インバウンド特集レポート
再び動き出した世界の富裕層旅行市場。その波は訪日市場にも押し寄せ、消費額・旅行者数ともに大きく伸びている。勢いを増す一方で、地方誘客を進めるには受け入れ体制や地域連携といった課題も浮かび上がる。拡大と課題、その先にある未来はどのような姿だろうか。
本記事では、日本政府観光局(JNTO)が2025年に公表した最新調査データを読み解くとともに、JNTO市場横断プロモーション部 高付加価値旅行推進室の伊藤亮氏にインタビュー。現場の手応えや課題を交え、日本の富裕層旅行市場の実像と地方誘客の可能性、そして今後の展望を探る。
世界の高付加価値旅行市場、21兆円規模に。米国が4分の1シェアを獲得
世界の富裕層旅行市場は拡大を続けている。日本政府観光局(JNTO)が公表した調査によれば、2023年の世界における高付加価値旅行(1人当たり着地消費額100万円以上)の市場規模は約21兆円。富裕層を中心に、旅行を通じて得られる体験に価値を感じ、それに投資する層が支えるこの市場は、2019年の17.8兆円から17.6%の拡大を示した。旅行者数も873万人から1157万人へと増加し、32.5%の伸びを記録している。
同調査は、1人あたりの着地消費額が100万円以上の旅行を対象に、クレジットカード決済データやUNWTO、観光庁、JNTOの統計・調査などを組み合わせて推計したもの。前回(2019年)調査の結果と比較することで、コロナ禍を経た市場の実態が明らかになった。
▶︎世界の高付加価値旅行市場の消費額と旅行者数推移(2019年と2023年)
左の図版が消費額、右が旅行者数
一方で、市場構成は大きく変化。かつて世界市場を牽引していた中国は、消費額シェアを2019年の31.5%から2023年には13.5%へと大きく落とした。代わってアメリカが躍進し、17.4%から23.5%へ拡大して世界の約4分の1を占める。
▶︎世界の高付加価値旅行市場、消費額の市場別構成比(2019年と2023年)
旅行者数でも、中国が25.5%から11.4%に減少する一方、米国は20.0%から30.0%へと躍進した。
▶︎世界の高付加価値旅行市場、旅行者数の市場別構成比(2019年と2023年)
中国は2023年時点では海外旅行自体が回復途上であり、高付加価値旅行市場も同様の傾向を示した。一方、アメリカは訪日を含め旅行需要が好調で、こうした全体傾向が富裕層市場にも反映されているのでは、とJNTOの伊藤氏は分析する。
さらに、アメリカ市場の特徴について次のように補足する。「アメリカの高付加価値旅行者は、混雑を避け、繁忙期を外した時期や比較的空いている目的地を選ぶ傾向が強まっている。また、サステナビリティへの関心も高く、環境面だけでなく 『地域文化や経済に貢献できるか』という視点を持つ人が増えているのも特徴」
食やウェルネスも重要な要素だ。心身を整える体験や自己を見つめ直す時間を重視するほか、ガストロノミーを通じてその土地の文化や人との交流を楽しむ姿勢が強いという。ファインダイニングだけでなく、ローカルフードを含めた食の多様な体験を求める傾向も見られる。
日本の高付加価値旅行市場、2023年は過去最大1兆円規模に成長
2023年、日本の富裕層旅行市場も過去最大規模に拡大している。訪日高付加価値旅行(1人あたり消費額100万円以上)の消費額は約1兆円と、2019年の6744億円から5割増。訪日外国人旅行消費額全体は2019年の4兆8135億円から5兆3065億円と伸び率が1割程度にとどまる中で、富裕層セグメントの伸びは際立っている。消費全体に占める高付加価値旅行消費の割合も14.0%から19.1%へ上昇した。
▶︎訪日高付加価値旅行市場、消費額の推移(2019年と2023年)
