インバウンド特集レポート
熊本県南部、険しい山地に囲まれた内陸部に位置する、人吉・球磨地方。日本三大急流の球磨川ラフティングや温泉の名所として知られるほか、山肌をジグザグに上り下りするスイッチバックが鉄道ファンにも人気の観光地だ。しかし2020年前半は新型コロナウイルスが観光業に大きな打撃を与え、さらに追い打ちをかけるように、7月4日、熊本県南部豪雨が同地域を襲った。現在も、仮設住宅暮らしをしながら自宅の復旧作業に対応する住民や、未だ再開に至らない飲食店や旅館が多い中、民間主導で、食の多様性をキーワードに「持続可能な地域づくり」に向けた取り組みを始めた。災害を乗り越え、新たな「人吉球磨モデル」を描こうと奮闘する、人吉球磨地域の動きを追った。
地域が連携し、民間主導で課題の解決に取り組む
「持続可能な地域づくり」に向けて舵を取るのは、2018年に発足した「人吉球磨観光地域づくり協議会」。10市町村と関係団体による官民一体の地域連携による任意団体だ。
人吉球磨地域にとっての大きな課題のひとつが超少子高齢化である。10市町村の人口全体に占める65歳以上人口の割合は、1980年には12.1%であったが、2015年には35.0%と22.9ポイントも増加し、急速な高齢化が進んだ。その後もさらに高齢化率は上昇し、2040年には45.9%に達する見込みだという。今後予想される人口減少社会に向けて、定住人口を確保するとともに交流人口の拡大を図っていくことが地域の発展には不可欠。そこで「観光を突破口に、地域を盛り上げていこう」と立ち上がったのが同協議会である。
民間企業として人吉球磨観光地域づくり協議会に参画し、国外誘客担当理事を務めるのが人吉市の旅館「あゆの里」若女将、有村友美氏だ。
「それまで人吉球磨は、一つのエリアではあるものの、市町村それぞれの観光戦略がバラバラでした。それらをひとつにまとめて地域全体での戦略を立てることが、地域活性の鍵となると考えたのです。官民の若手を中心とする組織ですが、民間主導でビジョンを設定し、主体性と継続性を持って活動をしていくというのが大きな特徴だと思います」。
圏域が有する多様な地域資源や特性を十分に活かし、着実に発展させていくべく、宿泊業・製造業・農業・飲食業など異業種の経営者が、ワークショップを開催しながら人吉球磨ならではの強みを探り、地域のブランド化や交流人口と観光消費額の拡大、地域経済の活性化などを図ってきた。
▲人吉市の中心部を流れる球磨川。緑豊かな人吉球磨地域は、10市町村の総面積のうち森林面積が全体の約80%を占める
地域の特性を活かせる、食の多様性対応に着目
2020年、地域資源を活かす施策のひとつとして着目したのが、フードダイバーシティ、食の多様性対応だ。人吉球磨地域は、農業が盛んで豊かな食材に恵まれている上、日本で一番のハラールミート供給源として知られているハラール認証工場「ゼンカイミート」もある。そんな利点を活かして、先駆けてムスリム対応に取り組んできたのが、有村氏の旅館「あゆの里」だった。
「ムスリム対応を実際にやってみると、全然難しいことではないと分かったんです。それなら一施設だけでなく地域全体で取り組んでみてはどうかと。ハラールやベジタリアン・ヴィーガンに対応できそうな飲食店や旅館も多いし、野菜など活用できる食材も豊富にある。地域一体となって食の多様性対応ができれば、観光地としての強みになるのではと思いました」と有村氏。インバウンドの面でも、中華圏や韓国からがほとんどを占める現在の旅行客の偏りを改善し、ターゲット市場の拡大に繋がる可能性もある。「人吉球磨地域ならではの料理を、旅行者が自分に適した形で楽しむことができれば、訪れる人の幅も広がり、開かれた地域づくりのとっかかりになりえると考えた」という。
早速、同分野に見識のあるフードダイバーシティ株式会社の協力を得て、観光庁による観光地の新規市場開拓や多角化に向けた実証事業を活用しながら、ハラール・ヴィーガンメニューの開発やプロモーションに地域で取り組むこととなった。
一夜にしてまちの姿を変えた豪雨と濁流。災害から得た学びとは
しかし時を同じくして、新型コロナウイルス感染症が拡大。人吉球磨地域でも多くの飲食店や宿泊施設が休業を余儀なくされる事態に陥った。
人吉球磨観光地域づくり協議会・広域観光係の山冨功一氏は、「観光客が激減し、地域の観光業はもちろん大きな打撃を受けました。食の多様性に向けた取り組みも、海外への発信など一部見直しとなりましたが、コロナ禍の今こそ強み作りに励む時期。アフターコロナに向けてしっかりと進めていこうと前向きに取り組んでいました」と振り返る。
