インタビュー
全国の観光・インバウンドの現場で奮闘する人々に迫る本連載。今回は、出雲大社門前で人力車を引く車夫でありながら、市議会議員やゲストハウスの運営など、多面的に地域に関わる糸賀太郎さんにお話をうかがった。
10年以上にわたる京都での車夫経験を経て地元である島根県出雲市にUターンした糸賀さんは、観光の現場と行政の両面から地域の魅力を発信し続けている。今回は、観光業のリアル、地方で稼ぐという視点、そして持続可能な地域づくりへの思いを聞いた。

車夫、市議、宿オーナー 3つの顔で地域と向き合う
― 現在のお仕事とこれまでの経歴を教えてください。
現在は、出雲大社の門前で人力車を引く車夫の仕事を中心に、出雲市議会議員としての活動、そして1日1組限定のゲストハウス「養神館(ようじんかん)」の運営という三本柱で日々活動しています。
島根県出雲市で生まれ育ち、高校卒業後に京都の観光系専門学校へ進学。学費を稼ぐために京都で始めた人力車の仕事がきっかけで、観光の世界に入りました。軽い気持ちで始めた仕事でしたが、気づけば14年近く続けているライフワークになっています。
京都での車夫時代には、国内外さまざまなお客様をご案内しました。中でも印象的だったのは、アメリカから来たカップルが「景色の一番きれいな場所で少し降りたい」と言い、祇園の真ん中で突然プロポーズをしたこと。驚きましたが、一生に一度の瞬間に立ち会えたことは忘れられない思い出です。
▲京都で車夫としての一歩を踏み出し、観光の現場で経験を積んだ糸賀さん
私のキャリアの中で、大きな転機が三つあります。
一つ目は、京都で車夫をしていた時に出会ったお客様とのご縁で、オーストラリアへワーキングホリデーに行ったこと。2015年の夏から1年間ホームステイをしながら生活し、語学を学んだ経験は、視野を大きく広げてくれました。
▲異文化に触れながら視野を広げたオーストラリアのワーキングホリデー時代
二つ目は、コロナ禍で京都の観光業が大きな影響を受ける中、京都から地元の出雲へ戻ったこと。観光協会での勤務を経て、2022年7月、「雲州人力社中」を立ち上げ、人力車の運行を始めました。観光協会では、SNSを活用した情報発信や体験コンテンツの開発、レンタサイクルの活用などにも取り組み、地域観光の基礎を学ぶ良い機会になりました。
三つ目の転機は、2025年春に出雲市議会議員に当選したことです。現場と行政、両方の視点から地域観光に関われるようになり、自分の中でも視野が一段広がったと感じています。
― 高校卒業後は、観光系の専門学校に進学したとのことですが、観光に興味を持つきっかけとなったのはどのようなことでしたか。
観光に興味を持ったきっかけは、出雲大社の参道が通学路だったことです。私が中高生だった頃は観光客も少なく、町にどこか寂しい印象がありました。
それが「平成の大遷宮」(2008〜2013年)を機に大きく変わり、参道や門前町が賑わいを取り戻していく様子を県外から見て、「いつか出雲で人力車を走らせたい」と思うようになりました。
その思いが、Uターンや起業、ゲストハウス「養神館」の開業、市議としての挑戦へとつながっています。観光を通じて人と地域をつなぐことを軸に、これからも出雲で活動していきたいと思っています。
「現場の声」を市政へ
― 市議会議員としても活動されているとのことですが、議員になった経緯と、現在注力している活動について教えてください。
議員を目指したきっかけの一つは、「観光が出雲で本格的に仕事になる時代が来た」と実感したことです。かつては閑散としていた出雲も、観光業が活性化し、雇用も生まれ、経済が循環するようになってきました。そんな中で、「この流れをどう未来につなげるか」を考えるようになりました。
当時の市議会には、観光業の現場に立つ議員がいなかったことも大きな理由です。私は車夫として日々観光客と接しており、現場のリアルな声を市政に届ける役割を担えるのではと考えました。
もう一つは、観光地としての「地域らしさの喪失」への危機感です。全国どこでも似たようなチェーン店が並び、地域固有の風景や文化が薄れていく中、地元事業者が主役となるまちづくりが必要だと感じています。利益や税金が地域に還元されるしくみをつくるためにも、地元の人がチャレンジしやすい環境整備が重要だと考え、議員としてその実現に取り組んでいます。
現在特に力を入れているのは「情報発信」です。制度や支援も、必要な人に届かなければ意味がありません。私は自身のSNSで市の情報を発信し、必要な相手に確実に届けるよう努めています。
▲2025年4月、出雲市議会議員に初当選。現場視点を活かし、地域課題に挑む
10年の京都経験を、地元・出雲で活かす決断
― 出雲で人力車サービスを始めた理由を教えてください。
