リンクス)
また、例えば日本人向けにイタリア&フランス2カ国周遊旅行といったものがあるように、折角行くのであれば一度の旅行で複数国楽しみたいというニーズは中東を含め特に遠い国々からの旅行者にある。時には競合となり得るが、日本から飛行機で数時間の渡航範囲にある近隣諸国や地域とは、相互送客で協力するという道もあると思う。そして、カタールのワールドカップのように、近隣諸国でのイベント開催時に合わせての日本への立ち寄りの提案も、今後積極的にしていきたいところである。
株式会社ジェイ・リンクス 代表取締役 金馬(きんば)あゆみ
アルゼンチンでの日本語教師や帰国後の貿易商社での海外営業を経て、2008年に株式会社ジェイ・リンクスを設立。湾岸諸国を中心とした中東地域を主な対象とし、インバウンド事業、輸出事業、イベント事業などを手掛ける。近年は現地でのプロモーションや、現地ネットワークと現場の一次情報を生かした現地調査サポートおよびアドバイザリー業務なども行っている。