インバウンド特集レポート
「ねこ宿」って、知っていますか?
「猫、かわいいですネ。こんな宿、韓国にはないヨ」。
2019年1月、大分県由布院温泉にある『笑ねこの宿』に宿泊したとき、若い韓国人男性がそんな話を聞かせてくれた。『笑ねこの宿』は、旅館のロビースペースに猫カフェを併設した全5室の小さな宿。当時は「約8割が外国からのお客様」で、宿泊した日も、日本人は取材者である自分だけであった。
こちらの宿は、インバウンドに特に力を入れていたワケではない。オーナーの安部ゆりさんによると「海外の宿泊予約サイトに登録したのがきっかけとなり、クチコミによっていつのまにか海外からのお客さんが増えていった」のだそうだ。
クチコミを見ると確かに、韓国、香港、台湾、マレーシア、ポーランド、フランスなど世界のいろんな国から絶賛のクチコミが寄せられている。宿のある場所は、由布院駅から徒歩40分ほどの細い坂道沿い。日本人でも分かりやすいとは言えない立地だが、それを補ってもあまりある魅力があるということだろう。その一つが、7匹の看板ねこたちと遊べる宿併設の「猫カフェ」だ。
『笑ねこの宿』のように、看板猫がいて、お客さんを惹きつけている宿を「猫(ねこ)宿」と呼ぶ。その多くは、元々、家族で飼っていた猫が何らかのきっかけで看板猫になっていったというスタイル。15年以上前から猫と暮らしてきた伊豆宇佐美の温泉民宿『海風荘』オーナーの森涼子さんは、「猫アレルギーや猫嫌いな方が、知らずに泊まりにいらしては申しわけない」という理由で、HPなどに「猫がいます」と謳ったところ、猫好きさんの目に止まり、SNSなどで拡散されることで、さらに猫好きな宿泊客を呼び寄せていったと言う。現在は、「ほぼ全員が猫を目当てに来られています」。
日本ならではの宿泊スタイルの一つに成長
「ねこ宿」という言葉、筆者は2010年ごろから使ってきたが、ここ数年の猫ブームにのって、各種メディアでも盛んに取り上げられるようになった。楽天トラベルでは2015年より2月22日の「にゃんにゃんにゃんの日」にちなみ、提携宿の看板猫の中から読者投票による「看板猫ランキング」を行なっている。一位になるとメディア取材が入ることもあり、宿の宣伝にも一役かっている。また筆者も2013年に『ねこ温泉 いぬ温泉』というHPを立ち上げ、2019年には『ねこ温泉』という著書も出版した。
このように「ねこ宿」がクローズアップされるにつれ、猫を目当てに宿を訪れる人の数も増加、各宿のモチベーションもあがっている。肉球模様を料理にさりげなく取り入れたり、看板猫の名刺や土産物を作ったり、猫をモチーフにしたインテリアを飾ったりするなど、次第に「ねこ宿」としての自覚が生まれ、進化している宿が多い。
日本の「ねこ宿」は宿泊客に受け入れられることで、どんどんその特質をブラッシュアップし、他の国にはない魅力的な宿泊カテゴリーとなっている(台湾などでは一部、日本と似たねこ宿がある)。小さなカテゴリーではあるが、日本ならではの宿泊スタイルの一つに成長しつつあり、それが、外国からの宿泊客の心を掴みはじめているのである。
「ねこ宿」として外国人観光客の受け入れの注意点
日本にはざっと数えただけでも100軒を越える「ねこ宿」がある。旅館、民宿、ペンションや素泊まり宿など様々で、施設の質や内容も、猫と触れ合える方法もそれぞれ異なる。外国からの旅行者を受け入れる上で、何か気を付ける点があるのだろうか。
インバウンドに力を入れている栃木県塩原温泉『赤沢温泉旅館』の遠藤正俊さんにうかがった。遠藤さんは一部上場企業に長く勤務してきた林業博士で日本よりも海外での生活が長い。一緒に宿を切り盛りしている奥様のパンさんも中国人という国際派だ。早期退職した後、2015年、念願の宿を塩原温泉に開業した。宿には3匹の猫と2匹の犬がおり、自由に敷地内で過ごしている。広い前庭のあるのどかな雰囲気が魅力の宿だ。
「そうですね、現在、ウチは約1割が外国人旅行者ですが、特にアジアの方々は住宅事情などもあり、ご自宅で犬や猫を飼えない方もおられます。そういう方は、宿に犬や猫がいると喜ばれます」。これまでインバウンドでのトラブルはなかったと言う。「逆に、猫や犬がいることで満足感が高まっていると感じます。たとえばある英国人は、最初2泊ぐらいの予定だったのですが、ウチを気に入ってくれて結局1週間、滞在されました。猫をかわいがってくれたり、犬を連れてお散歩に行ってくれたりすることで、温泉街や旅館の中で話が弾み、居心地が良くなったのではないかという印象を受けました」。
