インバウンド特集レポート
生成AIとよばれる人工知能をつかったChatGPTが話題となり、以前に増して、テクノロジーの発展をどのように取り入れていくかが注目されています。しかし、観光業界ではテクノロジーの進化をどう受けとめ、日々の業務に取り入れていけばいいのかよくわからないという人も少なくないのではないでしょうか。高齢社会、人材不足、生産性向上といった様々な課題を解決するために欠かせないものの、「どういう基準で何を選べばいいのか」「優先順位は」「導入にあたって注意すべきことは」といった声もよく聞かれます。
そこで今回は、テクノロジーに関する幅広い実務経験と最新動向に詳しい有限会社エムケー・アンド・アソシエイツ代表の河瀬誠さんと、シンガポールを拠点とし、世界の観光テックの専門家である株式会社ベンチャーリパブリック代表の柴田啓さんを招き、観光xテクノロジーをテーマに鼎談を行いました。
変化の激しい今の時代を捉え、観光・インバウンド業界に関わる人がどのような意識やマインドセットを持って取り組んでいくべきなのか、観光テックとどう関わっていくべきか、取り入れていくべきかを紐解いていきます。聞き手は、株式会社やまとごころ代表の村山慶輔です。
左から順番に、河瀬誠氏、村山慶輔、柴田啓氏
<プロフィール>
有限会社エムケー・アンド・アソシエイツ 河瀬 誠
東京大学工学部計数工学科卒。ボストン大学大学院にて理学修士(情報システム)および経営学修士(MBA)を取得。王子製紙、A.T. カーニー、ソフトバンクなどを経て独立。有限会社エムケー・アンド・アソシエイツを設立し代表就任。立命館大学 経営管理研究科(MBA)客員教授、ビジネス・ブレークスルー大学 国際経営の客員教授などを歴任。
株式会社ベンチャーリパブリック 柴田 啓
慶応義塾大学法学部卒。新卒で入社した三菱商事に在職中にハーバードビジネススクールで経営学修士(MBA)を取得。その後、株式会社ベンチャーリパブリックを設立し、旅行比較検索サイト『TRAVEL.jp』を開設。会社設立7年で株式上場を果たし、MBO、エグジットを経てシンガポールに移住、グローバル旅行メディア『Trip101』を開設。世界の旅行・テクノロジー分野における起業家でありエンジェル投資家でもある。
株式会社やまとごころ 村山 慶輔
兵庫県神戸市出身。米国ウィスコンシン大学マディソン校卒。アクセンチュア株式会社を経て、2007年より国内最大級のインバウンド観光情報サイト「やまとごころ.jp」を運営。内閣府観光戦略実行推進有識者会議メンバーほか、国や地域の観光政策に携わる。国内外のメディアへ多数出演。近著の『小さな会社のインバウンド売上倍増計画 』(日本経済新聞出版)をはじめ累計10冊出版。東京都立大学非常勤講師。
1.テクノロジーの進化が社会にもたらしてきた変化
農業から工業、知識社会へ、産業革命が社会全体にもたらした変化
村山:まず、河瀬さんからマクロ的な視点で「テクノロジーの進化が社会全体にもたらしてきた変化」についてお話しいただきたいと思います。
河瀬:こちらのスライドでご説明します。
(有)エムケー・アンド・アソシエイツ提供
約4千年前、穀類などの農作物が定常的に収穫できるようになりました。いわゆる農業革命といわれますが、これらの技術的な発展以降、長い間「農業社会」が続いていました。そして、250年前に第1次産業革命が起こり「工業社会」へ。そして今は、工業社会から「知識社会」へと転換しているところです。
村山:今、まさに現在進行形で社会が変化しているところということですね。
河瀬:はい。英国の覇権から、第2次産業革命でドイツが台頭し、米国の世界支配がはじまり、第3次産業革命で日本が急成長してきたという変化がわかります。
村山:コアとなるエネルギーとテクノロジーに変化があったこともよくわかります。
河瀬:そうですね。マクロ的にみるとこの当時は工業製品に価値がありました。要するに、「労働力」が基盤となる製造業を、「資本力」である金融と、石炭や石油などの「エネルギー資源」が支え、それらが産業の主役であり競争力の源泉となっていた時代でした。
柴田:高度成長期からジャパン・アズ・ナンバーワンなどともいわれて日本がとても元気だった頃ですね。それが、バブル崩壊とインターネットの登場によって大きく変化してしまいました。
河瀬:当時の企業の時価総額ランキングトップ50の半数が、自動車、電機、銀行証券などの日本企業でした。工業社会では、日本企業は無敵だったのです。ですが、知識社会へと移った今では、製造業であるトヨタ自動車が43位にランクインするのみという状況です。現在の主役は、GAFAをはじめとするIT関連企業、つまり新たな知識を生み出す産業に移り変わっています。
