インバウンドコラム

自転車大国台湾のサイクルツーリズム、SNSによるコミュニティ、女性サイクリストを支援。日本が学べることは?

2024.05.10

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筆者は滋賀県大津市で日本の原風景を自転車で巡るサイクリングツアーの開催や、自治体や事業者へのサイクルツーリズムのコンサルティングや実際の造成への事業を行う株式会社ライダスの代表を務めている。

自転車の小売業の会社も経営しているため、台湾の自転車産業にも知人がおり、6年ほど前からたびたび台湾を訪れて観光サイクリングの可能性について意見交換をしてきた。2024年は3月にアジア最大の自転車ショー「台北サイクルショー」開催に合わせて訪台し、自転車産業関係者や旅行事業者と会談をしヒアリングを行った。

ここでは現地関係者と交流する中で見えてきた台湾のサイクリング事情、可能性について、日本での観光造成における自転車活用の現状と比較しながら考察する。


▲自転車産業の一大中心地となった台湾(桃園台北空港にて筆者撮影)

 

世界の自転車ビジネスの中心地、台湾

台湾は世界の自転車ビジネスの根幹をなす一大自転車生産国である。GDPの大部分を自転車産業が占めているという。「ジャイアント」「メリダ」といった自転車ブランドを目にしたことがあるだろう。こうした完成車メーカーの下には車体を組み立てるフレームメーカー、さまざまなパーツを生産供給するパーツメーカー、そしてそれらを自転車の形にして梱包し発送するアッセンブラーなどが傘をなすように存在し、一大産業構造を構築している。

実はこの産業構造は1990年代前半までは日本にあったものだ。日本にはかつて一大自転車産業が存在したのである。それが経済的合理性を失ったためなのか、急速に台湾に移転してしまった。台湾が自転車産業国になったのはそのころからで、今日までの約30年ぐらいである。

自転車生産国としては世界一になって久しい台湾だが、サイクリングがポピュラーになったのはここ15年ぐらいだという。日本では1980年代半ばから90年代ぐらいにかけてサイクリングが盛んになったことと比べると、台湾国内での広まりは最近始まったばかりといえる。


▲台北サイクルショーの様子。バイヤーやメーカーのためのインダストリーエキシビションである(筆者撮影)

 

台湾のサイクリング、コミュニティ主導で楽しみ方模索。日本との相違点は?

日本では1980年代後半ごろまでは、自転車を使って日本各地を巡るサイクリング、ツーリングなどレジャーの要素の多い乗り方が主流であったが、90年ぐらいを境に急激にレース志向に傾倒していく。90年代半ばにもなると、サイクリング、ツーリングというカテゴリーはサイクリングメディアから消え、忘れ去られてしまう。それが2017年になって自転車活用推進法が施行され、自転車を観光に活用する動きが現れた。

それ以降、しまなみ海道サイクリングルート(広島県・愛媛県)やビワイチ(滋賀県)に代表されるような、世界に誇れる「ナショナルサイクルルート」という制度を設け、国内外へのPRを始めた。団体旅行が発達している日本型サイクルツーリズムの造成である。定められたコースをスポーツ的に走りつつ観光するテーマパーク的なサイクリングのスタイルだ。


▲台北サイクルショーで、日本国内のナショナルサイクルルートを大々的に訴求していた(筆者撮影)

台湾も同様に、2000年代半ばまでは純粋にスポーツとして走行するレース系のサイクリストがほとんどであったという。それが2010年あたりから、SNSの広まりとともに情報発信の中心が変わる。それまでのメーカーや販売店が情報の中心であったところが、ユーザーが相互にコミュニティをつくりサイクリングの楽しみ方を模索するという形になったらしい。これはサイクリングだけでなく、また台湾に限ったことではないだろう。ただ台湾の場合はサイクリングの広まりとSNSの拡大が同時に起こったということだ。

では、台湾ではどのようなサイクリングがポピュラーなのだろうか。

よく耳にするのが「環島(ファンダオ)」という台湾を十数日間で一周するサイクリングツアーである。台湾のサイクリストであれば一度は一周したいという想いを抱くという。ほかにも急峻な山岳地帯が多い台湾では、富士山よりも標高の高い峠に向かいヒルクライムするコースなどが人気だという。

