インバウンド特集レポート
ここ数年の訪日客増は、日本に多くのメリットをもたらしたが、同時に多くの課題も明らかにした。その代表例として挙げられるのがオーバーツーリズムだが、他にも、過剰な訪日客対応によって、本来その場所が持つ“その地の魅力”が損なわれているといった問題も出てきている。
例えば、情緒や風情のある街並みの中に、過剰な多言語表記の看板が多数設置されることで景観が損なわれるという声もある。観光事業者が多言語対応に力を入れるあまり外国人人材を多用し、ツアーのアテンドスタッフやガイドだけでなく、宿泊施設や観光施設、飲食店などどこに行っても接客するのは外国人、日本人と触れ合う機会がないという声も聞かれる。さらに、外国人や外資系企業による開発が進んだエリアでは、見渡す限り外国人だらけで、日本にいるのに外国にいるかのような感覚に陥るといった声もある。
こうした状況に遭遇すると、例えば日本の文化や伝統、歴史に触れることを期待してやってきた訪日客は特に不満を感じ、旅行全体の満足度低下にもつながりかねない。いかにして、その地域が持つ魅力を活かしながら、訪日客が満足するサービスを提供していけばいいのか。ここでは、長年日本の観光・インバウンド業界で活躍し日本への理解が深い外国人識者への取材を通して、考えていく。
人気の観光地となることで失われる「日本らしさ」をどう維持するか
訪日市場の拡大がもたらしたものの一つに、海外企業や、日本在住の外国人による地域の観光事業への参入が挙げられる。最も顕著に表れているのが、北海道のスキーリゾート「ニセコ」だ。
日本に住むオーストラリア人が日本の上質なパウダースノーに注目したことをきっかけに、ニセコではヒラフエリアを中心に急速に開発が進んだ。旅行者のニーズに沿った多様な宿泊施設の建設、レストランの新設、外国人インストラクターによるスキー教室の開校、スキー以外のアクティビティの充実など、訪日客のニーズに応じた多様なサービスが生まれ、多くの外国人観光客が集まる人気の場所となった。
このように、日本人は気づかなかった魅力が、外からの視点によって発掘されたことで人気の観光地に発展したというメリットもあるが、一方で、様々な問題が生じている。
その一つが、外国人投資家や外資系企業による土地の買い占めによる過剰な開発だ。無秩序な開発が進めば、街の景観を損ねる可能性もあるし、地域への十分な理解がない外資系企業や個人の参入が進めば、防犯や管理体制の面でもリスクが増加する。
こうした問題について、インバウンド向けの観光Webサイト「Japan Guide」の編集長を務めるシャウエッカー氏に伺った。
「地域にとって、人気の観光地になることは、多くの可能性や機会をもたらします。ただし、利益を追うだけでなく、地域住民の希望を考慮せねばトラブルも発生します。こうした問題は、利益を得られる魅力的な場所ではどこにでも起こりうること。住民がこのような開発を望まないのであれば、地方自治体が責任をもってルールや条例を定め、町の開発を制限せねばならない」
日本一厳しい景観条例を制定したといわれる京都では、歴史的な町並みを維持するため、建物の高さ、デザイン、屋外広告に規制を設けるなど、対策をとる地域もある。
同様の問題に直面する諸外国では、外国人への土地売却の制限や、厳しいゾーニング、外国語の看板制限など、対策をとっているという。「スイスは、外国人への土地売却を制限している多くの国の1つだと思います。スイスでは、この法律は “Lex Koller(コラー法) “と呼ばれています」
「都市の外観を維持するための厳格なゾーニングについては、多くの国や自治体が、どのような開発が許され、何が許されないか、例えば色の許容範囲やアンテナの禁止など、非常に厳格なルールを設けています。特に観光地や歴史的建造物のある地域やその周辺地域ではその傾向が顕著です」
標識については、特にケベック州(カナダ)の“標識はフランス語を最優先する”という厳しいルールがありますが、同様のルールは他の地域にもあるはずだという。
旅の形は人それぞれ、訪日旅行で『冒険家』になれる人は少数派
地方自治体は、住民の意向を尊重しながら地域を発展させるためにも、「日本らしさ」「地域らしさ」とは何かを考え、中長期の目標を見据えた上で訪日客のニーズに応える施策を進めていかねばならない。こうした問題に、多くの自治体や観光事業者は試行錯誤しながら取り組んでいる。
一方で「旅行の目的や求めるものは、人によって違い、どのような目的であっても尊重されるべき」シャウエッカー氏はそう強調する。
「旅を通じて、その国の文化を学び、地元の人と交流することで、その国らしさを感じたいという人もいます」
「多くの旅行者は、自国とは全く違う、日本独特の雰囲気を持った場所を好みます。日本を例にとると、神社やお寺、庭園などの神聖な場所はもちろん、旅館や居酒屋といった日常に溶け込んだもの、渋谷や道頓堀などの近代的な場所も含まれます」
「そのような国や地域が持つ独自の文化に触れたり、歴史的な背景を知ることは、最終的に国や地域、人の平和的共存に繋がる。これは、観光がもたらす経済的要素以外の最大の価値なので、素晴らしいこと」
Japan Guideでも、そのような場所を、文化や歴史の背景と共に旅行者に分かりやすく伝えようと紹介しているという。
