インバウンド特集レポート
訪日旅行者にとって「食」は、いまや旅先選びのきっかけであり、旅そのものの目的にもなりつつある。SNSや動画を通じて事前に情報を得た旅行者たちは、単なる「食べる」だけでなく、その背景にある文化やストーリーにまで価値を見出すようになっている。観光庁の調査でも、飲食費は訪日旅行支出の2割以上を占め、「日本食を楽しむこと」は主要な旅行目的のひとつに挙げられている。
では、旅行者が“本当に価値を感じる食体験”とは何か。検索キーワードに表れる関心、動画やSNSから得られるインスピレーションは何なのか。そして「日常」を「高単価体験」に変えるには何が必要なのか。今回は、食に特化したOTA「byFood.com(バイフード)」のデータと、同サイトを運営する株式会社テーブルクロス代表の城宝薫氏への取材をもとに、“インバウンドに刺さる食×文化の磨き方”を読み解いていく。

フーディは何を求めるのか、byfood.comから見る旅行者の傾向
2019年にサービスを開始した「byFood.com」は、訪日外国人旅行者と日本の食をつなぐ国内最大級のフードトラベルプラットフォーム。「旅マエ」の情報発信のほか、飲食店の予約を代行する「レストラン予約」、多彩な「食体験」プログラムを販売しており、現在は570のレストランと契約、体験商品は919件にのぼる。
対応言語は英語、繁体字、簡体字の3言語で、利用者の中心は欧米豪からの個人旅行者。平均年齢はおよそ38歳で、訪日回数は初回または2~3回目が多い。日本での滞在期間は約2週間と比較的長く、ゆとりある旅程の中で「食」に重点を置く傾向が見られる。
なかでも目立つのが、日本の食文化への関心が高い、いわゆる「フーディ(食通)」と呼ばれる層だ。byFood.comでは特に、1.知識を深めたい食の専門家、2.体験を通じて思い出を残したい家族連れ、3.子育てを終えて経済的にゆとりのある中高年層の夫婦を顧客像として描いている。
また、byFood.comリピーターの行動分析から、レストラン予約と食体験の利用者層はほとんど重ならず、前者は「評価の高い店で美味しい料理を味わう」こと、後者は「食べるだけでなく、学びや体験」を重視するなど、関心の起点が異なる傾向も見えている。
▲byFood.comのトップページ。2025年には新たに韓国語と日本語を追加し、非英語圏やアウトバウンド市場への展開を本格化する
1組あたりの平均予約金額は約7万円、平均人数は2〜3人で、1人あたり2〜3万円という比較的高額な体験ながら、深く日本食に触れたいという層から高く支持されている。なお、利用者の約3割が検索エンジンで「byFood」と直接入力しており、旅マエの段階で「日本の食に特化したサービス」として認識している層が一定数いることも特徴の1つだ。
予約は訪日前に完了するケースが全体の約88%を占め、平均予約タイミングは利用日の15日前。ただし近年は、旅ナカで新たに体験を探す傾向も強まりつつあり、前日予約への対応ニーズも高まっている。
また、ハラールやベジタリアン、ビーガン、アレルギー対応など、食の多様性に関する要望も増加。実際に、予約時に何らかの食事制限を申告する利用者は全体の約3割にのぼるという。
▲フィルター機能から、食事制限の希望を選択することができる
検索に現れる“旅の欲望”、訪日旅行者が食体験に求めるもの
訪日旅行者が食体験を探す際の検索傾向には、一定のパターンが見えてきている。byFood.comで予約数の多い体験には、「Sushi Making(寿司づくり)」「Wasabi(わさび)」「Ramen Cooking(ラーメンづくり)」といった、すでに世界的な認知度を得ている日本食のビッグキーワードが並ぶ。
「byFood.comでトレンド入りしている体験を見ても、検索キーワードの強さがそのまま予約数に直結しています」と、byFood.comを運営する株式会社テーブルクロスの代表、城宝 薫氏は語る。最近では「Omakase(おまかせ)」の検索数も急増しており、「おまかせ寿司」や「おまかせ和牛」など、シェフ主導の体験やメニューへの関心の高まりがうかがえる。こうした人気キーワードに沿った体験商品は、検索経由での流入を呼び込みやすく、訪日客が具体的なイメージを持ちやすい点でも優位性がある。