村山:要するに、工業社会とはクルマやテレビといった工業製品を安価に製造して、それを所有することに価値があった時代ですが、知識社会になると、スマートフォンなどの工業製品を持っているのは当たり前で、それをいかに活用するかに価値があるという時代なのですね。
河瀬:そうですね。スマートフォンなどの通信デバイスが常時インターネットに接続されることによって生まれた情報空間・知識空間をいかに活用するかという、デジタル世界が主役の産業構造へと変化したということでもあります。しかも、AI などの新たなテクノロジーの登場により、情報革命や第4次産業革命ともいわれる大きな変化がおきて、さらなる知識社会への移行が急速に進行していっています。
知識社会の時代に生じつつあるパラダイムシフトとは
村山:知識社会への移行が進行しているというお話ですが、具体的にはどのように変化が進んでいくのでしょうか?
河瀬:テクノロジーの発展や普及に伴って、人々の考え方や感じ方も大きく変わってきています。工業社会では「労働力」「資本力」「石炭・石油」が競争力の源泉でしたが、知識社会となった今、重要視されるのは「知識と創造性」です。
iPhoneには多くの日本製部品が含まれ、中国やインドで製造されています。ですが、これを「創造」したのは、先程お話しした時価総額のランキングでトップである米国のApple社です。もちろん、iPhoneを生産するうえで、労働力も資本力もエネルギーも必要であることはいうまでもありません。しかし、工業社会で最重要視されてきた「製造」から、知識社会での「創造」へと競争力の源泉がシフトしてしまったということは知っておく必要があります。
村山:確かに、生産力から創造力の勝負に変わったという感覚があります。
河瀬:くわえて、特に若い世代の価値観も大きく変わってきており、社会を動かす行動原理が「お金」から「意味と信用」に変わってきているということもあげられます。
柴田:テック業界でも特に若い世代では、物欲があまりなくて、儲かることよりも社会的に意味があることを求めるような傾向がありますね。
河瀬:よく草食系などともいわれてますが、若者のみならず社会を動かす原理そのものが変わったという視点でとらえるべきだとも思っています。明治維新から戦後の日本の大躍進と繁栄は、工業社会の枠組みのなかでの大成功といえますし、とても立派なことでした。ですが、知識社会となった現在ではこの成功体験はもう通用しませんし、むしろ邪魔とさえいえます。いいかえればこの成功に縛られてしまったがゆえに失われた30年を過ごしてしまったともいえるのです。
村山:その価値観を変える必要がありますね。
河瀬:そう考えると、バブル崩壊は工業社会の終焉の象徴として華々しく散った最後の花火だったのかもしれません。
テクノロジーの進化スピード加速、AIの登場が人間の仕事を奪うとき
村山:農業社会から工業社会への変化に比べて、知識社会への変化は圧倒的に速いと感じます。
河瀬:パソコンやスマホに使われるCPUの性能が18カ月ごとに2倍になるという、あの有名な「ムーアの法則」を引き合いにだすまでもなく、加速度的にスピードが速まっているのは間違いありません。
たとえば、「地球シミュレータ」という2002年に登場した世界最速のスーパーコンピューターがありました。巨大な建物の一室を埋め尽くすほどの機械が並び、膨大な電力を消費していたスパコンです。その巨大なスパコンと同じ演算能力を、今では最新の「iPhone15」6台分で手に入れることができます。コストはまったく比較にならないほど下がっているということになります。
村山:そのようにデジタル機器の能力が指数関数的に向上してきたなかで、AIが登場してきました。
河瀬:2040年には、人間の情報処理量全体よりAIを含む機械の情報処理量が上回る、いわゆる「シンギュラリティ・ポイント」がくるといわれています。ですが、もう既に「ChatGPT」などの生成AIが実用化され、使い方次第では新入社員より優秀。業界情報や慣習、その企業のノウハウなどの基礎的なデータを事前にインプットさえしてしまえば、ベテラン社員以上の働きができるようになってきているともいわれています。
しかも、AIはデータを与えれば「無限に学習するマシン」といえますので、自動で学習して習熟して上達します。研修費用も残業代も福利厚生費も不要で文句も言わずに働き続けてくれます。
村山: AIの登場によりさらに変化が加速されていくことも間違いないですね。AIによって仕事が奪われるという側面もあると思いますが、そのあたりはどのようにお考えですか?
