インバウンドコラム
「人が足りない」
最近ほど、この言葉を頻繁に耳にすることはない。宿泊、交通、体験、行政・DMOまで、どこへ行っても同じ声が返ってくる。採用が難しい、育たない、辞める。そうした事情は理解しつつも、相談を受ける中で、私はもう一つの共通点に気づくようになった。
それは、「何をやめるか」が決まっていないことだ。
「効率化」では解決しない。問われているのは「何を守るか」の意思表示
こうした話をすると、「効率化が足りないのではないか」「オペレーションをもっと合理化すべきではないか」と受け取られることがある。だが、私が現場で感じているのは、単なる効率化の話ではない。むしろこれは、「どんな価値を守りたいのか」という意思表示の問題だ。
現場はすでに削りに削っている。人が少ない中で必死に回し、サービス品質を落とさないよう踏ん張っている。だからこそ、「これ以上は無理だ」という感覚は切実だ。その一方で、業務が“足し算”で増え続け、「やめる判断」が後回しになってきたケースも少なくない。
問題なのは、派手な新施策ではない。小さな確認作業、例外対応、曖昧な役割分担、場当たり的な融通の積み重ね。こうした“善意の調整”が現場の負荷を増幅させ、結果として「人が足りない」という状態を招いている。
「やらないこと」は、いつ決めるべきなのか
こうした状況を前にすると、「いっそ整理して絞るべきではないか」という声も出てくる。ただ、ここで一つ注意しておきたい。
「やらないことを決めれば強くなる」のではない。ある程度「選ばれる理由」が育ち、それを安定して提供できる状態になって初めて、「やらないこと」を決める判断が意味を持つ。
たとえば、細かな例外対応を断ること、確認作業を簡素化すること、役割分担を固定し直すこと。こうした判断は、提供する価値が定まり、「この体験はこういうものだ」という共通認識が、現場と顧客の間にできて、初めて成立する。
順番を間違えると、ただ不便になるだけで、現場はかえって崩れてしまう。特に観光のように、季節変動が大きく、複数の事業者が連動する産業では、その影響は一気に表面化する。
一方で、退路を断つように「やらない事業」を決め、やる事業に特化することで価値を高め、結果として選ばれるようになるケースも確かにある。事業を磨くために、あえて範囲を狭める判断は、初期や転換期においては、むしろ有効に機能することが多い。
重要なのは、「やらない」という判断を、現場を守るための線引きとして行うのか、事業の方向性を定めるための集中として行うのか、その意味とタイミングを取り違えないことだ。同じ「やらない」でも、果たす役割は異なる。
支援が分散すると現場は動けない。行政・DMOに求められる“焦点”の設計
観光分野における行政やDMOの支援も、同じ構造を持っている。
観光は関係者が多く、影響範囲も広いため、現場の要望が増えるほど、支援は足し算になりやすい。だが、対象や期間、メニューを絞らなければ、支援の質は薄まり、現場に再現されにくくなる。やらないことを決めるとは、冷たさではなく、「価値を一点に集めるための設計」なのだと思う。
「人が足りない」その言葉を口にする前に、私たちは何を守り、何を手放すのかを、きちんと決めてきただろうか。観光を続けられる産業にしていくために、いま必要なのは、足し算よりも、判断の精度なのかもしれない。
※本記事は「観光フィールドノート」の一編です。続きの思考は、月1回配信しているメール版で記しています。 → メルマガのご案内はこちら
著者プロフィール:
株式会社やまとごころ 代表取締役 村山慶輔
兵庫県神戸市出身。米国ウィスコンシン大学マディソン校卒。アクセンチュア株式会社を経て、2007年に国内最大級のインバウンド観光情報サイト「やまとごころ.jp」を立ち上げ、観光事業者・自治体向けに各種サービスなどを提供。内閣府観光戦略実行推進有識者会議メンバーほか、国や地域の観光政策に携わる。国内外のメディアへ多数出演。近著の『小さな会社のインバウンド売上倍増計画 』(日本経済新聞出版)をはじめ累計10冊出版。
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