インバウンド特集レポート
2021年3月で、東日本大震災から丸10年を経た。その間、東北各地では葛藤があり、逡巡しつつも、さまざまな震災に関する観光振興が進められてきた。
そうしたなか、2010年より仙台に住み、宮城学院女子大学・現代ビジネス学部で教鞭を執る市野澤潤平教授は、「中長期視点で、地域経済を観光でまわしたり、インバウンド(訪日客)の誘客を図っていったりするためには、考えるべきことがある」と指摘する。
観光客を惹きつけるためには〝楽しみのダークネス〟が必要
〝ダークツーリズム〟という観光の形態が注目を浴びている。人間の苦難や死、歴史上の悲劇を観光の対象とするそれは、世界ではポーランドのアウシュビッツ強制収容所やウクライナのチェルノブイリ原子力発電所、カンボジアのトゥールスレン、ベトナムの戦争証跡博物館など、日本では広島県の原爆資料館や兵庫県の阪神・淡路大震災 人と防災未来センター、沖縄県のひめゆり平和祈念資料館など、例をあげれば枚挙にいとまがない。
一方、2011年3月11日に起きた東日本大震災で、甚大な被害を受けた地域でも、復興のための観光振興が模索されてきた。そのなかで観光学や文化人類学が専門でダークツーリズムにも詳しい市野澤氏は、〝死者を悼む〟や〝災害からの学び〟といったことが強調された観光コンテンツが多いと指摘したうえで、次のように語る。
「教育、慰霊や追悼といった側面はまちがいなく大切なものだと思います。しかし、そればかりだと観光コンテンツとして見たときに、物足りなさを感じる可能性もあります。もし、地域としてダークツーリズムを通じて観光客を呼び込もうとするならば、別の要素も入れていくべきでしょう」
別の要素とはなにか。市野澤氏はそれを、〝楽しみのダークネス〟と名付けている。
「基本的にダークツーリズムは物見遊山的なものであり、〝怖いもの見たさ〟が訪問する動機の相当部分を占めます。つまり、視覚効果を狙ったスペクタクル性や被災者を主人公としてその経験を説明していく物語性といった観光客にとっての〝楽しみ〟の部分を考慮しなければ、興味を持ってもらえないし、観光客を惹きつけるほどのスポットにはなりにくいということです。これを私は”楽しみのダークネス”と呼んでいます」
市野澤氏は、〝楽しみのダークツーリズム〟として成功している事例として、広島の原爆資料館をあげる。被爆した人々が身につけていた遺品や、放射線の影響でごっそりと抜け落ちた被爆者の髪の毛、放射線障害で苦しんで亡くなった人のライフヒストリーは、訪問者の心を揺さぶるのに十分なスペクタクル性と物語性を有していると指摘する。
「要は、教育や追悼といった面ばかりを強調すると、コンテンツとしては無菌化される、すなわち当たり障りのないものになるということです。東日本大震災を身近に体感した人や、南海トラフ大地震の発生が指摘されている太平洋沿岸部の人などならばともかく、震災の当事者ではないインバウンドなどの観光客には響きにくい。ですから、ニッチの域を超えて多くの観光客を呼び込むためには、〝楽しみのダークネス〟は不可欠な要素といえるのではないでしょうか」
日本人はイメージが独り歩きして、自粛ムードをつくってしまう
一方で、こうした〝楽しみ〟の部分を強調すること、すなわち他者の苦難を見ることを通じた悦楽の獲得には倫理的な側面から不謹慎だという批判もついてくる。有名な話だと広島の原爆ドームがある。1960年代前半には、地域住民から「当時を思い出すから取り壊してほしい」という要望もあった。
ポル・ポト政権下の政治犯収容所として知られるトゥールスレン虐殺博物館には、処刑された人々の顔写真がずらりと並ぶ部屋があるが、処刑後の数十年にわたって見世物になっていることについて、本人が同意したわけではないという批判もある。
「1つ象徴的な出来事があります。2004年12月に起きたスマトラ沖地震による津波被害に遭ったタイ・プーケットでのことです」
もともと市野澤氏が関わりを持っていたタイのビーチリゾートであるプーケットは、津波の被災から数カ月後から観光業が再開していたという。そうしたなか、プーケットに縁のある日本人やプーケット在住の日本人たちが、プーケットのために「遊びに行ってください/来てください」と情報発信をした。
「そうした発信に対して、日本では不謹慎だというバッシングがすごく飛び交ったんです。でも、それは現地の声を聞いて、非難しているわけではなかった。日本で暮らす自分たちの価値観とイメージだけで“自粛すべきだ”と訴えていたわけです。
プーケットは観光が最大の産業だったので、良い悪いは別として、地域の人たちとしては一刻も早く観光客に戻ってきてもらいたかった。実際、防潮堤建造や嵩上げなどはまったく行わず、津波が襲ったビーチに、そのまま同じような観光客向けの空間を再建しました」
外野がイメージだけで口出しをするのではなく、地域の人たちがどう思っているのかが重要であるということだ。
▲タイ・南部のカオラックで、陸地に打ち上げられた海上警備艇。津波の威力を物語る遺構ではあるが、一般観光客にとっての面白みはない(2015年8月、市野澤氏撮影)
記憶や興味が薄れてしまってからでは手遅れになる?
