インバウンド事例

栃木・大田原ツーリズムによる農村観光の「インバウンド市場創出」に向けた2つの取り組み

2021.11.19

印刷用ページを表示する



「ガラケーだったお父さんやお母さんがスマホに変えたいって言うんです。指でフリップする動作をしながら“これがあると海外の人とも連絡できるんでしょう?”と。交流が起きれば、自然とインバウンドへのモチベーションが高まることの証拠です。これは、数字では出てこない大きな効果だと思っています」

そう熱弁するのは、栃木県大田原市の地域DMOであり、大田原エリアのグリーン・ツーリズムを推進する株式会社大田原ツーリズムの代表を務める藤井大介氏。

前編では、農家民泊(農泊)を推進するにあたり、都心部などの小中学生をメインターゲットにした教育旅行に照準を絞ることで、類を見ないスピードで結果を出した話を聞いた。後編では、その経験を活かし、次なるステージへと進むために行っている2つの取り組みについて詳述する。

1つは海外からの教育旅行の招致、もう1つは収益性の高いFIT(個人旅行)市場の開拓である。まずは海外からの教育旅行の招致について聞いていく。

 

いきなりFITを狙うのではなく、台湾の教育旅行をメインターゲットに据えた理由

「なによりも大事なのは、インバウンドを受け入れる農家さんたちに、“プライドを持ってもらうこと”だと思っていました。つまり、自分たちがおもてなしした人たちの喜ぶ姿をみることで、自信をつけてもらう必要がある。ですので、最初は世界で最も親日的だともいわれる台湾に的を絞りました」

前編でも書いたように、農泊を進めるにあたっては、成長市場といわれていたインバウンドを狙うのではなく、戦略的に国内の教育旅行からスタートさせた。
そうすることによって、大田原ツーリズムは未経験だった農家たちの農泊に対するモチベーションを高めることに成功したのだ。

そして、同社を率いる藤井氏が次に狙いを定めたのが、収益性の高い海外市場、すなわちインバウンドだった。ここでも同氏の戦略が光る。あえてFITではなく、国内の教育旅行の受け入れで培った経験を活かす市場を狙ったのだ。

「もちろんFITといわれる個人旅行が伸びていることは知っていました。けれども、インバウンドもFITも受け入れた経験がない農家さんたちが、いきなりインバウンド向けのFITを受け入れられるかというと、それは難しいと思っていました」

特にFITの主流といわれる欧米客は、長期の滞在(拠点)型観光を好む傾向を持つ。国内からの1泊や2泊の教育旅行とはさまざまな面で異なり、ミスマッチが起こるだろう。そこで、最終的には農村観光のブランド化を目指す前提で、次のステップとして進めたのが台湾の教育旅行というわけだ。

「FITとは異なり、マスプロモーションの必要性はあまりありませんので、教育旅行に強い現地の旅行会社を中心に営業活動を行ったり、向こうの校長先生をファムトリップとして受け入れたりしました」

その後すぐに結果に結び付けて、学校を中心に誘致を実現させることができた。


(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

「日本まで教育旅行に来るような生徒たちですから、みなさん優秀だし、きちんとしています。迎え入れるにあたっては、まったく違和感がありませんでした。事前に懸念の声があがっていた言葉の問題も全くない。最初は身振り手振りでも十分楽しめ、簡単な会話集こそ配布したものの、今では、ポケトーク(小型自動翻訳機)、スマホのアプリを使って更に交流を楽しんでおります」

 

海外に興味がなかった農家たちが、自分たちで海外旅行に行きだした

かえってそうした不自由な意思疎通を楽しむ声も少なくなかったようだ。その証拠に、ホストとなった農家が子どもたちと仲良くなったことで、それまで興味がなかった海外に興味を覚えた人も多いと藤井氏は力説する。

「ガラケーだったお父さんやお母さんの携帯が、スマホにどんどん変わっていくんですね。SNSを使ってコミュニケーションをしたいからって。すぐに農家のみなさんのほうから、“われわれも台湾に行きたい”という声があがってきました。弊社が中心となって、『みんなで台湾を訪れる』という国際交流が始まりました。3年目くらいからは、各々が個人で行くようになりました」


