インバウンドコラム
『江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ』
著者:安藤 優一郎 / 出版社: 朝日新聞出版
江戸時代にブームとなった「旅行」はどんなものだった?
「泰平の世を背景に、庶民とりわけ女性が牽引する形で国内旅行の市場は拡大した。鎖国体制の確立により、(中略)全国各地に多くの観光地を産み出し、旅行産業を活性化させる要因となった。そして江戸開府から約百年後の元禄期より、旅行ブームがはじまる。各旅行先で見られた泣き笑いに焦点を当てることで、江戸の旅行ブームの実像に迫った。(中略)泰平の世であったればこそ、江戸時代の日本では旅行市場が活況を呈した。江戸時代は農民も町人も、男も女も物見遊山を楽しめた時代であった」(本書のあとがきから抜粋)
江戸時代の日本は、旅行大国であり街道や観光地には旅人や観光客が溢れていた。来日した外国人も驚くほどの活況ぶりで、当時の人々のたくましさや、旅を楽しむ庶民の生き生きとした姿が伝わってくる。歴史家の視点で、「旅先で見られた泣き笑い」に焦点を当てていることが本書の魅力である。庶民の旅、したたかな女性の旅、七難八苦の大名の団体旅行、自粛を求められた将軍の旅、外交使節の江戸の旅など、テーマごとに旅の裏事情が明かされていく。
観光地の分散化に成功した、江戸時代の政策とは?
現在の観光を考える上で面白いのが、第3章の幕府による観光地開発である。西国人にとって歴史が浅い新興都市・江戸は、東国への旅行の際に江戸見物を旅程に組み込むことはあまりなかったという。しかし、国内最大都市として栄えるにつれ、歴史や自然景観ではなく、エンタメが充実した百万都市・江戸に多くの人々が魅力されていく。こうして江戸見物が旅程に組まれ、人気のデスティネーションとなっていく。「都市に宿泊して神社仏閣のような歴史遺産を訪ねるだけでなく、芝居に象徴される芸能や娯楽文化、そして飲食や買い物を楽しむ観光旅行のスタイル」、いわゆる都市型観光の性格が色濃かったのが特徴だという。
旅行ブーム到来によって、ガイドブックも数多く出版され、旅行人口もさらに増加する。そして、江戸中期(18世紀前半)に観光カリスマが現れる。八代将軍・徳川吉宗だ。この頃、都市化の発展に伴い、身近な自然が失われたため、幕府は自然景観を活用した観光地づくりに取り組んでいた。当時、庶民は桜の花見に上野の寛永寺境内に繰り出していたが、将軍の墓所のある境内での騒ぎは幕府を悩ませていた。それを解決するために吉宗が一計を案じたのが、桜の名所の新規開発であり、こうして墨田川堤や飛鳥山の桜の名所が誕生した。吉宗自身がトップセールスとして、家来たちを連れて飛鳥山で宴を開催したことで、宣伝効果は抜群だった。こうして、観光地の分散化に成功し、以前に比べて寛永寺の境内は静かになったという。
吉宗は、名所としての環境整備にも力を入れ、桜の増殖や補植を行い、飛鳥山には庶民の飲食施設や娯楽施設のみならず、高級料理茶屋も立ち並ぶほどになった。当時のガイドブックの集大成と謳われた『江戸名所図会』にも、その活況ぶりが描かれている。こうした観光政策の影響を受け、寺社などにも桜が植樹され、花見と参詣客でにぎわう観光名所が誕生していった。両国で花火が打ち上げられるようになったのも、吉宗の時代であった。花火はいつしか夏の風物詩として浮世絵にも描かれ、現在に至っている。
本書を読むことは、ツーリズム産業に従事する読者の方にとって、旅行業、宿泊業、飲食業、行政、DMO、出版、メディアなど、自分の仕事を俯瞰して考えるよい機会になるはずである。そして、自らが旅に出かける際にも、既存の規制や慣習に縛られず、江戸時代の日本人のようにもっと自由にのびのびと旅を楽しむヒントを見つけられるだろう。
本書に関心のある人には、以下をお勧めしたい。
▼関連情報
・『東海道中膝栗毛』(単行本、文庫、解説本、漫画など多数あり)
・映画「超高速!参勤交代」
・映画「ええじゃないか」
文:一般社団法人JARTA 渋谷武明
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