インバウンドコラム
私は2021年より「観光バリューアップ実践会」を主宰しています。同会は宿泊業、旅行業、体験事業者など広く観光分野に携わる経営者のみなさんに向け、主にオンラインで「学び」と「実践」の場を提供するものです。
その内容は大きく分けて「勉強会」「音声コンテンツ」「事例レポート」「グループコンサルティング」の4つになります。
本稿では、そのなかでも参加者から好評をいただく「勉強会」において、外部講師としてお招きした株式会社いせん代表取締役・井口智裕氏の回の一部を特別にご紹介します。
テレビや講演会で引っ張りだこの井口智裕氏
井口氏は、テレビ東京『ガイアの夜明け』や『カンブリア宮殿』などでクローズアップされた2軒の宿、越後湯沢「HATAGO井仙」と六日町温泉「ryugon」の経営者であり、3県7市町村(魚沼市、南魚沼市、湯沢町、十日町市、津南町、みなかみ町、栄村)にまたがる日本版DMOの草分け的存在である「一般社団法人雪国観光圏」の代表理事として活躍されています。
第13回観光庁長官表彰(2021年)の受賞者でもある井口氏からお聞きしたのは、同氏が「普段はほとんど話すことがない」と語る〈1人の経営者としていかに事業を行ってきたのか〉、そして〈なぜ1つの事業者でしかなかった自分が地域づくりに取り組んできたのか〉ということです。
このうち特に後者は、多くの事業者が抱える〝ジレンマ〟ではないでしょうか。たとえば温泉旅館の場合、地域づくりを通じてエリアの魅力を高めるべきだと言われても、事業としては食事も土産も夜の宴会も囲い込むほど利益が増えていくため、経営的な意義が見出しづらいというジレンマです。
井口氏が考える「事業者が地域づくりに携わるべき理由」とは?
井口氏は、そうしたジレンマに対する1つの解を以下のように示してくれました。
- かつての温泉旅館のビジネスモデルというのは、旅行会社から、ダンピング(値引き)されながら、なんとかお客様や団体ツアーを引っ張ってくるものだった。そうなると、宿で損をしても、物販やスナックなどの付帯売上でしっかり稼ごうとする。
- そうなると、温泉街の宿って共存できないんですよ。せっかく苦労して引っ張ってきたお客様なのに、値引きしてまで泊まってもらったお客様なのに、売上を(街なかの飲食店に)持っていかれたら理にかなわないからです。
- 温泉街と共存するといいながらも、実は「温泉街なんかに一歩もお客様を出すんじゃないぞ」っていうのが割と典型的な温泉旅館のビジネスモデル。
- 僕らは逆で、「HATAGO井仙」のモデルは、温泉街という地域にまずどれだけ人がくるか。そのお客様が、たまたまうちのカフェに立ち寄ったり、飲食店によったり、物販にくる。そうしたお客様に対し、「HATAGO井仙」という宿に泊まるというアプローチをする。この流れが重要。
- なので、私にとっては隣の旅館のお客様も、将来の大事なお客様なんです。そういう思想。うちにお客様を持ってきてくれる大切なパートナーという考え方。これが、実は今までの温泉旅館のビジネスモデルにはなかった発想。
- いままでの温泉街は、ある意味まちのなかに〝もうひとつの温泉街〟をつくっていた。僕ら(井仙)は、まちの一部にあるという感覚。なので、宿のお客様はどんどん外に出す。逆に外のお客様もどんどん入れますよと、これが井仙のビジネスモデルなんです。
カナダ産大豆を使っていた地域の醸造所と共に、新潟産大豆の味噌を作った
さらに井口氏は「地域づくり」の思想が端的に表れた具体的なアクションについても、包み隠さずに教えてくれました。それは、地域の生産者である「木津醸造所」との協働についてです。
- 僕たちは地元のみなさんとお米やお酒、お味噌を作ることを始めました。何をしたかというと、いわゆるプライベートブランドを作った。「よくあること」と言われがちなんですけど、(誤解があるので)いつも僕は説明している。コンビニやスーパーのプライベートブランドと僕らがやっているプライベートブランドはまったく考え方が違います、と。
