インバウンドコラム

32回 今年訪日中国客が大幅回復した理由をどう見るべきか?

2014.08.28

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訪日中国客が大幅回復し、初の200万人台を突破しそうな勢いです。こんなに日中関係が悪いのに、なぜなのか。現地関係者の声を通じて、その背景や今後の予測、さらに日本のインバウンド関係者がこれから向き合っていかなければならないテーマは何かを考えます。

 

訪日中国客が大幅回復したといわれています。

日本政府観光局(JNTO)の最新リリースによると、今年1~7月の中国からの訪日客は約129万人で、前年同期比約90%増。特に7月は前年同月比101%増の約28万人という多さで、台湾、韓国を上回り、月間の訪日外国人数のトップに2年ぶりに返り咲きました。
この調子でいけば、今年は初の200万人台を突破しそうな勢いです。数値だけみると、昨年の反動による回復だけではなさそうです。

上海の日本総領事館の今年上半期(1~6月)の発給件数も、個人旅行ビザは前年同期比170%増といいます。団体旅行客から個人旅行客への移行が進むこうした動きは歓迎すべきでしょう。

 

航空便の増便と大型クルーズ船の寄港が背景

訪日中国客が増えた背景について、
JNTOは「航空便の増便やチャーター便の就航、大型クルーズ船の寄航」があったと報告しています。
7月18日に、中国発LCCの春秋航空の重慶、武漢、天津からの関空線が新規就航しましたし、昨年激減していた中国からの大型クルーズ客船も7月中、九州、沖縄などに17便寄航したそうです。一度に2000人規模の乗客を運ぶクルーズ客船がこれだけ寄航すれば、訪日中国客を押し上げるのも当然です。
今年5月に上海で開催された上海旅行博(WTF)の会場で、クルーズ客船を販売するブースが大盛況だったことを報告したことがありますが、実際にそのとおりになりました。

春秋航空は上海から茨城、高松、佐賀、関空の4路線に加え、重慶、武漢、天津から関空の3つが加わり7路線になった

もっとも、こういうニュースを聞くたびに、これだけ日中関係が悪化しているというのに、なぜ中国客は戻ってきたのだろうか?
どこか釈然としない人も多いのではないでしょうか。

中国ではいまでも政府主導で日本という国家を政敵とみなして批判・糾弾する動きが続いています。これは日本でも似たところがないとはいえませんが、PM2.5や食の不安などの理由もあって、中国を観光目的で訪ねる日本人は激減してしまいました。

それだけではありません。上海や北京などにいた駐在員もどんどん減っています。誰が強いたわけでもないのに、日本の中国離れは加速度的に進んでいるのです。

ところが、中国からの訪日観光客は増えている。いったいこれはどういうことでしょうか?

この7月、ぼくは中国の東北三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)を取材で訪ね、多くの現地旅行関係者と会う機会がありました。
約1か月かけて、大連、瀋陽、長春、ハルビンなどの省都にあたる主要な都市や地方都市を訪ねました。

今回は、現地旅行会社の関係者と交わした話を中心に、
訪日中国客が戻ってきた理由と中国の旅行マーケットの現状、
それについて彼らはどう考えているのか。
今後の予測はどうか、といった話をしようと思います。

 

「いつ安倍政権は変わりますか?」

面白いことに、今回会った中国の関係者から共通して聞かれる質問がありました。それはこうです。

「次の選挙はいつですか? いつ安倍政権は変わりますか?」

中国には選挙なんてないくせに……。
誰もが同じことを聞いてくるので苦笑してしまいました。要するに、日本人と長くビジネスをしてきた、いわゆる「親日的な」中国人の多くが、現在の日中関係の悪化は安倍政権のせいだと信じ込んでいるのです。
彼らは安倍政権さえ変われば、日中関係は良好になり、以前のように日本からの観光客も中国に戻ってくるのでは、と淡い期待を抱いているようです。

