インバウンドコラム

急速に進化する中国富裕層の旅行トレンド、訪日誘致に迫る危機

印刷用ページを表示する



中国で有名な兵法書『孫子』の一説に「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉がある。「敵の実力と自分の実力の両方をきちんと知っていたら、戦いで負けることはない」という意味であるが、この言葉にあるように、ビジネスにおいても情勢を客観的に把握し、希望的観測を持たずに決断することが大切だ。

8月10日、中国政府は、日本を含むすべての国、地域向けの海外向け団体旅行とパッケージ旅行を解禁。3年半ぶりに中国人の海外旅行が本格再開したが、コロナ禍前の2019年とは異なった様相を呈している。

この3年半にわたる厳しい渡航規制下でのストレスを解放しようと、試行錯誤しながら自分なりのライフスタイルや旅行スタイルを見直してきたのが、中国人旅行者、特に富裕層だ。中国国内経済も一時期の勢いがおさまり、今後状況が複雑になることが予想されるなか、中国人富裕層旅行者のニーズも大きく変化している。コロナ禍前の2019年までと同様の施策を展開したり、ありきたりな情報を提供していては、彼らの心をつかむことがますます難しくなっている。

中国人富裕層のニーズや旅行スタイルはどのように変化しているのだろうか。答えを探るべく、この3年半にわたり中国国内で新しいスタイルを見出した中国人富裕層の旅行の動向を見ていく。


▲雲南省のラグジュアリーホテルに併設するゴルフ場(出典:Jinmao Purelax Mountain Hotel Lijiang公式微信アカウント)

 

海外旅行ができない間、国内に魅力を再発見した中国人富裕層

コロナ禍の3年間、中国人の海外渡航は厳しく制限され、海外旅行はほとんどできなかった。それが、いままで欧米や日韓を頻繁に旅行していた中国富裕層には、中国国内旅行の魅力を再発見するきっかけともなった。高額な旅行ができる消費者の大半は、上海、北京などの東沿岸部に集中しているが、彼らはここ数年の間で、中国内陸に目を向け始めた。特に、飛行機で4~5時間もかかるチベットや新疆ウイグル、雲南省などといった遠いエリアほど、人気が高まっている。

またここ数年、中国の内陸部の旅行施設はハード、ソフト両面において著しくレベルアップしており、多くの中国富裕層にとっては「意外な新発見」も少なくなかった。

コロナが落ち着いた今でも、中国内陸部の旅行ブームは衰えておらず、内陸部の旅行業界関係者も素早くこの新しい客層に反応し、「深度体験(個人の嗜好に応じたテーマ性のある旅行)」や「滞在型の暮らすような体験」などといったキーワードで、現地での連泊や消費を促すキャンペーンをどんどん打ち出してきている。


▲雲南省の絞り染め体験(出典:Jinmao Purelax Mountain Hotel Lijiang公式微信アカウント)

 

暮らすような旅行の提案により大ヒットした雲南旅行

中国文旅局の発表によると、データ集計が可能な省のなかで、2023年上半期の雲南省の旅行人数と旅行収入はともに1位だった。

雲南省の延べ旅行者数は5.4億人、旅行消費額は1.4兆円に上り、それぞれ中国国内旅行の約四分の一を占める重要な存在となっている。

雲南省は、省内の「深度体験」コースを10本打ち出し、「雲南という名の暮らし方」という旅行キャンペーンは成功した。これらはいずれも、雲南省の定番ツアーである大理市~シャングリラ市を巡るようなツアーとはひと味違う、穴場をめぐるようなもので、各ターゲット層に深い共鳴感を与えるような体験型の旅行サービスとなった。

例えば、「康養(健康療養)」というテーマのもとに、雲南省の少数民族ダイ族の座禅体験や、森の中のヨガ体験、そして体の中から健康になる薬膳鍋などの食文化体験を通じて、5日間にわたる雲南省での旅行を提案している。


▲豪華な客室に、雪山を見ながらのヨガ体験(出典:Jinmao Purelax Mountain Hotel Lijian公式微信アカウント)

また雲南省は、「コーヒーと人生の関係」のような哲学的なテーマを打ち出し、中国最大のコーヒー豆栽培基地を持つ雲南省ならでは体験旅行を提案している。「人生はコーヒーのように、ずっと苦しいままの人生ではないものの、時々苦みを体験できるのも人生である」といったキャッチフレーズで高学歴なインテリジェンス層を狙っている。

そして、中国国内にホテルと匹敵する1万軒以上の数があると言われる「民宿」(中国語の民宿は日本語のニュアンスと少し違い、個人経営のブティックホテルや滞在型な旅館を指すことが多い、ホテルより単価の高い施設も少なくない)の存在も、雲南省のこの旅行キャンペーンの成功を後押していると見られている。

 

トレンドに敏感な中国人富裕層、10年前と同じ提案への物足りなさも…

実は中国富裕層の日本インバウンドに対する「物足りなさ」のコメントはコロナ前から聞こえていた。その背景には大きな理由が二つあると考えている。

一つ目は中国の富裕層は日本より10〜20歳ほど若く、新しいトレンドにより敏感に反応する層でもある。二つ目は、2009年に日本が中国人観光客向けの個人旅行ビザの発行をスタートしてから14年が経過し、中国から日本を訪れるリピーターはどんどん増えてきていることだ。

