インバウンドコラム
今年も春節がやってきました。関係者によると、昨年の震災前の頃の勢いはないけれど、中国人団体ツアー客は少しずつ戻ってきているようです。
しかし、こうしたことで一喜一憂していても仕方がないことを、我々はこの数年間で学んだのではないでしょうか。
これまで書いてきたように、中国の消費者から見て日本はすでに激安ツアー圏とみなされています。2000年の中国団体観光ビザの解禁からわずか2年後には、ツアー料金が半値以下に急落し、本来は国内手配業者として中国客の受け入れを担うはずだった日本の旅行会社がいっせいに手を引いたことで、在日中国系の業者が訪日市場を引き受けることになり、これ以降、日本のビジネス慣行ではなく、中国式の慣行がまかり通ることになります。その結果、日本のサプライヤー(ホテルや交通、飲食、小売業者など)はただ受身のまま、際限のないディスカウント攻勢にさらされ、デフレの底流に引きずり込まれていく……。
実態面でみると、これが日本のインバウンドの「奪われた10年」の実像だった気がします。ただ、それがこの10年の総括だとしたら、少々被害妄想的すぎるとも思います。いまとなっては、日本のインバウンドが盛り上がらない理由をすべて震災のせいにできてしまうところがありますが、こうした事態を招いたのは、我々の側に落ち度があったのではないか。そのツケをいま支払わされているのでは……。あらためて日本の内なる問題について考えてみなければならないと思います。
「13億の市場」の福音と思考停止
ではそのツケとは何か。結論から先に言ってしまうと、以下の3つだとぼくは考えています。
①中国の消費者の実像をしっかり見ようとしなかったことのツケ
②アジア客を相手にするのは面倒だと考えたことのツケ
③プロモーションばかりでルールづくりを後回しにしたツケ
まず、①の「中国の消費者の実像をしっかり見ようとしなかったことのツケ」から考えてみましょう。この点は、特にここ数年中国インバウンド市場に参入してきた観光産業以外の関係者に言えることだろうと思います。
訪日中国人旅行市場が大きく注目されるという意味で、日本のインバウンドがひとつの転機を迎えるのが2007年です。反日デモをはじめ日中関係の悪化が取りざたされることの多かった小泉政権が終わった翌年、訪日中国人渡航者数が90万人を超え、初めてアメリカからの訪日客を上回る第三の市場となります(ちなみにその年1位は韓国、2位は台湾。2010年には台湾を抜き、第二の市場に)。
前述したように、すでにこの時期中国人の日本ツアーの価格破壊は完了していました。ところが、観光産業とは縁のなかった業界関係者の多くは、あるいは日本の経済界と大くくりにいってしまってかまわないと思いますが、北京オリンピック開幕に向けて邁進する中国「13億人の市場」に対する過剰反応を見せてしまうことになります。その引き金となるのが、以下のようなもの言いです。
「13億人もの人口を抱える中国では、経済成長に伴う出国率の上昇が与える量的インパクトは他の国とは桁違いに大きい」(三菱東京UFJ銀行「経済レビュー」2010年6月18日「拡大が予想される中国人観光客とわが国経済への好影響」)
今日の中国の1人当たりのドル換算のGDPが日本の1970年代前半の水準と同じであり、出国率に至っては日本の70年代後半の水準ということから、中国がこのまま日本と同じような成長を続けると「桁違い」の量的インパクトがある――。
確かにこれだけ聞くと、中国インバウンドに対する期待値がいやおうなく高まってしまったのも無理はありません。こうした福音にも似たエコノミストの時評に呼応するように、マスコミの中国客”爆買い”報道が続いたことも後押ししたでしょう。
しかし、あらためて言うまでもありませんが、こうしたレポートでは、インパクトは「桁外れ」と推測するものの、中国の消費者の実像についてはほとんど触れられていません。あるのは「13億の市場」という共同幻想への誘い、とでも言うべきものではないか。
思うに、13億という量的スケールは我々日本人の把握可能な限界を超えていたということかもしれません。超えていたからこそ、「信じる者は救われる」ではないですが、共同幻想に浸ってしまった。その結果、本来であれば一つひとつ手順をふんで物事を積み上げていくことの好きな日本人が、広大すぎる新興国の未開拓市場のどこから手を付ければいいのか、茫漠とした気分に襲われてしまい、実情にまっすぐ向き合うことを最初から諦めてしまった面があるのではないか。
もちろん、そうではないという人たちもいるでしょうが、たいてい自分にとって都合のいい面しか見ようとしない傾向が感じられます。そうこうするうちに、2011年からの中国不動産市場の調整問題や輸出の陰りで、またぞろ「中国崩壊論」がにぎやかしくなることが予測されます。こちらは逆に悪い面だけしか見ようとしない。ともに思考停止といわざるを得ないと思います。
欧米客ならいいけど、アジア客は受け入れたくない
一方、観光産業の関係者、特に手配業者としての旅行業界はこの10年、どうしていたのでしょうか。インバウンドにとって本来要となるべき業界の関係者が、訪日中国客の国内手配ビジネスを在日中国系業者に手渡すことをただ見過ごすだけだったのでしょうか。
この点を考えるうえで、中国人の訪日団体旅行が解禁となった2000年という年について振り返る必要がありそうです。
