インバウンドコラム
土地の気候風土が生んだ食材、習慣、伝統、歴史などによって育まれた食を楽しみ、その土地の食文化に触れることを目的とした旅の形であるガストロノミーツーリズム。その中には、日本酒や焼酎、さらに泡盛、ワイン、ウィスキー、ビールを楽しむ旅も含まれている。観光立国推進基本計画では、酒蔵自体が観光化の取組を行い、国内の酒蔵(ワイナリー、ブルワリー等を含む)や観光資源等を巡って楽しむことのできる周遊・滞在型観光を「酒蔵ツーリズム」とし、ガストロノミーツーリズムと同様、インバウンド回復戦略の施策として掲げている。
日本酒は、奈良時代の「古事記」や「播磨国風土記」にも記述があるように、日本の食文化の歴史において、古くから定着しているものの一つである。最近では日本はもとより、世界でも日本酒の人気は高まっており、国産酒類の輸出額は2021年に1000億円を突破すると、2022年には1342億円とさらに増加した。また、旅行会社のアンケート調査によると、観光における酒蔵ツーリズムへの関心は非常に高く、日本でしか体験できない酒蔵やそれを育んだ各地域の歴史・伝統に興味を持つ人が多い。日本酒や焼酎などの醸造所を巡り、お酒を味わい、その土地ならではの郷土料理や伝統文化を楽しむ酒蔵ツーリズム、今回はその体験についてレポートする。
灘五郷を舞台に誕生、地域資源を活かした酒蔵ツーリズムの試み
兵庫県にある灘五郷の酒蔵の一つである「神戸酒心館」は、阪神・淡路大震災を機に観光にも視点を置き、観光客の積極的な受入れを行っている。今回はそこを舞台に、ガストロノミーツーリズム(酒蔵ツーリズム)を推進する事業で、酒蔵を活用した体験プログラムを創造した。
まず、「地域に内在するガストロノミー資源」を掘り起こすため、灘五郷にある26の酒蔵を訪れ、酒づくりに欠かせない米や水、酒造りの行程に大きな役割を果たす六甲おろし(六甲山から吹く冷たい風)の話を聞き、酒米の王様と呼ばれる山田錦の田んぼ、灘目の水車や川、今も受け継がれている菰樽づくりの現場など、普段は訪れないような場所を巡った。各蔵に併設されている資料館は歴史的・文化的価値の大きい文化財も多く、日本酒の歴史、伝統や技術を学ぶことができる。
▲山田錦のお酒の原料となるお米(筆者撮影)
「水」を軸に、酒造りのストーリーを学ぶ4時間半の体験プログラム
体験プログラムを創造するにあたり、私たちが注目したのは「水」だ。六甲山の麓は、美味しい酒造りに必要な気候・地形・土壌に恵まれており、良質な日本酒造りを可能にするために欠かせない「水」が灘の名酒を生み出してきた歴史がある。そこでまず、日本酒造りに重要な水、日本の水の特徴、日本の水と日本の食の関係を伝えることにした。
日本は4分の3が山や丘隆である特徴を持っており、年間の降水量が多く、山に降り注いだ雨は地下にしみ込んで湧水や地下水となる。また、日本は火山列島でもあり、浸透性の高い火山性の地層があちこちにみられ、地形が急峻であるため川の多くは急流で水が濁りにくく神饌な質を保ち、量も豊富で、田んぼでの米の栽培や日本酒をつくる条件が備わっている。
日本の水は軟水に区分されているが、地域によって水の硬度が違い、灘は、ミネラル分を多く含み、硬度の高い水で酒造りがされてきた。この「宮水」(当初「西宮の水」と呼ばれていたが、略されて今ではこう呼ばれている)で仕込まれたすっきりとした辛口の酒が、灘の男酒として親しまれてきた。
