インバウンド特集レポート

観光業の人材不足、「今いる人」で未来をつくる、持続可能な地域戦略のヒント

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観光業が急速に成長軌道に乗る一方で、「人がいないから、やりたいことができない」という現場の声が各地で聞かれる。人口減少と高齢化が進む日本において、人材採用はこれまで以上に難しくなっていく。いま問われているのは、「今いる人を大切にし、最大限活躍してもらう」という考え方だ。
本稿では、観光業の持続可能性を支える人材戦略として、従業員のモチベーションを高め、地域の力を引き出すための理論と実践事例を紹介する。

 

人材不足は“採用”だけでは乗り越えられない

日本の観光業はコロナ以降も訪日外国人の増加に支えられて成長を続けている。一方で生産年齢人口は減少し、今後その数が増える見込みはない。専門家によれば、採用マーケットは「現在が最も活況」とされ、悪化する未来しかないという。いかに観光地としてのポテンシャルが高くても、そこで働く人材をはじめとするリソースが不足することで、日本の観光産業の成長は鈍化していく可能性がある。IT化や外国人人材に頼るも追いつかず、人材不足問題は恒久的な課題となるだろう。

だからこそ、各企業は、組織内へのマーケティング、つまりインターナルマーケティングを取り入れるべきではないかと筆者は考える。「今働いている人」をしっかり守ることだ。

観光業は、新卒対象の人気企業ランキングに旅行会社がランクインするなど、従来から人気の業種であった。しかし、『令和6年(2024年)雇用動向調査結果の概況』によれば、宿泊業・飲食サービス業の平均離職率は25.1%と、他業種と比較しても高いこと、さらに入職率も高く、人材の流動性が高いことが指摘されている。観光を学ぶ大学でも、入学時は観光業を目指して入った学生が、イメージとのギャップや給与などの待遇を知って、卒業時には異なる分野に就職していくという話もよくある。また、賃金構造基本統計調査でも、宿泊業・飲食サービス業の平均賃金は全体の平均を下回っている。

 

人が辞めない・育つ職場をつくるには? 2つのモチベーション戦略

人が働くモチベーションを保つには、外発的動機付けと内発的動機付けの2つのアプローチが必要だ。

待遇とキャリアパスをどう可視化するか、外発的動機づけの工夫

外発的動機付けとは、給与や待遇などの条件である。これを改善するには宿泊業の生産性を向上させ、給与に転嫁していくための構造改革と、従業員がスキルアップやキャリアパスを描けるような将来の提案が必要だ。目標とされるロールモデルの存在や、具体的なキャリアパス。例えば高価格帯の宿泊施設であれば、本来従業員に求められるサービスも質が高いはずだが、その中身が属人的でスキルが可視化されていないことが多い。このスキルを身に着けることで次のステップに上がれる、給与が上がるといった評価基準の可視化と具体的なステップアップの道筋をつけることで、従業員のやる気を促進することができる。

自律・自信・つながりを感じられる職場に、内発的動機づけの実践

内発的動機付けには、アメリカの心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンによって提唱された自己決定理論(Self-Determination Theory)が活用できる。「自律性」「有能感」「関係性」の3つの基本的な心理的ニーズが満たされると、内発的動機付けが高まるとされている。

● 自律性:自分の意志で行動を選択できる感覚
● 有能感:自分の能力を発揮して成果を上げる感覚
● 関係性:他者とのつながりや支援を感じる感覚

「自律性」を促すためには、現場に裁量を与えることが有効である。リーダー制を導入し、リスク の低いものについてはリーダーに判断を任せる、現場から募ったアイデアを採用して導入するなども良いだろう。

「有能感」を与えるには、フィードバックを通じてメンバーの自信を高めたり、チーム内でお互いの良かった業務を褒め合ったりといった取り組みも効果的だ。ちなみに筆者の子供が通う小学校では、その日一人ひとりに良かったと思う点を付箋に書いて貼り合う時間があり 、褒められる人が嬉しいのはもちろん、人を褒める訓練にもなるのが良い。すぐに取り組める手法としておすすめである。

「関係性」は見逃されがちなポイントだ。小規模な施設では採用枠が限られているため、新入社員数が少なく孤立しやすいそうだ。これは外国人人材においても同様のことが言える。解決策として地域内で宿泊施設を横断したサークル活動 や、同じタイミングで入社した地域内の従業員を「同期」として集まる場の提供といった取り組みが各地で行われている。このような緩やかなネットワークも孤立を防ぐのに有効である。

 

今いる人を活かす、観光業の人材課題への3つのアプローチ

これまで紹介したノウハウを使って従業員をモチベートしながら、それでも足りない人材をどう確保していくか。筆者が所属するじゃらんリサーチセンターが地域と共に進めている3つの取り組みをヒントとして提示したい。