出雲で人力車を始めた大きなきっかけは、中学・高校時代の同級生の存在でした。観光とは異なる分野で地元で起業していた彼から、「この町で人力車を引けるのはお前しかいない」と強く背中を押されたんです。
京都で10年以上積んだ経験と、出雲大社の参道を通学路にして育った自分のルーツ。それらがつながるのは、やはり出雲での人力車でした。ただ、当時の私は自信もなく、どこかで二の足を踏んでいましたが、「もう人力車、買ってあげるから始めてよ」と彼が本気で背中を押してくれ、事業がスタートしました。
現在、私が運営する雲州人力社中では、出雲大社周辺の参道や名所を巡る30分〜2時間のコースを用意し、地元出身の私が歴史や風景をガイドしながら非日常の旅を提供しています。
▲参道を案内する糸賀さん。丁寧な接客と明るい人柄が好評を得ている
天候・客層・季節変動…地方観光のリアル
― 出雲で人力車サービスを実際に始めてみてどうでしたか。
京都での経験を活かして出雲で起業しましたが、やはり都市部と地方では違いが大きいと感じます。
一番の違いは「観光客の母数」。京都と比べて人通りが少なく、売上面の厳しさは覚悟していました。ただ、予想以上に大変だと感じたのは気候です。特に12〜2月は山陰特有の曇天や雨が多く、売上が落ち込むため、現在はそれ以外のシーズンでしっかり稼ぐスタイルにしています。とはいえ、出雲には「神在月(かみありづき)」という特別な繁忙期があります。毎年11月頃、日本中の神様が出雲に集まるとされるこの時期は、町全体が賑わい、宿も満室になります。
人力車を利用されるお客様は、50〜70代のご夫婦や母娘など、落ち着いた年齢層が中心。30〜60分のコースが人気で、料金は1万円前後が主流です。
現在は人力車1台、私1人で運行しています。安全性や季節変動を考慮し、現時点では増車や人員拡大は考えていません。以前は通りでの声かけ営業も行っていましたが、現在は予約制を基本とし、月平均で約50組のお客様をご案内しています。また、前撮りや神前式での婚礼利用もあり、ご好評をいただいています。
2024年からは、出雲大社から徒歩2分の場所に、ラウンジスペースを設けました。観光の合間に一息つける場所として好評で、特に繁忙期には「出雲そばがどこも混んで食べられない」という声も多く、ここでは出前が可能なため、そうしたニーズにも対応できています。
▲観光の合間にひと息つけるラウンジスペース。人力車のゲストに好評
車夫の本質は“知識”より“体験価値”
― 車夫としてのやりがいと、日々大切にしていることを教えてください。
やりがいは、とてもシンプルで「お客様に喜んでもらえること」に尽きます。どんなに場数を踏んでも、毎回出発前は緊張しますし、「楽しんでもらえるか」という思いは常にあります。高い料金をいただく以上、ご満足いただくのは当然のこと。どんなときも「絶対に満足させる」という強い気持ちで向き合っています。
そのために大切にしているのは、どんな時も疲れを見せず、明るく元気にご案内すること。暑さや寒さに関係なく、まずは自分が前向きでいることが基本です。お客様の中には、元気をもらいに来てくださる方もいると感じています。
この姿勢は、京都での車夫経験を通じて身についたものです。多くのお客様と接する中で、「深いガイド」よりも「楽しい時間」を求めていることに気づきました。知識を一方的に伝えるよりも、気の利いた言葉やちょっとした気遣いが、満足につながると実感しています。
人力車の拠点から生まれた「1日1組の宿」
― 宿の運営もされているとのことですが、始めた経緯を教えてください。
出雲大社近くのゲストハウス「養神館」は、最初から宿をやろうと決めていたわけではありません。もともとは自宅兼人力車の拠点、さらに将来的に選挙活動のベースにもなる場所を探していた中で、現在の物件に出会いました。
▲もとは八百屋だった建物を改装し、ラウンジ兼宿として活用
立地や建物の状態も良く、部屋数も十分にあったため、「これは自分だけで使うにはもったいない」と感じ、宿として活用することにしました。人力車のお客様向けに、ラウンジとしても使っています。
運営にあたっては、「高価格帯・高付加価値」よりも、最低限のリノベーションでコストを抑え、気軽に泊まれる価格帯を意識しています。2025年9月にオープンし、宿泊予約サイトからの予約も少しずつ入り始めました。実際に、人力車と一緒に宿利用の問い合わせもいただくようになり、宿と体験を組み合わせることで、観光の満足度を高められると感じています。
出雲大社まで徒歩圏内で、駅やバス停も近く、車がなくてもアクセスしやすい立地です。今後も地域に根ざした観光拠点として、活用の幅を広げていきたいと考えています。
▲1日1組限定のゲストハウス「養神館」の客室
出雲が抱えるインバウンドの壁と、まず取り組むべき「土台づくり」とは
― インバウンドのお客様の状況はいかがですか?