「どうでしょう……。たぶん多くの日本人は、お宅のリーダーこそ日中関係の破壊の張本人だと考えていると思いますよ」。

思わずそう口から出そうになるのですが、グッと抑えることにしました。政治に無力な彼らを必要以上に傷つけるのは忍びないからです。もちろん、相手によっては、そうはっきり言う場合もありましたけれど。

では、なぜ彼らはこのように考えてしまうのでしょうか。
それにはわけがあります。

中国在住の方はよくご存知だと思いますが、いまの政権が誕生して以降、テレビニュースに日本の安倍首相が登場する場合、首相の背後には必ず火を噴く戦車と空軍機が映されるのがお約束となっています。
日本のリーダーが好戦的であるというイメージを中国国民に刷り込ませたいのでしょう。

特定の政敵を設定し、相手が倒れるまで、あることないこと誹謗中傷を繰り返し、権力固めに利用するというのは、文革の頃に限らず、中国の建国以来の為政者の常套手段であることは広く知られています(こういうことは、それ以前にもなかったとはいいませんが、新政権後に顕著になったことは確かです)。

「いくらなんでも、これはやりすぎ」と、それを見た日本人なら誰でも思うことでしょう。

まったく一方的で洗練さを欠いた映像で、こんな素人レベルの内容を中国の国営放送が日夜流しているのを見るにつけ、呆れを通り越して絶望的な気分になります。
報道は「抗日ドラマ」じゃないんですから。

中国のメディア人たちは、「反日」なら大方のことが大目にみられると安易に考えているのか、本来は彼らだって持っているはずの良識やバランス感覚を欠いているとしか思えません。
こうしたプロパガンダ漬けのメディアに慣らされた(ゆえに、本来は疑り深い)一般の中国の人たちも「いつ安倍政権は変わりますか?」という問いが自然に発するようになっても仕方がないかもしれません。

 

訪日旅行の促進は日本への恩返し

こんな話をどうして長々としたかというと、日本と付き合ってきた中国の旅行関係者たちが、ここ数年、自分たちのビジネスに行き詰まりを感じていることと、日中関係の悪化を結びつけて考えているらしいことがよくわかったからです。
この問題に悩んでいるのは、我々日本側よりも、むしろ中国側なのです。

なぜ中国の旅行ビジネスはそんなにうまくいってないのか。

中国はもはや年間9000万人超という世界最大の海外旅行マーケットの国です。この夏、アフリカを訪ねた友人が中国人観光客だらけだったと言います。いまや世界中に彼らは足を伸ばしています。なにしろ規模が大きいので、どこに行っても目につくのが中国客です。

これで中国の旅行ビジネスが活況を呈していないというのは信じられません。

ある黒龍江省の地方都市の旅行関係者はこう説明してくれました。
「中国の旅行ビジネスが行き詰っている理由のひとつが政府の贅沢禁止令です。旅行会社にとって利益の大きかった公務員の視察や出張が減ったことが影響しています。街場のレストランやホテルも売上が減って困っています。国内の旅行市場も徐々に落ち込みつつあります」。

もともと中国の旅行会社が手がけてきた団体旅行は薄利多売のビジネスでしたから、この10年の激しいインフレで、いくら売り上げても収益の価値は下がるばかり。そのぶん、利益の大きい公務旅行で補てんしていたのですが、それができなくなった。海外旅行取扱者数がいくら増えても、不動産投資によって得られる莫大な経済的利益の拡大には比べようもなく、本業を続けるのがバカバカしくなるような気分が業界に蔓延しているようです。

今回会った旅行会社の社長の中にも、面会の約束をしているホテルにポルシェに乗って現れるような、いかにも成金タイプが何人かいました。
彼らの本業はいまや旅行ビジネスではなく、副業として始めた不動産投資とノンバンク業(いま話題のシャドーバンキングです)でした。彼らは日本から訪ねてきたぼくに言います。「日本の無人島を買いたいので、どこか紹介してもらえないか。島を買って別荘を建てたい金持ちが中国には多い。これは儲かりますよ」。

