インバウンド特集レポート
日本における民泊の始まりは、「ヤミ民泊」の横行でネガティブなイメージが先行してしまったが、新法施行によって地域が自らの手に民泊を取り戻す動きにつながるのだとしたら、評価すべきだろう。その意味では、今後注目されるべきは、本来あるべき姿に近い家主居住型(同居)民泊の可能性が広がったことではないだろうか。そこで今回は、家主居住型民泊ホストの3つのケースを紹介したい。彼らはいま何を考えているのだろうか。
Part1:民泊新法施行後、生まれ変わる日本の民泊とその現状
自宅併用のシェアハウス&民泊~此松家のケース
前回紹介した、アメリカ人ゲストを近所の銭湯に案内した此松武彦さんは、杉並区西荻窪にある自宅併用のシェアハウスを活用し、民泊を手がけている。此松家は2017年に建てた新築の自宅の2階で武彦さんと夫人のふたり暮らし。1階でシェアハウスを運営している。民泊を始めたのは、新法施行の今年6月15日から。
▲此松家の1階のシェアハウス
きっかけは「民泊をしている知人のお宅にうかがったとき、そのライフスタイルが楽しそうに感じたこと。さらに、金銭的なメリットがあるのを知ったから」だという。そこで新築の家を建てる段階から「自宅併用のシェアハウスを運営し、空いてしまうタイミングに民泊を差し込むようなイメージ」を考えていたという。
此松家では、当初から明確なプランがあったので、民泊のための新たな投資はほとんど必要なかった。シェアハウス用の部屋をそのまま民泊に使うので、インテリアや備品を新たに用意しなくていいからだ。
長期的な視野に立ち、無理なく民泊を運営している此松家だが、数年間かけた地道な情報収集があったからこそ実現できたという。
「ふたりでAirbnb主催の説明会に何度も参加して、国内外の民泊運営事例や住宅宿泊事業法など、法的なルールについて勉強しました」。さらに、そこで知り合った人たちと民泊の実践例を学ぶ勉強会を立ち上げ、自宅に関係者を招き、人的交流を積極的に広げていった。
こうして此松さんは本特集レポートでもおなじみのインバウンドライターとして活動しながら、インバウンドを実践する場として民泊運営をするようになった。
とはいえ、苦労や悩みはないのだろうか。
「基本、苦労と感じたことはありません。たとえば、ゲストが病気になって病院へ連れて行ったことはありますが、それを面倒と感じる人なら、民泊をやらない方がいい」ときっぱりいう。米国人ゲストを銭湯に案内しようと思うのも、そこに民泊の面白さややりがいを感じているからだ。
今後は「近隣の住民とゲストとの交流の機会を設けられると楽しい」と語る此松さんにとって、民泊は地域に生きる自分の人生をいかに楽しく有意義なものとするか、その日々の実践であり、かけがえのない手段のひとつといえそうだ。
地方に住む父を遠隔サポートする「実家民泊」~橋本朋絵さんのケース
高齢の親を持つ誰もが抱える実家問題。相続するか、それとも売るか、人に貸すか。でも、それ以外に方法はないのだろうか。
目黒区在住で、ご主人が経営する不動産会社を手伝う3児の母である橋本朋絵さん(31)の出身は、歩くとキュッと清々しい音がするほど美しい「鳴き砂」の浜がある鳥取市青谷町。会社を早期退職し、祖父母が営んでいた仕出し屋を引き続き、カフェ経営もしていた父親に民泊をやってはどうかと半ば強引に薦めたことが、「実家民泊」を始めたきっかけだ。2016年12月のことだった。現在は農家民宿での登録をしている。
彼女は仕事の関係で、民泊やAirbnbの最新事情を早くから知る機会があった。それでも、自分の親にやらせる以上、最初は書店で見つけた「民泊の始め方」のような本を読み、Airbnbの説明会に足を運び、ホストの人たちからアドバイスをもらいながら勉強したという。
最初にしたことは「部屋の写真撮影とゲストのためのガイドやルールブック作成すること」だった。教員をしている母は日中家にいないため、民泊の実質上の運営は父に任せ、自分は東京からゲストの集客を担当するという親子の役割分担と遠隔サポートがベースとなった。彼女には海外留学経験があり、英語が身近な存在だったことが原点だった。
始めてみると、いろいろ苦労も多かった。たとえば、Wi-Fiがないゲストとの待ち合わせだ。小さな漁村とはいえ、土地勘のないゲストと実家の間に入って、東京にいる彼女が連絡を取るのは難しかった。台風や大雪で公共交通機関が止まったときは、ゲストとのやり取りがさらに大変だった。
それでも、順調にゲストが訪れるようになったのは、民泊サイトに書き込んでくれたレビューの効果が高いと感じている。美しい海に恵まれた土地とはいえ、一般的な知名度は低いこの町に、多くの外国客が訪れてくれるのは、そこに魅力的な民泊の宿があったから。有名観光地でなくても、人気の民泊施設があれば、訪日客を呼び寄せることができることが実証されたといえよう。
