インバウンド特集レポート
高齢化や人口減少が進むなか、名古屋で味噌煮込みうどん店を営む大久手山本屋は、ハラール/ヴィーガン対応を進めたことで、在日やインバウンド客を取り込み売り上げを伸ばしてきた。ところが世界中に広がった新型コロナウイルス感染症により、大久手山本屋でもインバウンド客実質ゼロという状況に陥った。ところが、これまでに取り組んできた食の多様性(フードダイバーシティ)が世の中のニーズをうまく捉え、コロナ禍でも売上を維持し続けているという。その理由を探った。
前編:フードダイバーシティへの対応がもたらす4つのメリット —名古屋の老舗味噌煮込みうどん店がハラール・ヴィーガン対応を始めた理由
価格設定のコツ:原価が下がっても価格を下げる必要なし
大久手山本屋の味噌煮込みうどんは、ハラール/ヴィーガンメニューともに食材を変更することで、通常メニューより原価が下がっているそうだ。名物の名古屋コーチンをハラールメニューではハラールチキンに、ヴィーガンメニューは湯葉に変更している。特にヴィーガンメニューは肉を使用しない分食材ロスの削減にもつながり、コストメリットは大きい。大久手山本屋5代目の青木氏は「原価が下がった分メニュー料金も下げた方がよいか」と、同店のハラル/ヴィーガン対応の側面でサポートするフードダイバシティ株式会社の守護氏に相談したが、値段を下げる必要はないとのアドバイスをもとに、通常メニューと同価格に設定している。
その理由について守護氏は「特に彼らは、自分がベジタリアン/ヴィーガンを守ることに価値を感じている。 “きちんと守っている”ことに価値を置き、その分の料金を払ってもよいと感じる人が多く、値段を下げる必要はない」と話す。
実際、フードダイバーシティへの対応にはメニュー開発が必要だ。その際にコストも工数もかかる。開発にかかったコストを、食事代への上乗せすることで回収できるし、更なる商品開発にも心置きなく力を注げるのもメリットになる。
また、昨今のベジタリアン/ヴィーガンに対するニーズの高まりを受け、現在大久手山本屋ではヴィーガンメニューをオプションとして金額を上乗せすることも検討している。
大久手山本屋のこれまでの取り組みが市場のニーズに合致、コロナ禍に大きく拡大
今後も拡大するインバウンド需要を見据え、ハラール/ヴィーガンメニュー開発などフードダイバーシティを実践してきた大久手山本屋。新型コロナウイルスによりインバウンド客がほぼゼロになったいま、その影響はどうなのか。
大久手山本屋でも、現状インバウンド客はほぼゼロだという。在日ムスリムの方の利用は継続してあるものの、これまで月600人程度の来店があったムスリムの方が、現在は月に数十人レベルにまで落ち込んでいる。
しかしながら、コロナ禍の新しいニーズの取り込みにも成功している。ファストフードを食べる人が増えたことによる野菜不足、移動自粛下の「コロナ太り」という言葉にもあるように、健康的な食生活に注目が集まり、日本国内で野菜を食べようという動きが加速している。「最近は、有名人がSNSで肉を避けた生活をしていることや、実はベジタリアン/ヴィーガンを公表し、若い人の間でベジタリアン/ヴィーガンブームが到来している」と守護氏は話す。“ブルゾンちえみ”として活動していた藤原史織が実は肉を食べないことをSNSで公表したり、タレントのローラが自らペスカトリアンであることに触れ、ゆくゆくはヴィーガンを目指すことにも言及している。また香港でスタートしたGreen Mondayの流れで、週1ベジタリアン(週1ベジ)など、緩いベジタリアンも追い風になっている。
こういったトレンドから、これまではサラリーマンアッパー層や観光客中心だった大久手山本屋に、感度の高い10代20代の女性の来店が増えている。「自粛緩和の動きが見え出した、5月上~中旬ごろから若年層の来店が急激に増えています。肌感覚ですが、2割ほど占めていたコロナ禍のインバウンド客減少分をベジタリアンが補ってくれ、売り上げもほぼ対昨年比同レベルあるいは、少し上回るぐらいになるのではないか」と大久手山本屋5代目の青木氏は話す。
ベジタリアン対応について、日本が陥りがちな誤解
