インバウンド特集レポート
かつて寂れていたスペインのサンティアゴ巡礼路は、21世紀に入り、巡礼者が増えている。理由は「歩く旅」が世界的なトレンドになっているからだ。なぜ人々は街道へと旅立つのか。ひとりの巡礼者に話を聞いた。
前編:なぜ中山道の宿場町を訪れる欧米インバウンド客が増えたのか、世界的トレンド「歩く旅」の魅力を探る
1993年にユネスコの世界文化遺産に登録されたスペインのサンティアゴ巡礼(正式名「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道」)は、主にフランス各地からピレネー山脈を経由して、スペイン北部に通じ、キリスト教の三大聖地のひとつ、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路である。
▲スペイン北部のサンティアゴ巡礼路を歩く若者
十二使徒のひとりでスペインの守護聖人、聖ヤコブの墓があるとされ、1000年以上の歴史のある約800kmの街道は、20世紀に入ると巡礼者の数が減り、廃れていた。ところが、21世紀になると、右肩上がりで増えているという。しかも、キリスト教圏の人たちだけでなく、韓国や台湾などアジアの人たちも見かけるほど、巡礼者の国籍も多様化している。歩くだけでなく、自転車で巡礼路を走る人たちも現れたという。
▲サンティアゴ・デ・コンポステーラには世界中から巡礼者が集まる
※サンティアゴ巡礼者数の推移
1972年:67人⇒ 2002年:6万8952人⇒ 2012年:19万2488人⇒2018年:32万7328人⇒ 2021年(予想):46万4000人(出典:スペインガリシア州公認観光ガイド「オトラスペイン」)
「歩くことで人と出会う」
なぜ21世紀に入って巡礼者が増えたのだろうか。また、現代の巡礼者とはどのような人たちなのか。
フリー編集者の鈴木章弘さんは、これまでサンティアゴ巡礼に5回出かけたという。彼は自分が何度も巡礼を続ける理由について「巡礼路を歩くのが楽しいから」と話す。「なぜなら、歩くことで人と出会うから。歩くことには多くの効用があり、創造性を高めるにもっともシンプルで安上がりな方法といえる」という。
鈴木さんの旅の装備は、身の回りの品を入れたわずか4.7kgのバックパックと貴重品入りのショルダーバックだけだ。1日の歩行距離は日によって違うが、15~40km。使うお金も、宿泊代5~15ユーロ、食事・飲み物代10~30ユーロ(1ユーロ=約116円)。「歩くことが第一義の旅なので、必要最小限度の装備と費用で十分」なのだという。「これは自分が特別質素なのではなく、多くの巡礼者も同じ」らしい。
なぜ鈴木さんはこのような旅が「楽しい」というのだろう。彼はこう話す。
「現代の旅は、交通や宿のアレンジが基本的に必要で、何時までにどこに移動しなければならないなど、時間が縛られる。もし誰かと出会っても、時間通りに移動しなければならないなら、せっかくの出会いをふいにしなければならず、これほど残念なことはない。でも、歩く旅なら、急ぐ必要はない。それが巡礼の旅の醍醐味なのです」。
旅の本質は、人と出会うことにあり、それを実現する方法は「歩く旅」にあるというのだ。こうした思いは、現代の多くの巡礼者に共通するものだという。
予約なしで泊まれるスペインの巡礼宿
とはいえ、今日のサンティアゴ巡礼の事情を知らない人には、鈴木さんの話はなかなか理解しにくいかもしれない。彼はそれが「楽しい」理由について、こう話す。
「巡礼者はどのような場所に泊まっていると思いますか。サンティアゴ巡礼路には、彼らを支える宿泊システムがあります」。
鈴木さんの説明によると、スペインで「アルベルゲ」と呼ばれる巡礼宿の運営主体は、市町村や州政府など公的なものと修道院や教会、巡礼者協会、支援団体など、そして個人やNPO法人が経営するものがある。宿泊料金は2タイプあり、1泊5~15ユーロ程度に設定されている宿と、任意の寄付に頼るものもある。
一般に、巡礼宿は大部屋(2人から90人以上の場合も)で、男女の区別はない。宿泊には「クレデンシャル」と呼ばれる巡礼手帳が必要で、連泊は基本的にできないことになっている。
▲寄付で泊る公営の宿では、マットレスを敷いただけの部屋もある
これらの宿のルールとして、公営アルベルゲは予約不可で、早く着いた順に泊れる。朝8~10時までに出発しなければならない。「ホスピタレイロ」と呼ばれる管理人が常駐しているとは限らず、ボランティアスタッフであることも多い。また、寝具やタオルなどは自分で用意し、キッチンで自炊ができる。
