インバウンド事例
【飲食店:牛門渋谷店】いかにして“普通”の焼肉屋がムスリム客の支持を得たか
2018.05.28
遠藤 由次郎事例のポイント
- 先行者利益によって一気にファンを増やした
- コース料理と営業時間をニーズに合わせて変えた
- 生真面目なムスリムのシェフがキーパーソン!?
- 専門店にすることでオペレーションを簡素化
- 入店時に「店のスタンス」を伝えることでトラブル回避
「このお店をどうやって知ったかって? 日本に来る前に、普通に検索して調べましたよ」と、スマホを指差しながら淡々と答えてくれたのは、インドネシアのジャワ島から来たという32歳のリリーさん。年上の夫と2人で来日した彼女は、あたりまえのように店に入ってきて、日本の普通のお客さんと同じように、スムーズに注文し、提供された焼肉を七輪で焼き、美味しそうにお肉を頬張る。
ここは、渋谷駅から徒歩10分ほどにある牛門渋谷店。以下に載せた店構えの写真を見ていただいてもわかるように、ごく普通の焼肉屋である。しかし、普通の焼肉屋と異なるのは、その客層。同店は、インバウンド客、それもムスリム(イスラム教を信奉する人々)から圧倒的な支持を集める。なぜ牛門渋谷店は、ムスリム客であふれる人気店になったのか。本記事では、その理由や背景に迫りたい。
5割がムスリム客! “先行者利益”が追い風になった
冒頭に紹介した女性のように、牛門渋谷店を訪れる客の多くはASEAN(東南アジア)からの訪日客。同店の店長を務める石原氏によれば、2016年以降、売上の半分が東南アジア、それもムスリム客によるものなのだそう。「マレーシア、シンガポール、インドネシアが圧倒的に多いです。特に11〜12月と3〜4月の観光シーズンはすごくて、店内はだいたい45席あるんですけど、外国人で埋まることもよくあります」
ハラルに対応した牛門渋谷店の店構えは至って“普通”だ
牛門渋谷店がハラルに対応したメニューを提供し始めたのは2011年のこと。きっかけは、『決定版「ハラル」ビジネス入門』の著者であるマレーシア・ハラル・コーポレーション代表取締役のアクマル氏との出会いだった。
「弊社の社長とアクマルさんが知り合ったことがそもそもの始まり。意気投合して、この店でムスリム向けに焼肉を提供してみようってなったんだそうです。それで、アクマルさんの会社を通じて、ハラル認証を取った肉を卸してもらうようになりました」
とはいえ、最初の1〜2年、ほとんどムスリム客は来なかった。しかし、アクマルさんの紹介などで徐々にムスリム客は増えていき、「2013年からは、毎年、毎年、どんどん増えていくような感じで、2017年の売上は(ムスリム客のおかげで)過去最高の売上を記録するに至った」と石原氏は話す。もちろんそうしたムスリム客の増加は、2013年頃から加速度的に日本が推し進めた東南アジア各国への「ビザ発給要件の緩和」と無縁ではないだろう。
一方で、石原氏は、「今でこそハラルのお店が増えましたが、2013年頃まではほとんどなかったですよね。それもうちみたいに焼肉屋でやっているところはなかった。だからこそ、クチコミがバンバン広がっていったんじゃないかって、社内では分析しています。実際、お客さんに聞くと『牛門』という名前はかなり有名みたいです」とも話す。
店内に貼られたハラル専門メディアのレコメンドマーク
「先行者利益」という言葉がある。新たなマーケットに対して、いち早く対応した事業者のほうが利益を得やすいという考え方だ。まさに牛門渋谷店は、その先行者利益を享受したといえる。もちろんそこには、以下に説明するような工夫や努力もある。しかし、ことにインターネットが発展し、クチコミがかつてないほど一気に広まっていく昨今にあっては、思いのほかその利益は大きい。
同じことは、大手クチコミサイトでもいえる。ほとんどクチコミがないニューオープンのお店より、100件のクチコミがある店を選びたくなるのは、自分ごととして考えても合点がいくはずだ。
集客を加速させた2つの工夫とは?