いずれもスポーツ寄りのスタイルだが、以前のように単に走りを楽しむだけではなく、観光の要素も加わり、景観地を訪れたりカフェに立ち寄ったりと、フリースタイルで楽しむ層が増えている。サイクリスト達はSNSを通じたコミュニティで走行会を開催したり、新たなライディングスタイルを模索するなど、ユーザーが中心となって発展を続けているという。


▲台湾一周の環島(ファンダオ)完走に向け台北市内でトレーニングライドするサイクリスト(筆者撮影)

 

自転車競技が中心の台湾と日本、観光型サイクリングの取り組みは?

現在、日本各地で地域探訪型サイクリングの開発が進められている。有名観光地や体験プログラムを自転車でカジュアルに巡るというもので、最も成功しているのは株式会社美ら地球の提供する「SATOYAMA EXPERIENCE」だろう。欧米豪のサイクリストは日本の原風景やキャンプライドを好むケースが多いし、一般観光客はこうしたカジュアルなサイクリングツアーに参加したりすることも多いだろう。

しかし他はどうだろうか。スポーツとしてのサイクリングはまずまずだが、観光としては現状はまだまだ発展途上であろう。

前述のとおり、日本ではスポーツ寄りのサイクリングが中心だったこともあって、かつては観光サイクリングというスタイルが存在していなかった。2017年の自転車活用推進法の施行と同時に全国各地で取り組みがはじまったものの、初期段階では自転車事業者やレース経験者による開発が行われた。そのため、観光といいつつも大勢が1日で一斉に同じ道を走るサイクリングイベントや、ビワイチなどに代表される統一されたコースを走るサイクリングが発展してきた。


▲台北サイクルショーで富山湾岸サイクリングコースを訴求。立山が屹立する姿を見ながらサイクリングできる風光明媚なコース(筆者撮影)

では台湾ではどうか。台湾でも観光地を巡るコミューターとしてサイクリングを行うことはあまり見られない。観光のために自転車を移動手段として使うというビジネスは発展していないのが実情だ。これも日本に極めて似ている。日本同様にまだまだスポーツ寄りのスタイルということだ。

ただ裏を返せば、現状の日本でのサイクルツーリズムの内容、つまりは多人数で走るサイクリングイベントや統一されたコースを走るスタイルは台湾のサイクリストにはワークする可能性が高いといえるだろう。地域探訪型サイクリングを好む欧米豪の訪日観光客へのアプローチとは別に、すでにポピュラーになっているスポーツ型のサイクリングに台湾からの誘客を行うことは理にかなっていると筆者は考える。

インバウンドサイクリングといっても国や地域によってスタイルが異なるのだ。

 

台湾に後れを取る日本の自転車専用レーン

次に自転車の走行環境についてレポートしたい。

日本は先進国の一員であるが、正直なところ自転車の道路環境に関してはあまり良いとはいえない。先進国ではまず、歩道の上で歩行者の脇を自転車がすり抜けていくという光景はほとんど見られない。歩道は歩行者のものとして確立されている。自転車は車道を走るが、その場合も可能な限り安全が確保されるだけの走行空間が保たれている。右折、左折も自動車同様にレーンチェンジできるのが普通だ。

日本の場合は自動車の通行を優先するために、自転車は二段階右折や歩道橋への押し上げなどをせねばならない。ドライバーが自転車を追い抜くときも、ほとんど速度を下げずギリギリのところを抜いていくことが多いし、マナーの悪いドライバーは先行車両である自転車に対しクラクションを鳴らすこともある。

こうした交通ハレーションはインバウンドサイクリストが日本の道路環境に不満を感じる要素のひとつだ。また道路利用種別の交通死亡事故のウェイトでは歩行者と自転車で50%を超えている。これは欧米諸外国にくらべはるかに悪い数字である。


▲トンネル内でも自動車が速度を落とさず追い抜きをかける日本の光景。壁面ギリギリを走行することも多い。(ナショナルサイクルルート太平洋岸自転車道にて筆者撮影)