河瀬:少し残酷に聞こえるかもしれませんが、技術革新によって仕事がなくなるのは当たり前のことです。AIに限らず、これまでも機械化や自動制御によって、人々が働く場面や仕事が消えてきました。
例えば、農業社会では日本人の8割は農民でした。工業社会になって、稲作にコンバインや畑仕事に耕運機が導入されて、生産性は100倍以上になりました。ほかにも電話の交換手、銀行の窓口業務、証券会社の場立ち、工場の自動化、電車の自動改札など例をあげればキリがありませんが、機械ができる仕事は機械に任せるほうが、人としての充実した生活ができるのではないかと私は考えています。
村山:人間のほうがテクノロジーの発展にあわせて、柔軟に働き方やマインドセットを変えていけば良いということですね。
河瀬:デジタルの波に飲み込まれた途端、瞬間的にその産業の秩序は破壊されてしまいます。村山さんご指摘のとおり、その変化は指数関数的ですから気づいたときにはもう手遅れともいえます。
このデジタル化の波は、情報通信産業からはじまり、メディアと金融をのみ込み、流通小売や製造業へと波及、交通や移動の世界にも影響を与え、今や医療や生命分野に及んでいます。別の角度からみると、BIT(情報)に関する産業は既に変化を終え、これからはATOM(モノ)に関する産業の変化が起きていくということともいえます。
村山:全産業を巻き込んで変化する時代がきているのですね。
河瀬:そうです。ですが、これまでのデジタル化で変化したのは世界のGDPの約1割にしか満たないともいわれています。そう考えると、これから残りの9割が変わっていくということになります。
村山:今からでは、想像できないような世界になる予感がします。
河瀬:けれども、私はよく「非常識は、すぐに常識になる」といっているのですが、人間は慣れるとそれが当たり前だと考えるようになります。
柴田:確かに、今やパソコンやスマホ、インターネットも当たり前。それらが無い時代に、どうやって仕事をしていたのか、どうやって待合せに遅刻する場合や約束を変更する際の連絡をしていたのかと今さら考えることもありませんし、若い世代はそもそもそのような時代のことを知りもしませんね。
デジタイゼーション、デジタライゼーション、DXの違い
柴田:ここで観光テックに限らずですが、テクノロジーを語るうえでお伝えしておきたいことがあります。それは「デジタイゼーションとデジタライゼーションの違い」です。
日本語では、どちらも「デジタル化」というひとつの言葉でくくられてしまうこともあって、違いがあまり明確ではありませんが、実は本質的にも意味的にも大きく異なっています。
まず、「デジタイゼーション」は、一般的にイメージしやすいデジタル化です。紙の書類で管理していた顧客台帳などをデータベース化したり、予約情報をエクセルなどで管理したりする場合などがこれにあたります。つまり、デジタル技術を活用することでビジネスプロセスの業務効率化やコスト削減などを図るものです。
一方、「デジタライゼーション」は、デジタル技術を活用することでビジネスモデルそのものを変革。顧客により良い方法でサービスを提供することを目的としています。DVDから動画配信サービスが当たり前になった世界をイメージするとわかりやすいと思います。
河瀬:顧客側からはみえないところなので、わかりづらいかもしれませんが、観光業界でも、複数のホテルをコントロールセンターからクラウドを介して一元管理する「クラウド型ホテルシステム」の導入が進むなど、着実にデジタライゼーションが進んでいます。
村山:デジタイゼーションは、アナログをデジタルに置き換えるだけの単純なデジタル化というのはわかりやすいですが、デジタライゼーションとDXの違いは、どのように考えればよいでしょうか?