緊急事態宣言による自粛が明け、ようやく観光業も再開に乗り出そうとプロジェクトのキックオフミーティングを迎えたまさにその日、7月4日。未曾有の豪雨が地域を襲った。人口や事業所が集中する市の中心部は広範囲に渡って浸水被害を受け、旅館や飲食店はほぼ全滅状態となってしまった。
「観測史上最高の水位まで上昇した球磨川には多くの土砂が流れ込み、観光資源のひとつであるラフティングも休止。鉄道は運休となり、観光産業は壊滅的な状況になりました」と話す山冨さん。プロジェクトで核となる予定のハラール認証取得工場「ゼンカイミート」も被災した。再開の目処は立たず、事業は暗礁に乗り上げてしまう。
だが同地域は1965年にも大きな洪水に見舞われ、その後も幾度か危機に直面してきた。また、温暖化や自然破壊など地球を取り巻く環境が変化している中、このような自然災害がいつまた起こるか分からない。「そう考えた時、今できることは災害と常に向きあいながら、まちを継続させていくこと。持続可能な社会・地域づくりが必要なのではないか」。災害を通じて新たな意識も芽生えていった。
▲7月下旬の人吉市街地の様子(Photo by Sadakazu Ikawa)
▲災害で鉄道も不通に。鉄橋は破壊され、復旧のめどはたっていない(Photo by Sadakazu Ikawa)
SDGsを視野に入れ、食をテーマにレジリエンス力の強い地域づくりを目指す
緊急の復旧作業を終えてまちに少しずつ日常生活が戻ってきた頃、プロジェクトは再始動。ハラール施策はいったん保留し、ヴィーガン対応に重点を定めると共に、SDGsを取り入れた地域デザインを掲げることとした。
食というキーワードが、どのように持続可能な地域づくりとリンクしメリットをもたらすのか。協働するフードダイバーシティ株式会社の守護彰浩氏に話を伺った。
「食の多様性への取り組みは、インバウンド対応としてはもちろんですが、国内外問わずアレルギーを持つ方々の受け入れにも繋がります。日本でもコロナによる健康不安から、ベジタリアン食を求めるニーズが高まっていますし、地域としてあらゆる食のアレルギー、禁忌、嗜好に対応できることは、観光客を呼び込むフックとなりえるでしょう。また、地元の農産物を多用して地産地消のメニューを開発することは、フードマイレージ(食料の輸送距離)削減に繋がり、輸送にかかる燃料や二酸化炭素の排出量を抑えることで環境保護にも繋がります」。
さらに、今や社会問題となっているフードロス対策も考慮して、量が多すぎると言われることがある旅館の食事に、アラカルトやショートコースを取り入れることも提案していくという。
観光にとどまらず「住み続けられるまちづくり」という観点でも、食の多様性がヒントになる。たとえば海外から地域に派遣される外国人教員や工場スタッフの中には、ベジタリアンやヴィーガンもいる。食が魅力のひとつとなって、「ここで働きたい、住みたい」と言う人が増えれば、移住や雇用の促進、教育レベルの向上に結び付く可能性もある。中長期的な戦略を持った豊かな地域づくりが求められていると強調した。
新しい「人吉球磨モデル」に欠かせない、地域全体での取り組みに向けて
プロジェクトの実現には、まち全体を巻き込むことが必要だ。その第一歩は、地域の事業者の方々の理解を得ること。そこで、「食の多様性を2日間で学ぶ」と題したセミナーを11月、12月の2回に分けて開催。人吉球磨地域の飲食店、ホテル旅館、メーカー、自治体の関係者など、約30名が参加した。
1回目は、ベジタリアン、ヴィーガン、ハラールなどの食の多様性や対応実例を専門家が分かりやすく解説。フードダイバーシティ株式会社の守護氏は「災害を経験したからこそ、SDGsを抱えて再生していく姿を見せることができたら、国内外から注目されるまちになるのでは」と呼びかけた。また、ベジタリアン・レストラン検索サービス「Happy Cow」で世界一のヴィーガンレストランに選ばれた「菜道」のシェフ・楠本勝三氏、ヴィーガン・ハラール対応ラーメン「Samurai Ramen」を手掛ける白澤繁樹氏も登壇。「ヴィーガンと言っても特に難しく考える必要はない。既存のメニューに選択肢を追加し、幅を広げるだけでもいい。日本では乾物を使った郷土料理のレシピが数多くあるし、調理法ひとつで旨みの幅を持たせることができる」と、自らの経験を踏まえたアドバイスを提供した。
