インバウンド特集レポート
訪日外国人旅行者の増加が続く中、旅先での体調不良やケガといった「医療不安」は観光業界にとって避けられない課題となっている。医療機関の偏在や言葉の壁により、宿泊施設や旅行者自身が対応に苦慮する場面も少なくない。
こうした背景から、医療分野のプレイヤーが観光業界と連携し、新たな安心インフラを築こうとしている。本記事では訪日客向けオンライン医療サービス「HOTELde DOCTOR 24」と医療通訳サービス「mediPhone(メディフォン)」の事例を通じ、その取り組みと可能性を探る。

宿泊施設と訪日客を悩ませる“医療不安”、観光業界で始まるインフラ構築
観光庁が公表した「訪日外国人旅行者の医療に関する実態調査」によると、訪日外国人の約4%が滞在中に体調不良を経験している。その多くは風邪や発熱、胃腸炎、軽症のけがなどが大半を占めるが、受診環境の整備が十分ではないため、旅行者は必要な医療を迅速に受けられるか分からないまま、滞在せざるを得ない状況に置かれている。
一方で、外国語対応が可能な医療機関は都市部に偏在しており、地方やリゾート地では医療機関へのアクセスが難しい。加えて、医療現場からも「軽症でも救急外来に搬送されてしまうケースが少なくない」との声が聞かれる。言葉の壁や受け入れ体制の不足が医療機関にとっても課題となっている。
さらに、旅行者にとって主なタッチポイントとなる宿泊施設では、スタッフが体調不良の利用者に対応せざるを得ないケースは多い。「病院を探すだけで一苦労」「症状の重さを判断できずに救急搬送を依頼した」といった声もあり、専門知識のない中で病院に連れていくべきか否かなど、医療判断に近い対応を迫られるケースもある。責任の所在が不明確なまま宿泊施設側に負担が集中してしまっているのが実情だ。
こうした課題を背景に、異業種が観光業界と連携し、旅行者の医療不安を解消するサービスが登場している。今回紹介する、外国人旅行者向けのオンライン診療サービス「HOTEL de DOCTOR 24」と、医療専門の通訳サービス「mediPhone」はいずれも医療の観点から観光を支える“インフラ”を目指した取り組みであり、観光業界との連携の新たな形を示している。
ホテル客室が“診療室”に、24時間365日多言語対応の医療体制が現場を支える
「HOTEL de DOCTOR 24」は、訪日外国人が宿泊施設の客室からオンライン診療が受けられるサービスだ。旅行者は客室などに設置されたQRコードを読み取って申し込みを行い、最短で30分後から診察が可能となる。看護師による一次対応を経て、医師と医療通訳が同席する三者体制で診療を受けられる。
▲HOTEL de DOCTOR 24サービス紹介資料(提供:エムスリーキャリア株式会社)
22言語に対応し、24時間365日利用可能。利用料は1回あたり5万5000円で、医療通訳に加え、診察料、診断明細書、診断書及び処方箋を含み、ホテル側の費用負担はゼロという仕組みだ。さらに、旅行保険の申請に必要な診療明細書の発行にも対応しているため、利用者にとっての安心感が大きい。
医師・旅行者・ホテルにメリット、現場を医療判断の負担から解放
このサービスは、外国人旅行者・ホテル・医師それぞれにメリットをもたらす。これまでホテルのスタッフは、外国人旅行者の体調不良などについて、症状の程度を判断できず救急搬送を要請したり、友人や知人などに医療翻訳を頼んだりと、本来は医療の専門家が担うべき対応を迫られていた。そのため、宿泊施設から「責任範囲が不明確で、対応に困っていた」という声が多く寄せられていた。
外国人旅行者が体調不良を訴えた際に、たとえホテルのスタッフが言語に堪能であったとしても、その症状の専門用語や細かなニュアンスを聞き取ることは極めて困難だ。このような状況下で、ホテルのスタッフが適切な医療アクセスを判断するのは、大きな責任とリスクを伴う。
その点、HOTEL de DOCTOR 24では、オンライン診療における医療判断と治療方針は医師側がすべて担当する。ホテル側は利用者を適切にオンライン診療に案内する役割に留まるため、スタッフが責任の所在に悩むことがなくなる。これにより、ホテル側は本来の業務に集中できるようになる。
外国人旅行者にとっては「母国語で正確に症状を伝えられる」「夜間や休日でもすぐに診療が受けられる」といった安心感が得られ、救急外来に頼らずに済むことで医療機関の負担軽減にもつながる。さらに医師にとっても、オンライン診療を通じた新しい働き方の場が広がるなど、各立場にとって実利のある仕組みとして機能しつつあるのだ。
170施設以上が導入、旅先での“困った”の解消法とは?
2025年9月現在、サービスは全国26都道府県・170以上の宿泊施設に導入されている。都市部のシティホテルだけでなく、地方の温泉旅館やリゾート施設、大手ホテルチェーンにも広がっている点が特徴だ。さらに、クルーズ船の乗客が寄港前に予約・オンライン受診し、下船直後に必要な薬を受け取るといった利用も見られる。