このプログラムでは、日本の豊かな水が、日本酒はもちろん、水をふんだんに使う日本食の発達を促してきた歴史的な背景の説明を受けながら、4時間半かけて棚田や田園を巡る。六甲山からは六甲おろしの風を感じ、灘五郷の酒蔵の町並みを見渡し、当時の酒造りを学ぶ。灘目の水車を見学した後は、神戸酒心館の酒蔵を訪問。さらに、酒造りを学び、体験したい方は、1日1組限定で、神戸酒心館での酒造りを体験できる。普段は入れない場所に入り、酒造りを身近で見学し、酒造りに触れることができる体験だ。訪日外国人旅行者にとって、とても興味深いものとなっている。
▲体験プログラムで訪れる清流と灘目の水車(筆者撮影)
蔵元の知識、杜氏の技術、こだわりを活かした日本酒ペアリングコース
水が日本の食の根底にあることを知っていただいた後、酒蔵に併設する日本料理店では、神戸ビーフや地元の新鮮で良質な食材をふんだんに使った会席料理と日本酒のペアリングのコースを提供する。
ペアリングメニューを考案する際は、蔵元の持つ知識や杜氏の技術、こだわりをふんだんに活かすことだ。日本酒のペアリングは7、5、3種より選択できるようにし、お酒が飲めない方には、ビネガーなどのノンアルコールを選択できるようにした。ペアリングのお酒には、ノーベル賞公式行事にも提供された神戸酒心館の福寿を選び、1日1組限定の日本酒ペアリングコースを用意した。
▲福寿ペアリングメニューの一例(福寿 大吟醸、福寿 超特撰 純米酒、福寿 蔵直採り 純米生酒、福寿 純米大吟醸、福寿 純米吟醸、蔵出しの酒 2種の計7種)
感銘を受けたのは、蔵元の持つ豊富な知識と、それぞれの料理に合う厳選された日本酒のアレンジ力だ。蔵元ならではのお酒のこだわりや製造方法を聞きながら地域の食とお酒を楽しむ時間は、旅行者にとって特別な思い出となる。
持続可能な観光に寄与する、酒蔵ツーリズムの可能性
酒蔵ツーリズムは日本特有の体験をできるという点で旅行者にとって大変魅力的だ。一方で、酒蔵だけで観光化の取組を行うには課題が多い。そもそも酒蔵は日本酒を生産するための蔵であり、観光目的に造られたものではない。創業から何百年もの間、その時代にあう酒を造り続けてきた。
私たちは、地域の酒蔵を理解し、地域で議論を重ね、酒蔵の観光化に取り組んでいく必要があるだろう。ガストロノミーツーリズム(酒蔵ツーリズム)は、持続可能性、地域の食文化保護、地域の経済発展に繋がるツーリズムとされている。一過性でなく、持続可能な酒蔵ツーリズムが日本各地に拡がることを期待する。
最後に、福井県の酒蔵「黒龍酒造」が、2022年立ち上げたブランド「ESHIKOTO」を紹介する。
▲ESHIKOTO(筆者撮影)
訪れてみると、目の前には九頭竜川のきれいな水が流れており、美しい景色や大自然を感じる。春には桜も咲くらしく、四季折々の季節を感じることができる場所だ。当主から、30年前から構想を練っていたと聞き、代々受け継がれてきた酒造りの伝統と技術を守りながら、新たな時代へ日本酒を伝え続けていく、強い思いを感じた。
世界に目を向けると、フランスのアルザスや、アメリカのナパなど、ワイナリーが観光化されており、ワイナリー自らが観光事業を手掛けている事例も増えてきた。黒龍酒造の当主も海外のワイナリーを訪れ、ESHIKOTOのブランドを構想したと話されていた。今後は、宿泊できるオーベルジュの開業も構想の一つだ、と。
観光で酒蔵を訪れた旅行客は、その酒蔵のお酒のファンになり、旅行を終えた後もその酒蔵のお酒を楽しむだろう。お酒や食にはその力があるから面白い。酒蔵の体験プログラム創造に関わり、改めて、酒蔵の可能性を感じるとともに、地域が酒蔵と共に考え、取り組んでいく必要性を感じている。
参考文献:(一社)日本ホテル教育センター(2015)「和食検定入門編」