シャウエッカー氏は続ける。
「ただ、その一方で、文化を学ぶことにはあまり関心がなく、例えばショッピングや、ビーチでくつろぐために旅をする人もたくさんいる。そうした旅の在り方もあってもいい」
また、異国の文化を学びたいと思う人の中でも、どのようにしてそのニーズを満たしたいかは人それぞれだ。
「言葉の壁など気にせず外国の文化に飛び込める人も一定数います。そうした人たちは、旅館に泊まり和食を食べ、温泉に入り、日本人と仲良くなろうと積極的にコミュニケーションをとったりします」
ただし、こうした冒険家のような旅を好む人は少数派だという。
「多くの旅行客は、海外旅行に際しコミュニケーションがうまく取れないことや、言葉の壁が理由となって旅行体験がおろそかになることを恐れています」
そのため、多言語で丁寧に解説をしてくれるガイドがいるツアーに申し込んだり、不自由なく英語でのコミュニケーションが期待できる外資系ホテルを選んだりするのだ。
「旅の目的は人によって違い、皆が冒険家になれるわけではない」日本滞在中にどの程度チャレンジしたいかも異なるので、一人一人のニーズに応じた多様な選択肢が用意されていることが大切なのだ。
競争力を高めるための多言語対応、対応可能レベルは提示してトラブル回避
行き過ぎた多言語対応は時に地域らしさを損なうという声もあるが、多言語対応は、訪日客を受け入れるにあたっての大きな課題だ。どこまで対応するべきかという問いに対し、「絶対に必要とはいえないものの、外国人向けにサービスなど提供するのであれば、対応した方が、格段に競争力は高まる」と話す。
様々な調査結果から、外国人観光客の訪日の際の最大の悩みは言葉の問題であることも明らかだ。
「冒険家のような旅をしたい人は、外国語対応が不十分であってもそれ自体を楽しむかもしれません。ただ、英語など外国語でのコミュニケーションが円滑に取れないことで不満を感じる旅行者もいるでしょう。例えば小さな旅館など、外国語対応できるスタッフを雇用する余裕がない場合、印刷されたマニュアルと片言の英語での接客が精いっぱいというケースもあると思います。その場合は、施設としての多言語対応レベルを明確にするとよいのではないでしょうか」
実際、シャウエッカー氏が編集長を務めるJapan Guideでは、文化的意義、自然の美しさ、外国人観光客にとっての妥当性などを考慮して掲載する場所を選んでいるので、必ずしも多言語対応が必須というわけではないようだ。ただ、多言語対応が未整備であるがゆえに外国人観光客が鑑賞できない博物館などの場合は紹介しないという。
相手によって対応を変えない最高の接客サービス
一般の旅行客向けには、言語対応など完璧ではないサービスでも受け入れられやすいが、こうした言葉の壁に敏感なのが富裕層だと、外国人高所得層向けのコンサルティングなども手掛ける株式会社ジャーマン・インターナショナルのCEOのルース・マリー・ジャーマン氏は話す。
「客単価の高いホテルや旅館では、サービスレベルが高くないといけない。こうしたところでは、英語などでのサービスは必須でしょう」
シャウエッカー氏は、ハイレベルなサービスを提供するのであれば、相手が外国人だからといって接客スタイルを変えることなく、日本人に対して日本語でするのと同じように外国語で接客できるスタッフを採用することが理想だという。
「以前、城崎の旅館に泊まった時のこと。英語で完璧なサービスをしていた日本人スタッフが、私たち夫婦が日本語を話していることに気づき、日本語で完璧なサービスするようになった。外国人だからと言って接客態度を変えることなく、対応してくれたことが印象的でした」
「一方で、他の業界と比較して報酬が低いなど、競争力がないゆえに優秀な人材を観光産業に引き寄せられていないことが問題」観光業界が抱える問題も指摘する。
日本らしさを保ちながら、外国人観光客の満足度を高めるために
今後、いかにして地域の良さを活かしながら、多言語対応も含めて外国人観光客のニーズを満たしていくかも、重要になる。その点、日本に住む外国人は大いに活用できる。シャウエッカー氏はこう話す。「外国人、あるいは、海外生活の経験が長い日本人は、語学力だけでなく外国人のニーズ、期待、トラブルに関する文化的洞察力を持っている。そうした人材は、例えば自治体や観光事業者のコンサルタントとして非常に役立つと思います」
「また、日本に居住する外国人は、友人や家族を日本に連れてきたり、日本の旅行に関するポジティブな情報を広めたりする、“日本大使”のような存在になる可能性もあります。観光産業に精通した外国人を雇ったり、そうした人たちに相談することで、有益な知見を得ることができるのではないでしょうか」
▲今回お話を伺ったJapan Guide編集長シャウエッカー氏
長年日本に住み日本への理解が深い外国人と共に、地域らしさを見出し、それを大切にしながら、外国人観光客の満足度を高め、日本ファンを増やしていく。これからのインバウンド対応を考えるとき、そうした視点も大切ではないだろうか。
(取材・文/オダサダオ)
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