先行者利益によるクチコミの拡散でムスリム客が増えていったとはいえ、もちろん牛門渋谷店は手をこまねいていたわけではない。いくつかの工夫によって、集客を加速させることに成功している。
ひとつはメニューにおける工夫だ。牛門渋谷店のハラルメニューは、基本的にコース料理であるが、2011年当初は4000円のコースがひとつあるのみだった。石原氏は言う。「最初はコース料理をひとつしか用意していなくて、『他にないんですか?』と聞かれることも多かったですね。どうも4000円は高かったみたいで、実際、2人で1セットをシェアする人も多かったんです。だから、原価の安い鶏肉を組合せたりすることで値段を抑えました」その結果、2000円、2500円、3000円の3つのコース(2018年1月の取材時)とすることで、ムスリム客のニーズに合わせた。店としても、4000円のコースをシェアされていた頃よりも、客単価を上げることができた。
さらに、営業時間の拡大という工夫も行った。かつては日本人客が居酒屋風に使用することが多かった同店は、ディナータイムのみの営業だった。しかし、旅行中の外国人はディナータイム以外にも普通に来店することに気づいた石原氏は、営業時間を大きく変える。「2016年の夏からランチ営業を始めたんですが、これが正解でした。外国人観光客は、日本人客とバッティングしない時間に来店してくれるんです。ランチの時間もそうですし、ディナーでも夕方4時とか5時とか早い時間に普通に来てくれる。しかも、基本的にお酒を飲まないので、回転率もいいんです」
2012年から同店の店長を務める石原氏
ランチ営業には、副次的な効果もあった。それは在日外国人が訪れるようになったことだ。「ランチ営業を始めたことで、日本に住んでいる外国人が来てくれるようになったんです。そういった方々が、本国で友人にクチコミを広めてくれたり、あるいは旅行に来た友人や家族を連れてきてくれるというケースも多くて、ランチ営業は本当にアタリだったなって思っています」
焼肉専門店であり続けるには「ワケ」がある
コース料理や営業時間については、先ほど書いたように顧客のニーズに合わせて工夫を凝らしてきた。一方で、牛門渋谷店はあえて「変えない」ところもある。それは焼肉“専門店”であり続けている点だ。その理由のひとつについて、石原氏は「キッチンのオペレーション」を挙げている。
「魚とか、ヌードルなどの要望もお客さんからあります。でも、基本はコース料理で、焼肉だけを提供する方針を取っています。もちろん、別の料理も提供しようと思えばできるかもしれません。でも、キッチンのオペレーションのことを考えると、今のところやらないほうがいいだろうと思っています。ご存知のように、ハラルメニューを提供するには、多くのルールがありますから」
牛門渋谷店の看板には「ハラル認定書」が掲げられている
そうしたルールについて、牛門渋谷店でシェフを務めるバングラデシュ出身のタナ氏は次のように話す。
「ハラルフードを提供するのは簡単なことではないですよ。気をつけていることはすべて。あらゆるものをハラルフードとそうでないものに分けて置かないといけないし、調理する場所も別々にしないといけない。調味料も包丁とかも同じですから」
同店のスタッフに、ムスリムはタナ氏しかいない。だからこそ、「スタッフが間違えることも考えられます。だから責任者である自分がすごく気を配らないといけない。店の信頼問題に関わるので、絶対にルーズにしません」と、大きな責任感を持って取り組んでいる。その姿勢は、料理以外にも表れている。牛門渋谷店でハラルフードの提供を始めるときには、先述のアクマル氏からの講習をみっちりと受け、その後は自身の母語であるベンガル語で書かれた「ハラルに関する本」を取り寄せるなどして勉強を重ねている。
タナ氏が休みのときには、同氏から教えを請うた石原氏がキッチンに立つこともあるが、そうしたことが可能なのも、この生真面目なムスリムシェフが居てこそだといえるだろう。
トラブルを未然に防ぐために、店のスタンスを明示している
とはいえ、まったくムスリム客とのトラブルがないというわけではない。石原氏によれば、「タナさんが休みのときは、ハラルを勉強した僕がキッチンに立ちますが、何度か『ムスリムのシェフが来るまで食べない』と言われたことがあります。そういうときは、タナさんとお客さんとで直接、電話で話をしてもらって、『彼にはきちんと教えたから大丈夫』と説明してもらうことで納得していただくか、あるいは、お帰りいただくときもある」という。
店としてのスタンスをメニューに載せて周知している
実際、牛門渋谷店では、無用なトラブルを回避するため、店としてのハラルへの考え方をメニューに載せており、それに納得できないならばお帰りいただくというスタンスを取っている。そうした対策を講じているにもかかわらず、2017年の11月頃にはちょっとしたトラブルが起きた。
「一度だけタナさんに急遽来てもらったことがありました。20人くらいのグループ客で、事前に説明したうえで料理を提供したのですが、突然リーダー格の方が、『ダメだ、これでは食べない』って宣言したんです。店としては、料理を提供した後だったので、食べないにしてもお金を頂かなくてはなりません。だから、休みだったタナさんに店まで来てもらいました。その間、1時間半ほど待たせてしまいました」
それ以外にも苦労することがある。たとえばお酒の提供だ。日本人客はもちろんだが、外国人客の中にも普通に飲酒する人がいる。「なるべくそうしたお客同士の席は離すようにしている」と言うが、それでも行き届かないところがあるため、店としてのスタンスを事前説明することが欠かせないのだとか。
一見すると、牛門渋谷店は普通の居酒屋風焼肉店だが、その実態は複数の工夫と努力の積み重ねによってムスリム客に支持される人気店であった。飲食店はもちろん、インバウンド市場を狙う事業者にとって、同店の成功に学ぶべき点は少なくない。
(取材協力:牛門渋谷店)
Text: 遠藤由次郎
その他のインバウンド事例例紹介:→
→【バス会社:WILLER株式会社】業界のライバル同士がネットワークを築き、サービスの統一を図ったワケ
→【地方自治体:秋田県】秋田犬が歌って踊る動画が大ヒット!インバウンド誘致に成功した「秋田犬ツーリズム」
牛門渋谷店の取り組みについては、『インバウンドビジネス入門講座 第3版』でも紹介しています。
ぜひそちらもご覧ください。
最新のインバウンド事例
岐阜長良川の流域文化を再定義、高付加価値の和傘が繋ぐ技術継承と持続可能な地域づくり (2023.10.13)
高付加価値ビジネスで地域課題に新機軸、青森ねぶた祭で1組100万円のプレミアム席が継続できる理由 (2023.08.25)
辺境地が1日1組限定のプライベートキャンプ場に、遊休資産の付加価値アップ術 (2023.06.16)
インバウンドに大人気 京都のラーメン店が、コロナ禍でパン業界へ参入したわけ (2021.12.23)
栃木・大田原ツーリズムによる農村観光の「インバウンド市場創出」に向けた2つの取り組み (2021.11.19)
4年で黒字化、重点支援DMO大田原ツーリズムが主導する「農家民泊」の戦略 (2021.11.18)
【ニッポニア|NIPPONIA】古民家を活用した地域おこしニッポニアの原点、全国への事業展開を可能にしている理由(後編) (2020.11.20)
【ニッポニア|NIPPONIA】アフターコロナを見据えた地域づくりのカギは、増え続ける空き家の活用にある!?(前編) (2020.11.19)