SNSや動画コンテンツを通じて日本食への関心を深める旅行者も少なくない。
byFood.comでは、「Japan by Food」の名でInstagramやYouTubeの公式チャンネルを運営し、発信を続けており、食べ物や飲食店の紹介だけでなく、職人の技や日本人の生活文化にも焦点を当てた動画を定期的に公開している。たとえば、わさびの栽培や醤油の製造過程、居酒屋のボトルキープ文化、サラリーマンによる乾杯マナーなど、日本人にとっては日常的な光景が、海外の視点からは新鮮な文化体験として関心を集めているという。
▲新橋のサラリーマンの夜を紹介した動画は87万回再生に達した
職人と語り、物語に触れ、自分で作る、選ばれる食体験の条件
byfood.comで人気のレストラン予約では、寿司店、懐石料理店、和牛レストラン、居酒屋といった、いわゆる王道の日本食カテゴリが人気を集めている。訪日回数が少ない欧米豪の旅行者にとって、まずは定番の和食を味わいたいというニーズが根強いという。
一方で、食体験では3〜5時間程度のツアーが主流だという。
たとえば、世界的に有名なグルメガイドに掲載されたラーメン店で創業者の哲学や調理への想いを聞きながら、製麺や仕込みの工程を特別に見学できる体験や、寿司店の店主と築地市場を巡り、その場で仕入れた魚を使って寿司を味わう体験などが高い評価を得ている。「料理教室も人気で、握り寿司やラーメン、餃子など和食の定番メニューを自分の手で作ってみたいというニーズは非常に高い」と城宝氏。

▲ラーメン作り体験に参加する訪日客
byFood.comは、フードトラベルプラットフォームとして、他の旅ナカプラットフォームにはない、プレミアムな食体験を掲載している。ときには、地域の事業者と連携し、商品づくりに取り組むケースもあるという。商品造成や掲載にあたり、「提供する職人のこだわりが伝わること」「調理の工程や背景が見られること」「参加者自身が実際に作業に関われること」といった要素を重視している。仮に、参加型の体験が難しい場合でも、体験のストーリーに沿ったお土産を用意するなど、旅行者の記憶に残る工夫を大切にしているという。
地域で“選ばれる”食体験をつくるための4つのポイント
東京や京都、大阪など都市部以外の地域が、選ばれる商品を造成するためには、どのようなことを意識すればいいのだろうか。
城宝氏の話を通じて、4つのポイントが見えてきた。
1.王道をフックに地域へ誘客、”王道外し”の落とし穴
城宝氏はまず、寿司、ラーメン、和牛といった「王道ジャンル」の必要性について指摘する。
地域で体験造成に取り組む現場では、他地域との差別化を意識するあまり、「寿司づくりはどこでもやっているから外そう」「もっと地域らしい体験を」といった方向に傾くケースも見られる。しかし、旅行者にとっての“日本らしさ”は、地域側が考える以上に基本的なところにある。
城宝氏は「訪日客にとって、やはり寿司やラーメンなどが真っ先に思い浮かぶ日本食です。だからこそ、まずは王道ジャンルを入り口として用意しておくことが重要」と語る。
郷土料理にもともと関心を持って検索する旅行者はそれほど多くない。寿司づくりなどの既に知名度と人気のある体験で興味を引きつけた上で、「この地域ならではの一品も一緒に作れます」と自然につなげることで、地域の魅力にも関心を広げてもらいやすくなるだろう。
2.“SNS映え”と”口コミ”で成約に繋げる
プロモーションでは、視覚的に印象を残す演出が効果的だという。藁焼きの炎が立ちのぼる瞬間や、かまど炊きのご飯から湯気が立ち上る場面など、「映える」シーンは写真や動画を通じて拡散されやすい。実際、byFood.comでも動画付きの体験商品は、予約数が約3倍に増加するケースがある。

また、口コミも大きな影響力を持ち、10件以上の口コミが集まると予約が伸びやすくなる傾向が見られる。まずは、質の高い写真や動画、そして一定数の口コミを確保することが、集客力を高めるうえでの第一歩となる。
3.「訳す」だけでは届かない、文化の背景ごと“伝える”設計を
訪日外国人旅行者にとって馴染みのない料理を紹介する際には、ただメニュー名を訳すだけでなく、その背景や意味をどう伝えるかも考慮すべきだ。