▲オンライン診療が普及している国、地域からの訪日客には、より受け入れられやすいサービスといえる(提供:エムスリーキャリア株式会社)
具体的な利用ケースとしては、フライト直前に必要となった診断書の発行、持病薬の継続処方、夜中に子どもが発熱した際の相談などもあったという。これまでホテルスタッフや旅行会社が頭を抱えていた場面をスムーズに解決できることから、導入ホテルの満足度は高い。「スタッフが安心して対応できるようになった」「宿泊客から『日本で安心して過ごせた』という声が届いた」といった評価も寄せられている。
空港・港・観光地へ広がる可能性 医療の受け入れ体制構築を目指す
今後の課題は、観光業界における認知度の向上だ。「HOTEL de DOCTOR 24」を提供するエムスリーキャリア株式会社は、医療・人材分野では高い知名度を誇るが、観光事業者の間ではまだ知られていない。観光業界イベントや業界団体との連携を進めるとともに、自治体や観光協会、交通事業者と協力しながら普及を図ることが求められている。
また、将来的にはホテルにとどまらず、空港や港湾、大型商業施設といった「旅のハブ」への展開も視野に入れている。担当者は「旅行者にとっての安心は、観光産業の持続的な成長に欠かせない要素。医療と観光の交点で、新たな受け入れ体制を築いていきたい」と語る。
全国8.8万施設で導入、医療通訳が支える観光の“言葉の安心”
医療現場に特化した多言語通訳サービスとして、2014年にスタートした「mediPhone」。導入施設は全国8万8000機関以上となり、病院や診療所だけでなく、自治体や消防本部とも連携。救急車搬送時の通訳支援など、外国人患者の受け入れを包括的にサポートしている。
対応言語は32言語に及ぶ。英語が約50%、中国語が約30%を占め、次いで在日外国人が多いベトナム語やネパール語などアジア圏からの需要も多いという。北海道や沖縄、長野など観光客の多いエリアでは利用頻度が特に高く、訪日外国人の受け入れに欠かせないインフラとなりつつある。
▲mediPhoneサービス紹介資料(提供:メディフォン株式会社)
通訳だけじゃない、診察から同意書対応まで、多言語医療をトータルで支援
mediPhoneの特徴は、単なる通訳にとどまらず、医療現場の受け入れ体制を包括的に支援している点だ。診察室における逐次通訳はもちろん、同意書や診療関連書類の翻訳、場合によっては通訳者が現場に駆けつけることもある。
サービス誕生の背景には、医療通訳が長らく「ボランティア」に依存してきた状況を改善し、「専門職」としての地位を確立することがある。設立当初は、医療現場を支える通訳者が無償で活動する例も多く、医療安全上のリスクが課題となっていた。mediPhoneは報酬を伴う仕組みを整備し、プロとして活動できる環境をつくることで、通訳品質の安定化を実現している。
“誤訳できない現場”を支える、AIと人の協働で通訳の精度向上へ
サービスの裏側を支えているのが、AIの活用だ。通訳内容は音声データとして蓄積され、AIが内容を要約・分析する仕組みを導入。これにより、通訳精度の検証や問題の早期検知が可能になり、サービス品質の向上につながっている。
また、重要な場面では機械翻訳に頼らず、医療専門の通訳者が対応する体制を徹底している。これは「診療の一言の誤訳が、患者の安全を左右する可能性がある」という理由からだ。医療機関のスタッフや同僚が“友だち通訳”を担うことで生じる負担やリスクを減らし、プロフェッショナルによる通訳の普及を進めている。
“通訳がいない”に備える旅行者の選択肢、広がる個人向け医療通訳サービス
これまでBtoB領域で医療機関や自治体向けにサービスを展開してきたmediPhoneだが、訪日客の急増を背景に、2025年には個人向けサービス「mediPhone for inbound(β版)」をリリースした。
スマートフォンひとつで申込から通訳利用、決済まで完結でき、滞在中に突然体調を崩したり、受診先の医療機関が外国語に対応していなかったりする場合でも、旅行者自身が直接プロの医療通訳にアクセスできるのが大きな特徴だ。

▲2025年よりスタートした訪日客個人向けの医療通訳サービス
サービスは従量課金制で、使った時間に応じて利用料を支払う仕組み。クレジットカード登録さえしておけば、緊急時にも迅速に利用できる。訪日客の「どの病院に行けばよいかわからない」「診察時に症状をうまく伝えられない」といった不安を解消する手段として注目されている。医療や社会制度の違いに起因する不安にも、コーディネーターを担う医療通訳士が対応。受診前の相談や確認にも丁寧に応じているという。
現在は広島港でのクルーズ船寄港時に多言語医療支援の実証実験を開始しており、港湾地域や観光地での活用を見据えている。ホテルや旅行代理店からも問い合わせが寄せられており、観光現場での利用拡大に期待が高まっている。
訪日客が安心して旅できる環境を、医療と観光の連携が築く新インフラ
訪日外国人旅行者の増加に伴い、観光地での医療体制の整備は避けて通れない課題となっている。軽症であっても言葉の壁や受け入れ体制の不足によって救急搬送に至るケースは少なくなく、宿泊施設や医療機関に大きな負担を与えてきた。
こうした中で登場した「HOTEL de DOCTOR 24」や「mediPhone」は、旅行者の医療アクセスのハードルを下げるだけでなく、受け入れ側の負担軽減にも一役買っている。ホテルの客室から完結するオンライン診療や、全国の医療機関で導入が進む通訳サービスは、観光現場にとって欠かせない“安全網”としての役割を果たし始めている。
さらに、mediPhoneが開始した個人向けサービスのように、旅行者自身がスマートフォンから直接通訳支援を受けられる仕組みは、今後の観光体験の質を大きく左右するだろう。受益者負担の考え方を取り入れ、訪日客の自己負担を前提とすることで持続可能性を確保し、宿泊施設や自治体も柔軟に導入できる点も大きな強みだ。
観光産業の持続的な成長には、「安心して旅ができる環境」の整備が欠かせない。医療と観光の接点から生まれた新しいサービスは、単なる付加価値ではなく、インバウンドの競争力を高める基盤となる。今後はホテルや空港、港湾といった“旅のハブ”へと広がり、異業種連携による安心インフラが日本の観光の未来を支えていくことが期待される。
取材/文:菅堅太
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