インバウンド特集レポート
今年も春節が近づいてきた。2018年には800万人超えした中国人観光客の訪日旅行シーンは、ますます多様化を見せている。近年注目されているのが、中国のキャッシュレスや越境ECなど、日本ではまだ普及していない新しい消費の形である。いま考えなければならないのは、中国客に「何を売るか」ではなく、「どのように売るか」。その新動向を追った。(執筆:中村正人)
年の瀬に入った昨年12月下旬の夜、ファッションビルの並ぶ銀座2丁目で、中国KOL(インフルエンサー)のライブ中継による越境ECが行われていた。
場所は、真珠から抽出した保湿成分を配合した化粧品で知られるミキモト コスメティックスの銀座オフィス。上海から訪れたコスメ専門のKOLのセーラームーンさんによるライブ中継の撮影は、中国との1時間の時差を考慮し、午後9時過ぎから始まった。
彼女は自分の目の前に動画撮影用のスマートフォン(以下、スマホ)を設置し、同社のハンドクリームや保湿美白パウダー「ムーンパール」などの実演販売を始めた。自ら製品を手に取り、その感触や使い心地、効果を、まるで親しい友人に語りかけるように、延々と説明し続けた。
中国在住の視聴者向けにリアルタイム販売
この中継をリアルタイムで見ているのは、中国在住の視聴者で、セーラームーンさんをファッションリーダーとして認めたファンたちだ。動画は中国の大手ECサイト「タオバオ」内の彼女のページに配信されている。約50万人のフォロワー数を誇る彼女は、昨年5回ほど日本でライブ中継を実施しているが、平均視聴者数は20万人を超えている。
▲視聴者はこのようにスマホの画面で彼女の動画を見ている

▲スマホでは動画と連動して商品購入のページを閲覧できる
その日も、最高視聴者数は20万7,767人。保湿美白パウダーを中心に10アイテム、230品がタオバオを通じて実況中に販売され、売上トータルは約150万円だった。
このライブ中継をセッティングしたJPクーパ合同会社の佐々木淳一代表によると「セーラームーンさんが積極的に推していた、中国人女性の好きな美白と季節柄、保湿をうたう商品が好評だった」という。
現場に立ち会ったミキモト コスメティックス海外営業部の御木本章彦マネージャーは「これまで弊社は訪問販売が主体だったが、これはお客様に実際に製品に触れてもらうことなく売るという正反対のやり方で、正直まだ戸惑いがある。でも、何回かやってみて、手応えは感じている」と話す。
テレフォンショッピングの進化形
今年も春節が近づいてきた(2019年は2月5日)。中国人観光客の訪日旅行シーンは多様化しており、以前のように「これが今年のトレンドだ、売れ筋だ」とひとことで言い表せないところがある。むしろ注目すべきは、中国ですでに広く普及しているキャッシュレス化や越境ECなどにみられる販売方法の新動向だろう。
今日の中国社会におけるモノの売り方や買い方は、日本の状況とはずいぶん違う面がある。それを物語るのが、セーラームーンさんのような存在だ。だとすれば、どんな商品が売れ筋で「何を売るべきか」を考えることも大事だが、いま中国で「どのように売られているか」という実態を知って、イメージをつかんでおく必要もあるだろう。
先にみた中国のECサイトと連動したライブ中継の動画配信によるリアルタイム販売は「ライブコマース」と呼ばれている。ひとことでいえば、テレビショッピングの進化形だ。日本では1970年代に始まった古い販売手法のひとつであるテレビショッピングでは、いまでも不特定多数の視聴者に向けて番組を制作し、電話で予約注文を受け付けている。だが、中国のライブコマースでは、番組制作も含めたコストをできる限り抑え、KOLによって絞り込まれたターゲットに対し商品をPRし、スマホ片手の消費者に即時販売できることが特徴だ。
このしくみを構築するには、日中の提携が必要となる。中国側は、セーラームーンさんのようなKOL約100名を束ねた上海のプロダクション。いわば、KOLのタレント事務所である。ファッションや化粧品など、それぞれ個別のジャンルを得意とする彼女たちは日々、各地に派遣され、ライブコマースを行っている。
▲簡易照明とスマホがあれば、どこでもできるのがライブコマース
一方、日本側は東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX編成局)である。同社は急成長する中国のEC市場に注目し、ネット時代に適応した新たなプラットフォームを開発した。
KOLが担保するブランドの信用
日本企業を相手に中国向けライブコマースの提案をしているJPクーパ合同会社の佐々木淳一代表によると「セーラームーンさんは、自分の認めた商品しかライブコマースをやらない。そうでなければ、ただの販売セールスと変わらなくなるからだ。ファンもそれでは彼女を信用しなくなる。ファッションリーダーである彼女が選んだブランドだからこそ、視聴者は食いつく」と語る。
セーラームーンさんは、驚くことに、約3時間もの間、精力的に商品PRを続けた。視聴者が飽きないように、ときに撮影用スマホを手にして立ち上がると、同社の商品が並ぶブースを自ら映し、解説したり、自分の手に実際にクリームを塗る姿を映像にして伝えることも忘れない。そんな彼女の姿や語りで、ブランドの信用は担保されるのだ。
▲左:撮影用スマホで製品を映すセーラームーンさん 右:製品を実際に使って見せることで視聴者に訴える

▲クリームを塗った手をスマホに近づけ、使い心地も説明する
興味深いのは、彼女たちKOLには基本的にライブコマースの出演ギャラはないという話だ。あくまで売上の一部をマージンとしてもらうことに徹しているという。それだけに、売上を上げようと説明にも力が入る。
ただし、語りの内容はあくまで中国の消費者向けであり、日本の消費者向けとは少し違うかもしれない。企業の用意したセールスポイントを代弁するわけではないのだ。そうでなければ中国では売れないのである。彼女は、通り一遍の商品解説をするのではなく、まるでラジオDJのように、日々の出来事を語り、女性同士でおしゃべりするように、さりげなく商品PRをしている。視聴者はその姿を見て、同じ女性として憧れと共感を抱いているのだ。
これはいかにも今日の中国らしい販売手法といえるだろう。日本ではまだ一般的ではないが、ここで我々が理解すべきは、このような親密なネット空間を通じて中国の消費マインドが生まれているというリアルな現実だ。
ネットの向こうにはどんな消費者がいるのだろうか。未知の消費者と日本企業をつないでくれるのが彼女たちKOLであり、「ライブコマース」という販売手法なのである。
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