旅行者数も32.2万人から59.0万人へと8割増加し、全体旅行者数が減少する中で比率は1.0%から2.4%へ倍増した。
▶︎訪日高付加価値旅行市場、旅行者数の推移(2019年と2023年)
市場別では、中国が最大シェアを保ちながらもその割合を下げる一方、アメリカが大きく伸びている。伊藤氏は「訪日した人の口コミで、これまで日本旅行を考えていなかった人が訪日するなど、客層に広がりが見られる」と指摘し、アメリカ市場の拡大とこうした潮流が、今後の成長を後押しすると見ている。
さらに、台湾も旅行者数・消費額ともに急伸し、新たな主役として存在感を強めている。
▶︎訪日高付加価値旅行市場、消費額の市場別構成比(2019年と2023年)
▶︎訪日高付加価値旅行市場、旅行者数の市場別構成比(2019年と2023年)
訪日高付加価値旅行市場が世界を上回る成長を遂げた背景について、伊藤氏は「円安による価格競争力の高まりに加え、プロモーションの効果もあり、コロナ禍を経て日本への関心が一気に顕在化した」と指摘する。コロナ禍に行われた調査でも日本は「次に行きたい国」として上位にあり、その需要が2023年に爆発した形だと述べる。
シンガポールのシェア低下については「相対的にマス層が伸びている可能性や、旅行回数が増える中で一回あたりの支出が抑えられていることも考えられる」との見解を示す。一方、台湾は「コロナ前から日本旅行が一般的だったため、行けなかった期間の反動で高額消費を伴う旅行が急増したのではないか」と仮説を述べる。
2024年以降の新潮流、初訪日旅行者拡大とウェルネス需要の高まり
同調査は2023年までのデータだが、伊藤氏はコロナ禍を経た、ここ数年の傾向について「口コミ効果で初訪日者が増え、家族や三世代旅行も拡大している。アニメやポップカルチャーが動機となるケースも多い」と指摘する。実際に、子どもの希望をきっかけに秋葉原を訪問したり、原宿を人気インフルエンサーと巡る特別な体験をDMCが手配する例も出ている。
一方で、リピーター層は「ゴールデンルート以外の地方で本物の体験」を求める傾向が強まっており、地方専門のDMCが台頭し始めている。例えば北陸や瀬戸内、九州といった地域ではDMCが、地域資源を生かしたオリジナルで価値の高い旅行商品を扱い、海外に直接提案する動きが広がっている。「富裕層は贅沢よりも唯一無二の時間を重視する傾向にあり、日本の自然や伝統、匠の技はその需要に応える資源だ」と伊藤氏は語る。
近年はウェルネスも重要なテーマだ。高付加価値旅行の国際商談会ILTMでも「心身を整える滞在」が重視され、座禅や温泉、静養を目的とした長期滞在など日本ならではの体験が注目されている。伊藤氏は「例えば、地方のラグジュアリー宿では2~3泊し、あえて1日を何もせず過ごす旅行者も多い」と話し、スロートラベルやマインドフルネス的な滞在が主流になりつつあると示唆した。
JNTOの国内外アプローチ、地域連携と市場プロモーションの両輪
世界的な富裕層旅行市場の拡大を受け、JNTOも近年、高付加価値旅行者への取り組みを加速させている。国内外をつなぐ5つの柱で施策を進めているという。国内向けに1.関係者のネットワーク形成、2.プレミアムコンテンツの収集、3.ガイド研修による受け入れ体制の強化、そして海外向けに4.旅行会社に対するセールス活動の強化、5.消費者に向けた直接的なプロモーションだ。以下、国内と海外に分けて具体的に見ていく。
国内向けの取り組み
1.関係者のネットワーク形成
DMCと地域事業者間のネットワーク構築が最優先課題だ。観光庁の補助事業などで多彩な体験プログラムが生まれている一方、「それらコンテンツや前後の宿泊を組み合わせて点を線にして海外の旅行会社に提案するDMCとの連携が不足している」と伊藤氏は指摘する。そこでJNTOは、地域事業者と日本全国を手配するDMCを結ぶ商談会を開催し、実際の送客につながる国内関係者のマッチングを推進している。

