インバウンドコラム
観光を「成長のための産業」としてではなく、「社会や自然をより良くするための手段」として捉えてきた国、ブータン。同国が長年培ってきた観光政策の思想と実践は、日本の地域にとっても多くの示唆を含んでいます。本記事では、ブータンの観光政策の変遷とともに、リジェネラティブ・ツーリズム(再生型観光)の考え方を整理し、日本の現場にとっての学びを読み解いていきます。
ゲストには、ブータンにおいて長年コミュニティベース・ツーリズムの現場に関わってきたAthang Training Academy/Athang Learning Institute代表のツェリン・チョキ氏を迎えます。解説およびディスカッションは、引き続き一般社団法人JARTA代表理事の高山傑氏が担いました。

「量より質」を貫く国家戦略 ブータン観光の出発点
ブータンの観光政策は、当初から「観光をどれだけ成長させるか」ではなく、「社会や文化をどう守るか」を起点に、1970年代に始まりました。国王の主導のもと、国家として観光を導入する際に採用されたのが、「量より質」を重視する方針です。
その背景にあるのが、GNH(国民総幸福量)という国家哲学です。経済成長だけでなく、文化の継承、環境保全、良い統治を同時に満たすことを重視するこの考え方は、観光政策にも一貫して反映されてきました。
ブータンでは長らく、最低滞在費を設定する「ハイバリュー・ローボリューム」政策が取られてきました。観光客数を制限することで、環境や文化への過度な負荷を防ぎ、観光が地域社会に与える影響をコントロールしてきたのです。
サステナブルから「リジェネラティブ」へ
従来、ブータンは「サステナブル・ツーリズムの先進国」として語られることが多くありました。しかし、チョキ氏は、長年ブータンの観光現場に関わってきた立場から、サステナブルとリジェネラティブの違いについて、次のように指摘します。
サステナブル・ツーリズムが「悪影響を最小限に抑える」ことを主眼に置くのに対し、リジェネラティブ・ツーリズムは、訪れることで地域や自然がより良い状態へと向かうことを目指す考え方です。
リジェネラティブ・ツーリズムでは、観光が地域の誇りや主体性を高めているか、また自然や文化が「守られている」だけでなく、「再生」されているかといった点が重視されます。ブータンでは、こうした考え方が近年策定された観光マスタープランにも明確に位置づけられ、観光を国家の将来像と結びつける試みが進められています。

観光は暮らしを守るためにあるという思想
ディスカッションの中で、高山氏はブータンの観光の特徴として、観光を目的そのものではなく、自分たちの暮らしを続けるための手段として一貫して位置づけてきた点を挙げました。観光客の期待に合わせて地域が変わることを前提とせず、「変わらないこと」そのものが価値になっているという考え方です。
ブータンでは、伝統衣装や生活文化は観光のために演出されたものではなく、あくまで日常の延長線上にあります。その姿勢に共感できる人を受け入れるという考え方が、結果として観光の質を高めていると言えます。
日本への示唆 オーバーツーリズムは“地域の選択”である
質疑応答では、日本が直面するオーバーツーリズムの問題についても話題となりました。チョキ氏は、日本の強みとして「国内観光の厚み」を挙げたうえで、解決策は一律ではなく、地域や自治体レベルでのポリシーが重要であると指摘します。
地域ごとに「どこまで受け入れるのか」を決める権限と仕組みを持つことが不可欠であり、観光を拡大するか、制限するかという二元論ではなく、地域が主体的に選択できる状態をつくることが重要だという考え方は、日本の現場にとっても大きな示唆を与えるものです。
観光におけるKPIを問い直す
成果指標(KPI)についての問いに対し、高山氏は、観光でいくら稼いだか、何人来たかといった数値だけでは不十分であると述べました。重要なのは、観光を通じて地域の人々が本当に幸せになっているかどうかだという視点です。
ブータンにおけるKPIは、数値化しにくい要素も含め、地域の誇りや参加意欲、次世代に引き継ぎたいと思えるかといった、コミュニティの変化そのものに置かれています。

編集後記 観光は誰のためにある?地域づくりの視点から考える
今回のトークライブを通じて浮かび上がったのは、「観光は誰のためのものか」という根本的な問いでした。ブータンの事例は、観光を地域づくりの文脈で捉えること、明確なポリシーを持つこと、そして地域の「変わらない価値」を尊重することの重要性を示しています。
リジェネラティブ・ツーリズムは、特別な資源を持つ地域だけのものではありません。むしろ、日本の多くの地域がすでに持っている暮らしや文化を、観光という手段を通じてどのように未来につないでいくのかという問いそのものだと言えるでしょう。
「サステナブルツーリズム国際トークセッション」は、観光を単なる集客や経済効果の手段としてではなく、地域・社会・自然との持続的な関係性の中で捉え直すことを目的とした連続対談シリーズです。世界の最前線で議論されている観光の潮流をタイムリーに共有し、それを日本市場にどのように活かせるのかを明らかにすることを目指しています。
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