- 彼らは「俺たちの流通に乗せるかわりに安く作れ」といって、生産者(メーカー)の看板をおろさせて、ボリュームを稼ぐっていう仕組み。でも、僕らは逆。
木津醸造所と一緒に作ったこの「HATAGO味噌」がわかりやすいんだけど、僕らは木津醸造所さんを残したいからこれを始めた。 - もともとこの木津醸造所さんは、地元にある味噌家で長い歴史もありました。でも、実は僕らと一緒にやるまでは、木樽を使ったり糀にこだわったりと手間暇をかけていたにもかかわらず、380円くらいの値段でスーパーで販売するために、カナダなどの海外産の大豆を使っていました。
- そこで、僕はせっかく木の樽で仕込むんだったら、地元の大豆を使えばいいじゃないかと言いました。新潟にはお米もある、大豆もある、塩もある。ぜんぶ新潟県産で作れるでしょうって話をしました。そうしたら、木津さんからは、「井仙さんね、そうはいっても、そんな高い材料を使ったら800円とか1000円とか普通の味噌の3倍くらいの値段になっちゃうでしょう。そんな味噌は売れないよ」って言われたんです。だから僕は言いました。「うちが1樽まるごと買うから、それで作ってほしい」と。そうしたら喜んで作りますよって話になった。これって、実はありそうでなかったこと。
- 地域に根ざした生産者のみなさんが廃業し、田んぼがなくなり、駐車場や全国チェーン店になってしまったら地域の魅力がなくなってしまう。 僕らみたいな旅館は地域のショールームだから、いいものづくりのために、僕らが適正な価格で買い取って、物販コーナーで販売したり、食事などに活用していこうと考えたんです。そうしてあげれば、商売が続けられるじゃないかって、そういうふうな思想です。
- だから、うちは土産物コーナーやパーキングエリアなどによくあるトレハロースや添加物がたっぷりの箱菓子だけはぜったいに置かないようにしています。
井口氏はほかにも、実際のエピソードを交えながら企業理念や組織マネジメントの重要性がいかに大事なのかや、業界内で常識とされる既存のビジネスモデルからいかに脱却するかという思考法、どういったタイミングで新たな事業への投資をしていくかといったことについて、詳しくお話しくださいました。さらには参加者からの様々な角度からの質問にも応えてくれました。
「学び直し」は経営者にとって永遠のテーマ
話を「観光バリューアップ実践会」に戻します。そもそも本稿で紹介してきたような会を始めようと思ったのは、コロナ禍のなか、〝学ぶことの大切さ〟を私自身が実感したからでした。
具体的には1つの大きな契機として、マサチューセッツ工科大学がオンラインで行うデザイン思考のプログラムへの参加があります。私はそこで、世界トップクラスの教授や実践者から学べる講義はもちろん、エネルギー関連企業で働くアルゼンチン人、建築業界で活躍するアメリカ人、行政職員であるサウジアラビア人とのグループワークによって大きな学びを得ました。
2020年9月3月の日本経済新聞でもこんな記事がありました。
「コロナで仕事に不安 社会人の学び直しが加速」
その内容は、目まぐるしく社会が変化するなかでリカレント教育やリスキリング(Reskilling)と呼ばれる「学び直し」の必要性に気づいた人が増えているというものでした。
こうした「大人の学習」の重要性については、みなさんもご存知のベストセラーである『ライフ・シフト』の著者でロンドン・ビジネス・スクールの教授であるリンダ・グラットン氏も指摘している通りです。
しかし、残念なことに観光分野における経営者向けの学びの場は、あまり多くありません。オンラインでできる実践的なものに限れば皆無ともいえます。そこで私は、「観光バリューアップ実践会」を主宰することにしたのです。
本会は単なる勉強の場というだけでなく、私がMITのプログラムで経験したように、参加者同士の交流、あるいはお招きした講師との協働などを通じて、経営の変革を実現させたり、課題解決のための実践的なヒントが得られるよう工夫を凝らしています。
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