対して台湾であるが、首都の台北市内や市街地は別として、郊外ではしっかりとしたバイクレーンが整備されている。日本のように自動車の車線は複数作りながら歩行者と自転車を歩道に押し込めるような形ではなく、専用のレーンを確保している。そもそも台湾では、戦時を想定して郊外では道路がかなり広くつくられているので、インフラ整備がやりやすいという。こうした余裕のある交通状況ではハレーションは起きにくいだろう。実際に台湾の郊外でサイクリングをしてみると、ドライバーから嫌がらせを受けたりクラクションを鳴らされるようなことは無かった。またモーターサイクルの数も多く、道路に日常的に二輪車が溢れているのもサイクリングに好影響を与えていると個人的に感じる。

日本でサイクルツーリズムを造成するうえでは、こうした道路環境の整備と、マナー啓発がまず持って必要である。


▲台湾では、このような幅広いバイク専用レーンが各地に存在する(張壽生氏撮影)

 

女性サイクリストを支援する台湾

日本のサイクリング愛好者は40〜60歳代が主流で高齢化しつつある。スポーツ用自転車は高価であり、可処分所得が増える年代からようやく楽しみ始める人が多いからだと考える。

対して台湾はサイクリングが一般化してまだ15年程度ということや、初期愛好者の2世たちがサイクリングを始めていることなどもあって、感度の高い若い世代が愛好している印象がある。ただし経済的にも上昇傾向であることも要因であろう、30歳代ぐらいからという印象だ。


▲台湾の「天空の道」瑞雙公路を不厭亭から望む。多くのサイクリストが山を登ってくる(筆者撮影)

日本との違いにおいて、今回注目したのが女性サイクリストである。世界最大の自転車メーカーである台湾のGIANT社は「Liv」という女性専門のブランドを立ち上げ、世界で人気を博している。Liv主催の女性限定のサイクリングイベントを開催するなど、サイクリングへの女性の進出を支援しているのだ。

また台湾のアパレルやアクセサリーのメーカーはこぞって直属の女子インフルエンサーを擁し、SNSでの広報活動を行っている。こうした取り組みにより、近年女性サイクリストが増加しつつあるという。

聞くところによると、数百名の参加者が集まる女性サイクリストだけのイベントなどが各地で開催され人気を博しているという。名古屋ウィメンズマラソンを想起する取り組みだ。

このような取り組みはサイクリングが持つ、シリアスでハードコアなイメージを少しずつ変化させ、レジャーとしてより親しみやすいものにしてくれるだろう。


▲数多くの女性サイクリストを見かけた。(基隆山近くの国道にて筆者撮影)

台湾といえばどうしても台北市内や九份といった日本人に人気の観光地が中心になってしまうが、サイクリングに関しては全く別のロケーションが目的地になる。自転車の街、台中市郊外にはたくさんのサイクリストが走っているし、南国のリゾート地の様相を見せる台湾最南端の墾丁(ケンティン)、風光明媚な農業風景が広がる東海岸に位置する台東は都会の喧騒を離れてゆっくりとサイクリングを楽しむことができる。実際に欧米のマルチデイサイクリングツアーなども行われているという。

自転車生産国として急成長し、サイクリングが一般化してまだほどない台湾であるが、その成長カーブと同じくしてさまざまなサイクリングの楽しみ方を広げてきている感がある。

とりわけ日本とのインフラの違いなどは羨ましい限りで、サイクルツーリズムとインバウンドサイクリングについて台湾から学ぶ要素はあるだろう。


▲台湾でのエスコーテドツアーの様子。ツアーについて商談した張氏のサイクリングツアー。欧米のサイクリストをアテンドすることが多いという。(張壽生氏撮影)

 

株式会社ライダス 代表取締役 井上 寿

地域探訪型サイクリングツアーの催行、プロフェッショナルなサイクリングガイドの養成、旅行業法に基づく旅行業、メディア事業、動画・静止画事業などを行う。持続可能な観光開発にも注力しており、一般社団法人 日本サステナブルサイクルツーリズム協議会の代表理事、一般社団法人JARTAの副代表を務める。
八重洲出版「旧街道じてんしゃ旅」シリーズ 執筆・撮影

取材協力:近藤克彦氏(DIA-COMPE TAIWAN CO.,LTD)、王子明氏(SPORTS LINE UK CO.,LTD)、張壽生氏(單車人傳媒有限公司)

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