インバウンド特集レポート
本格的なインバウンド再開から1年が過ぎた。円安と旺盛な海外旅行需要、日本人気などに支えられて訪日客数は急速に回復、インバウンド消費も大きく伸びた1年だった。一方で、コロナ禍の3年間で大幅に削減した影響もあり、人材不足が大きな課題となっている。2024年のインバウンド人材業界の予測と期待について、株式会社やまとごころキャリア取締役の坂本氏による寄稿をお届けする。
株式会社やまとごころキャリア 社外取締役 坂本 利秋
7割超が深刻な人材不足に陥る宿泊業
2023年10月の訪日外国人客数がコロナ前の2019年を上回ったように、2023年の観光業界は劇的に回復した。ところが、観光業界全体が復活に沸く中、実に7割超の施設が深刻な人材不足を課題に抱える業種がある。宿泊業だ。
今後、中国からの訪日が本格化し、日本へのフライトが増便されればインバウンド客はさらに増えることになる。この訪日需要増に対して、国内の宿泊事業者は必要な部屋数を供給できるのだろうか。深刻な人手不足の中で多くが客室稼働率を下げて営業をしている状況にあるうえ、宿泊業への転職回帰の動きがみられない求職者の動向を鑑みると悲観的にならざるを得ない。
筆者が社外取締役を務めるやまとごころキャリアでは転職希望者を対象に定点調査を行っているが、回答者の半数程度がいまだ観光業界へ戻ることを希望していない。観光業が再成長するためには、観光客に1日でも長く滞在してもらい、より多く消費してもらう必要がある。そのためにはいくらハードルが高くとも、宿泊業界の労働人口の増加を実現しなければならない。
台頭するスキマバイト、人材不足の処方箋となるのか?
フルタイム人材の確保が困難な中、台頭してきたのがいわゆるスキマバイトである。スキマバイトについては以下のイメージをご覧いただきたい。
スキマバイト運営会社はバイトを募集したい企業と、バイトをしたい求職者のマッチングサイトを運営していると言ってよい。雇用契約は企業と求職者が直接行うため運営会社はタッチしない。
面接なしですぐにバイトを始められる、数時間のちょっとした空き時間を利用できる、最短でその日のうちにバイト代が振り込まれるなど、気軽さや手軽さが人気を博しているようである。タイミーなどの新興企業の他、従来からあるバイト情報サービスも続々参入している状況だ。
スキマバイトは採用する企業側にもメリットがある。1日の中で、又は季節で繁閑差があるため、繁忙時期のみスキマバイトを利用できれば無駄なく労働力を確保できるからだ。
宿泊業とスキマバイトの関係について考えてみる。清掃業務のような比較的単純作業で専門性を必要としない業務では、スキマバイトは有効だろう。それでも実際に何人が集まるのか、当日にならないと判明しないというリスクは残る。
一方で、面接も研修も必要としないことから、専門性が求められる業務には適さない。例えばラグジュアリーホテルのフロントやコンシェルジュに専門性が皆無のスキマバイトが務まらないことは明白だろう。
このようにスキマバイトは宿泊業界において部分的には有効ではあるものの、人材不足の根本的な解決策にはならないと筆者は考える。
付加価値アップに必須、専門性を備えたフルタイム人材が増えない理由は?
次に宿泊業界の再成長のカギを握るフルタイム人材についてみていく。
宿泊業をはじめとする観光業界で深刻な人手不足が継続している最大の理由は、給与水準が低いことである。国内の他業種との給与水準差、欧米諸国との差、何十年も前と給与水準が変わっていないといった情報は多くの読者にとって聞き飽きたものだろう。
こうした情報が広く浸透している現在でも、いまだに多くの宿泊事業者は給与水準の大幅増を実行していない。
宿泊事業者は人手不足を補うため大幅給与増をするのではなく、客室稼働率をコントロールし、正社員の残業・スキマバイト導入・管理職の現場兼務などにより対応しているのだ。宿泊業界へ就職・転職した方もおそらくこの状況を理解した上で入社の意思決定をしているはずである。
ここに給与水準が変わらない大きな原因がある。当事者たる宿泊事業者と就職・転職者が合意している以上、現在の給与水準は需給のバランスが取れてしまっているのである。そのような状況下で、宿泊事業者または宿泊業界従事者を起点とした内発的な給与増はあまり期待ができない。
厳しい状況のなか宿泊業での賃金アップが期待できる二つの理由
それでも筆者は、2024年に外的環境の変化による宿泊業の賃金アップがあるのではないかと期待も込めて予想している。
一つは最近の物価上昇によるものである。最近は前年同月比で3%程度で推移をしている。長く物価が上がらずそれが当たり前になりつつあった中での物価上昇は消費を低迷させる。事実、消費支出は前年同月比でマイナス推移している。この負のスパイラルを止めるためには賃上げが必須である。
