インバウンド特集レポート

デジタル庁設立で日本の「観光DX」施策はどうなる?

2021.09.10

印刷用ページを表示する



コロナ禍でデジタル化に拍車がかかり、今ではリモートワークやオンライン会議、電子決済、フードデリバリーなどが、人々の生活に当たり前のように浸透している。こうした急速なデジタル化の潮流を受け、日本では2021年9月1日にデジタル庁が発足した。

官民双方において、デジタル化の機運が高まる中、観光庁は2021年度に、初めてDX(デジタルトランスフォーメーション)として、一般財源の予算8億円を計上した。今まさに業界を問わず注目を集めているDXは、今後、観光という文脈においてどのように発展していくのだろうか。観光DX推進のかじ取り役を担う、観光庁の新コンテンツ開発推進室長(取材当時)、中谷純之氏に、観光DXの現状と今後の展望について聞いた。

 

コロナ終息後を視野に、観光庁は「観光DX」を推進 

コロナ禍で、2020年に訪日外国人旅行者数4000万人、訪日旅行消費額8兆円という目標が達成されることはなかったが、菅首相は昨年の観光戦略実行推進会議で、あらためてこれまでの2030年における目標である6000万人・15兆円を目指すことを確認。観光庁はコロナ終息後の観光需要の回復に向けた施策を進めている。

その一環として取り組んでいるのが、DXの推進による、観光サービスの変革と観光需要の創出だ。2021年度予算では、観光DXを本格的に推進する施策「DXの推進による観光サービスの変革と観光需要の創出」に対して8億円が認められ、計17事業が採択されている。 DXとは、単にICT(情報通信技術)を活用して作業を効率化するだけはなく、デジタル技術によって、人々の生活をより良く変革させることを意味する。

 

2019年にはVR一辺倒だった、観光業のICT施策

総務省に入省してから20年余り、外務省に出向してカンボジア大使館で3年間勤務した経験も持つ中谷氏は、2019年4月から2021年6月末まで観光庁に出向。総務省から観光庁に転任した当初はまだ観光DXという言葉がなく、無料Wi-Fiのアクセスポイントを整備したり、ICT(情報通信技術)を観光に生かすという事業が行われていた。そして、その当時は、観光資源の磨き上げにおけるICTの活用としては、VR(バーチャル・リアリティー)だけに注力した施策が目立ったという。中谷氏はこの現状を目の当たりにし、「なぜ、ICT活用の代表例がVRだけで、他のアイデアが出てきていないか、とても不思議で違和感があった」と振り返る。それは、誰かがVRの活用方法を示したことで、他にも選択肢があるかどうかを検証することなく、その方向に注力していたために生じたことだ。皆がその公式を「丸暗記」して覚えたかのようだったという。

中谷氏は当時、そうしたプロダクトアウト(作り手がいいと思うものを作る)ではなく、マーケットインの発想をもって「既存の価値観や従来のやり方にとらわれずに、デジタル技術をいかに活用していけるのかを模索していた」という。そこでアイデアの素になったのが、自身の大好きなアニメ『ドラゴンボールZ』に登場する架空の装置「スカウター」だった。

デジタルデータだけで完結してしまうVRに対し、スカウターは片眼鏡のように取り付けると、相手の戦闘力や居場所がわかり、双方向の通信機能もあり、相手の話していることや物音も聞くことができる。つまり「現実世界との融合を実現する」ような考え方が、観光にも必要だと感じたそうだ。さらに同氏は、「現実世界を単にデジタル化しただけのオンラインツアーは、コロナ後には残っていかない」と説明する。例えば、劣化型の旅番組のようなオンラインツアーの大半がコロナ後には消えていくとした上で、「双方向でのやりとりがあったり、来訪意欲を高めたり、オンラインツアーの画面に写っているものが買えたりする、デジタルと実体験とを組み合わせたものこそが、コロナ後にも生き残っていけるのではないか」と分析している。そのため、観光DXの推進で採択された事業には、こうしたアイデアが入っているものを厳選したという。

▲観光庁で観光DXを推進するメンバーたちと。左から2番目が中谷氏

 

観光DXの推進に必要な4要素と4つの取り組み

中谷氏は、観光DXを推進するにあたって必要になってくるのが、「デジタルデータだけで完結しない」「リアルのデジタル化だけではない」「情報のデジタル化だけではない」「作業の省力化だけではない」という4つの要素だと分析する。この4つの要素が「だけ」にとどまっていたこれまでの施策を、中谷氏は「守りのDX」と呼び、「だけではない」価値を付加した場合に「攻めのDX」と呼べるものになるという。

 

コロナ前までは売り手市場で、サービスやツアーなどの観光コンテンツを地域で造成すれば、インバウンド需要がどんどん伸びてきた。しかし同氏は、コロナ禍で外国人旅行者が来訪できなくなっている今こそ、「中長期的な視座に立った研究開発の予算を立てる絶好のチャンス」だと捉えている。そのためには、守りのDXと攻めのDXを有機的に組み合わせながら、施策を推進していかなければならないという。中谷氏が目指す観光DXの全体像は、次の4つの取り組みが柱となっている。

