インバウンド特集レポート
昨年、訪日旅行者数は1000万人を超えたばかりだが、早くも日本のインバウンドは構造問題に直面している。観光バスとホテルの客室不足だ。後編では、バス不足問題の背景をさらに深く見渡し、改善に向けた取り組みを考えたい。
本当に観光バスは足りないのだろうか?
4月下旬、訪日アジア客の手配業者の業界団体である一般社団法人アジアインバウンド観光振興会(AISO)の総会で議論となったのは、そうした問いだった。昨夏と今春、業界を騒がせただけでなく、今後の日本の訪日旅行市場の行方に暗雲漂わせる観光バス不足の解決を求める声が次々に出たという。
規制緩和と安全対策に揺れた貸切バス業界
いったい何が問題だったのだろうか?
確かに、今年3月下旬から4月にかけて国内外のバス利用者がこれまでになく集中したことで需給が逼迫したことは確かだ。だが、それだけの理由ではないと考えるべきだろう。
一般に貸切バスの需給が逼迫するのは、春夏のレジャーシーズンに加え、国民体育大会や甲子園の高校野球大会などのスポーツイベント時だといわれる。1998年の長野オリンピック開催時も選手や観客の送迎のため、貸切バス業者は大奮闘して乗り切ったといわれる。
一方、北海道では1970年代からすでに夏場の繁忙期のバス不足は常態化していたという話もある。「道内の車両はフル稼働、貸切バスの運転手は『13日連続勤務して1日休み』を繰り返すことで急場を凌いできた。そのかわり、冬場は仕事が少なく、本州に出稼ぎに出る運転手もいた。夏の繁忙期のみの契約という雇用形態も多かったからだ」とバス事業をよく知る関係者は語る。
観光バスを運行する貸切バス事業は、繁忙期と閑散期の需要の変動に大きく翻弄されてきたのだ。
日本の貸切バス事業は、2000年2月の事業法改正により、免許制から許可制に、価格規制については認可制から実施運賃・料金の事前届出制や自動認可へと規制緩和された
それまで事業者保護の色彩の強かった需給調整規制を廃し、競争原理の導入によって消費者利益を図ることが目的だった。2000年代前半の日本は「規制緩和」がよくも悪くももてはやされていた。
その後、貸切バス事業者の数は大幅に増加したが、零細事業者の新規参入が目立つ傾向にあった。事業者数の増加に伴う競争の激化や「高速ツアーバス」という新形態の登場によって運賃の低下が急速に進み、利用者も恩恵を受けた。
ところが、2007年2月の大阪府吹田市のスキーバス、12年4月の群馬県関越道の高速ツアーバスと死傷者が出る事故が相次いだことで、バス事業の安全確保を求める世論が高まった。
関越道高速ツアーバス事故の問題点として以下の3点が指摘されている。
①運転手の過労運転(労務管理)……事故は夜間運行かつワンマン運行だったこと
②不適切な運行管理……「日雇い」運転手だったこと
③不適切な旅程管理、旅行サービスの内容提示違反
国土交通省は「バス事業のあり方」検討会(2010~12年)などを通じて進めていたルール改正を段階的に着手した。13年8月から「高速ツアーバス」は、運転手の労働条件を改善し、安全対策を強化した「新高速乗合バス」に一本化されることになった。
その結果、中小貸切バス業者の一部は「新高速乗合バス」の参入を諦めたといわれる。過労運転防止のためのワンマン運行による上限距離や労働時間が制限されたことで、運営上対応できないと判断したためだった。
さらに、2010年秋以降の中国との尖閣問題で、訪日中国客が一時大幅減少したことから、中国需要に頼っていた一部のバス事業者の撤退も見られた。
つまり、ここ数年、貸切バス業界には事業の撤退と減車が起きていたのだ。
そこに急激な訪日客の需要増が直撃したのである。
零細貸切バス事業者とダンピングの関係
関越道高速ツアーバス事故の運転手が普段は訪日外客を乗せた、いわゆる「インバウンド貸切バス」を運行していたことで明らかになったのが、貸切バス運賃のダンピング問題である。
どんなに訪日外客が増えたといっても、国内全体のバス需要に比べれば、外客の市場規模ははるかに小さいため、インバウンド貸切バス事業者の実態は見えにくいところがある。
それだけにブラックボックス化していた面が否めないが、2000年代以降に急増したアジア客の需要に対応したのが、こうした中小貸切バス事業者だった。
政府の「観光立国」政策の推進で訪日外国人観光客を迎え入れようという国内の機運は生まれたが、現在その8割近くを占めるアジアからの旅行者の多くは“安さ”を求めた。彼らの求める水準は、国際的にみて高いとされる日本の国内移動コストの圧縮に重い負荷をかけた。
大手バス事業者はインバウンド貸切バス運賃の“価格破壊”を理由に参入しようとしなかったが、中小貸切バス事業者はそれを引き受けざるを得なかった。
それゆえ、今日の訪日外客向けの観光バス不足も、実際は、国内客向けに比べ著しくダンピングされた激安な貸切バスの不足だったとも考えられる。
ある関係者の証言によると、今春の台湾客の一部が出発直前で訪日ツアーを断念せざるを得なかった背景に、本来はバス事業者でない免税店が顧客を呼び込むために無料でバスを手配するというサービスがあったという。これは台湾客だけでなく、一部中国本土客なども利用していた。ところが、その免税店が今春の急増した需要に対応できず、バス手配をいきなり投げ出したのが、騒動の発端だったという。
日本の繁忙期と閑散期を理解してほしい
日本のインバウンドには、残念ながら、こうした外の世界からは見えにくいグレーな領域が潜在している。こうした現状をふまえ、事態の改善のために何ができるのだろうか。
関係省庁も手をこまぬいているわけではない。国土交通省は、今年すでに6月末までの時限的な全国の運輸局管轄内での貸切バスの営業区域の緩和を実施している。
観光庁も、昨年9月と12月に台湾を訪ね、観光部(観光省)や現地の旅行業者に対してバス不足に関する事情説明や状況を改善するための話し合いを行ってきた。
観光庁側が説明しているのは以下のポイントだ。
①日本のバスの運行上の安全規制の内容
②日本の地域ごとの繁忙期・閑散期について
③日本旅行業協会(JATA)が認定する「SAKURA QUALITY(適正なランドオペレーター)」の利用の推奨
④各運輸局が指定する「Safety Bus事業者」の利用の推奨
⑤繁忙期の早期の予約手配の推奨
すなはち、台湾の旅行関係者に日本のバス事業の安全規制やレジャー需要の動向を理解してもらい、繁忙期をなるべく避けるなど、訪日時期を調整してほしいこと。また繁忙期はできるだけ早めにバスやホテルも含めた手配を進めてほしいという要望を伝えたのだった。
本来今回のような問題は、民間事業者同士が解決すべきといえなくもない。とはいえ、これまで大々的に訪日旅行のプロモーションを展開してきた日本政府としても、台湾側に理解を求めるべく相応の対応する必要はあっただろう。
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