ただし、犬や猫がいるということを、今後はきちんと告知しなくてはと考えている。現在は、HP上で「清潔に努めておりますが、動物アレルギー、動物嫌いの方はご注意願います」と日本語、英語、中国語で注意喚起しているが、読んでいない人もいて、「動物がいる」という理由から玄関先でキャンセルをした日本人もいたとのこと。「猫や犬がいるという告知と、できるだけ清潔に努めるという、この2点は注意が必要かもしれません」。
遠藤さんの言葉にもあるように、確かにアジアは、ペットの飼育率が他エリアより低い。2015年のデータ(*1)ではあるが、猫の飼育率は香港10%、中国10%、韓国6%、日本14%であり、飼育率の高いロシア57%、フランス41%、アメリカ39%などに比べると大きな違いがある。日本のデータ(*2)ではあるが、ペットを飼えない最大の理由が「集合住宅に住んでいて禁止されているから」。この状況はアジアの他の国も似ているのではと思われる。アジアから訪日する旅行者の中に、「日本に行くなら猫に会える宿に泊まりたい」という人がいるのも納得がいく。
満足度を高めリピートする理由の一つとなる
それではアジア以外からの旅行者が多い宿はどうなのか? 英語圏の旅行者が多い長野県北部の野沢温泉を訪ねて来た。野沢のスキー場は、ワンシーズンで10万人近い外国人客がやって来る。その7割以上がオーストラリア人だ。
温泉街のシンボル「麻釜」近くにある『桐屋旅館』にも外国人旅行者が数多く訪れる。こちらは明治時代に創業した老舗温泉旅館で、現在、5匹の猫がご家族と共に暮らしている。女将の片桐紅さんによると「ウチは宿泊客の約半分が外国人。特に冬はほとんど日本語が聞こえないような状態になるんです」とのこと。
国別ではオーストラリア人が約7割で、シンガポール人、イギリス人と続く。驚くことに外国人客の約4割がリピーター。「1年に1度いらして、次の年の予約をして帰られる方もおられるんです」。では、5匹の猫はインバウンドに貢献しているのか? 「温泉とスキーが目的のお客さまがほとんどで、猫を目当てに来る方は今のところいらっしゃいません。ですが、宿に猫がいることで喜んでくださる方は多いです」とのこと。特に家族連れが増える12月下旬〜1月末には、広々としたフロントで子どもたちが楽しそうに猫と遊ぶ光景がたびたび見られると言う。滞在中に猫の絵を書いてプレゼントしてくれる子どももいて、片桐さんの宝ものになっている。
冬の野沢温泉は、4泊、次いで7泊、滞在する外国人旅行者が多い。猫は滞在先を選ぶ理由にはならないが、満足度を高めリピートする理由の一つにはなり得る。もちろんリピートする理由は猫だけではない。『桐屋旅館』では冬のインバウンドに関しては、ネットエージェントを通さない直接予約がほとんど。そのため宿泊予約客と直接、英語でメールのやりとりを行っており、多い時には30回以上やりとりすることがあると言う。猫や食べ物アレルギーについてもメールで直接確認をする。
「特に初めて来られる方は不安でいっぱいだと思うので、できる限りの対応をしたい」と片桐さん。このようなお金には換算できない細やかなもてなしあればこそ、宿泊客と心が通い、遠い海外からリピーターが訪れるのであろう。クチコミを見ると「KO(紅)さんの親切はすばらしい」と、女将の名前を書いている人が多い。猫という小さな命を大事にする気持ちは、こうしたもてなしに通じていると考えるのは、猫好きな筆者の考え過ぎであろうか。
いずれにしても「ねこ宿」は、猫と飼い主とが共に暮らしており、ゲストは、宿のオーナーや責任者と直接、会話ができる。ハートウォーミングなもてなし宿でもある「ねこ宿」は、確実に外国人旅行者のハートを捕らえはじめている。
取材執筆:西村理恵
*1 「グローバルのペット飼育率調査」
*2 一般社団法人ペットフード協会 「平成30年度 全国犬猫飼育実態調査」
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