さらに、面白い動きも見えている。大久手山本屋ではUber Eatsにも対応しているが、Uber Eatsの注文に限ると、驚くことに8割がヴィーガンメニューだという。Uber Eatsに登録されている名古屋のヴィーガンフレンドリーのお店は、サラダ系のメニュー中心だが、大久手山本屋の人気メニューは、高野豆腐のから揚げや野菜の天ぷらなど油を使ったメニューだ。
「日本人はベジタリアン/ヴィーガンというとサラダを出しておけば問題ないと考える人が多いように感じます。でも実際、お店を利用するベジタリアン/ヴィーガンの方は油物が大好き」ヴィーガンの特徴について、青木氏はこう話す。
フードダイバーシティ株式会社の守護氏も「以前、ベジタリアンについてのアンケートを実施したところ、飲食店の85%が“ベジタリアン対応できる”と回答しています。一方で、ベジタリアン/ヴィーガンの方に日本の飲食店での満足度を聞いたところ、“満足”と答えたのはわずか15%でした。この結果は、日本の飲食店のベジタリアン/ヴィーガン対応の多くは、実際のニーズに応えられていないことを物語っています。“ベジタリアンと言えばサラダしか出てこない”という声もあります」とお客様のニーズと店側の認識の乖離についてこう話す。
コロナ禍で大きく変化するベジタリアンへのイメージ
ベジタリアン/ヴィーガンへの正しい理解を持つことも今後の課題だが、コロナ禍で急速にベジタリアン/ヴィーガンへの認知度が高まり、そのイメージが大きく変化している。以前は、ヴィーガンという言葉に対し、独特の価値観を持つ人というイメージもあった。もちろんヴィーガンになった理由も人それぞれだが、一部のごく少数の方たちのイメージで全体を捉えてしまうケースもあった。大久手山本屋でも、これまではヴィーガン用の別メニューを用意し、お客さんからの問い合わせに応じて渡す対応をしていた。
ただし、最近はゆるベジ、週1ベジなどが増えていることも考慮して、新しい層向けのメニュー見直しについても検討を始めている。
「日本でブームになっているベジタリアン/ヴィーガンへのトレンドは、香港や欧米などではもっと進んでいるように思います。今の段階で、国内のベジタリアン/ヴィーガン対応をしっかりと進めておけば、将来インバウンド客が戻ってきたときの準備にもなります。今のうちにしっかりと対応することが大切」と青木氏はその重要性を語る。
老舗企業がハラール対応をすることの難しさと説得するためのポイント
今でこそ、ハラール/ヴィーガンメニューを整備し、ポリシーも明示した上でしっかりと対応を行っている大久手山本屋だが、ここまで順調に進んだわけではない。数々の苦難があったという。
まず、4代目でもある青木氏の父親、青木一哉氏を説得するのにかなり苦戦した。初代から代々受け継いできたやり方や味を変えることは一筋縄でいかず、最終的には半ば強引に推し進めた部分もあるそうだ。
「100年近く続く老舗の場合、ネギの仕入れ先一つ変えることすらハードルが高いです。そんななかで、こだわりをもって代々引き継いできた名古屋コーチンやかつお出汁を変えるなど一大事です。ただ大久手山本屋では、悩みに悩み、結論が出せないときは“大久手山本屋の創業者である初代の島本万吉氏がもし生きていたらどう思うか”を想像して判断する習慣があります。 “島本万吉氏が、それいいねというんじゃないか”となれば、実施します。万吉氏は、当時名古屋名物といえば“ういろう”“きしめん”と言われていた時代に、味噌煮込みうどんのお店を始める時点で、既に革新的です。そのことを考えると、グローバル化が進む今の時代、マレーシアやインドネシアの人にも味噌煮込みうどんを楽しんでもらうためにハラール対応を進めることも “いいね”と言うのではないかと想像できました。そこにロジック性はありませんが、最終的にはこれで父を説得しました」と話す。
急速に変化する時代の中で生き残り“伝統を守っていく”ためにも“進化する”ことが大切だという。「当初は前向きではなかった父も、訪れた方が嬉しそうに食事する姿や感謝の言葉をいただくにつれて考え方が徐々に変わっていき、今では誰もよりもフードダイバーシティ推進派です(笑)」
