インバウンド特集レポート
「インバウンドを筆頭にした富裕層を呼び込みたいが、どのように高付加価値なコンテンツをつくればいいのかわからない」という地域の声を耳にする。その根底には、「こんな辺鄙なところに富裕層が来てくれるのか」「こんなローカルな体験が本当に外国人観光客に響くのか」といったやや自虐的な思考が見て取れる。
他方で、地域の神社仏閣は〝見どころ〟として、国内外の観光客に選ばれてきた歴史もある。実際、観光庁による「体験型観光コンテンツ市場の概観」(2019年)によると、「訪日旅行で体験したコンテンツ」で第1位(47%)に挙がっているのが「神社仏閣観光」である。
しかし、残念ながら神社仏閣を軸とした高付加価値な体験コンテンツはあまり生まれてこなかったと言わざるを得ない。まして旅行事業者と社寺が連携して、地域の魅力を高めようという動きは、特に地方部においては皆無に近い状態であった。
地域が支えてきた神社仏閣をむやみやたらに観光地化する必要はない、という意見ももちろんある。まったくの正論であるが、少子高齢化や過疎化の進行が深刻化するなか、地域で支えることが困難になってきているのも厳然たる事実だ。
言い換えれば、高付加価値なコンテンツの造成は、地域の魅力を高めるというだけでなく、神社仏閣を次代に継いでいくためにも重要だといえる。
そこで本稿では、モダンラグジュアリーと呼ばれる富裕層向けに、地域(富山県高岡市)を代表する勝興寺、国泰寺、瑞龍寺という3つのお寺と連携した体験ツアー商品を開発した一般社団法人富山県西部観光社 水と匠/株式会社水と匠の取り組みを紹介したい。特に神社仏閣における体験コンテンツの造成や磨き上げの方法、連携する際のポイントなどについて詳述する。
お話を伺ったのは、富山県の呉西(高岡市、射水市、氷見市、砺波市、小矢部市、南砺市)地域のDMO/DMCでプロデューサーを担う林口砂里氏である。
▲瑞龍寺で住職みずから案内する様子
欧州・中国のモダン・ラグジュアリー層誘客を目指し、地域が連携
富山県西部の広域連携DMOである富山県西部観光社 水と匠(以下、水と匠)が設立されたのは2019年5月。東には立山黒部アルペンルート、西には金沢、南には飛騨高山といった名高い観光地に囲まれているこの地域にも、インバウンドを筆頭にした観光客を呼び込むことで地域経済の活性化をしていこうという、主に地元の経済界からの掛け声がきっかけとなって立ち上げられた。
水と匠が目指しているのは、あらゆる方向に対して高級なコンテンツを求めるクラシック・ラグジュアリーではなく、本物志向で関心のある特定の分野にフォーカスした旅を好むモダン・ラグジュアリーの誘客。具体的には、手垢のついていないオーセンティックな歴史文化に興味をもつ欧州や中国の富裕層をメインターゲットに据えている。
そんな同社が「令和3年度文化資源の高付加価値化(文化庁)」事業のもとで進めたのは、高岡市にある3つの寺院での体験コンテンツを軸にしたツアー造成である。
3つの寺院とは、1998年から23年にわたって行われた大修繕を終えたばかりで、本堂などが国宝にも指定されている勝興寺(浄土真宗本願寺派雲龍山勝興寺)、古くは天皇家に縁があったとされ、西田幾多郎や鈴木大拙ら著名な文化人らも修行したという国泰寺(臨済宗国泰寺派大本山国泰寺)、前田利家公の菩提寺で国宝や複数の重要文化財に指定される瑞龍寺(曹洞宗高岡山瑞龍寺)のこと。
林口氏は、これら宗派の異なる3つの寺院と地域の伝統的なものづくりを結びつけて巡る体験ツアーを造成できたことに大きな意義があるという。
「お寺さんができた背景というのはその土地その土地で異なると思いますが、高岡の場合は街自体の成り立ちと大きく関わっています。この地域を代表する高岡銅器、高岡漆器といった伝統工芸は、仏教を基点にして発展してきました。ですから、この地域の街並みやものづくりと、その背景にある地域を代表する3つの寺院が宗派の垣根を超えて連携できたことには大きな意義があると考えています」
▲国泰寺で僧侶がみずから案内
神社仏閣コンテンツで「京都」と差別化するために、DMOがとった戦略とは
後述するように、それぞれの寺院では非常にユニークな体験ができるコンテンツとなっているが、林口氏を筆頭にして水と匠が創意工夫に奔走したのは、「ただお寺を見て回るだけでは、京都にかなうはずもない」と考えているから。
「3つの寺院は本当にそれぞれが立派で、見応えのあるものだと考えていますが、それだけでは京都にはかなわないし、この地域でしか体験できないものにはなりません。そもそも、〝寺院を活用したツアーを造成する〟という発想からコンテンツをつくるのは好ましくありません。あくまで〝この地域を表現すること〟から逆算するのが、高付加価値なコンテンツをつくるうえで重要だと考えています」