その社長の部下に話を聞くと、「彼は数年前にチャーター便利用のツアーで成功し、手に入れた資金で国内だけでなく海外にもいくつも別荘を所有している。しかし、オフィスはこのとおり、雑居ビルの一室で、いくら儲かっても社員の労働環境を良くしようとか、給料を上げることなど考えていない。おそらく中国で何か起これば、海外に逃げ出すだろう」と話していました。

社員はお見通しなのです。「彼は自分のことしか考えていない。国家や社会を良くしようとも思わない」。

こうした成金オーナーたちは、業界の健全な発展ということには関心がないようです。巷間伝え聞く中国経済の成長の減速は、当然旅行市場にも影響を与えていますから、まっとうに旅行業に取り組もうとしている人たちほど行き詰まりを感じざるを得ないのです。

もっとも、そのような人ばかりでないことも確かです。

今回、ぼくは東北三省の旅行会社10数社を訪ねて回りました。
上海や北京に比べて海外旅行市場の成熟度は遅れている東北三省ですが、最近は訪日旅行の取り扱いも少しずつ増えています。この地域の旅行業者の特徴は、1980年代から90年代にかけて、日本統治時代にこの地に住んでいた多くの日本人が“望郷”の旅と称して訪ねたので、その受け入れ、彼らの立場でいえば、インバウンド市場に大きく依存していました。しかし、2000年代に入り、この地に縁のあった日本人も高齢化し、渡航者は急速に減ってしまいました。

それに代わるものとして期待されたのが訪日旅行市場でした。

吉林省長春市の長白山国際旅行社の車作寛副社長は言います。
「私はこれまで旅行業者として29年間働いてきましたが、最初の23年は日本からの旅行者をお客様として受け入れてきました。しかし、最近の6年間は中国人の訪日旅行がメインのビジネスとなっています。この大きな変化について、私はこう考えています。これまで長く日本の方が中国に来て儲けさせていただいたので、これからはそのご恩返しと思って、日本にお客さんを送るつもりです」。

長白山国際旅行社のスタッフの皆さん

車副社長のいう6年前とは、北京オリンピックの開催された2008年です。中国は国土が広いため、経済発展に地域差がありますが、2008年前後に中国の旅行マーケットのインバウンド(外国人の中国旅行)からアウトバウンド(中国人の海外旅行)への市場の逆転が起こっていたのです。

 

中国から見れば訪日客はまだ少なすぎる!?

では彼らはいまの訪日旅行市場をどう見ているのでしょうか。

一般に海外旅行の動向は、近場の市場と遠距離の市場に分けて考える必要があります。中国では、東アジアやアセアン諸国、オーストラリアくらいまでが前者で、欧米やアフリカが後者になります。
数でいえば圧倒的に近場の市場が大きいですが、この5年くらいで急伸したのが遠距離の市場。
10年前には存在しなかった市場が出現したことから、欧米をはじめ世界で注目を浴びたわけですが、問題は日本も含めた近場の市場の最近の動向です。

今年に入ってマレーシア航空の事故や南シナ海の領有問題など政治的な問題があり、東南アジア方面の渡航者が減少傾向にあります。昨年目立った伸びを見せたタイも、チェンマイのような観光地で中国客に対する反発が出てきたことから、去年ほどの勢いはないし、オーストラリアとの関係も微妙になっています。
そのぶん、韓国だけが増えているのですが、こうした近場の市場の地域別の増減のバランスが影響して、数少ない選択肢となった日本が結果的に増えているのです。

ところが、大連の旅行関係者は言います。
「もし日中関係が良好なら、いまの2倍は日本に行ってもおかしくない。まだまだ少なすぎる。本来はこんなものではないが、多くの中国人はまだ政府に遠慮しています」

一見訪日中国客は増えているように見えるけれど、実際には政治的な理由でまだ相当抑制されているのが実際のところだというのです。

中国人の海外旅行時代の本格的な幕開けとなった2008年以降、今日に至る6年間、日中間には実にいろいろなことがありましたから、その意味は我々にも理解できます。

日本でにわかに訪日中国客に対する期待に火がついたのは08年でした。それが空前の盛り上がりを見せたのが、上海万博のあった2010年でしょう。
ところが、その年の9月に尖閣諸島沖漁船衝突事件が起きました。8月頃から徐々に反日デモが起き始めていたのですが、9月に入ってこの事件を機にデモがヒートアップしました。

