インバウンド特集レポート
貸切バス新運賃制度の目的と今後の懸念
ところが、残念なことに、今春再び台湾客の観光バス不足が起きてしまった。
さらに、これは本来別の話だが、3月下旬、国土交通省は国内の貸切バス事業者にかねてより検討していた新運賃制度の施行を通達した。これはバス不足で業界が混乱していた時期に重なってしまい、タイミングが悪かった。
新運賃制度の特徴は、安全コストを運賃に計上させていることだ。
これまでと違い、営業区域別に料金の上限と下限を設定し、運賃計算法も運行時間と距離を併用する。事前届出した運賃に違反した場合の罰則も厳正化されることから、ダンピングと運転手の労働条件の悪化の防止が目的であることがわかる。
新運賃制度への移行として6月末までの猶予期間を設けている。
関係者によると、新運賃を採用すると、インバウンド貸切バスの1日あたりの運賃はこれまでの2倍以上になるという。それだけ以前が安すぎたともいえるが、その差額分は訪日客のツアー代金に上乗せされることになる。
これが台湾側のあらぬ疑いを招いた。消費税増税の時期と重なったこともあり、便乗値上げではないかと受けとめられたのだ。
一方、国内の貸切バス事業者に新運賃制度について聞くと、いまは様子見との声が多い。この夏、台湾に限らず訪日外客は増加しそうなことから、新運賃の適用がすぐに導入できるとは考えにくいという。相手あっての商売だからである。
先般の一連の事態に対する国内のインバウンド事業者の声は、株式会社ジェイテックの石井一夫取締役営業部長の以下のコメントに代表されるだろう。
「昨年から顕著となったバス不足で、海外の旅行会社からツアーを受注しても受けられないケースが増えたのは残念としかいいようがない。この問題に対する国の施策として、6月末までの全国の運輸局管内での営業区域の規制緩和は一定の評価ができる。
4月1日より施行された貸切バスの新運賃制度も、業界の底上げにつながると基本的には歓迎しているが、これに伴う訪日ツアー価格の高騰を懸念している。
現在は猶予期間として6月末までにバス会社は改定後の運賃を所管する運輸局に届出することになっているが、現行運賃と新運賃の価格差が大きいため、海外の旅行会社に受け入れられるか思案している」
これまで台湾の旅行業者は積極的に訪日旅行市場の拡大に尽力してくれたが、今後台湾の“訪日バブル”にも若干の調整が起こるかもしれない。もちろん、これは台湾市場だけの問題ではない。他の国々の訪日ツアー動向にも徐々に影響を与えていくことが考えられる。
コスト高のしわよせは貸切バス事業者に
世界経済フォーラム(WEF)が2014年3月に発行した世界の観光分野の競争力を比較した報告書によると、調査対象140カ国・地域のうち、トップはスイスで、日本は14位にランキングされている。
The Travel & Tourism Competitiveness Index 2013 and 2011 comparison
http://www3.weforum.org/docs/TTCR/2013/TTCR_OverallRankings_2013.pdf
評価項目として3分野、14項目が挙げられるが、日本が分野別で高い評価を得ているのは、「人的、文化的、自然の観光資源」(10位)で、「観光産業の規制体制」「観光産業の環境とインフラ」はともに24位。項目別にみると、「陸上交通インフラ」(7位)「情報通信インフラ」(7位)「文化資源」(11 位)の評価は高いが、「政策方針と規則」(36位)「観光の優先度」(42位)「環境の持続性」(47位)「観光インフラ」(53位)「観光との親和性」(77位)などはかなり低いといえる。
ここからうかがえるのは、日本の観光競争力は、交通・通信インフラに見られる産業力や自然・文化などの観光資源が強みであるのに対し、観光に対する政策面や社会の取り組みが弱みとみなされていることだ。
そして、極めつけが「観光業における価格競争力」(130位)である。
円安基調となった今日、日本でのショッピングや食事はずいぶん安くなったという外客の声も多い気がするが、日本の観光競争力の足を引っ張っているのは未だに「価格競争力」というのが国際的な評価なのだ。最大の要因は国内移動のコスト高だと思われる。