(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

そうした交流が起きることは、ある程度予想していたものの、農家さんたちの適応能力は想像以上だった。その後、シンガポール、タイ、韓国、中国……と受け入れ先はどんどんと広がっていった。ある農家は、フィリピンからの子どもを受け入れたことを契機に、個人でセブ島まで行ったこともあった。ムスリムの多いインドネシアやマレーシアといった国から受け入れることもある。

「農家のモチベーションは高く、ムスリムの受け入れにあたっては、ハラルの食事にも対応してくれています。水が貴重なネパールから受け入れを行ったときには、いくら入浴を勧めても湯船には入らなかったそうですが(笑)」

 

農泊を受け入れている2組の農家の思い

サラリーマン時代に単身赴任した先のイタリアで心のこもった暖かいおもてなしを経験し、今度は自分がおもてなしをしたいという想いで、受け入れを始めたのは、農家民宿「代志乃庵(よしのあん)」を営む後藤明さんだ。

都心部から日本人の子供たちを受け入れる場合は、農家体験が中心になるが、外国人となると、農作業にとどまらない。日本文化体験として、近所のお寺に一緒に訪れたり、近所の100円ショップで買い物を楽しんだり、日本人の生活の日常や文化交流も楽しんでいる。

「一度訪れてくれた子が、『また訪れたい』と言ってくれて、まるで我が子のようにかわいく思えます。新型コロナウイルス感染症の影響で延期になってしまったものの、また来たいと言ってくれる人もいて、会えるのを楽しみにしています」

同様に農泊を受け入れている農家の1つ、小山田桃園の小山田巧さんは、「家にいるだけで遠くから友だちが来てくれるようなものですよ。しかもお金まで払って」と笑いながら話す。

「マレーシアの人だったと思いますけど、最後の夜にカレーのような自国の料理をつくってくれたんです。食べ方を教えてくれて、一緒に手を使って食べたことも良い経験です。こうした異文化交流が楽しめるのも、農家民泊ならではです」


(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

こうしたインバウンドの受け入れによる地域の行動変容は、例をあげればきりがない。市内から海外留学する学生が増えたのは、その最たる象徴だ。

 

イタリアのアグリ・ツーリズモへの視察調査で確信したこと

教育旅行を中心に受け入れることで、地域がインバウンドを含めた観光客を受け入れる素地をつくることができたが、藤井氏は「それだけでは十分ではない」と語気を強める。

「地域をブランド化していくためには、その先が重要だと思っています。もちろん団体旅行や教育旅行も経済効果として不可欠なものですが、DMOとしてはもっと地域への経済波及効果を求めていかないといけません。それにはFITを受け入れていくことで、地域をブランド化していく必要があります」

しかし、体験がベースとなっている現状の農泊では、FITを広く受け入れるのは難しいというのが藤井氏の見解だ。その見解のベースになっているのは、世界で最もFIT化が進んでいるヨーロッパへの視察である。


(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

今から約5年前、海外の個人客を受け入れているイタリアのアグリ・ツーリズモを直接オーナーにヒアリングしてまわった。その調査結果を論文にまとめるほどの徹底ぶりだ。

「アグリ・ツーリズモという農村観光のスタイルを研究するために、実際にイタリアに行きました。そこでわかったのは、FITを獲得していくには、現状のままではだめだという事実です。基本的に欧州のFITは長期滞在を基本にした拠点型観光なんです。もちろん農村の生活を体験するというコンテンツもありましたが、それは付加価値の1つであって、体験コンテンツが重要ではないことがわかりました」

 

拠点型観光ができる快適性を追求した「飯塚邸」をオープンさせた理由

最も違いを感じたのは、宿泊施設の快適性だ。1週間ほど滞在することが普通で、長ければ1カ月以上も滞在するのが欧州を筆頭にしたFIT市場だ。

「いま大田原で農泊を提供してくれている農家さんのところに、欧米のFITが1週間滞在できるかといったら、それは受け入れる側としても訪問する側としても難しい。宿泊としての機能が、彼らのニーズに合っていないからです」

