インバウンド特集レポート
インバウンドの現場で労働力不足が叫ばれているが、外国人人材を活用する本来の意義はどこにあるのか。訪日客を送り出す海外の事情に精通し、戦略立案や制度設計に能力を発揮できるハイスペックな人材の登用にこそある。今回は小売業界とPR業界の最前線にいるおふたりの話を聞いてみた。彼らはいま何を考え、苦労しているのか。そこから我々が克服すべき課題が見えてくる。(執筆:中村正人)
2017年11月に施行された新たな外国人技能実習制度で、ホテルの清掃など、インバウンドの現場に関わる職種が拡大した。この制度は外国人を低賃金労働者としてのみ扱うことにつながるという批判の声もあるが、日本はもはや外国人人材の存在抜きにして社会を維持できないほど、背に腹は代えられない時代を迎えている。
そして、我々の周辺にはハイスペックな外国人人材がいることを知る必要がある。外国人を活用する本来の意義は、むしろそこにあるといっていい。なぜなら、いまの日本人が最も苦手とする市場の先見性や戦略の立案、制度設計に力を発揮してくれるからだ。
カギを握ったのは台湾出身の企画課長
そのひとりが、株式会社多慶屋、企画グループ営業企画課の馬躍原課長である。
多慶屋は東京・上野御徒町に7店舗を構える総合ディスカウントストアだ。食品や化粧品などの日用品をはじめ、家電や時計、ブランドバッグ、貴金属、インテリア、家具などを取り揃えた、1947年創業という老舗である。
同社は、今年9月、タイのQRコード決済導入の日本第一号店となった。2018年の訪日外客数6位ですでに100万人を超えているタイでは、日本と同様、QRコード決済の普及が始まっている。アセアン諸国では、シンガポールやベトナム、インドネシアでも同じ動きがみられており、その最初の受け皿となるのが多慶屋というわけだ。
実は、いまや全国の百貨店や量販店、免税店、ドラッグストアなどで広く導入されている中国QRコード決済のアリペイも、同社では日本で第一陣として導入されている。2015年11月のことだ。
なぜ、それらの先進的な取り組みがいち早く可能となったのか。カギを握ったのが馬課長だった。
台湾出身の彼が同社に入社したのは2000年4月。中国からの団体旅行が解禁となった、日本のインバウンド元年ともいえる年だ。つまり、この20年間の彼の社歴は、日本のインバウンド拡大の歴史と重なっている。
彼は入社後、まず家電売場の販売を担当した。
「2000年代前半は、まだ日本ではインバウンドは話題になっていませんでしたが、多慶屋には多くの外国人観光客が口コミを通じて訪れていました。台湾や韓国のお客様、東南アジアやアフリカなどの大使館関係者が家具や家電、絨毯などを、また帰国するときのおみやげを買いに来ていました。私は多言語のフロアガイドや指さし会話カードの作成など、受け入れ態勢の整備に努めました」
免税対応、銀聯カード、アリペイもいち早く導入
2005年、企画部に異動し、最初に彼が取り組んだのが、免税対応の導入だった。
「当時、大手百貨店を除き、免税を導入している小売店はほとんどありませんから、売場のスタッフの手間が増えたことで、現場との調整に苦労しました。いまのようなポスレジはなく、免税伝票に商品を1点ずつ書き出す必要があったからです。私は免税処理の効率化を図るため、社内の情報システム部門と、自前で半自動免税処理システムをつくりました。そこまでやったのは、外国人観光客が店を訪れていることを強く体感していたからです」
そして、「爆買い」という言葉が生まれた2008年、中国のキャッシュレス化の皮切りとなった銀聯カードの端末を導入。当時、多慶屋は現金主義だった。つまり、国内客に先んじて中国人観光客相手のカード対応を始めたのだ。
「なぜ国内客は使えないのに、銀聯カードを導入したかというと、数年前から中国の地方政府の関係者などの訪日視察ツアーが急増しており、大使館関係者らに知名度のあった当店で腕時計などの高額商品がよく売れていたからです。その後の国内客向けのカード端末導入につながりました」
そして、2015年、中国客の「爆買い」最盛期が訪れる。前述したように、多慶屋ではいち早くアリペイを導入した。
「きっかけは、2014年10月から食品や飲料、薬品、化粧品などの消耗品の免税制度がスタートしたことです。これら日本製品の品質の高さは中国人観光客の間で知られており、大量買いもすでに起きていたので、新しい決済方法でしたが、導入を決めました。他の大型量販店と違い、広告宣伝費を潤沢に使えない弊社としては、一号店となることで、中国のアリペイユーザーに注目されることがプロモーションにつながると考えました」
アリペイを導入することで、中国のユーザー向けにスマホのアプリでプロモーションを展開し、クーポンも配布できる。地元上野の美術館や動物園などの観光情報も届けられることから、「エリアとしての集客力が高まる」ことが期待されたという。
ところが、翌2016年、「爆買い」は突然終息する。
「中国政府の政策変更で、地方政府関係者の視察は減少し、『ぜいたく禁止令』やみやげものに対する関税強化が始まり、売れ筋が変わっていきました。越境ECの影響もあり、その頃から不安定な中国市場だけではなく、台湾やタイなど多様化を進め、底上げを図る必要が生まれました。それが今年9月のタイのQRコード決済導入の日本一号店につながったのです」
共感しながら仕事ができると楽しい
このように、馬課長は日本のインバウンドの動向を先取りする現場に長く身を置き、小売分野の最前線を先導した人材といっていい。なぜそれが可能となったのか。
彼は、理解ある日本人上司や経営陣のおかげだというが、自分と多慶屋の縁をこう話す。
「私が初めて多慶屋に来たのは、まだ台湾に住んでいた9歳のとき。家族旅行で東京に来て、日本の親戚に連れられて来ました。当時(1980年代半ば)、いいものが安く買えるディスカウントショップはまだ少なかったので、印象が強く残っています。学生時代の1990年代は、まだ日本にこれほど多くの外国人観光客が来るとは考えられなかったので、貿易を学び、入社後はまずバイヤーとして頑張りたいと考えていました。しかし、すぐにインバウンドの時代がやってきました」
彼は、いま多慶屋を訪れる外国人観光客の気持ちを子供の頃から理解していたのである。だからこそ、何が現場に求められているかをいち早く察知し、実行できたのだろう。企画部に所属するいまも、店が忙しければ売場に立つこともあると話す彼には、次のような自負がある。
「いま多慶屋には多くの外国人スタッフがいますが、私にできるのは、日本と海外の文化や価値観の違いの間に立てること。その違いを日本のスタッフに伝えられることで信頼を得られているとしたら、大きなやりがいです。そして、お互いに共感しながら、一緒に仕事ができるのが楽しいのです」
そんな彼が、最近気になることがあるという。
「幕張のIT展示会に行くと、この方面では日本は中国の周回遅れという印象です。日本製品は品質がすばらしいものが多いのに、プロモーションがうまくない。時代の変化に気づくのが遅れているからではないかと危惧します。価格を下げることばかりでは、生産力、ひいては国力を削ることになる。いい意味で、もっと心の扉を開き、新しい状況に向き合ってほしい」
彼のような外国人人材が懸念している日本の課題にどう向き合うか。我々にはそれが問われている。
後編では、観光向けPRこそ、日本をよく知り海外のニーズやトレンドを理解しているインバウンド人材に任せるべきとする、アイデアを紹介する。
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