インバウンド事例

4年で黒字化、重点支援DMO大田原ツーリズムが主導する「農家民泊」の戦略

2021.11.18

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「市場は戦略的に作っていくべきもの」。そう語るのは、栃木県大田原(おおたわら)市に拠点を置く株式会社大田原ツーリズムの藤井大介代表だ。

観光庁の「重点支援DMO」の1つに2年連続で選ばれている大田原ツーリズムは、大田原市と地元の企業18社の出資によって2012年に設立されたPPPとも呼ばれる官民連携の組織。その主たる目的は、大田原市が策定したグリーン・ツーリズムによる観光客の誘客構想を推進していくことにあった。

そこで同法人の設立前の事業計画立案から設立後は法人の代表として抜擢されたのが、近隣エリアを中心に農業関連企業の経営コンサルや外食、中食事業の経営をしていた藤井氏だった。

「とにかく、観光客の滞在時間を長くしなければいけないと感じていました。地域にお金を落としてもらうには、1時間や2時間の滞在ではなく、1泊や2泊をしてもらう。そのためにどうしたらいいかということで行きついたのが、大田原市の特徴でもある農業を観光に活かす当時の農家民泊、いわゆる現在の『農泊』でした」

藤井氏が目をつけた農泊(農林漁業体験民宿)や大田原市が構想を打ち出したグリーン・ツーリズムは、農林水産省が1992年より推進している施策である。したがって、2012年にスタートした大田原ツーリズムの取り組みは、ことさらに先進的であったわけではない。

しかし、現在、大田原市の周辺エリアを含め180軒を超える農家が宿泊者の受け入れを行っていることに加え、実際に年間約6000泊(2019年)という結果を出しており、“農業×観光“という取り組みにおける最も成功した事例の1つとして、話題にのぼることが少なくない。

では、なぜ大田原ツーリズムは、グリーン・ツーリズムや農泊において、一足飛びの躍進を遂げることができたのか。藤井氏に詳しい話を伺った。

 

なぜ「農村×観光」が注目されているのか

そもそも大田原市とはどんなところなのか。藤井氏は「田んぼしかないところですよ(笑)」と前置きをしたうえで、次のように語る。

「みなさん、本当に豊かな暮らしをしていると思います。私自身は都市部に住んでいるのですが、金銭的な意味とは違う側面で、ここの農家さんの生活は本当に裕福だと感じます。大きな立派な家に三世代で住んでいて、家族との生活と団欒、ゆとりの時間に加え、米や野菜といった素材がいいので、ご飯もすごく美味しく食が豊か。本来の人の生活がここにはあります」


▲那珂川沿いの田んぼと夕焼け(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

実際、5年に一度行われる調査「農林業センサス(2015年)」によれば、農業を主な生業とする主業農家は、大田原市が栃木県下で最大数、また関東では一番の米の生産量を誇る。

また、栃木県の市町村別の観光客数や宿泊者数のトップ3である日光東照宮や鬼怒川温泉を有する日光市、餃子で有名な県庁所在地でもある宇都宮市、温泉やスキー場といった観光スポットを持つ那須塩原市とは異なり、大田原市は全国規模で有名な観光名所や名物をもたない地域でもある。

見方を変えれば、大田原市は、マスツーリズム的な観光開発が進まなかったからこそ、昔ながらの伝統的な農村の生活が保たれているともいえる。

しかし、そうした古き良き暮らしは、急速な少子高齢化によって、消滅する可能性が出てきている。同市が発表している「大田原市人口ビジョン」は、団塊の世代(1940年代後半)が特に多いという人口構造上、急速に生産年齢人口の減少や老年人口の増加が起きると指摘している。つまり、連綿と受け継がれてきた農村の暮らしが維持できなくなることを意味する。

これは大田原市に限った話ではない。全国区の観光地を持たない多くの自治体や、日本の国土面積の7割を占めている中山間地域の社会・集落が同様の課題を抱えている。そのなかで1つの解決策とされているのが「観光」であり、観光によって生まれる「交流人口」や「関係人口」の創出であるというわけだ。