大田原エリアだけでなく、日本の農泊のほとんどが体験を売りにした“ホームステイ”であるが、藤井氏が見てきたイタリアのアグリ・ツーリズモはそうではなかった。

同氏らが重点的に視察を行った最もアグリ・ツーリズモが成熟しているトスカーナ州では、フィレンツェやピサ、オルチア渓谷といった観光名所が数多く点在することから、アグリ・ツーリズモの宿を観光の拠点とするのが一般的であるという。

「向こうのアグリ・ツーリズモの宿は、端的にいえば、非常に洗練されていました。農家自身が投資をしていて、築200年ほどの建物をしっかりとリノベーションして、ベッドやテーブルは快適性を追求しているし、什器もきちんと揃えています。場合によってはプールや立派なレストランも併設させています。さらに、ここが実は重要なのですが、各部屋にはちゃんとしたリビングやキッチンも備えています。こんなところで家族でゆっくり過ごせたら最高だろうな、というような施設がたくさんありました。いわゆる日本の典型的なスタイルであるベッドだけの部屋では3日もいたらストレスが溜まるので長期滞在には不向きです」

▲藤井氏が視察で訪れたイタリアの宿。部屋には広いベッドルームに加えキッチンやリビングも(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

そうした需要があることがわかったものの、農泊を営む人たちに、いきなり「FITを受け入れるために、拠点型観光となる施設をつくりませんか」と投資をお願いするのは現実的ではない。

そこで藤井氏は、自分たち自身で宿泊業を営むことで、市場を創出しようと考えた。それが2019年8月にオープンさせた古民家の有形文化財ホテル飯塚邸である。

 

ある宿泊客は日帰り旅行先に、200キロ離れた山形・蔵王を選んだ

「飯塚邸は、元の所有者から那珂川町に無償譲渡された、国の登録有形文化財になっている築200年の歴史的な建造物です。これを大田原ツーリズムが借り受けて、資金調達し、リノベーションをしてホテルにしました」

大田原市に南接する那須郡那珂川町にある飯塚邸は、藤井氏が視察調査を行ったトスカーナのアグリツーリズモを倣って、快適さを追求したうえで、6つある部屋にはそれぞれ独立したリビングとキッチンを備えさせている。


(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

宿泊料金は、2人で宿泊した場合の1泊朝食付きの2人分が「邸の部屋」で約6万円、「蔵の部屋」で約4万円。それも2~3泊から1週間程度の滞在を想定しているというから、ハイエンド層がターゲットとなる。

「もちろん我々が飯塚邸をホテルにするにあたっては、いろんなことを言ってくる人たちがいました。その多くは、“こんなところに観光客が泊まりにくるわけがない”というものでした」

それでも、拠点型観光というニーズがあると確信していた藤井氏は、飯塚邸ホテルの開業にこぎつけた。

「蓋を開けてみると、やはり観光客は来てくれました。そもそも“こんなところ”という発想自体が正しくないのだと思っています。海外からのFITは、“ここ”だけを目的としてくるわけではないからです」

どういうことか。飯塚邸は、その立地から欧米にせよアジアにせよ、FIT客が “ 車を借りるか”、“レンタカー”で訪れる以外の方法はあまり現実的ではない。国内客であれば“自家用車”だ。いずれにしても、自動車という“足”を持っているため、彼らは自由に広範囲を移動できる。すなわち飯塚邸を拠点に、周囲にある観光地を訪れることが可能になるというわけだ。

「イタリアの調査でも見えてきたことでもありますが、彼らの旅行の仕方は、週末の短期旅行が主流の一般的な日本人の観光スタイルとは異なります。数十キロから200〜300キロくらいの距離ならば、平気で移動して、日帰りをします。たとえばコロナ前には東南アジアのある国から、家族旅行でこちらの施設を活用したお客様がいました。成田空港からレンタカーでやってきて、滞在した1週間のなかで日光や那須といった栃木県の有名な場所をまわっただけでなく、遠くは蔵王まで行っていますからね」

 

拠点型観光でも、地域への経済効果は十分に得られる

先ほど、FITを狙う目的として、地域への経済波及効果をあげた。一見すると、数十キロから数百キロの移動をする拠点型観光になると、当該地域への経済効果は薄くなると思いがちである。