[1] 当たり前のデジタル化(守りのDX)
[2] 継続的な人材育成(守りのDX)
[3] 即効性の高いデジタルサービスの創出(攻めのDX)
[4] 中長期的な研究開発(攻めのDX)

 

継続的な人材育成がカギになる守りのDX

まずは、Wi-Fiの整備やデータの収集・分析など、今まで積み重ねてきた「当たり前のデジタル化」を引き続き推進していく必要がある。当たり前のデジタル化によって業務の効率化を図ることは、他の業界と同様に、生産性を向上させるための基盤となるからだ。中谷氏はさらに、デジタルを活用するための「人材育成」が重要になってくると考えている。どれだけデジタル化が進んだとしても、現場でその意義を理解し活用できる人がいなくては、単なる宝の持ち腐れとなってしまうためだ。

人材育成と一言で言っても、セミナーを開いたり、座学やeラーニングを行ったりするだけでは、知識を得た気になっただけで終わってしまう。そうではなく、当事者意識を持って新しいものを生み出してもらうためには、「相互にアイデアを出し合うアイデアソンやイノベーションキャンプなどの手法を導入し、身になる人材育成を行うべき」と中谷氏は語る。こうした取り組みを、観光業の現場で実務を行う人材と、DMO(観光地域づくり法人)や観光協会、地方公共団体において地域の観光産業を担う中核人材の両者を対象に、継続的に行っていく必要があるという。最前線の人材には、デジタル技術の習得・活用を通じて、現場の生産性アップや業務効率改善を実践する役割を、DMOなどの中核人材には、先端技術の目利きや、デジタル技術を駆使した新しい観光サービスを生み出していく役割を担ってもらいたいと考えている。

 

攻めのDX実現に向けた2つの取り組み

中谷氏が攻めのDXとして挙げている「即効性の高いデジタルサービスの創出」は、前述の8億円の予算をつけて採択した事業において、実際に推進されている。たとえば、「これまでにない観光コンテンツやエリアマネジメントを創出・実現するデジタル技術の開発事業」で採択された北九州市東田エリアの事業(株式会社ゼンリンデータコム)は、エリア一帯に散在している観光施設をひとまとめにして、テーマパーク化するもの。このエリアには、世界遺産の官営八幡製鐵所や、いのちのたび博物館(恐竜博物館)、環境ミュージアム、新科学館(2022年オープン予定)といった観光施設があるが、それぞれの距離が離れており、周遊がうまくできていない。そのため、5GやGPSなどの技術を駆使して屋外での電動車椅子の自動運転を実現、XR技術を用いてリアル空間とバーチャル情報を融合することで、例えば移動中に恐竜の歩く姿が見えるようにするなど、観光客が座ったままアトラクションを楽しみながら、目的地に辿り着くことができるというものだ。

もうひとつの攻めのDXである「中長期的な研究開発」については、3年程度の期間をかけて、デジタル技術に関する研究開発の基本設計、新技術の研究開発、実証実験、検証を行い、新技術の実用化につなげていきたいと中谷氏は考えている。そのため、観光庁では今年の6〜7月にかけて「観光DXによる体験価値向上や地域の収益力強化に資する研究開発課題に関するアイデア」を募集した。

この4つの取り組みを有機的に組み合わせることで、「DXを通じて収益力を強化し、労働生産性を向上させれば、地域が活性化することにつながる。また、地域が抱える観光以外の課題を解決することや、ゆくゆくは誇りある持続可能な地域づくりを実現することを視野に入れて、資源の逐次投入ではなく一気呵成に取り組んでいきたい」と中谷氏は説明する。また、攻めのDXによって観光コンテンツの収益力を強化することで、政府が掲げる「2030年、訪日外国人旅行消費額15兆円」の目標達成への礎を築いていきたいと考えている。

 

民間と連携した中長期的な研究開発で、持続可能な観光ビジネスを生み出す

中長期的な研究開発において中谷氏が重視しているのは、従来の天下り的なやり方ではない。実際に最前線で観光業を担っている方やDMOのほか、企業や大学などから、観光DXを推進するために必要な研究開発のテーマに関するアイデアを頂戴し、議論を重ねて政府における研究開発の基本計画を定める「元気玉」型だ。この方が、有効な研究開発課題が設定できるという考えだ。「研究開発はすぐにサービス化ができる確証があって始めるものではなく、ある程度探求的な要素がある」ため、成果物に対して支払う請負契約ではなく、行為に対して支払う委託契約の形をとるのが筋だと中谷氏は語る。リスクのある部分には国費を投じつつ、研究開発のフェーズからアイデアを実用化する過程において、民間企業自らの投資を促す呼び水とする。また、ベンチャー企業がアイデアをプレゼンする場を国が設け、そのアイデアを自分たちのビジネスとして起用したい、もしくはそのアイデアに投資したいと考える民間企業や投資家を募る。そうすることで、持続可能な観光ビジネスへと昇華させていくのが理想だという。

▲取材を受ける中谷氏。取材は2021年6月末に行われた

生産性向上や業務効率化にとどまらない、デジタルを活用して新しいサービスを生み出そうとDXを推進する観光庁の取り組みが観光業界に新しい風を巻き起こせるのか、今後も引き続き注目していきたい。

 

最新のインバウンド特集レポート