当事者以外がイメージ(想像)だけで自粛ムードをつくり、ときに批判行動に出てしまうこともある日本にあっては、どうしてもダークツーリズムは無菌化の方向へいってしまう。市野澤氏は続ける。
「地域としてダークツーリズムで観光振興をしていくのならば、記憶や興味が薄れていく前に、〝楽しみのダークネス〟を追求していかないといけないでしょうね。倫理的な問題を承知でダークツーリズムを大々的なビジネスにすることを目指すか、小規模でよいと割り切って啓蒙目的にこだわるか」
〝楽しみのダークネス〟を追求するにあたっては、地域にいる当事者だけでつくりあげていくのは容易ではない。感情が絡むところだからだ。
したがって、地域としてのスタンスが定まったあとには、情報を整理して、選択肢を提示してくれるような第三者の意見をもらうのはどうかと市野澤氏は主張する。
「近年、アカデミックの世界では、ダークツーリズム研究が進み、体系化されつつあります。そうした研究者や観光を専門とするコンサルタントなどに相談することで、客観的かつ中長期的な視点から、ダークツーリズムの倫理面と経済面を検討していけるのではないでしょうか」
非倫理性から逃げるのではなく、向き合ったうえで取捨選択をする
もちろん第三者の視点を入れたとしても、非倫理的だという批判を受けないよう教育的観点や追悼だけを強調するケースも多々あるという。しかし、観光という狙いがあるのならば、結果的にそれは人の苦難や死を見世物にしていることに変わりはない。
「こういう理由でダークツーリズムをやるということを明確にする。倫理面での批判に対して、こういうメリットがあるからやっているんですと言えるようにする。いわば、非倫理性から逃げるのではなく、向き合っていくということです。ダークツーリズムから”楽しみのダークネス〟を消し去ることはできないのだから、臭いものに蓋をするような無菌化を推し進めることには、問題があると思います」
ダークツーリズムは楽しいものではなく、学びや追悼、共感といった目的を第一とする観光の形態だと考えられがちである。
しかし、市野澤氏の主張は異なる。過去に観光客を惹きつけてきたダークツーリズムは、あくまで〝楽しみ〟という要素がきちんと担保されていたからこそ、数多くの観光客を受け入れることに成功してきたといえるという。
▲岩手県宮古市「たろう観光ホテル」では、学校などのスタディーツアーに主眼が置かれ、ガイド付きツアーで観光収入を得ているが「それも1つの考え方」と市野澤氏は肯定的に捉えている(2020年8月、市野澤氏撮影)
「いずれにしても、観光として打ち出してくならば、いろんな角度から物事を見ていくことが重要です。ダークツーリズムは複雑な現象であり、教育・追悼か覗き見かの二者択一に整理できるものではありません。たとえば、啓蒙効果ひとつとってみても、非倫理的な見世物としての面白さがあるほうが、より多くの人に問題を知ってもらえたりする。地域としての視点だけでなく、ツーリスト側の視点も考慮すること。国内外の事例も研究して、参考にしたり、反面教師にしたりするといいのではないでしょうか」
(取材/執筆:遠藤由次郎)
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