しかし、決してそんなことはない。キッチン付きということもあり、地元のスーパーや産直市場などで高単価の食材を惜しげなく買ったり、ホテル周辺の飲食店を訪れたりする。キッチン付きとはいえ、ニーズの高い朝食においては、地元食材をふんだんに利用した料理の提供も行っている。その朝食を用意するのも、地域に根ざした飲食店だ。

「イタリアのグリーン・ツーリズモでも地元産の食材を使わないといけないというルールがありますが、飯塚邸でも、地域のものを使うというところは、とてもこだわっています。細かいところですが、お菓子も近所のお菓子屋さんのものですし、緑茶も紅茶も地元でつくっている自家製のものを提供しております」

「こうしたホテル内だけで完結するのではなく、地域の事業者の方々とともに、観光客を迎え入れる分散型スタイルのことを、イタリアでは“アルベルゴ・ディフーゾ”と呼びます。日本語だと分散型ホテルとか町一体型ホテルなどと言ったりします。もちろん、イタリアの分散型ホテルの調査も徹底的に現地で調査しました」

実際、大田原ツーリズムでは、飯塚邸の宿泊者に対して、地域の商店会などで活用できる独自のクーポンを発行するなど、地域への経済波及効果を大切にしている。あえて夕食を提供していないのは、その一環であり、部屋で食べたい人には地域の飲食店と連携して、ケータリングを提供している。そうした努力が実を結んでいることを示す事例があると藤井氏は胸を張る。


▲地域の商店会で利用できるクーポン(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

「たとえば、夕食では近所のお寿司屋さんを紹介することも珍しくありません。そうしたら、“いつもありがとうございます。これよかったら使ってください”と、お米を一俵(約30kg)持ってきてくれました」

 

地域に合った観光客を呼び込むために……

こうした飯塚邸の盛況ぶりを見せつづければ、180軒以上ある農家民泊のなかから、「自分でもFITの受け入れをやってみよう」という動きが出てくると藤井氏は考えている。それは大田原エリアを牽引するDMOとしては、狙い通りの展開だ。

ただし、闇雲な観光地化は誰も望んでいない。たとえば、低価格でたくさんの宿泊者を受け入れられるような大型のホテルやビジネスホテルは、この農村地域に似つかわしくない。それがわかっているからこそ、藤井氏はあえて宿泊単価を高く設定している。

「地域に合ったお客様を選ばなければいけないと思っています。どう選ぶかといったら、それは価格がいちばん良い方法です。価格は客層を選んでくれますから」

そんななかでも高単価に設定している効果を感じられる場面があるようだ。この価格帯にしては珍しく、子ども連れを歓迎しているため、ファミリー客も多いのだが、障子を破られたことすらないのだとか。

「さすがに障子などは、すぐに破られてしまうかなと少しだけ心配していましたが、まだ開業以来、一度も障子が破れていません。この価格帯、かつ(有形文化財の)建物だからこそ、お客さま側もそういう振る舞いをしてくれているのだと思います」

コロナ禍の影響で、現在の利用客は、外国人に代わって日本人がほとんどだが、それでも2泊3日など、連泊のケースが多いという。開業以来、対前年比増を更新し続けている。

藤井氏は、滞在型の農村観光が活発化し、大田原という地域がグリーン・ツーリズムにおいてブランド化され、世界的に有名になるためには、大田原ツーリズムが運営する飯塚邸だけで十分だとは考えていない。地域全体がもっと力を合わせることが必要なのだという。

現在は、地域のブランディング化を狙い、夜の誘客を目指し光のイベントを開催したり、国の登録有形文化財である飯塚邸や、同じく那珂川町にある隈研吾氏が設計した馬頭広重美術館を活用したユニークベニューにも取り組むなど、新たな仕掛けも練っている。


(写真提供:株式会社大田原ツーリズム)

藤井氏が牽引する大田原ツーリズムの取り組みをみていると、日本の農村エリアにおける持続可能な「農業×観光」という新たな地方創生のモデルができる日は、遠くないと感じさせられる。

 

最新のインバウンド事例