もう一つは物流・運送業界の2024年問題によるものである。簡単に言うと2024年4月からドライバーの時間外労働時間に上限が課され、これを順守しなければならない。ただでさえ人手不足が叫ばれている中で、この制度が運用されると、物流が停滞するリスクが高い。一説にはこれまでの3割相当分が輸送できなくなるのではと危惧されるほどだ。
今から数カ月で輸送効率を3割アップさせることはできない、また運送量自体を3割減らすことも実現できないだろう。現実的な解は運送時間の長期化を甘受しつつ、給与を上げて他業界からドライバーを集めることではないだろうか。
当然、他業界も人材の流出を止めるためにも給与アップ圧力が高まるはずだ。もちろん宿泊業も例外ではない。
きっかけが外的圧力であれ、宿泊業の給与がアップすることは良いことであるものの、そもそもの水準が不当に低すぎると筆者は考えている。これから紹介する事例を目にすれば、宿泊業の給与は上がるだろうという予測でなく、上げるべきだと強く感じるものと思う。
ラグジュアリーホテルのフロントスタッフの給与水準からみる深刻な課題
ある求人サイトを調査したところ、国内で1泊2名1室10万円を超える誰もが知るラグジュアリーホテルのフロントスタッフの正社員の募集があった。ほかに米国カリフォルニアのバーガーチェーンのスタッフ求人と、東京都内のバーガーチェーンのスタッフ求人を見つけた。
ホテルとバーガーショップ、日本と米国、正社員とスタッフ職(アルバイト)という違いがあることは承知しているが、これら3つの職の給与を比較してみると予想外の結果が出た。
1位が米国のバーガー、2位は国内のバーガーショップスタッフ、そして1泊10万円超のラグジュアリーホテルのフロント職は3位だった。国や地域、また待遇に違いがあるにせよ、筆者はラグジュアリーホテルのフロントスタッフが1番高いか、あるいは日米の給与差により米国のバーガーショップが高いのではないかと考えていたのだ。
米国バーガーのスタッフの月間給与約45.7万円*に対して、日本のバーガーチェーンのスタッフのスタッフは22.4万円**、日本のラグジュアリーホテルのフロントスタッフは、21.5万円***だった。
衝撃的な結果ではないだろうか。1泊10万円を超えるホテルのフロントスタッフがバーガーチェーンスタッフより給与が低いのである。
*2024年4月から適用する最低賃金時給20ドルで、月160時間働いたものとして計算。なお、為替レートは1ドル143円換算で計算
**都内で求人募集しているバーガーチェーンの最低時給1400円で160時間働いたものとして計算
***日本国内で求人募集しているフロントスタッフの下限給与21.5万円で計算
サステナブルな経営に向けて、スタッフ給与のアップが欠かせない
ラグジュアリーホテルに宿泊する客は、自分が支払う金額には当然、金額に見合った質のサービス・ホスピタリティが含まれていると考えている。
マニュアルでなく顧客の心情を察した接客術、地域の歴史・おすすめの観光地・交通アクセス方法などに関する豊富で深い知識、想定外の出来事が発生した際の迅速かつ適切な対応といったものだ。
高度にマニュアル化されたバーガーショップスタッフのサービスも素晴らしいが、ラグジュアリーホテルスタッフの専門性はもっと高いはずだ。
ラグジュアリーホテルの宿泊客は、目の前で接客しているスタッフが実はファストフード店で働くスタッフより低い給与で働いている事実を知ったときにどう思うのだろうか。筆者であれば、信頼関係を損なう裏切り行為だと考えてしまうだろう。
それでもホテル側は「最高のサービスを提供している、給与水準は関係ない」と主張するかもしれないが、それこそ大きな問題である。最高のサービスには適切な賃金が必要であり、それを低賃金で提供しているということはすなわち不当に低い賃金で雇用していることを意味する。昨今重視されるサステナブル経営とは逆行した経営スタイルであり、顧客の支持を長期的に得ることは困難になるだろう。
筆者は先述の外的圧力によるものだけでなく、サステナブル経営を意識する企業から給与アップが実現することを期待している。まずは顧客単価の高いラグジュアリーホテルが実行に移し、続いて一般価格帯のホテルへ波及してほしいものである。
著者プロフィール 東京大学大学院工学系研究科卒。総合商社の日商岩井(現双日)にて金融派生商品の運用、おそらく国内初となるSNS企業の財務執行役員、三井物産子会社の取締役、メガベンチャー企業の再生を経験。2009年より中小企業に特化した再生・M&A支援を行うとともに2020年には再生・M&Aの実務家養成事業を開始。2021年は事業再構築補助金に関する大手メディアへの執筆の他、同申請書の作成支援講座を開始。株式会社スラッシュ代表。 |
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