2回目は実践編として、楠本氏、白澤氏が、人吉球磨地域の食材及び調味料のみを使用したヴィーガン料理を披露。地元で手作りの豆腐や季節の野菜、特産品「花咲たもぎ茸」などを使って、うなぎやコロッケ、精進出汁と野菜出汁の合わせスープ、ヴィーガンマヨネーズなどを調理しながらコツを解説していった。「味は割とハッキリさせた方がよいが、基礎調味料に頼らずに旨みを積み重ねていくといい」と、素材の旨みを引き出す手法として大豆の燻製方法なども手ほどき。「人吉・球磨の野菜は素晴らしく、東京では手に入らないものも多い。このアドバンテージを活かしてこの地方のオリジナル料理をどんどん作っていってほしい」と参加者に語りかけた。
料理を実食した参加者からは、「野菜だけでこんなに深い味わいが出せるなんてビックリした」「この地域の食材が豊かであることを再認識できたし、工夫の仕方も教えていただいたのでぜひ試してみたい」といった声があがり、ヴィーガン料理への興味関心を高めていた。もちろん余った料理は各自持ち帰り、フードロスもゼロ。数日後には早速、メニューづくりを実践した飲食店や、楠本氏が紹介した特産品「花咲たもぎ茸」を購入する事業者も出てきたという。初めて県内の方から注文が入ったとのことで、セミナーを機に地域の産品に目を向ける事業者が現れるなど良い動きも出ている。
▲シンプルな味付けながら食材の持つ濃厚な味わいがいかされた、豆腐の厚揚げのコロッケ
頼もしいプレイヤーの存在が地域を支える
セミナー参加者の中には、被災から5カ月経った今もまだ通常営業に至らず、事業の復興に向けて奔走している人も多い。そんな状況下で、さらに先を見据えた取り組みにも携わろうという姿勢は、とても印象的だ。
今回のセミナー会場となった宿泊型研修所「食・農・人総合研究所 リュウキンカの郷」を主宰する本田節さんもそのひとり。本田さんは、人吉中心部にある農村レストラン「ひまわり亭」を経営しながら、地産地消・郷土料理の伝承・グリーンツーリズム・食育など長年に渡って食資源を活かしたまちづくり、人づくりをテーマに活動を続けてきた地域の立役者である。「ひまわり亭」は球磨川沿いに位置し、今回の水害で天井まで泥水に浸かってしまった。しかし、被災当日から仲間と共に懸命に土砂をかき出し、その4日後にはキッチンカーで温かい食事を提供する被災地支援をスタート。先頭に立って地域の復興に尽力し続けている。
「私ができることは、食で人々を元気にし、まちの復旧を支えること。食の力を、今後の地域デザインにも役立てていけたらと思っています。ベジタリアンやヴィーガン、アレルギーなど食の多様性に対応することで、人吉球磨を、多様性を受け入れられる地域にしていきたい。災害に負けない、持続可能なまちづくりを目指していきたいです」。
▲写真右手前が本田 節さん
観光地としての魅力を付加する新たな商品造成を
実はヴィーガン対応には副次的効果もある。「最近では環境問題を理由にヴィーガンに転向する方が増えていますが、そのような方には富裕層も多いんです。このターゲット層を開拓すれば、観光地での消費額拡大も見込めるでしょう」と守護氏。
とはいえ、食だけで旅行客を呼び込むのは難しく、観光地としての魅力づけも必要だ。そこでプロジェクトでは、食の多様性対応と並行して、富裕層にもアプローチできるようなツアー商品の造成を進めている。アフターコロナで注目されるアドベンチャーツーリズムや、食との親和性が高いウェルネスツーリズムに焦点をあて、アクティビティの専門家であるマイク・ハリス氏を招聘。氏と共に地域を巡りコンテンツ開発を行っているところだという。
▲あさぎり町の「高田酒造場」(左)や、多良木町の国指定重要伝統的建造物「太田家住宅」(右)をマイク・ハリス氏と視察
今回の水害で旅館・自宅共に被災した「あゆの里」の有村氏は、2021年夏の営業再開に向けて準備を進めながら、人吉球磨観光地域づくり協議会のプロジェクトを率先して導いている。「食の多様性セミナーは参加者に大好評でした。2020年発掘したものを使って、次は発信のステップに進みたいと思っています。災害を経験して改めて大事だと感じたのは、私たち自身が『どういうまちにしていきたいか』を真剣に考え、地域一体となって動くこと。これからも地域を潤し、『稼ぐ力』をつけるというゴールを目指していきます」。
災害から復興し、地域一丸となって持続可能なまちづくりに取り組む姿を、人吉球磨モデルとして描いていく。模索しながらも一歩一歩前に進む、地域の人々のたくましさを応援したい。
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