実のところ、移動コスト高を国際水準にまで引き下げ、調整していたのが貸切バス事業者だったといえなくもない。
この10年で増加したアジア客の訪日ツアーの足を支えていたのは彼らだったからだ。コストのしわよせは貸切バス事業者が負わされていたのである。
日本の弱みを全体でカバーする施策を
近年、アジアからの訪日客のFIT(個人旅行)化が進んでいるといわれて久しいが、考えてみてほしい。このままアジアの経済成長が続くとすれば、「初めての訪日」層も増え続けるのだ。
東京・大阪ゴールデンルートはその意味で、決してなくならない。貸切バスの需要は増えることはあっても、減ることは考えにくい。
ところが、増大する需要に対してインバウンド貸切バス事業を取り巻く現状は心もとない。これまで見てきたように、観光バス不足は日本のインバウンドの構造問題といえる。中小企業が多く、国内客向けに比べて運賃が著しく安かったため、事業者の数も多くない。
さらに気になるのは、運転手の高齢化と人材不足である。
筆者は、仕事場に近い都内東新宿にある訪日中国客専用の食堂付近に停車するインバウンド貸切バスの様子を通勤途上に日々観察しているのだが、運転手はたいてい50代以上で若い年代の姿を見ることは多くない。
おそらく多くは、長野オリンピック(1998年)当時、30代から40代の働き盛りだった世代ではないかと思う。はたして彼らは東京オリンピック開催時も現役なのだろうか。気にならないではいられない。
先ごろ、格安航空会社(LCC)のパイロット不足が顕在化し、ピーチやバニラエア、春秋航空日本が減便を余儀なくされたが、政府は人材養成や確保のための施策を打ち出すという。同じことはバス業界にも必要なのではないか。
都内東新宿には毎日のようにツアーバスがやって来る
本来であれば、これだけ需要の拡大が見込まれているのだから、もっと多くのバス会社にインバウンド事業に参入し、観光バス不足を補ってほしいものだ。だが、バス業界ではインバウンド事業に対する偏見は根強いようだ。「とにかく料金を叩かれる。朝から晩まで働かされ、労働条件がキツイ」などの声が聞かれる。
インバウンド貸切バス事業に精力的に参入してきた株式会社平成エンタープライズの葛蓓紅取締役副社長は「インバウンド貸切バスの仕事は、お客様への細かいケアや荷物の運び出しなど独特のノウハウが必要で、確かに大変だと思う。拘束時間も長くなりがち。でも、外国人観光客を乗せる仕事は、自分も一緒に旅行しているみたいで楽しくやりがいがあると話す運転手もいる。そういうおもてなしの心をもつタイプが向いている」という。
願わくば、今回の新運賃制度が新規参入のインセンティブとなることを期待したい。そうでなければ、訪日意欲のある外客をみすみす手離すことになるからだ。
今後は、日本の弱みをふまえ、対外プロモーションの考え方も変えていかなければならないだろう。
日本政府観光局(JNTO)の神田辰明海外マーケティング部次長によると、今後の台湾向けの訪日プロモーションは以下の3つの方向性に注力するという。
①個人旅行客(FIT)をさらに増やすこと
②訪問地の地方への分散化
③繁忙期ではなく、閑散期にいかに誘客するか
「いまは過渡期だと思う。海外と日本では制度の違いもあるが、綿密に情報交換し、お互いの事情を理解し合い、成熟した関係をつくっていくことが必要だ」と神田次長はいう。
特に②と③は知恵の絞りどころだろう。日本にはまだ知られていない素晴らしい場所があるし、桜の開花も地域によって時期が違う。こうした細かなオペレーションを日本とは事情の異なる海外の旅行関係者に了解してもらうのは大変なことだと思うが、まずは訪日旅行における最先行市場である台湾との間でひな型をつくることから始めるべきだろう。
この夏を控え、事態はもはや待ったなしの状況だからだ。何より今回明らかになった日本のインバウンドの弱みを国内の異業種や自治体関係者にも広く理解してもらい、全体で協力しながらカバーし、てこ入れしていくような新しい施策や取り組みも期待したい。
Text:中村正人
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