実は、この年、日本人の海外旅行者数が過去最高の1781万人になります(この数字は、以後一度も抜かれていません)。バブル経済のピークだった1990年に1000万人を初めて超えた海外旅行者数は、崩壊後も10年間、伸び続けました。2001年の米国同時多発テロや03年のSARSなど、次々と海外旅行手控え要因が頻発する2000年代についに海外旅行マーケットの頭打ちの時代を迎えるわけですが、少なくとも2000年という段階で、日本の旅行業界の関係者がまだ先の見えない中国インバウンド市場より、アウトバウンドに賭けたいと考えていたのは当然ともいえます。
だから仕方がなかったと弁護するつもりはありませんが、日本の旅行業界の関係者は
「欧米客ならいいけど、アジア客の受け入れは儲からないからやりたくない」
と本音レベルでは考えていたことは確かでしょう。つまり、中国インバウンドの主導権を在日中国系に握られてしまった背景には、中国の旅行業者と日本のサプライヤーの橋渡しをし、日本のルールに乗せて運用する手配業者としての役割を担うべき日本の旅行業界が②の「アジア客を相手にするのは面倒だと考えたことのツケ」にあるといえます。本来中国側と向き合うべき業界の腰が引けていたから「奪われた10年」になってしまったといえるわけです。
もっとも、彼らだけを責められないのは、2000年当時どれだけの日本人が外国人観光客の受け入れを待望していたのか、ということです。
たとえば、2007年頃の少し古いデータですが、日本の宿泊関係者らに対するJNTOのアンケート調査で「外国人の宿泊を歓迎しない」という回答が7割を占めたという、ちょっと驚くべき数字があります。もし外客を受け入れずにすむのであれば、そのほうがいいというのは、やはり日本の観光産業の関係者の本音ではないかといまでも思います。
ですから、ぼくは「アジア客を相手にするのは面倒だ」と考えるなんて間違っている、などと優等生みたいなことを言う気はありません。でも、日本人は本当に外客嫌いなのでしょうか。それを考えるうえで、少しインバウンドにまつわる歴史的な話をしてみたいと思います。
明治以降の日本は、実は3度のインバウンド振興の時代を経験しています。それぞれの背景はだいたい以下のようなものです。
第一次:1930年代 世界恐慌後の外貨獲得が目的
第二次:1950~60年代 戦後の経済復興。東京オリンピック開幕に向けて
第三次:2000年代 「失われた10年」と日本経済の地盤沈下。リーマンショック後の世界同時不況
それぞれ類似点と相違点があります。まず類似点は、第一次と第三次が国策として明確に進められたこと(第二次は国策としての位置付けはなくても、戦後復興の文脈で捉えられるでしょう)。第一次では1930年に鉄道省の下に観光局を設置。主に国内山岳リゾートに西洋式ホテルを建設し、欧米客誘致を図りました。第三次では2003年に官民を挙げた訪日旅行プロモーションとしてビジット・ジャパン・キャンペーンがスタート。08年に国土交通省の下に観光庁を発足させています。ともに世界経済の退潮期に重なっているのが共通しています。
相違点は第一次、二次の誘致の対象が欧米客であるのに対し、第三次はアジア客、すなわち新興国市場であること。実際、2010年度の訪日外客のうちアジア系は4分の3を占めます。アジア経済の成長によりグローバルな観光人口が拡大していることが背景にあります。
つまり、歴史的にみても日本は欧米客の受け入れは慣れていても、アジア客の本格的受け入れは初めての経験ですから、彼らをお客さんとしてどう扱うべきかわからない。これが日本のインバウンド振興がうまくいかないもうひとつの理由といえるのです。誰だって成功体験のないことにチャレンジするのは簡単ではないからです。
自分たちと同じような所得を持つ成熟した先進国の消費者を観光客として受け入れるのはそれなりにたやすいですが、成長途上にある国々の消費者が相手では勝手が違って思うほどうまくいかないのは確かでしょう。インバウンドに取り組むうえで、こうした歴史感や自覚を持つことは基本認識として必要ではないかと思います。
プロモーションだけでは健全な市場は生まれない
ご理解いただいているとは思いますが、当連載においてぼくは「奪われた10年」の犯人探しをしているつもりはありません。そんなことより、この状況を少しでも変えていくための実態の理解や知見を獲得していくことのほうが重要だと考えています。
しかし、③の「プロモーションばかりでルールづくりを後回しにしたツケ」については、強く警鐘を鳴らしたいと考えています。なぜなら、これまで述べたとおり、「奪われた10年」の背景には、新興国市場に取り組む難しさや民間ビジネス関係者の思感違いなど、やむを得ない面が多々あったと思いますが、こと日中間に関わるインバウンドビジネスの運用上のルールづくりの面が現実の動きに追いついていないことは誰の目にも明らかだからです。
これは日本のインバウンド振興を推進する観光庁のあり方に関係することですが、各国の旅行マーケットの分析や国内向けの啓蒙活動、日本観光の対外プロモーションにおいて、さまざまな取り組みがなされていることは事実だとしても、ぼくがこの連載で扱ってきたようなツアーの現場で起きている問題については、ほったらかしとまでは言いませんが、現状追認の姿勢がすぎると思います。マーケティングとプロモーションだけでは、健全なインバウンド市場は生まれないことをいちばんよく知っている立場のはずなのに、ビジネスの現場に深入りすることを避けているように見えます。
それが端的に現れるのが、ガイドの問題です。この問題は、そんなに単純に白黒つけられない事情もあるため、次回以降、③の「プロモーションばかりでルールづくりを後回したしたツケ」という観点からじっくり考えていきたいと思います。
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