インバウンドコラム
著者:村上 隆
出版社:岩波書店
「稼ぐ」は公共文化施設や国公立教育機関において無視できない言葉となっている。そうなった背景には、政府や自治体の財政難が大きく横たわるが、「観光」が文化・学術を経済的に支えうるのではないかという期待も無視できない。
そのような流れのなかで、敗戦直後から長らく「保存と継承」に主眼がおかれてきた文化財に対して、政府が「観光立国」を唱えはじめたころから「活用」が重視されるようになった。実際に、文化財保護法の改正(2018年)によって、自治体における文化財保護の所管が教育委員会から首長部局(例えば観光やまちづくりの担当部署)に移管できるようになり、文化観光推進法の制定(2020年)を経た2022年の博物館法改正で、企業や学校が運営する施設も博物館として登録できるようになっている。
では、インバウンド誘客の有力な道具として、観光に寄与するものという視点から取り上げられることの多くなった「文化財」とは、そもそもなんであるのか? どうあるべきか? 本書は、半世紀以上にわたって文化財をとりまく実務や政策を担ってきた人物による解説と提言である。著者は、文化財を「水と空気と同じぐらい大事なもの」、つまり「生きていくために絶対的に必要なインフラ」とする。
文化財は「もの」として古くから存在している(ゆえに文化財であるといえる)が、「文化財」という概念はいつから生まれたのか? 著者は、大正期にドイツの影響を受けて注目されるようになった「文化」から派生した言葉として、戦前には「文化財」という抽象的な概念が存在したとするが、宝物や史跡など具体的なものの総称としての「文化財」は、文化財保護法(1950年施行)によって定義された戦後生まれの言葉だとする。そして、明治から占領期までの文化財保護政策を、「古社寺保存法」(1897年)制定までの「黎明期」と、「史蹟名勝天然記念物保存法」(1919年)や「国宝保存法」(1929年)が制定される20世紀前半の「助走期」に分割する。さらに、戦後から現在までを4つに区分するが、明治政府がもたらした廃仏毀釈や欧風化の波による古社寺や宝物などの破壊・散逸、法隆寺金堂の火災(1949年)、阪神・淡路大震災や東日本大震災などの危機が文化財政策に進化をもたらしてきたという視点は興味深い。
保存・継承と活用のバランスについて、自身の経験・実績をもとに論じられている本書で、もっとも考えさせられたのは「複製」の意味や意義を取り上げたIV章。「ほんもの」に肉薄する高精細技術を駆使したものとされる複製は、芸術家の基本修練の一環として行われる模写や模刻から始まり、展示の期間や照度の制限を受けずに展示・鑑賞することのできる「原寸大の美術全集」へと役割を広げ、現在は「日本文化を支える」ものとなっている。ほかにも複製の意義や可能性について、世界遺産である二条城の修復や教育・観光での活用などを事例に論じられており、レプリカ展示を見てつい「なんだぁ、複製か」と反応してしまう人にはぜひ読んでほしい部分となっている。
最終章で、文化財保護だけでなく、政府・自治体の文化予算をはじめとする文化政策の課題も示している本書の副題は、「<ものつくりの文化>をつなぐ」。工業生産物である「モノ」にあふれた現在において、手作業の「ものつくり」が生み出した「もの」の保存・継承・活用、その歴史・現在・未来を考える際の手引きとなる新書である。『日本の歴史的建造物 社寺・城郭・近代建築の保存と活用』(中公新書・光井渉著)とあわせて読んでいただきたい。
文:神戸大学准教授 辛島理人
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