たとえば、鉄板焼きを取り入れた体験型コンテンツの事例がある。開始当初はあまり予約が入らなかったが、欧米豪の旅行者がイメージする「鉄板焼き」は、日本で一般的に連想される和牛ステーキではなく、むしろ海鮮中心のものだったことが分かった。そこで「和牛鉄板焼き」と明確に打ち出したところ、いわゆる“目の前でシェフが焼いてくれる高級料理”というイメージと合致し、予約数が伸び始めたという。
このように、提供者と旅行者とのあいだにあるイメージのギャップを把握し、適切に調整することが、体験価値を伝えるうえで重要となる。
同様に、鳥刺しや馬刺しなど、生の肉を提供する食文化は、海外の人から見ると驚きや抵抗を感じてしまうこともあるだろう。「なぜ安全に提供できるのか」「どのような文化的背景からこの食文化が生まれたのか」といったストーリーを丁寧に伝えることで、理解や関心につながる可能性は十分ある。
重要なのは、「どう訳すか」ではなく「どう伝えるか」。旅行者の文化や価値観に即した形で伝える「意訳」の視点こそが、インバウンド対応では不可欠だ。
4.配慮が満足度に直結、体験設計に求められる“異文化目線”
高付加価値の体験を提供するには、「異文化への理解と細やかな配慮も欠かせない」と城宝氏。「欧米豪の方は、動物の扱いに敏感な方が多いので、たとえばウナギの目打ちのような処理場面は見せないように工夫するなどの配慮が必要」と話す。
また、ある施設でスリッパを「赤=女性用」「青=男性用」と案内したところ、「ジェンダーに関する固定観念を感じた」と指摘された例もあったそうだ。
こうした細やかな対応の一つひとつが、体験全体の印象や満足度、評価に大きく影響しかねない。文化や価値観の伝え方も含め、体験コンテンツの一部として丁寧に設計することが求められる。
なぜ3倍の価格でも売れたのか? 農泊を“特別な時間”に変えた再設計の力
地域での食体験コンテンツ造成の好事例として挙げられるのが、三重県の古民家宿泊施設での取り組みだ。
もともと1泊2食付き7000円程度で販売されていた農泊体験を、「Farm to Table(農場から食卓へ)」をコンセプトに再構成した。宿に隣接する畑でホスト家族とともに野菜を収穫し、薪割りから始まる昔ながらの「かまど炊き」を体験。収穫した野菜と希少な松阪牛を使ったすき焼きを囲み、地元の暮らしや日本の食文化に深く触れられる内容となっている。価格は以前の3倍近い1万9800円に設定したが、現在では年間50人近い予約が入るという。
造成のポイントについて城宝氏は、「旅行者自身が実際に作業に関わることができる『ハンズオン』の要素を盛り込みつつ、体験の背景にある文化やストーリーを丁寧に伝えること」と話す。「最初は『こんな日常に値段をつけていいのだろうか』と戸惑うホストも多いですが、日本人には当たり前の光景でも、海外の旅行者にとっては特別な経験。『地元の人と交流できたのが嬉しかった』との声も多く寄せられています」と、暮らしの中にある体験価値への気づきを促す。
▲三重県・大紀町での「Farm to Table」宿泊体験。ホストにとって初めてのインバウンド受け入れだったという
“地域の食”が持つ力とは、観光の本質を問い直す時代のヒント
観光地を巡る旅から、体験そのものを目的にした旅へと、旅行者の関心は確実に変化している。そうした中で、食を起点にした体験づくりは、今後さらにニーズが高まる分野だという。「最近では『キムチ作り体験のために韓国へ行く』といったように、体験そのものが旅先を選ぶ理由になるケースも増えています。そうした傾向は、日本においても同様」と城宝氏は話す。
「日本には、47都道府県ごとに異なる食文化があります。こうした地域ごとの多様性は、日本ならではの価値であり、近年はその魅力に注目が集まり始めています」。味覚だけでなく、調理の過程や人とのふれあいを含めた“ストーリーのある食体験”は、訪日客が日本をより深く理解するきっかけにもなり得る。
旅のかたちが変わりつつある今、地域の食とその背景にある物語をどう編み直し、どんな体験として届けていくか。その問いの先に、観光そのものの価値を再定義するヒントがある。
▼関連記事はこちら
訪日客に人気の「ラーメンツアー」はどうつくる? 体験造成の舞台裏を取材
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