▲「鳴き砂」の浜で知られる鳥取市青谷町の海水浴所
橋本さんの実家は昨年秋、地元のテレビ局で取材され、今年1月に放映された。父親が海外のゲストに囲まれている姿を映したテレビ映像を観ながら、彼女は努力が報われたこととともに、新たな思いを胸に抱いている。
「いまは実家と離れていますが、地元とゲストがもっと関わりあえるようなイベントを起こし、地方の町でも民泊を始める人を増やしていけるような空気をつくりたいと思うようになりました。地方の人口を増やすことは難しいけれど、交流人口が増えることで、地方が面白くなれば。そういうことに私も関われたらうれしい」と語る。
▲民泊を切り盛りする橋本さんの父親とゲストのスナップ
「実家民泊」から本業化につなげた~宗華さんのケース
橋本さんと同様、「実家民泊」から始めたものの、民泊を本業として拡大していくことに目覚めた人もいる。
中野区在住の宗華さん(35)は、現在旅館業と住宅宿泊事業、すなはち民泊を本業とする個人事業者だ。大学卒業後、ゲーム業界に勤めていたが、2016年夏頃から心身ともに体調を崩し、17年1月に退社した。
サラリーマン時代は会社のこと以外はあまり興味もなかったという彼は、家族を養うためにどうすればいいか大いに悩んだが、たまたま相談した不動産屋で民泊という選択肢があることを知り、始めてみようと考えたのがきっかけだという。
とはいえ、最初は民泊を始めるには何が必要で、どれだけお金をかければいいのかよくわからなかった。まずネットで民泊関連の法律や記事を調べ、保健所に電話で話を聞いた。当時は病み上がりで、説明会に行くなど表に出ることは一切していなかったという。
当初は中野区の自宅で始めることを検討したが、第一種低層住宅専用地域のため旅館業は不可能と知り、諦めた。特区民泊の大田区の事情も調べたが、当時は7泊8日以上の宿泊でないといけなかったので、需要が見込めないと考えた。
そこでたどり着いたのが、両親の住む千葉県船橋市の実家だった。築3年の木造2階建て、4LDKにふたりは住んでいた。用途地域が準工業地域なので、簡易宿所の登録が可能と考え、両親に相談したところ、最初は興味を持ってくれなかったが、頭を下げて2017年4月から始めることになった。施設名は、地域名にちなんで「日の出ハウス」とした。
▲2階には3部屋ある
当初から合法的に長く続けていきたかったので、旅館業の許可を取り、簡易宿所として親の住居スペースを除いた部分をすべて一組に貸し切る形で始めた。Airbnbのみで集客したが、最初は現在ほど多く予約は入らなかった。その後、Booking.comに掲載すると、予約が入るようになり、さらに2階にある3つの部屋を個室貸しに切り替えると、稼働率は高まった。
▲宗華さんが「実家民泊」を始めるまでのプロセス
実家は最寄り駅から徒歩25分と恵まれた立地ではなかったが、客層を調べると、なぜうまくいったか、理由が見えてきた。7割が日本人で、6割は東京ディズニーリゾートに遊びに行く人たちが宿泊先として利用していたのだった。
▲「日の出ハウス」の客層の分析結果
それ以外にもさまざまな宿泊客がいた。たとえば、東京や千葉への観光やビジネス出張、幕張メッセの出展者、なかには家の建て替えで約1ヵ月滞在した親子もいた。海外に長期で出かけるまでの数週間、滞在していく人もいた。千葉県ならではのニーズがあることが後からわかった。
両親は最初、「こんな(駅から遠い)場所には客は来ない」と言っていたそうだ。でも、実際に始めると、ゲストが次々訪れ始めたことから、今では前向きに捉え、やりがいを感じてくれていることが心強いという。「実際、日の出ハウスがうまくいったのも、両親の心のこもったもてなしがあったから」だと彼は喜んでいる。
「実家民泊」の成功で、彼は民泊を本業とすることを決意する。現在、船橋の実家に加え、中野区の自宅でも住宅宿泊事業法での民泊を始めている。夫人が中国語を使えるので、訪日中国人の集客が増えているという。さらに、千葉県横芝光町でも簡易宿所を始めた。今後は、船橋の元旅館の一軒家で貸切型民泊を立ち上げる。また友人と一緒に九十九里の元旅館を再生させる計画もあるという。
▲千葉県横芝光町で始めた簡易宿所でゲストの人たちと
数年前の苦悩がまるでウソのように充実した日々を送る彼は「民泊と出会うことで、ぼくの人生は変わりました。民泊という選択肢は十分に本業としても成り立つ業であること。民泊は楽しいことだということを知っていただきたい」と話す。
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