▲国内観光関連事業者を対象に開催しているネットワーキング商談会
2.プレミアムコンテンツの収集
観光コンテンツは「オーセンティック」「エクスクルーシブ」といった高付加価値旅行者に求められる基準で、有識者の助言を得ながら収集している。JNTOのウェブ掲載やファムトリップ、商談会で紹介している。伝統工芸や地域食文化を深く体験できるプログラムは特に評価が高く、海外市場での武器として期待されている。

▲大阪市大依羅神社拝殿内の茶室でのお茶体験(提供:日本政府観光局)
3.ガイド研修による受け入れ体制の強化
現場で課題となるガイド不足に対応するため、2023年度から研修を開始。高付加価値旅行者対応に必要な知識や所作を磨くプログラムを提供している。2024年度は48名が受講し、2025年度も約50名規模で継続予定だ。

▲高付加価値旅行を取り扱う旅行会社を日本へ招請して行われた商談会Japan Luxuary Show case(提供:日本政府観光局)
海外向けの取り組み
4. 旅行会社に対するセールス活動の強化
現地の旅行会社や団体と連携した商談会やファムトリップなどを実施し、訪日商品の造成や販売を後押ししている。
5.消費者に向けた直接的なプロモーション
メディア発信やイベントを通じ、訪日旅行の興味関心向上と予約促進に直結する施策を展開している。
越前和紙や酒蔵見学、世界の富裕層旅行者を惹きつける体験コンテンツの実例
先ほど触れたように、JNTOでは、地方への送客を積極的に進める中で、地域ならではのオリジナル体験を、商談会やファムトリップを通じて海外市場に紹介している。こうした取り組みの中から、高い評価を受けるプログラムも徐々に生まれている。
例えば福井の越前和紙工房では、手漉きの現場を職人とやり取りしながら見学できるプログラムが4段階評価の「最上位評価80%」を獲得。「軽く割れない和紙はお土産に最適」との声もあがった。
長野では、大信州酒造での酒蔵見学と解説付きテイスティングが実施され、革張りソファを配した上質な空間での体験が「美しく居心地がよい、本物の体験」と高く評価された。紙コップでの試飲とは一線を画すラグジュアリーな演出が支持を集めている。奈良では、大正7年創業の徳星醤油醸造場で天然醸造の醤油蔵を見学し、自分だけのマイ醤油を仕込む体験が人気を博した。
さらに、長崎・雲仙では「竹田かたつむり農園」での伝統野菜収穫体験が、住民との交流を伴うプログラムとして高い評価を得た。また、沖縄では、「薬膳琉花」で琉球薬膳料理を体験するプログラムが好評を得ており、地域の知恵や文化に根ざした食体験がファムトリップ参加者を魅了した。
こうした事例から明らかになったのは、1.本物に触れること、2.職人や地元の方との交流、3.ガイドによるストーリーの伝達、この3要素の重要性だ。特にガイドが旅行者の関心に応じてその体験の背景や魅力を伝え、体験の価値を引き出す役割は欠かせない。
旅行満足度を決める要、富裕層対応ガイドに求められる資質と専門性
伊藤氏は「ガイドの力で旅行の満足度はまるで違う。まさに唯一無二の体験を支えるキーパーソン」と語る。特に地方では英語ができる職人や専門家が限られるため、ガイドが旅行者と地域をつなぐ橋渡し役を担う。その重要性を踏まえ、JNTOもガイド研修に力を入れている。
JNTOでは、観光庁から引継ぎ、2023年度から高付加価値旅行ガイド研修を実施しており、2025年で3回目を迎える。対象は現役の英語ガイドで、自己PRや動画審査を経た約50名が受講する。研修はオンライン・オフラインを組み合わせ、富裕層対応に必要な知識やスキルを多角的に磨く内容だ。
