インバウンド特集レポート
観光地経営において、持続可能な財源の確保は、今や避けて通れない課題だ。
その中でも近年注目されているのが「宿泊税」である。宿泊客から一定額を預かり、その税収を地域の観光施策に活かす仕組みとして、一部の自治体で導入が進んでいる。ただし、宿泊税の導入には、制度設計やその検討、地域の合意形成など、いくつものハードルがあるのも事実だ。
ここでは、前後編の2回に分けて、宿泊税がなぜ必要とされているのか、その背景や制度の特徴、そして導入にあたっての議論や課題を整理しながら、この制度がもつ意味を改めて見つめ直していく。
宿泊税が注目される背景にある財政のジレンマ
この数年で、観光を取り巻く環境は大きく変わった。従来の観光地に限らず、全国各地が観光を地域づくりの柱として見直す動きが広がっている。その背景にあるのは、インバウンド回復や旅行者ニーズの多様化、そして地域間競争だ。「選ばれる場所」であり続けるには、戦略的で継続的な取り組みが求められている。
そうした中で必ず課題になるのが、取り組みを支える財源をどう確保するかという点だ。ところが日本では、観光に力を入れれば入れるほど、自治体の財政負担が大きくなるという矛盾を抱えている。
多くの市町村では、固定資産税や住民税といった通常の税収だけでは行政サービスをまかないきれず、国から交付される地方交付税に依存しているのが実情だ。しかし、この地方交付税は、「住民のための行政」を前提とした制度であり、地方交付税配分の基準は、人口規模に大きく依存している。観光客がどれだけ訪れても、住民が増えなければ、交付額に十分に反映されない。
さらにややこしいのは、観光によって自治体の税収が増えたとしても、その分交付税が減らされるという仕組みになっている点だ。結果的に、財政全体の規模はほとんど変わらず、観光に予算を振り向ければ、その分保育や福祉、交通といった他のサービスにしわ寄せが生じる。観光を伸ばそうとすればするほど、住民サービスとの板挟みにあうという、ジレンマを抱えている自治体も少なくない。
観光地経営の持続的な財源として、宿泊税が選ばれる理由
こうした中で注目されているのが、「宿泊税」だ。宿泊税は、地方自治体が条例に基づいて独自に課すことができる「法定外税」のひとつで、2000年代初頭の税制改正によって導入の道が開かれた。なかでも重要なのが、宿泊税による収入は地方交付税の算定に影響しない、いわゆる“純増の財源”として活用できる点にある。
さらに、宿泊税は、観光振興との相性が良い。導入が進んでいる理由は、主に次の5点に整理できる。
1.海外では宿泊税が一般的であり、インバウンド観光客の理解が得られやすい
2.宿泊という課税対象が明確で、一定の担税力がある
3.徴収の仕組みが比較的シンプルで、実現可能性が高い
4.税収を増やす施策が、観光政策の目標(宿泊数や単価の増加)と重なる
5.中長期的に安定した財源となり得る
単なる増税ではなく、観光を支える投資のサイクルを地域内に取り戻す手段として、宿泊税は大きな可能性を持っている。
全国で広がる導入の動きと制度設計の条件
宿泊税は、地方自治体が独自に導入できる「法定外目的税」にあたる。条例を定め、総務大臣の同意を得ることで、課税が可能になる。制度を導入するには、地域内の合意形成や、誰にどの程度課すかといったルールの制定が求められる。
導入の可否を判断する国の審査では、地方税法に定められた税の三原則「公平・中立・簡素」が基準となり、以下のいずれにも該当しなければ、原則として導入が認められている。
・国税や他の地方税と課税標準が重なり、住民負担が過重になる
・地域間の経済活動(流通)に深刻な影響を及ぼす
・国の経済政策と矛盾する
2025年7月時点で、全国で12の自治体が宿泊税を導入している。さらに総務省の同意を得て導入準備中の自治体が23、それ以外にも条例制定済の地域、検討段階にある地域も多数あり、全国的に導入の動きが広がっている。
▶2025年7月時点で宿泊税導入済みの地域の税率/金額
定額制か定率制か? 制度設計を左右する課税方式
宿泊税の制度設計で大きな論点になるのが「定額制」と「定率制」どちらを採用するかという点だ。