1つ目は「観光人材留学」。繁閑差を利用してオフシーズンに、オンシーズンの他社へ従業員を「留学」してもらうという仕組みで、地方部における人材不足解消を目的に、観光庁の「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり」事業のモデル地域の一つである紀伊山地と周辺地域エリアが実証実験として、奈良県ビジターズビューロー主体で取り組んでいる。人手不足解消のためには即戦力が必要などいくつかの条件があるが、実際にこの取り組みで留学した従業員のサービスレベルが向上し、若い従業員の経験値向上にもつながっている。また対象者への福利厚生的な効果も期待できた。なお、現時点では実証実験としての取り組み中であり、今後の進め方については検討中だ。

2つ目は、じゃらんリサーチセンターと一般社団法人雪国観光圏が4年にわたり取り組む「帰る旅」プロジェクトである。「帰る旅」は同じ場所に何度も通う旅のことで、旅人と地域の関係性を築くための「関係性クリエイター」の育成、簡単なハウスワークを行いながら泊まれる宿泊施設の運営などを実施し、交流人口から関係人口の拡大を目指している。もともと人材不足を解消するためのプロジェクトではないが、地域との密な関係性を築くことが、一時的 な働き手となったり、移住者となったりすることが確認されている。

そして3つ目はシニア人材である。洋食店を一人で切り盛りしたり 、宿泊施設でリネン業務を担ったりするなど、これまでの経験や人柄を活かし、現場で輝くシニア人材は全国各地に存在する。その丁寧で温かな仕事ぶりは、ゲストに安心感を与えるだけでなく、スタッフ間の潤滑油としても貴重な存在なのである。我々じゃらんリサーチセンターの調査によれば、50〜80代のうち「働ける、あるいは働きたいけど、働いていない」という“就業ポテンシャル層”は、全国で2000万人以上と推計される。
私たちは今、現場で活躍するシニア人材の知見を活かし、この潜在層が自発的に観光分野での就労や活動に関わり始められるか、その鍵を探る実証実験に取り組んでいる。シニアは、単なる労働力ではなく、地域や観光に“関係性の価値”を生み出す可能性であると実感している。

 

担い手を育てる観光へ、小さな一歩が未来を変える

「人手」だけでなく、「人材」不足も問題だ。DMOのような組織にはマーケティングのプロフェッショナルが必要とされるが、実際の現場では人材不足からそうもいかないことが多い。最近はDMOの組織長のポストに対して、外部からプロフェッショナル人材を採用するという動きも活発になっており、多くの地域でチャレンジが始まっている。
一方で、長期的には、地域の担い手である住民への投資も必要である。

訪日外国人の増加により、オーバーツーリズムなどの問題が勃発し、注目されるようになったのが住民視点の観光戦略である。日本では観光といえば旅行者視点の戦略が多いが、 北米などでは観光は住民の生活を良くするための手段という考え方が浸透している。日本もようやくこのフェーズに入ってきて、今後は住民に対する観光理解度の促進や、地元への「ご当地愛」の醸成こそ観光が担うべきミッションとして標準化されていくだろう。「ご当地愛」の強い地域はUターン意向も旅行推奨度も高いことがわかっており、じゃらんリサーチセンターでは高校生や大学生を対象とした「ご当地愛」醸成に繋がる観光教育にも一部協力している。しかしながら、これらは一年二年で効果が出るものではない。

つまり、観光という産業を持続可能にしていくためには地域のリソースが不可欠であり、そのリソースを維持するためには、付け焼刃の採用戦術ではなく、長期的な住民視点の観光戦略から、地域で働く人のウェルビーイングを実現することまで、広く深く考える必要がある。そしてこれらを実現するには事業者だけでなく、自治体やDMOなどの連携も当然必要である。

一度に全てを進めることは難しくとも、オセロの角を獲るように、地道で小さな挑戦がいつか実を結ぶかもしれない。地域の小さな取り組みが繋がり大きなうねりとなるために、まずは最初のコマを進めることから始めたい。

 

著者プロフィール:

株式会社リクルート じゃらんリサーチセンター 主席研究員 森戸 香奈子

調査、観光マーケティングを専門とする。研究冊子「とーりまかし」デスク。1998年入社。株式会社リクルートリサーチへ出向、調査の設計および分析を担当。じゃらん編集部、広告制作を経て2007年4月より現職。担当研究に日本人の国内旅行実態を調べる「じゃらん宿泊旅行調査」、インバウンドを含めた未来予測を行った「2030観光の未来需要予測」、持続可能な観光地研究「三方よしの観光地経営」など。書籍や業界紙への執筆活動、また各種地域の講演や委員等を務める。

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