同時に「代々受け継がれてきた老舗企業であれば、“創業者がどう考えるか”という視点で考えれば、変化や進化にも寛容になるかもしれません。老舗企業で上層部を説得できない場合、この考え方はおススメです」とそのコツをを話す。
世界中の人々が日本食を楽しめるよう、工夫を凝らすことこそが職人のなせる技
日本では、観光立国を目指し、官民連携で訪日客の誘致や受け入れ環境整備に取り組んでいるが、飲食店での対応は遅れている。その理由の一つには、どれだけインバウンド客が増えても、飲食店のメインターゲットは日本人で外国人比率はごくわずか。また、飲食店のほとんどが中小企業または個人経営でインバウンド対応する余裕がないのも現実だ。ただし、観光庁が訪日客に対して行うアンケート結果からも、日本食を楽しみに訪日するインバウンド客が圧倒的多数であることが分かる。
東京ではハラール/ヴィーガン対応しているお店も増えているが、名古屋ではまだまだ少ない。青木氏は「せっかく日本旅行に来たのに、ケバブやインドカレー以外の選択肢がないのは残念。食に制限のある方も日本食やご当地名物料理を楽しめるような環境を整えることが大切」と話す。続けて「究極を言えば、ハラール対応できないお店はないと思います。豚肉を使っているのであれば、ハラール対応の鶏肉に切り替え、調味料も豚肉由来やアルコール成分の入っていないものに変えればいい。そこで大きく味が変わるかもしれないが、それでもおいしく食べられる味に調整することこそ、職人の腕の見せ所ではないか」という。
「もし、どれだけ検討してもどうしてもハラール対応ができないのであれば、できない理由を明確にしたうえで諦めるべき」とも断言する。
大久手山本屋の次なる挑戦、富裕層向け高価格メニューをヴィーガン食で実現
今後の挑戦について青木氏に伺ったところ“富裕層向けのメニュー考案”がキーワードとして挙がった。「最近予算2万円程度のコース料理を作ってほしいという問い合わせをいただきます。うちのお店ではどれだけ食べても4000円程度。そこで、富裕層向けに提供できる商品化を検討しています。富裕層向けのメニューと言われると高級取材を使う方法が一般的ですが、ラインナップの一つに高級食材を使うのではなく “健康”に特化したヴィーガンメニューを作る挑戦もしていきたい。また、ムスリム向けメニューも、今は海外産のハラールチキンを使っているので、例えばハラール名古屋コーチンなどのラインナップも充実させていきたい」と意気込む。
「フードダイバーシティの最初を一歩を踏み出すには、なかなかの勇気が必要かと思います。対応について悩んでいる方は、ぜひ大久手山本屋のハラール/ヴィーガン対応のメニューを一度食べていただき、私まで声をかけていただきたい。大久手山本屋の取組内容などさらに詳細をお話します。少しでも多くのお店がフードダイバーシティ対応を進めることで、世界中の皆様に日本の食事を楽しんでもらえるようにしたい」と締めくくった。
(取材 執筆:堀内祐香)
プロフィール:
有限会社山本屋 専務取締役 青木 裕典氏
大正14年創業 味噌煮込みうどん店大久手山本屋5代目。大学院在学中、ITベンチャー企業の創業に関わり、マーケティングや営業を担当。2013年家業である有限会社山本屋に入社し、自社のブランディング、新規事業の営業・企画などを手掛ける。食品、マーケティング、まちづくり業界の分野での登壇実績多数あり。フードロスの改善、多文化共生対応、北米展開支援などを手掛けるキールアンドカンパニーグループ株式会社取締役も務める。
フードダイバーシティ株式会社 代表取締役 守護 彰浩氏
楽天株式会社を経て2014年1月より6カ国語で日本国内のハラール情報を発信するポータルサイトHALAL MEDIA JAPAN運営のほか、国内最大級のハラールトレードショー・HALAL EXPO JAPANを4年連続で主催。2018年4月からベジタリアン事業にも注力し、中国語でのベジタリアン情報サイト「日本素食餐廳攻略」をスタート。フードダイバーシティをコンセプトにハラール、ベジタリアン、ヴィーガン、コーシャなど、あらゆる食の禁忌のコンサルティングを提供中。
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