(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

 

大田原ツーリズムが全国的に減少傾向の農家民宿を増やすことができた理由

先にも書いたとおり、1990年代前半から始まった農泊であるが、藤井氏は「地域として事業を軌道に乗せているエリアは、あまり多くない。始めたはいいものの、ずっと赤字のままというところもある」と指摘する。実際、「農林業センサス」によれば、全国の農家民宿の数は2010年に2006軒あったが、2015年には1750軒にまで減っている。

一方、栃木県の大田原市周辺では、藤井氏が率いる大田原ツーリズムが中心となって農泊の取り組みを推進した結果、簡易宿所を取得し、旅館業として営業できる会員もしくは申請中の合計は、現在、180軒にまで増えたという。

「今でこそ、協力的な姿勢の農家さんも増えましたが、最初は苦労しました。『こんな何もないところにお客さんがくるわけない』と言われたり。ですから、信頼関係を築くために何度もお会いし、『都会の人はみなさんの暮らしにあこがれているんです』と説明していきました。初期段階では、なんとか理解していただいて、地道に賛同してくださる農家さんを1軒、1軒増やしていくような感じでした」

さらに、定期的に農家さん向けの講習会を開いたり、懇親会を実施して農家同士の横のつながりをつくったりするなど、絶えずフォローしてきた。180軒という数字は、そうした努力が礎になっている。大田原市の農家民宿数は2010年に0軒、2015年には13軒となっている(農林業センサス)ことからも、いかに大田原ツーリズムの取り組みが、数字につながっているかが見て取れる。

 

4年で黒字化を実現。背景にあるのは「市場戦略」

しかし、農泊を行ってくれる農家の数は、受け入れ体制を整えたことを示すだけにすぎない。大田原ツーリズムの真骨頂は、その先にある。設立から4年という異例のスピードで黒字化を達成したのだ。

「事業計画書のなかでは8年で黒字化をするとしていましたが、事業の継続性を考えたら、なるべく早く黒字化を達成する必要があると考えていました。結果的に事業開始から4年での黒字化を実現しました」

黒字化を実現させた最大の成功要因は、藤井氏が行った「市場戦略」にある。地方における観光の新規事業といえば、2010年代に入って急速に伸びてきたインバウンド市場を思い浮かべる人も少なくないだろう。

しかし、大田原グリーン・ツーリズムでは、あえてこの成長市場ではなく、農業体験をベースとした教育旅行から重点的に取り組んでいった。その理由について、藤井氏は次のように語る。

「5年先、10年先を見越したら、たしかにインバウンドという市場は可能性に満ちています。世界と比べても本当に綺麗で、豊かな暮らしが残っている日本の農村は、世界の個人客を引きつけるポテンシャルを持っています。でも、いきなりそれはできない。需要はあれども、市場がないからです」

需要はあるが市場はないとはどういうことか。端的にいえば、潜在的な需要を掘り起こすためには、「受け入れるための体制づくり」と「市場の創出」の両方が必須であるということだ。


(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

 

最初から結果を出すことを求め、狙いを教育旅行に

「受け入れるための体制づくり」とは、もちろん農家民宿の数を揃えるということも大事であるが、同時に、農家や地域のマインドを変えることも重要だ。

「大田原ツーリズムの設立自体もそうですし、農泊を始めようと提案したときもそうでしたが、農家や地域のみなさんからは、“うまくいくはずがない”と、とにかく反対されました。ですから、地域のマインドを変えるには、“きちんと儲けにつながる”ということを示さないといけないと考えました」

そこで藤井氏は、徹底的に調査を行った。具体的には、視察のため、全国の取り組みを見て回ったという。その結果、わかったのは教育旅行という市場があること。

とくに田舎での農家体験は、栃木県内に住む人たちにはあたりまえの光景でも、農家や田舎と無縁な暮らしをする都会の子どもたちには貴重な経験であり、大きな価値となることから、全国の学校をメインターゲットにした。