仏教という信仰が根付いているこの地域だからこそ、寺院を軸にした高付加価値な体験ツアーをつくろうと考えたというわけだ。実際、富山県は日本一石仏が多いといわれ、高岡にも辻々にお地蔵様や不動明王像などの石仏が立っている、と林口氏。
「きちんと瓦葺きの屋根がついた祠にまつられ、そのほとんどが地域住民によって、花が手向けられるなど大切に扱われています。いまなお地域住民の暮らしに表れている営みは、『土徳』と呼ばれる地域文化に根差した思想とともに、私たちがターゲットとしているモダン・ラグジュアリー層の心の琴線に触れると考えています」
ちなみに、この「土徳(どとく)」は水と匠が掲げる組織のミッションのなかに出てくるもの。ホームページにはこのように記載されている。
自然と人がともに作りあげてきた品格、「富山の土徳」を伝える
富山は、三方を囲む急峻な山々から流れ下る7本の大きな河川が深さ1,000mを超える富山湾へと注ぎ込む、豊かな水に恵まれた「水の国」であり、なかでも富山西部地区には、浄土真宗寺院の門前町で培われ、江戸時代の加賀藩主・前田家の奨励のもと華開いた匠の技が今も集積する「ものづくりの国」でもあります。
かつて南砺に滞在した民藝運動の創始者・柳宗悦は、厳しくも豊かな環境の中で、恵みに感謝しながら、人が自然と一緒に作りあげてきたこの土地の品格を「土徳(どとく)」と表現しました。
(一社)富山県西部観光社は、富山の自然と人が培ってきたその価値を伝えることをミッションとし、県西部6市行政(高岡市、氷見市 、射水市、小矢部市、砺波市、南砺市)と約80の企業・団体により設立されました。観光を軸に、域内外の人・もの・ことをつなぐさまざまな事業を展開することで、地域経済の活性化と、「富山」での誇りある豊かな暮らしの実現を目指しています。
寺院側から提案されたアイデアで、ここだけの体験を磨き上げ
では、具体的にどのような体験コンテンツを造成したのか。林口氏が開口一番に語るのは、「文化資源をもった宗教施設として見てもらうために、必ず宗教体験をしてもらうことを意識した」ということ。同氏はこう続けます。
「もちろん宗教に勧誘するということではありませんが、単に建物を見たり、重要文化財のお宝を説明したりするだけではなく、体験を通じて宗教的な要素を味わってもらうことを念頭に置きました。具体的には、住職や僧侶から直接解説や指導をしてもらうことを基本にし、国泰寺では尺八を用いた法要や精進料理、瑞龍寺では重要文化財でもある僧堂での坐禅や茶道体験、勝興寺では雅楽と声明による法要やヨガなどです」
さらに、体験の質を高めることと、地域を表現することの双方の意味合いから、随所に地域の伝統工芸を組み込んでいる。たとえばヨガでは高岡銅器のおりん(読経の際に用いられる仏具)を活用したり、茶道体験では高岡の手打ちおりんの技を生かした食器を使ったりといった具合だ。
▲勝興寺でのヨガ体験の様子
こうした体験コンテンツは、水と匠だけでつくったものではない。寺院と密なコミュニケーションを取りながら築き上げていったという。その際、寺院側から旅行事業者など外部の人では思いつかないような提案もあった。
「体験コンテンツをブラッシュアップするという段階では、『こうしたほうがもっとよくなるのではないか』というアイデアをお寺さんからご提案いただくこともありました。たとえば国泰寺さんは臨済宗で、いわゆる禅宗ですが、虚無僧の宗派でもあるので法要の際に尺八の演奏が入ります。ツアーでは、そのご法要を体験させてほしいと要望をしたのですが、国泰寺さんから尺八の演奏体験もできるよと提案いただきました」
▲国泰寺で尺八が演奏される様子
国泰寺はそれまで修行の場としてのみ使われ、観光客を受け入れたことはなかったという。そうした寺院であっても、後で詳述するような丁寧な段取りと、密なコミュニケーションによって、体験ツアーの磨き上げという1つのゴールに向かってともに歩んでいけることを、端的に示しているだろう。
また、同じ禅宗でも曹洞宗の瑞龍寺では、坐禅をお願いしたいと伝えたところ、「閉門後の人がいない状態で、蝋燭の灯りだけのなかで坐禅をするのはどうか」というアイデアをもらえたことも。かねて瑞龍寺は観光客が多いところであるため、コンテンツの高付加価値化としては非常に効果的だ。
▲国泰寺での蝋燭の灯りでの坐禅体験
なぜ宗派の異なる3寺院が連携し、1つの体験ツアーを作り上げられたのか?