柴田:DXの後ろ部分にあるトランスフォーメーションは、変化や変形を意味する言葉です。頭にデジタルがつくことによってテクノロジーを活用してもっとドラスティックにビジネスモデル自体を変化させる、それがDXです。事例としては、AIと複数の店内カメラで実現した「無人コンビニ」などがわかりやすいでしょうか。
村山:昔は天井からゴムで吊り下げた「ザル」にお金が入っていたのが、工業化で「機械式レジ」へ。その後の「電気式レジ」がデジタイゼーションで、「POS」がデジタライゼーション。そして店内からレジという存在、概念そのものがなくなってしまった「無人コンビニ」がDXということと考えればわかりやすいですね。
河瀬:ドイツの自動車メーカーBMWは、10年前から自動運転の未来を見据えて「寝るだけのビジネスホテルは消滅する」と提唱していました。要するにこれは、夜に寝ながら移動することを指しているわけですが、ある意味で、これが実現すれば観光業界におけるDXともいえます。
村山:まったく違う産業から観光産業のDXが生まれてくる可能性があると考えると少し怖いですね。
2.デジタル時代における観光業界
旅行業界で進むビジネスのオンライン化、エアビーがもたらした新たな価値
村山:デジタイゼーションからデジタライゼーション、そしてDXへの流れは、観光業界を含めてこれからますます加速していくと思います。
河瀬:若い世代の方は、想像できないかもしれませんが、昔は、旅行をするといえばまず、時刻表やガイドブックを用意したり、旅行代理店の店頭でパンフレット集めたりするところからのスタートでした。
村山:すべてがアナログ。電話の向こう側から「ちょっと、待ってください」などといわれて、紙の予約台帳をペラペラめくる音が聞こえてきたりしていた懐かしい記憶があります。
河瀬:平成のあいだに「旅行のIT化」が進みました。以前、旅の予約をするには旅行代理店の窓口に出向いて、あれやこれや相談しながら宿泊先にも電話して空き状況を確認してもらう。そして、宿や移動手段などが決まったところで、その場で現金で支払って切符や予約券を貰うというのが当たり前でした。
柴田:それが今や、時刻表やガイドブックを買う必要もなく、自宅で旅に関する情報収集から空き状況の確認、支払いまでパソコンやスマートフォンひとつあればオンラインで全てが可能になりました。日本では、大手4社の取扱高順位はかわりませんが、国内旅行関連のウェブサイトの閲覧ランキングでは、ネット系旅行メディアが上位を占めています。
くわえて、世界でもOTAが台頭してきているので、このオンライン化の流れは恐らく留まることはないと思います。
▶世界の地域別OTA利用割合の推移
(株)ベンチャーリパブリック提供
村山:観光業界もますます激しくなるデジタルの波の影響をさけることはできません。しかし、これは事業を飛躍させるための大きなチャンスとなる可能もあります。観光テックを活かして事業の急拡大に成功した事例といえばやはり「Airbnb」は外せないと思いますが、いかがでしょうか?
柴田:そうですね。海外では、昔からB&BというBed & Breakfast――寝床と朝食を提供する民泊の仕組みがありました。日本でいう民宿やペンションに近いものですが、これをインターネットと組み合わせたのがAirbnbというサービスであり、米国サンフランシスコに拠点をおく会社の名称です。
同社は創業した2008年から13年後の2022年に、これまで時価総額1位だったBooking Holdings社を超え、世界最大の企業価値を誇るトラベル関連企業となりました。
村山:日本でもエアビーなどと呼ばれて定着した感がありますが、ホームページには「Airbnbが取り扱うリスティング(宿泊施設)は世界10万以上の都市に渡って600万件以上、その規模は世界7大ホテルチェーンの合計客室数を上回るスケールです」という記載があります。
柴田:宿泊できる施設の多さもさることながら、ホテルより格安で泊まれることにくわえて、旅行先の文化に触れて暮らすように泊まれるという新たな旅行価値も創出しました。
村山:以前、当社でも日本国内のホテルがない地域でAirbnbがもたらした新たな旅と経済効果に関する記事として取り上げたこともあります。
柴田:Airbnbが旅行業界に及ぼしたインパクトは大きいと思います。
後編では、シンガポールを拠点としつつ、世界中を駆け巡る柴田さんが注目する観光テックの最新事例。そして「デジタル化が進む世界で観光業がどうあるべきか」という点をふまえながら、観光、インバウンドに携わる一人ひとりがどこの変化にどう対処していけばよいかについて伺っていきたいと思います。
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