一般のホテルとは違い、民営の場合も営利を主たる目的とはしておらず、宿泊側も「お客さま」という意識ではなく、「泊めさせてもらう」という意識が必要だ。世界中から集まる巡礼者との出会いと人間的な交流の場となっていることが、最大の特徴だという。
「スペインの巡礼宿は予約なしで泊れるから、道中で魅力的な人物と出会ったとき、別れを惜しむことなく、自由に旅程を変えることができる。これがどれほど価値のあることか」と鈴木さんは語る。
鈴木さんの話は「人はなぜ旅をするのか」という問いかけに対するひとつの回答といえるだろう。さらにいうと、日本を訪れる多くの外国人、とりわけ中山道の街道を歩くようなウォーカーたちは、実際にサンティアゴ巡礼の経験があるなしに関わらず、こうした旅の醍醐味を理解している人たちだというべきだろう。だとしたら、受け入れる側も、その意味を理解しておかないと、彼らをガッカリさせることになるのではないだろうか。
住人との語らいも旅の思い出
これまで「歩く旅」の魅力を旅人の側からみてきたが、街道沿いの住人にとってはどうだろう。鈴木さんはこう話す。
「その後、私は四国のお遍路も歩くようになりましたが、そこではスペイン同様、旅人同士の出会いがあるだけではなく、地元のご老人に声をかけられて、話す機会が増えました。彼らは道端に所在なく立っていたり、ぼんやり座り込んでいて、話しかけられるのを待っているようなのです。彼らはお遍路さんと話をしたいのだと思いました」。
お遍路や旧街道はたいてい過疎化の進む地方の町である。そこに現れる街道ウォーカーの存在は、地元の老人にとって大切な話し相手というのである。これは地域の活性化を目指すインバウンドの観点からみて貴重な出来事といえまいか。
実は、筆者も今回、同じような体験をした。馬籠峠を越える手前の街道で、ひとりのおばあさんに声をかけられたのだ。見ず知らずの自分に「コーヒーでも飲んでいきなさい」という。桃の節句の時期だったので、彼女の家にはきれいな雛飾りがあった。
そのとき、ふと思ったのは、先ほど追い越したカナダ人の夫婦のことだ。彼らに雛飾りを見せてあげてはどうか。しばらくすると、彼らが来たので、おばあさんの家に呼ぶことにした。彼らは雛飾りとおばあさんの写真を撮って喜んでいた。おばあさんもしばし自分語りを始め、筆者はそれを通訳した。
▲街道沿いに住むおばあさんと雛飾り
玄関から半身を出し、街道をじっと眺めていたおばあさんが望んでいたであろうことに自分なりに応えられてよかったと思ったものである。カナダ人夫婦にとっても、ひとつの思い出になったとしたら、うれしいものである。こうしたことが起こりうるのも「歩く旅」ならではの魅力と感じたのだった。
「歩く旅」を支えるシステムづくり
こうした「歩く旅」の魅力を広く伝えるために、街道ウォーカーのコミュニティ「みちびと」を設立したのが、街道コンシェルジュの渡辺マサヲさんだ。
彼はJICA職員として海外各地の地域コミュニティ開発や研修員受入れ、人材育成事業に携わってきたが、2004年頃から日本の旧街道を歩く旅を始めた。「これまで私は世界の途上国を訪れ、それなりに強烈な体験もしてきましたが、もっと本質的な旅をしてみたいと思うようになりました。それを突き詰めて考えると、歩く旅ということでした」。
中山道をはじめとした旧街道で「歩く旅」のプロデュースを始めた渡辺さんは「江戸時代のように、各地の街道を旅人が往来する光景を再現することが夢」と語っている。
外国人の街道ウォーカーが増えたことで、すでに馬籠と妻籠間の街道沿いに新しいサービスがいくつも誕生している。たとえば、休憩スポットにおけるWi-Fiコーナーや手荷物運搬サービスだ。案内所から案内所まで荷物を運んでもらうことで、身軽になって街道ウォークを楽しんでもらおうというものである。
右:Wi-Fiスポットでは街道で撮った写真をSNSで世界に発信できる 左:手荷物運搬サービス(Baggage Transfer Service)の告知(馬籠宿)
数百kmの道のりを数十日かけて歩くサンティアゴ巡礼とは同じではないけれど、中山道は歴史と自然を同時に体感できるという意味で、国内でも貴重な「歩く旅」を外国人観光客に提供できる観光インフラといえるだろう。こうした街道ウォーカーを支えるシステムづくりをさらに街道沿線に拡大していけないか。
▲古来人は歩いて旅をしてきた。その原点を体現する「歩く旅」
前述の鈴木さんは、
新型コロナウイルスの拡大で今年の日本のインバウンドは想像以上に大きな停滞を迫られるのだろう。だが、こういうときこそ、インバウンドの本質をふまえ、これまでのあり方を見直すいい機会ではないだろうか。
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