実際のモニターツアーのなかで満足度が高かったのは、普段は観光客に公開していない特別な部屋に、体験する場所として案内することであった。これらのことは、通訳案内士を介しつつも住職や僧侶の口で説明することや、あらかじめ通訳案内士に知識を伝えておくことでより質を高めることができたのではないか、と林口氏は語る。
こうした寺院での体験ツアーには通訳が必須であるといえるが、専門用語になればいくら通訳案内士といえども、言葉に詰まるケースは出てきたり、そうでなくとも簡単な言葉に置き換えることで、せっかく住職や僧侶が丁寧に説明しても、伝えきれなかったりすることもある。特に高付加価値な体験コンテンツを提供するのであれば、水と匠のように、抜け目なく事前に準備しておきたい。丁寧な段取りと密なコミュニケーションが、体験ツアーの磨き上げには重要だと先ほど書いた。この点について林口氏も、「相手が寺院であるかどうかに限らず、ものづくり職人さんや通訳案内士さん、行政の皆さんなど、どんな相手と事業を進めるときにもあてはまる」と前置きをしたうえで、こう続ける。
「今回、関わる全員が膝を突き合わせる関係者会議というものを3回ほど行っています。このときに、いきなり全員を集めた場で、イチから事業説明をするのではなく、とにかく事前にそれぞれのお寺さんを個別に訪問して、事業の主旨や企画の意図などを説明していきました。事前に関係各位に説明をしたうえでないとうまくいかないと思います。それはお寺さんに限らずではありますが、やはり宗派も異なっていることなどを考慮して、いつも以上に頻度高くお寺さんに通って、お話をさせていただきました」
そうした丁寧なコミュニケーションが功を奏したのか、意外な声が寺院のほうからも出てきたようだ。
「観光という意味では、今回の事業を始める前までは寺院ごとにばらつきがありました。というのも、そもそも宗派の違うお寺さんたちが集まること自体が普段はないため、誰が何をしているのかという情報がなかったようなのです。今回、こういう機会を通じてお寺さん同士の情報共有ができたことで、お互いにそれが刺激になってよかった、ということを言っていただけて、私自身は個人的に意義や面白さを感じていました」
もちろん宗派が異なることからくる配慮も欠かせない。たとえば現代的な文脈で観光目的の1つとなっている御朱印集め。浄土真宗では朱印をしないことを知っている人も多いが、なかには知らずに浄土真宗のお寺で「御朱印をください」と言う観光客が出てくる可能性は十分ある。そこで水と匠では、御朱印問題で軋轢を生まないために、あらかじめ説明し、参拝記念印と名前を変えて出してもらうようにしたという。
▲水と匠が開発したお土産品のひとつ
より魅力的な場所にするために、乗り越えるべき課題も明らかに
本事業で築きあげた体験コンテンツを盛り込んだモニターツアーを実施したところ、高い満足度が得られ、インバウンドの誘客に関して大いに可能性を感じたと林口氏は語るが、その一方で課題も見えてきたと指摘する。
「まったく手垢がついていないという意味で、特に欧米のみなさんからは非常に高い評価をしていただけました。が、見方を変えると受け入れ体制がまったくできていないともいえます。もちろんどこまで対応するかという議論もありますが、最低限の多言語表記は必要ですし、そこではデザイン的な配慮も不可欠です。照明に関しても課題が見えてきました。どうしても現代では蛍光灯が使われていますが、それだとせっかくの素晴らしい雰囲気が削がれてしまっている部分があります。できれば間接照明などを使って演出していけると、魅力はより高まるのではないかと考えています」
水と匠では、本稿で紹介してきた寺院や伝統工芸を活用した体験コンテンツの企画やツアーの造成のみならず、砺波平野に広がる独特な集落形態である散居村の、伝統的な民家「アズマダチ」を活用したスモールラグジュアリーな古民家宿「楽土庵」の開発・運営や、現地を訪れなければ手に入らないお土産の開発、ECサイトを通じた地域の食や工芸品の販売などにも取り組んでいる。もちろんDMOとして地域のマーケティングやマネジメントも実施している。
付加価値の高い観光体験を提供するエリアとして、今後も富山県西部地域に注目していきたい。
▲伝統的な民家「アズマダチ」を活用した民家宿「楽土庵」
プロフィール:
一般社団法人富山県西部観光社 プロデューサー
株式会社水と匠 代表取締役
林口 砂里
富山県高岡市出身。東京外国語大学を卒業後、東京を中心に、様々なアートプロジェクトに携わる。2012年に故郷の富山県高岡市に拠点を移し、地域のものづくりやまちづくり振興プロジェクトなどにも精力的に取り組んでいる。
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