定額制は、宿泊客1人あたりに一定額(例:200円)を課す方式で、宿泊人数の増加に応じて税収も増える。定率制は、宿泊料金に応じて一定の割合(例:2%)課税する方式で、宿泊単価があがれば税収も増える仕組みだ。
現在の日本では、北海道倶知安町を除き、多くの自治体が定額制(段階式の定額制を含む)を採用している。たとえば宿泊単価が1万円で、課税額が200〜300円の場合、実質的には、税率は約2〜3%に相当する。
一方、欧米では、定率課税が主流だ。ハワイ州では、一時宿泊税(TAT)と郡税を合わせて、宿泊料金の14〜18%が課税される。ローマやパリでは、ホテルのランクごとに1〜15ユーロを段階的に課す定額制がとられており、実態として、宿泊単価に比例する仕組みになっている。
欧米の事例に学ぶ使途制限と観光・生活の両立
もうひとつ注目したいのが、税収の使い道に対するルールの違いだ。欧米の一部地域では、宿泊税を一般財源として使うことを禁止しており、観光と生活の両立を意識した使途が定められている。たとえば、受入環境の整備や公共交通の充実、観光人材の住宅支援などに限定して活用されているケースもある。
また、広告やキャンペーンなどの短期的な集客施策への使用を制限し、地域の持続可能性に資する事業への投資を重視する制度設計も進んでいる。
こうした運用の考え方は、日本で宿泊税を導入する際にも、制度設計のヒントになるだろう。
導入への賛否とその背景、宿泊税が直面する現実
宿泊税は、地方自治体にとって新たな財源確保の手段として注目されている一方で、その対象者となる観光事業者や宿泊客、そして地域住民の間では賛否が分かれるテーマでもある。以下は、宿泊税導入にあたってよく聞かれる賛成意見と反対意見である。
<賛成意見>
・観光振興の安定財源になる
税収をインフラ整備や多言語対応、プロモーションなどに充てることで、観光地としての魅力や機能の底上げなど、持続可能な観光の推進に繋がる。宿泊税は法定外目的税であるため、他の行政サービス予算と競合せず、観光分野に集中投資できる点が評価されている。
・受益者負担の公平性がある
観光客の増加により生じる行政コスト(公共交通の混雑対策、インフラ維持など)を、恩恵を受ける旅行者にも部分的に担ってもらうという考え方。地域住民にとっても、観光による負担を軽減する仕組みとして受け入れやすい。
・オーバーツーリズム対策として機能する
過度な混雑や生活環境への影響に対応するための施策(交通整理、マナー啓発など)に税収を活用出来る。観光客と住民双方にとっての満足度向上を目指す手段として期待されている。
<反対意見>
・観光客の減少リスク
特に導入初期は、観光事業者から「宿泊料金の上昇が観光客減少を招くのではないか」といった懸念が多く寄せられた。
・宿泊事業者の事務負担が増える
税の徴収、申告、納付といった事務手続きは事業者側の負担となる。特に小規模施設にとっては手続きが重く感じられる場合もある。
・税収の使途に対する不信感
「本当に観光振興に使われているの?」といった疑問が出ると、宿泊客や観光事業者、住民の納得を得にくくなる。特に使い道が不透明であったり、一部に偏っていたりする場合は、反発の原因にもなり得る。
制度定着の鍵、懸念を解消するための対応策
こうした懸念に対して、各自治体では関係者との対話や情報公開を通じて理解の促進を図っている。たとえば、旅行者や観光事業者へのアンケート調査、地域の事業者や住民向け説明会、税収の使い道を示したレポートの公開などが挙げられる。「見える税金」として納得感をもってもらえる仕組みを作ることが大切だ。
また、宿泊税の課税による旅行者減少の懸念については、実際に導入された自治体を見ても、宿泊税が直接の原因で観光客数が大幅に減ったという明確な証拠は見つかっていない。むしろ、税収をもとに受入環境を整備し、地域の魅力を高めたことで、観光の質が向上したという声も出てきている。
制度の基本構造や導入時の論点を押さえたうえで、次に問われるのは、導入した宿泊税をどう活かすかという視点だ。
続く後編では、実際の運用の仕組みや活用事例、そして制度が地域にもたらす可能性について考えていく。
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