翌11年3月、東日本大震災が起きます。新政権では未だに日中首脳会談すら開かれていないことを思うと不思議な気さえしますが、その年温家宝首相が来日し、被災地を訪ねています。ところが、12年9月に尖閣問題が再発しました。

よくまあこれだけのことが起きたものです。その間、訪日中国人数はアップダウンを繰り返しました。そして、今年の大幅回復です。

これまでのことを思えば、今後何が起こるかわからない……。
仕事や人生が常に政治に翻弄されることに慣れている中国の人たちとは違い、ある意味潔癖な日本人の記憶にチャイナリスクはしっかりと刻まれてしまいました。

それでも東北三省の旅行関係者らは、他の中国の地域に比べて歴史的にも日本と縁があるぶん、訪日旅行市場の拡大に全力を挙げて取り組みたいと考えていました。
しかし、政治の影響で、当初の期待どおり市場が伸びていないと感じています。彼らがよく知る80年代、90年代のような日中関係であれば、こんなはずはないのに……。
それが残念でたまらないのです。

 

この程度で留まるのが日本には好都合!?

上海に舞台を移すと、話は少し変わってきます。
一般に中国人は南に行くほど政治の影響を受けにくいといわれますが、結局のところ、今夏の訪日中国人数を押し上げたのは、冒頭に挙げた大型クルーズ客船や春秋航空などの日本路線の拡充によるもので、上海とその周辺(一部重慶や武漢などの内陸も含まれますが)の市場の動きが大きかったのです。

春秋航空(佐賀空港にて)

繰り返しますが、今年仮に200万人超の中国客が日本を訪れたとしても、中国の海外旅行市場のポテンシャルからすれば、本来の実力の半分にも満たない数字だと中国側の関係者は考えています。確かに、昨年韓国に約400万人の中国客が訪れたことを思えば、日本にはもっと訪れてもいいはずだ。そう考えるのも当然です。

ところが、これは皮肉な言い方になりますが、日本にとって訪日中国人数がこの程度に留まっているのは、むしろ好都合なのかもしれないのです。日本の外客受け入れ態勢は構造的な問題を抱えているからです。端的にいえば、外客向けの観光バスやホテルの客室不足です。

昨夏と今春、ツアーの予約を申し込みながら日本行きを断念したアジア客が続出したことから、今夏外客の手配を行う日本のランドオペレーターの多くは、アジアからの訪日旅行者の受注を抑える傾向にあったと聞きます。

今春のような混乱は避けたかったからです。

つまり、日本に旅行に行きたいという海外客が多くいるのに、現場ではお断りをしているのが現状なのです。

さらに今年は消費税アップや国交省の指導によるバス料金の改定、客室不足によるホテル代金の上昇なども重なり、旅行費用に関して円安効果の相殺以上の値上がりが考えられるため、秋以降の訪日客数は鈍化する可能性もありそうです。

こうした状況で、中国客が本来の実力どおり日本を訪れるようなことになったら、日本の外客受け入れ態勢は文字通りパンクして立ち行かなくなるでしょう。だとすれば、この程度の数に留まっているうちに、インバウンドのためのインフラ整備や制度設計を始めるべきではないでしょうか。

あるインバウンド関係者は言います。
「今後本腰入れてインバウンド観光に推進するのであれば、海外へのプロモーション一辺倒のあり方や国内のインフラ整備の具体的な方向性について行政や関係省庁、メディアにももっと考えてもらわなければならない時代になったと思います」。

まったく同感です。いまは、そのターニングポイントに来ていると思います。

これまでぼくは本コラムにおいて、海外の訪日旅行客の送り出し側の事情を中心に、国内外のあちこちを訪ね、話を聞いてきました。今後は、テーマを国内の外客受け入れに関するインフラ整備の問題にシフトし、少しずつ周辺事情を探っていこうと考えています。

※中村正人のコラム「ニッポンのインバウンド観察日誌」は今回が最終回となります。

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