オンラインでは、訪日インバウンド市場の現状や富裕層対応の基礎を学ぶ導入研修に加え、現代アートや伝統工芸、ガストロノミーなど、専門家によるテーマ別講義とディスカッションを実施。オフラインでは、ラグジュアリーホテルや体験の視察や、DMCが模擬旅行者となるフィールドワークを通じ、臨機応変な対応力等を養う。さらに、受講生とDMCが面談するマッチング機会も整えられている。
こうした取り組みの中で、一部地域では、地域に暮らす外国人がガイドとして活躍する動きも広がっている。たとえば、北陸や雲仙からはこれら地域に住む外国人ガイドが研修を受講した。土地の文化や暮らしを理解した彼らの存在は、地域に根差した通訳・解説を可能にし、人材の多様化にもつながっている。
「高付加価値旅行ガイドにはコミュニケーション力、臨機応変な対応力、高付加価値旅行者に見合った品性、地域や業界関係者との協調力の4つが必要」と伊藤氏は言う。服装や所作ひとつで旅行者への印象が変わるため、ラグジュアリーホテルの雰囲気に合わせて装いを調整するなど、細部にまで配慮するガイドも存在する。
富裕層市場拡大の影でー地方誘客を阻む宿泊・DMCの課題
富裕層市場の拡大とともに、地方誘客の現場では課題も浮かび上がっている。
まず指摘されるのは上質な宿泊施設の不足だ。伊藤氏は「海外旅行会社等から、地方に上質な宿泊施設が不足しているという声を聞くが、都市部と同水準を地方に求めるのは難しい面もある。だからこそ事前に施設情報を示すとともに、宿泊だけでない体験価値を用意することが重要」と語る。たとえば伝統工芸や自然体験といった、その土地ならではのプログラムがそれにあたる。宿泊で期待値をコントロールしたうえで、「期待を上回る体験」の提供が満足度を高めるという。
次に課題となるのが、旅行商品を組成・手配できる地域プレイヤーの不足だ。DMCは増えつつあるが、海外旅行会社からは「レスポンスが遅い」「つながる先が見つからない」との声も多い。特に東京や京都などの首都圏と、地方をまたいで行程を組む際に全体を調整できるDMCや、現地を案内できるガイドの不足がネックとなっている。伊藤氏は「JNTOでもDMCと地域の観光事業者間のネットワーク形成に取り組んでいる」と説明する。

▲長野県松本の大信州酒造でおこなれたプレミアム試飲体験(提供:日本政府観光局)
地域の現場力が鍵をにぎる、職人や生産者との信頼が生む富裕層誘客
こうした課題を踏まえると、今後は「地域の人と資源を生かし、唯一無二の体験に仕立てる力」が重要になる。伊藤氏は「地域の方々と繋がり、アレンジできるのは地域の人にしかできないこと」と語る。
富裕層旅行者の関心は伝統工芸、飲食、農業といった職人、一次産業の現場にこれまで以上に集まっている。普段は非公開の工房や工場が特別に開放されること自体が大きな体験価値となり、誘客の決め手となりうるという。

▲長崎雲仙のかたつむり農園での収穫体験(提供:日本政府観光局)
「うまくいっている地域ほど、自治体・DMO、地域DMCが地域の職人や生産者と丁寧な関係を築き、旅行者のために扉を開けている」と伊藤氏。決まったプランを売るのではなく、一つひとつをカスタマイズする仕組みづくりが、富裕層市場への対応には欠かせない。
富裕層旅行の受け入れには、地域資源を丁寧に掘り起こし、自治体・DMO、地域DMCが職人や生産者と信頼関係を築きながら、一つひとつの商品をカスタマイズしていく仕組みが欠かせない。そうした基盤の上に、地域DMCが確かな手配力を発揮し、海外へと発信する体制が整えば、日本が誇る「唯一無二の体験」はより力強く世界に届くだろう。
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