同時に、付加価値をつけて、収益性を高めるために、さまざまな企画やプログラムをつくっていった。その数は120にものぼり、学校や団体の要望に応じてカスタマイズして提供している。

結果はすぐに出てきた。首都圏をはじめ、全国から子どもたちがやってきたのだ。

「たとえば100人の生徒たちを受け入れる場合、ズラッと並んだ20〜30組の農家さんと向かい合って入村式を行います。1つの農家さんには4〜5人のグループを受け入れてもらって、その後はそれぞれの家庭ごとに農作業や収穫体験はもちろん、郷土料理を一緒につくったり。学年全体で田植え作業を行うこともあります。最後は入村式と同じように、退村式を行います」


▲入村式の様子(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

 

農家の好意に甘えるのではなく、対価を支払うためのプランをつくる

ほどなくして、最初はおそるおそる農泊を始めたはずの農家たちのマインドが変わっていった。実際、受け入れた子どもたちとの体験について、「思った以上に楽しかった」「子どもたちとの別れが惜しかった」「同居する孫が、普段の生活では会えないような友だちができて喜んでいた」といった感想が寄せられたという。

しかし、いくら農家が大きな家を持っているからといって、やはり他人を受け入れるのは大きな負担になる。食事では手作りにこだわる必要があるし、最近の子どもに増えているアレルギーにも気を使う。農作業もリスクがないわけではない。そこで重要になるのが報酬である。

「農家さんたちは楽しそうに受け入れてくれます。『農作業を手伝ってくれるので、むしろ助かっている』と言ってくれることも少なくありません。でも、その裏には大変な苦労があります。人様の命を預かっているわけですから。だからこそ、きちんとその対価をお支払することも重要であると考えています」

教育旅行を受け入れてくれた農家に対しては、6〜8万円を渡している。月に2〜3回を受け入れると20万円程度になることも。「副収入であったとしても、嬉しい金額」受け入れ農家から、そのような声も聞かれる。

藤井氏は「その金額を払えるように全体のプランを整えているということです。それに加えて、報酬は受け入れ相手を見送ってから、なるべく早く現金で手渡しするようにしています。受け入れた相手の顔を鮮明に覚えている状態で渡すことで、自分たちの行為と報酬がはっきり結びつきます」と強調する。

「記憶が新しいうちに直接会って話を聞くことでフィードバックが得られるので、次に活かせる。またこうした一連の流れを丁寧にフォローすることで、コーディネートを行う大田原ツーリズムへの信頼感にもつながる」と藤井氏。一見すると手間のかかる作業だが、農家さんとの密なコミュニケーションや信頼関係を構築する手段として、あえて手渡ししているのだ。


▲大田原ツーリズムのメンバーたちと、前列左から二番目が話を伺った藤井氏(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

 

国内教育旅行からインバウンド、次なるステージへ…

農家だけでなく、地域への社会貢献にも気を配っている。たとえば教育旅行のなかで、国重要文化財にも指定されている那須神社の清掃活動といった奉仕活動を組み込むこともある。

「たとえば中学生が100人で掃除をしたら、ふだんは手の行き届かないところまで綺麗になります。地域の方々は『自分たちの大切な場所が綺麗になった』と喜んでくださいますし、学校としても国重要文化財という貴重な場所で社会奉仕できるとあって、意義を感じてくださる。こういうことの積み重ねは、地域からの協力を得るという意味でも大切です」

日本の小中学校を中心とした教育旅行で、農家や地域が農泊に慣れてきたタイミングを見計らい、大田原ツーリズムでは海外からの教育旅行の受け入れをスタートさせた。先にも書いた市場の創出に乗り出したわけだ。さらに、収益性が高く、地域のブランド化に有効な海外FIT(個人客)の受け入れを目指して、地域に眠る登録有形文化財を活用した宿泊事業を始めていく。

(後編につづく)

 

>>後編:栃木・大田原ツーリズムによる農村観光の「インバウンド市場創出」に向けた2つの取り組み

 

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