「行楽」のようなディープな日本の情報を紹介するメディアのフォロアーの7割以上は訪日リピーターで、5回以上のヘビーリピーターも半数以上いるが、彼らは一時帰国した私を捕まえると必ずと言っていいほど毎回のように「団体観光客の少ない、新しい旅行体験ができる場所はないのか」と聞いてくる。彼らの多くは30~40代で、新しい旅のスタイルやデスティネーションに対してワクワクすると同時に、そうした経験にお金を払えるほど経済的な余裕も持つ人たちだ。


▲佐賀県うれしの茶交流館「チャオシル」にて茶染体験、まだ多くの人に知られていない地域ならではコンテンツを求めている

つまり、10年前から変わらない「温泉と和牛」といった初心者向けの旅行プランを提案していては、旅行客は心を躍らされることは少なくなる。実際、中国に対して、10年以上前の感覚で訪日初心者向けのプランを売り込み続ける地域の事業者も多い。ただ、「飽きっぽい」且つ選択肢の多い中国富裕層にとって、定番のコンテンツの魅力はどんどん薄れていくのも事実である。

 

中国富裕層の心を掴む2つのキーワード

進化する中国国内各地のデスティネーションに負けず、日本の地方への連泊や、高い消費を促すためには、このような中国国内旅行のトレンドを把握した上で、日本ならではのメニューをいかに打ち出せるかにかかっていると考えている。

そんななかで、今後中国人旅行者に訴求するにあたって重要となるキーワードを二つ紹介する。

一つ目は「研学」だ。

日本人にとって馴染みのない言葉で、簡単に訳すと「研究と学び」になる。ただ、当然学者的な研究をするのではなく、どちらかというと探求のような意味合いが強い。アジア最大の旅行OTAのトリップドットコムが8月に発表したレポートによると、この夏の「研学」関連商品の申し込み人数は2022年の2倍にも上った。厳しい制限により昨年は旅行者数が少なかった反動もあるが、学び系の旅行商品の人気ぶりを裏付けている。

この「研学」は子供対象のキャンプ系もあり、大人向けの自己啓発系もある。そして、自然的な探求学びも人文学的な探求学びも含まれている。

▲行楽が主催する日本酒の知識を学ぶ利き酒教室、1人あたり約3000元(6万円超)ながらも人気の体験だ

前述のように、中国の富裕層は全体的に、先進国より年齢層が若く、五感が刺激される豊かな旅を通して自分に新たな成長のヒントをもたらすことを期待している。そして、教育に熱心な中国富裕層の親にとっては、自分の子供たちにサマーキャンプを通して国内の学校教育では得られない成長のチャンスを提供できるなら、と大金を惜しまずに競いあって応募するといっても過言ではない。

中国のSNS上に、北京在住のある親(自称北京の一般家庭)が投稿した、「アメリカサマーキャンプなどを含めて夏休み2カ月の家族4人の消費額は400万円にも上った」という記事には10万以上のいいねがあった。

もう一つのキーワードは「リラックス&癒し」。

特に最近、中国の若い高所得者層の間で「松馳感」(スローダウン&リラックス)という言葉が社会現象となったが、その背景には、日本の数倍以上過酷なエリートでの競争の現実があると考えられる。

中国の大手ITやゲーム企業の30〜40歳エリート社員の年間収入は株の配当も入れると3000万円から5000万円ぐらいある。一方で、一日12時間以上の労働時間や、ウィーチャットやディンディン(アリババ系のビジネス向けアプリ)といったツールでの顧客からの連絡に24時間態勢で待機することが求められ、挙句の果てには40代前半になれば、閑職に追いやられる(もちろん給料も半分以上にカットされる)などリスクも大きい。とにかく高い緊張感が必要とされる毎日が続く。

そのハードスケジュールから脱出できるバケーションは、時間に追われることなく、スケジュールを立てずにリラックスができることが一番理想的だ。さらに、プラスアルファで健康によいオプションがあれば最高な休暇になると考えている。


▲行楽主催のイベント「TRAVEL GREEN LIVE GREEN」、日本各地のグリーンな旅行コンテンツやエコのアイディアを若い富裕層に紹介

たとえば、前述の森の中のヨガや、もしくは心をリフレッシュさせる座禅体験などだ。ここで一つ余談になるが、彼らから集中的にクレームに近い質問をされたことがある、「どうして日本の旅館の朝食はこんな早く終わるの」と。

上記のように、すでにコロナ前から訪日中国人富裕層の旅行スタイルは変化しつつあったが、この3年間の中国国内旅行の進化により、日本に対する期待も変わってきている。一方、彼らの旅行マインドの成長や旅行スタイルの変化は、日本政府が最近打ち出している高付加価値旅行スタイルとも合致することが多い。

また、政治的対立など難しい時期だからこそ民間の交流が必要であるのは間違いない。彼らのニーズとのミスマッチをなくす持続的な民間コミュニケーションを通じ、日中両国にとって有益なプロモーションや旅行コンテンツの促進をしていくことが、インバウンドにかかわる民間企業の役割でもある。

 

最新記事