これまでに、数組ではありますが、海外からお越しのお客様にも人力車をご利用いただいています。ご案内する方の多くは、「友人を訪ねて」や「知人が住んでいたから」といった理由で出雲を訪れている印象です。先日も、オランダから来られた方が「オランダで仲良くなった日本人留学生が出雲出身で、その友人に会いに来た」と話していました。
私自身、海外生活の経験もあり、今後はもっと多くの海外のお客様に出雲の魅力を伝えていきたいと思っています。一方で、海外向けOTAにも掲載していますが、県全体としてインバウンドはまだ少なく、予約も多くはありません。それでも、「出雲に行ってみたい」と関心を持ってもらえるよう、人力車や情報発信を通じて、少しずつきっかけをつくっていけたらと考えています。
― より多くの海外のお客様に出雲を訪れてもらうために、乗り越えるべき課題は何だと感じていますか?
一番大きな課題は、やはりアクセスの問題です。新幹線やLCCの直行便がなく、移動のハードルが高いと感じています。例えば、台湾から岡山までは飛べても、そこから特急でさらに3時間。クルーズ船で隣県の鳥取・境港に入港しても、出雲大社への日帰り利用が主で、宿泊や体験にはつながりにくいのが現状です。
一方で、観光業界の仲間内でよく話すのは、「今は無理にインバウンドに手を広げるよりも、国内のファンを増やそう」という考えです。これは決してインバウンドを否定するものではありません。その重要性は十分理解していますが、今は目の前のお客様の満足度を高めることが先決です。実際に、「海外の方が少なくて落ち着いて観光できた」という声をいただくこともあり、出雲の“静けさ”や“落ち着き”こそが価値になっているのかもしれません。
「毎年出雲に帰ってきてくれるようなファン」を増やした結果、インバウンドを含めた持続可能な観光につながっていくのではとも考えています。
出雲を「商売しないともったいない」と言われる町に
― 日々、観光の現場に立たれている糸賀さんだからこそ感じる課題や、今後の展望があれば教えてください。
観光の現場に立って日々感じるのは、人材不足の深刻さです。周りの飲食店も宿も慢性的に人が足りず、リゾートバイト人材で回している状況が続いています。特に地方は安定志向が強く、公務員や大企業を目指す若者が多いため、観光業に挑戦する人材が育ちにくい現実があります。
ただ、出雲では観光でしっかり生計を立てられる可能性があります。まだ活用されていない空き家も多く、コストを抑えて自分のアイデアを形にできる余地も残っています。
将来的には、そうした空間の利活用や挑戦を後押しする仕組みを整え、「出雲で商売しないともったいない」と言われる町に育てていきたいと考えています。

観光は“思い”と“数字”の両輪で
― 観光の現場に立つお立場から、今この業界に関わっている方、そしてこれから観光業界を志す方に向けて、伝えたいメッセージがあればお願いします。
観光に関わる皆さんには、「思い」と同時に「数字」とも向き合う姿勢を持ってもらえたらと思っています。観光はやり方次第でしっかり利益を出せるビジネスです。大切なのは、地域の特性を見極め、市場に合ったビジネスモデルを描くこと。
私も起業前は松江市での人力車運行を検討しましたが、すでに堀川遊覧船という人気アクティビティがあり、競合状況を踏まえて出雲を選びました。地元愛はもちろん、「稼げる見込みがある」ことも重要な判断軸でした。
利益が出れば、サービスの質も上がり、地域にも還元できることも増えます。ラウンジの設置や寄付活動を継続できているのも、事業として無理なく運営できているからこそです。
地域や観光への思いがあるからこそ、「稼げる仕組み」を意識して取り組んでいくことが、結果的に自分自身や地域の力になると感じています。
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